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こころとからだがちぐはぐなこと

毎日、ちがう誰かのからだになっている、という主人公の物語を読んだ。

目覚めたら、すぐに「自分がだれか」を把握しなければならない。なぜなら、Aは毎朝、違う人物のからだの中で目覚めるから。共通点は、からだを借りる相手はかならず16才だということ。16才なら、男でも女でもあり得る。住んでいる場所がメリーランド州の一定範囲内であること。からだを借りるのは、一日だけであること。そして、二度と同じ人物にはならないこと。肉体も名前も持たない彼/彼女は、自分のことを「A」とだけ、呼んでいる。

Aは、こころだけを持っていて、からだを持っていない存在だ。そんなAに好きな人ができる。からだを持たないAだけど、だんだん相手も心を寄せていく。毎日ちがう誰かになりながら、彼/彼女たちはお互いのことを想い続ける。

Aは男の子にも女の子にもなる。もともとの性別も分からない。Aが憑りつく(という表現は違うかもしれないけど)誰かは、自殺しそうな女の子だったり、暴れん坊の男の子だったり、トランスジェンダーだったり、ゲイだったり、とさまざまだ。
毎日入れ替わることに慣れているAは、それぞれの境遇をすっと受け入れている。一方Aの恋人は、こころとからだのちぐはぐな人物を目の前にしていつも戸惑っている。その態度もとても自然なことだし、それでもAのこころだけを見ようと努めている。もちろん、見た目に惑わされず「こころ」だけを見ることの難しさも、この本では語られている。

多様な人の人生があって、多様な性があって、こころとからだがちぐはぐな場合もある。当の本人はその折り合いをうまく付けて日々過ごしていても、周りがそれに対して戸惑うこともいっぱいある。その「ちがい」は、目に見えてわかるものではないけれど、この物語を思い出したら、少し分かるような気がする。いつも見た目がちがってもAだ、と分かる恋人のように。

見た目でわかる「ちがい」だけが大事じゃない。こころの「ちがい」は気づくのが難しい。でも本当に寄り添うべきは、こころのほうではないだろうか。

わたしは、ちぐはぐな人の気持ちはたぶん分からない。男性として生まれて男性としての意識と身体を持っている。だけれど、想像することはできる。

配慮しなければいけないことが多い社会は窮屈かもしれないけれど、つねに相手の気持ちに寄り添っていろんなモノやルールが作られる社会は優しくて豊かな社会だ。
少しだけ見方をかえて、いろんな「ちがい」を見ていたい。


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