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人生につまずいて大コケして、緊迫した状況。だけど今日ものほほんと。

2023年11月5日。
何曜日かわからなくなる生活は、このぐうたらのせいなのかはたまた歳のせいか?長男宛に「明日の土曜に」とラインを送ったのは火曜という驚異!!

5本入りのきゅうりが安かったので買って帰って野菜室を開けると、「やあ!」とトリオのきゅうり(3本)が顔を出す。その日の夕方、パルシステムで5本入りのきゅうりが届く。
なんだなんだ、一人暮らしなんて言いながら実はこっそりカッパと暮らしてるのか?

日に何度も家の中で老眼鏡を探す。なんの気なしに置いたメガネは、神隠しにあったかのように見つからない。
狭い家の中をぐるぐる徘徊し、「こんなに見つからないことなんてあるんだろうか!さてはミステリースポットに・・」なんて思っていると、思いもしない場所(洗濯機の上、お風呂場の窓の桟、座っている目の前)から突如出現する。
何かの陰謀か。いや、やっぱりカッパがいるのかも。

大好きな秋を満喫して明るい日差しの中をぼんやりしていると、あっという間に陽が傾く。そして夜が来て眠りにつき、また朝がやってくる。
前回の無職期間はいつもキリキリと「これからどうなるのか」「もう終わりだ」という恐怖に満ち満ちた絶望と、常に激しい動悸と共に過ごした苦悩の時間だった。
今は「なるようにしかならん!!ワハハ」と中小企業の社長のように、出た腹を括っている( なにこの中小企業の社長に対する偏見)。
「参っちゃうよ、寅さん・・」と首の後ろの汗を吹き吹き、愚痴るタコ社長にはならんぞ。
いや、腹を括っているというより全く考えないようにしている。考えても解決しない上、暗く濁った深い沼の底に落ちてしまうから。


大好きな映画監督、セドリック・クラピッシュの2008年の作品「PARIS」を久しぶりに観た。パリに生きる人々の交錯する人生を描いたドラマだが、心臓病に冒された弟がリストラされそうなシングルマザーの姉に言うセリフが、今の私が考えていることそのものだった。

「死ぬわけじゃない。生きてるんだ。楽しめ。
むやみに人生を暗くしないでよ。体だって元気なんだ。
満喫してくれよ。偶然に身を任せろ。
人生は終わってない。これから始まるかも。」

ダイエット中だが、映画の言葉通りおやつを満喫。
(あれ?おやつの話題出てない?)
こういうちょっとしたお楽しみも人生には必要なのさ。
近所の公園は、
まだ周囲には落ちていないのに
ベンチにどんぐりが必ず1枝乗っている不思議。
今日もまたどんぐりが待っていたので
一緒に帰ってきた。

この数年間、「今度こそ詰んだ」「なぜこんなに次々悪いことが起こるのか」「生きているのが辛い」と何度考えて苦しみ悶えたことだろう。
信用して話した人から、後日辛辣な批評をもらって更に心を殺され、暫し立ち上がれなくなったこともあった。
悩み抜いても散々な目にあったから、もうそんなに深刻に生きなくてもいいんじゃないかと思っている。合わない人がいたら笑顔で去る(ニヤつきながら後退りすると単にやばい人。あ、それはそれで相手が寄り付かなくなるいい対処法かもね)。
辛いことがあってもそのことについて深く考えない。
眠れなくてもぐっすり寝ても、必ず朝は来るんだから。

サポートしても良くってよ。