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ラデュレに行ったら牛丼が出てくる映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』

エメラルド・フェネルの監督デビュー作『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020年)は、興味深い作品だった。

『プロミシング・ヤング・ウーマン』は、キャリー・マリガン演じる元医大生の女性キャシーが、性暴力を受けた末に自殺した親友の復讐を遂げる話となる。

性暴力という重いテーマを描くものの、真面目な社会派ドラマというわけでなく、コメディともスリラーともとれる作品だった。

そして一番印象的だったのは、全編を通して感じさせる違和感のある組み合わせによる不穏な雰囲気だった。

違和感のある組み合わせ

『プロミシング・ヤング・ウーマン』では、冒頭シーン後、ピンク色のタイトルが表示される。

ピンク色は女性を連想させる色といえる。そのピンク色のタイトルが象徴しているように、『プロミシング・ヤング・ウーマン』では「女性らしさ」が強調されていく。

キャシーの髪型やファッション、さらにキャシーの部屋やキャシーが働くコーヒーショップも、ピンクを中心にカラフルに彩られ、また、パリス・ヒルトンの楽曲が印象的に用いられる等、しつこいほど「女性らしさ」が強調される。

2000年代、ガーリーカルチャーの教祖的存在だったソフィア・コッポラの作品も「女性らしさ」が描かれていた。しかし、女性の描き方がソフィア・コッポラと『プロミシング・ヤング・ウーマン』では明らかに異なっている。

ソフィア・コッポラの作品で描かれたのは「あっちもいいし、こっちもいいし、優柔不断な私」という女性だった。しかし『プロミシング・ヤング・ウーマン』のキャシーは「あっちは好き、こっちは嫌い、だから行動する私」だった。

ソフィア・コッポラ作品の女性は、女性らしさの延長線上にいる女性らしい女性といえる。しかし『プロミシング・ヤング・ウーマン』のキャシーは、以前であれば男性らしいとされるような存在だった。

そこが、違和感のある組み合わせだった。つまり、女性らしい世界にいる”男性らしい”女性である。

キャシーは夜な夜なバーに繰り出し、そこで、自分を誘って自宅に連れ込もうとする男性を制裁する。さらに、車越しに何癖をつけてきた男性に対しては、その男性の車をボコボコにし、男性がビビッて逃げていく。また、バーで脅してきた黒人男性にも、逆に脅し返して黒人男性を退散させる。

キャシーは、次から次へ登場するクズ男たちを懲らしめる強い女性なのである。しかし、キャシーはただ強い女というわけではない。

強い女性、戦う女性はこれまで多く映画で描かれてきた。キャシーが特殊なのは、格闘技を身に着けていたり銃を扱うわけでもなく、至って普通の女性という点にある。しかも「女性らしさ」が強調される女性である。そういう女性が、古典的な「女性らしさ」とは異なる行動を取るところが特殊だった。

このキャシーという存在の違和感は、ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』(2007年)作品内にも登場した、「女性らしさ」の一つの象徴のようなラデュレの店に入ったら、マカロンではなく牛丼が出てくる、そんな違和感だった。

その違和感を強調させるため『プロミシング・ヤング・ウーマン』では、しつこく「女性らしさ」が描かれていく。違和感によって生み出されるのは不穏な雰囲気で、だから、その不穏な雰囲気こそが本作で最も印象的だった。

『プロミシング・ヤング・ウーマン』のメッセージ

『プロミシング・ヤング・ウーマン』における表層的なテーマは、#MeToo運動のような性暴力への警告、また、男性有利な社会への警告と取れる。

それら表層的問題は、法律やルールを変える等で対策を取っていると見ることはできる。

しかし『プロミシング・ヤング・ウーマン』から感じるメッセージは、それら問題の根底には「女性らしさ」「男性らしさ」という「らしさの壁」があるということだった。

ラデュレは女性が行くお店、吉野家の牛丼は男性が食べる物という「女性らしさ」や「男性らしさ」。しかし実際には、スイーツが好きな男性もいるし牛丼が好きな女性もいる。

女性は、かわいい存在。美しい存在。そして、弱い存在。だから女は男の言いなり。そのような「女性らしさ」とその延長にある女性への意識が、性暴力という問題の根底にある。

『プロミシング・ヤング・ウーマン』で繰り返し強調された「ラデュレに牛丼」という違和感は、それを違和感と感じることは即ち、観賞する側がステレオタイプ的な女性らしい女性という意識を持っていることを意味することになる。

そのため『プロミシング・ヤング・ウーマン』のキャシーに対して、何も違和感も感じないことが「らしさの壁」を超えることともいえる。

この映画で強調されるキャシーという存在への違和感を違和感と感じていたら、それは、キャシーの台詞でいえば「私だけじゃないよ」になる。

それが『プロミシング・ヤング・ウーマン』から感じるメッセージだった。

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