見出し画像

おいしいって笑うため

食べること=悪という思考が消えない。
食べている間ずっと、とんでもない罪を犯しているような気持ちになる。食べることが正しいことだと言われても、定着してしまったこの思考は深くまで根付いていて、そう簡単に上書きされない。だからどうしても、食べている自分を許せない。
それなのに一日中食べもののことを考えてしまう執着と、人一倍ある食欲。こんな自分が気持ち悪くて仕方がない。

食べることが唯一の治療方法だから、食べなくてはいけない。食べずに痩せてしまったら、また入院することになるからだ。苦しかった入院生活を思い出し、一日三度、食事に向き合うのだが、その度にわたしは苦悩し、言葉にできない恐怖心と罪悪感に苛まれる。

それでも、食べなくてはいけない。毎日毎食、頭と心はフル稼働で色々なことを考える。
なにを食べていいのか、どれくらい食べていいのか、はたして本当に食べていいのか、本当は食べてはいけないんじゃないか、でも……。
食べたい気持ちと食べたくない気持ちの狭間で揺れ動き、葛藤の末、わたしは食べることを選択する。なんとか、食べることを選べている。本心では、選んでしまっているという感覚。

口に運ぶ、咀嚼する、飲み込む。おいしいという感情よりも遥かに大きな“食べてしまった”という後悔と罪悪感、“太ってしまうのではないか”という恐怖心が一瞬にしてわたしを支配する。満たされたお腹が不安を掻き立て、吐き戻したい衝動に駆られる。それにもただ耐えて、耐えて、やっとの思いで食事をとっている。

大好きだったはずの食事、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
大丈夫だよ、食べていいんだよ、そう自分に声をかけてあげられたらどんなにいいだろうか。


本当はもう疲れてしまった、食べること自体をやめてしまいたいとすら思う。食べなければ、食べることに関するすべての苦しみや悩みから解放される。なにをどれだけ食べるべきか、食べてもいいのか分からなくなって取り乱すこともなくなる。食べてしまった後悔も、罪悪感も、太ってしまう恐怖も感じずにすむ。
それに、痩せられる。昔より肉付いたと感じる今の体型から、満足できる体重、体型を取り戻すことができる。食べることが好きという気持ちすらすら上回る苦痛から逃れたいから、食べることをやめたい。食事というものがなければよかったのに。もう苦しみたくないし、悩みたくない。なにも、考えたくないのだ。

そんな思いから、何度も食事から目を逸らしたくなった、向き合うことをやめたくなった。食べることを放棄したいと何度も思った。
だけど、どこかから聞こえてくるのだ「それで、本当にいいの?」と。
食べることをやめて、痩せて、自分は楽になれるのか、幸せになれるのか。胸に手を当て、自分自身に問いかける。
「食べる幸せを失ったままでいいの?」脳裏に浮かぶのは、食べることを心の底から楽しめていたときの自分の姿。

本当は、昔みたいにおいしく食べたい。

厳重に蓋をされ隠れてしまっていた本心に気づく。わたしは摂食障害という病気でいたいわけじゃないはずだ。それならば、答えはひとつ。

食べること。

言葉にするのは簡単だけれど、この病気は想像以上に手強い。実際に、隙があればすぐ姿を見せる摂食脳に何度も心をへし折られてきた。その度に全部やめたくなってきた。負けそうになった。それでもわたしは、苦悩と葛藤の末、食べることをやめずに向き合い続けている。すべては、幸せを取り戻すため。おいしいって心の底から笑うため。食べることは悪いことでも、負けでもなくて、むしろ病気に打ち勝っているのだと言い聞かせて。

わたしと摂食障害との闘いは、まだ続く。遠い道のりかもしれない、でも決して諦めない。何度躓いても立ち上がってみせる。足踏み状態になっても再び歩き出してみせる。いつか、おいしいって素直に笑えるようになるその日まで。

この記事が参加している募集

スキしてみて

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?