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写真は言葉を補う

なにかを「書く」ことはむずかしい。書くにはエネルギーが必要だし、書けないときだってある。

多くの人の目に触れる場所で書くものだから、何気ない言葉や自分に向けた言葉だとしても気遣いが大切だし、読んで分かってもらうためのものなら、なおさら読みやすい工夫を考えたい。うまく言葉にならない思いもある。

思いを言葉にする。それってすごくエネルギーを使う、難しい作業だ。

多くの人が毎日のように、たくさんの言葉を、呟いて、書き留めて、誰かに届けている。それは、当たり前のことではなくてとてもすごいことだ。だから、誰にでもできるものでもないと思うし、できないときもあっても仕方がない。

でも、何も思い浮かばず、筆が進まない(手が動かない?)ときは、他のやり方で補うこともできる。私の場合は、写真だ。

写真は言葉を補ってくれる。「撮る」ことが「書く」ことの代わりになる。

それは大きなメディアでも一人の日記でも同じだ。
インタビューの写真が、とてもいきいきとした表情を写していれば、本当になにかを楽しんでいることが伝わりやすい。思い出は、写真のほうが多くを語ってくれることもある。言葉では伝えきれないことを、写真が語ってくれる。それは、言葉の代わりに残すこともできるし、補完して言葉をより強くすることもできる。

一枚の写真から、ストーリーが描き出せることもある。そこに写る人の、撮る人の気持ちが伝わってくる。自分とは違う誰かの日常の気配が伝わってくる写真が好きだ。ただ綺麗なものよりも、生活の匂いが伝わるものや日々の暮らしに馴染むもの。

誰かの日常は、他の誰かの非日常だ。

うまく書けなくても、うまく撮れなくても、その人が見せてくれる日常は、私にとっては非日常で、とても面白い。書いてくれて嬉しい、と思う。

うまく書けなくったっていいし、書けなかったら写真を載せればいい。
だれでも簡単に写真が撮れる、だれでも簡単に言葉を残せる、そんな時代だからこそ、どちらも同じくらい気軽にやってみるといいと思う。

これは、自分に向けての励ましのメッセージでもあるのだけれど。


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