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珈琲と小説

コーヒーも、小説も、生きるのになくても困らないかもしれない。だから、その二つはよく似ていて、相性がいい。

カフェで本を読んでいるのが好きだったけれど、ようやく家でもカフェのような環境が整いつつある。

自分で淹れるコーヒーはおいしい。
庄野さんのアアルトコーヒー。深煎りで艶感のある、あの豆が好きだ。

家の本棚は、好きな本で溢れかえっている。

アレクサに話しかければ、つないだTivoliのスピーカーから柔らかい音楽を流してくれる。

最近は、小説よりもエッセイが多いかもしれない。古典は昔は読んでいたけれど、今になって読み返すことは少ないかもしれない。

それでも、ときどき宮沢賢治を読み返したり、谷崎潤一郎のウェットな世界に入り込みたくなる。

最近の作家では、彩瀬まるさんが好きだ。著作が出るたびに必ず買っている。川上弘美さんの系譜を継ぐような、幻想的な世界観と、現代的な感性、時折見え隠れする若い文化が溶け合って、新しい文学を切り拓いている。

村田沙耶香さんの挑戦的、実験的な小説や、今村夏子さんの痛いほど感じる負の感情に耽るのもまた心地いい。

韓国文学の鬱屈とした世界もなんとも言えず、人の心の奥を感じさせる。不安であふれる世界、先行きの見えない現代社会の闇をとてもシャープに描いている。どれも読んでいて辛くなる。
でも、文学ってそういうものだ。特に、寒い地方の小説は。その悲しさ、寂しさ、が美しい。

最近、お酒とお菓子の、珈琲と和菓子の、ペアリングとかマリアージュとか、そんな組み合わせを楽しむ言葉を聞くようになった。

同じように本にも、そんな組み合わせがある気がする。

深煎りの香ばしさのあるコーヒーにあうもの、
浅く甘さと酸っぱさの残ったコーヒーにあうもの、
あるいは甘ったるく砂糖やミルクを入れたような。

その組み合わせが、楽しい。少しだけ、世界を豊かにする。


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