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地球不動産「一間」1/315,000,000,000,000 ②


「場所」が「居場所」になる。

1月に彼と会った一夜では明確な「解」は出なかったが、この言葉だけを頼りにしていた。その後、彼は仕事でまた東京へ帰ったのだが、3月に「場所が居場所になりゆる」場所を探しに出かけようということになり、とりあえず休みの日程を合わせ、出かける約束をした(カップルかよ)。

僕は漠然とした試みに新しい何かが始まる予感がして胸がいっぱいだった。

2月3月中旬とお互い特に連絡をとることもなく、というかお互いサラリーマンでもあったし忙しかったのだが、ほとんど何の予定も決まらないまま前日を迎えた。ただ少しだけLINEでやりとりをした時に「島にいこう、直島か豊島あたり!」とだけざっくり決まっていた。

その夜、岡山駅で彼と合流し、児島にある彼の自宅まで車を走らせた。
最高の2日間の予定を立てるべく作戦会議をすることになった。



3月20日(水・祝)曇りのち雨

初日の僕たちの予定は、道なき道をただ(車で)散歩することだった。

そう、散々時間があったのに予定を全く立てないまま翌朝を迎えたのだ。
予定をみっちり立てるよりも、ふらりと出かけた先に出会う景色を大事にしてみることにしたのだ。
(恋人同士は計画的に。)

ただ午前中だけは予定を決めていて、ベルクという山頂にあるカフェ、”ある”古本屋の店主と彼と三人で美味しい珈琲でも飲もうじゃないかという話になっていた。おそらく人生の中で最も優雅な朝を迎えた。

この前の週は、暖かい気候で過ごしやすかったので気温など全く気にしていなかったが、とんでもなく寒い日だった。しかも生憎の雨と強風。「雨男だったけ?」と申し訳なさを心の中で感じた。ただ、荒狂う大自然を目の前にして「これはこれでありかな」なんて、初めて見る光景に心の中では少し嬉しいような、ワクワクする感覚があった。

カフェでまったりと(荒狂う大自然を目の前に)過ごした後は店主とは別れ、僕たちは児島近辺をぐるぐると車を走らせた。いつでもどこでも撮影ができるように少しだけ彼の私物の椅子と小さい家具を乗せ、「場所」を探し続けた。
しばらく色々走ってみたのだけど、結局夕方あたりまでいいと思える「場所」を探すことができず、昨晩夜な夜な散歩に出かけたコースに戻り、一旦散歩をすることにした。

夜中、確かに歩いたはずのその道は僕にたくさんの気付きを与えてくれた。
新鮮な空気や真っ暗で見えにくかったモノや色。実は行き止まりだった所とか。歩く楽しさを知れたようだった。





そして、見つけた。

「あそこ、いいかも」。
「家具を置いてみよう」。

そうやって立ち止まったのは、夜中の散歩では通りすぎていた「波止場」。
何の変哲もないただの「波止場」だったのだが、僕らの目には「居場所」に見えたのだ。「あの波止場の先端あたりにはきっと人(住人)がいるはずだ」と妄想を膨らませた。

5段ほどのコンクリートでできた階段、少し降りた先には何層にも重なり海によって加工されたゴツゴツとした岩肌。人が歩くところは玉砂利の床になっていた。先端部はアーチ状になっていて、窓を開け、バルコニーに出たような心地よい気分を感じられた。”今、僕がどこにいるのか”それは考えようである。
「きっと誰も気に留めていないであろう『場所』にいて『居場所』にしたのだ」。そう心の中で言い聞かせた。


これが僕らにとって、初めて「場所」が「居場所」になる瞬間だった。
「とにかく今この瞬間を写真に残そう」と、持ってきた家具たちを全部配置して組み替えて、彼とポーズ考えながら自然体を探した。お互いに被写体をやりながら反対岸に回ってはカメラマンを繰り返し、それぞれが納得のいく写真を撮り続けた。

一日の最後はそれで終わり。
この活動の形が一つだけ見えたような気がした、とにかく嬉しかった。



3月21日(木)曇りのち晴れ

今日は元々計画していた島へ行くことにした。
”いつも通り”無計画な朝を迎え、前日にお寿司屋さんでもらっていた魚の粗の味噌汁を啜りながらどの島に行くかを決めた。今回は「直島」へ行くことが決まり、フェリーの時間帯を調べるとすぐに宇野港まで車を走らせた。

フェリー出発の15分前に乗り場へ到着し、久しぶりの(もう3年以上乗っていない)フェリーに僕らは乗り込んだ。目的があるような無いような、物語を作る旅が始まった。

フェリーからの景色は壮大で、港から平面に見えていた島々はゴツゴツとした岩肌を包み隠すことなく存在感を見せつけてくる。圧倒的な大自然を目の前に僕は立ち尽くし、ひたすら眺めることしかできなかった。

そうこうしていると、あっという間に「直島」へ到着。宇野港発からであればおよそ20分ほどで到着してしまうので、航中の島を抜けてしまえばあっさりとしているものだ。乗船者はみな、アートの世界に潜りこむ準備を始めていた。僕たちは、「居場所」となる場所を探すため散歩の世界に潜る準備を始めた。

到着後「とりあえず地図などは一切見ずに、行きたい道をひたすら歩こう」ということになり、直感で西方面へ歩くことにした。




歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて。
とにかく歩いた。

アート作品には全く目もくれず、たぶん大概の人たちはなんてことない景色として見過ごすだろう、でも僕たちの目線はその誰とも被ることのない独自の(よくわからない)目線を持ちながら歩き続けていた。時には砂浜にポツンと置かれたコンクリートブロック、クタクタになったベンチが配置された4畳ほどの空間。それら全てが「場所」であり、「居場所」なのだ。

コンクリートの上で、川沿いのほとりで、「人」が「一間」を借りて日常生活を送っているかのような、僕らは無限に広がる想像を膨らませ人の服装や性別、生活習慣はどうか、ここに住む住人は一体どんな家具を揃えているだろうか。何を必要としているのか…たくさん考えた。


撮り続け、喋り続け、テクテクと歩く。
道中で閃いた言葉が僕らの行動にある名前を付けた、「地球不動産」と。
誰もが素通りしてしまう、実際に住むことはできないけど地球上に存在する「一間」を僕らが見つけ、そこに色をつけていくような、そんな作業(アート)を僕らは創造する、物件紹介のように。

この活動に明確な意味ができて、コンセプトができて、届けたいと想う人が今後できてくると、もっと面白い世界がつくれるのだろう。

まだまだ手探りの日々は続きそうだが、やってよかったと思える瞬間に出会えるまで楽しみ、活動していこうと思う。




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