人生をどう生きますか?
人生をどう生きますか?
もし誰かにそう聞かれたら、あなたはどう答えますか?
「いきなり難しい質問だね」
「ありのまま、人ぞれぞれ生きればいい」
「そんなに深く考えるな」
…
その問いが放つ空気、自分の中の抵抗…その不快な違和感から…問いをまっすぐ眺めることなく、ただ頭に浮かぶ言葉を並べますか?
自分の経験を、その経験がもたらした自分の生き方を肯定する正当化する…どこか懐かしい物語を始めますか?…それとも、その反対のこと、自分の失敗やその痛みや無数の傷からなるその立派な信念を、雄弁に語りますか?
…
人生をどう生きますか?
息が詰まりそうなその質問に…あなたはどう答えますか?
誰にとって一度きりの人生、経験できるのは自分の人生だけ…だからこそ、語れることはたった一度きりの体験しかないというその事実とロジックに安心し、子供たちの無垢な質問に意気揚々と言葉の定義を説明する時のように…
自分の人生を、その中での経験から都合よく取り上げたエビデンスを掲げて、人生について、それをどう生きるべきかについて、語りますか?
人生をどう生きますか?
生きる意味と生計、愛と金…目的と手段、その全ての正しい関係を失ってしまった資本主義・物質万能主義の社会を生きる人生を…あなたはどう生きますか?
愛を知らない先生や学校の中で、機械のように何かの結果を出し続けること、ルールを守ること、金持ちで立派な人になることを、その必要性を絶えず叩き込まれる無数の子供たちを眺めながら…あなたはどう答えますか?
朝から晩まで仕事に出かけ、疲れた体や心を引きずったまま家族や自分自身に向き合う日常を眺めながら、その果てしない繰り返しに苦しむ姿に気づきながら...あなたはどう答えますか?
もしかしたらあなたは...少し短い、もしくは少し長い自分の人生を振り返り…その中で見つけた学びや価値を取り上げ、それをそれっぽいメッセージとして、決して押し付けがましくない印象を与える人生の知恵として、誰かに語ろうとしているのでしょうか?
それとも…自分には誰かに伝えられる何かが一つもないことに絶望したり、哲学や学術的な弁論…その胡散臭い言葉遊びを冷笑したり…そういう姿勢から問いそのものも否定し、そこから逃げてしまうのでしょうか?
人生をどう生きますか?
これまでいくつかの年月を生きてきたあなた。喜び、悲しみ、恐れ、失望、期待、妬み、怒り、寂しさ... ありとあらゆる感情を感じてきたあなた。そしてその感情を「向き合いたいもの(快)」と「向き合いたくないもの(苦)」とに分けてきたあなた自身(私)の存在に気づくとき、あなたはどう答えますか?
もしかしたらあなたは…本当は…誰かに感銘を受けたあのときのように、もっともらしい誰かの答えを眺め、輝くそのイメージに、その安心と安堵の中に、自分を投げ出したいだけなのでしょうか?
そうやって自分の答えに、その短く浅い悩みに頼れないから…今の葛藤と矛盾を一瞬にして打破したいから…またもや専門家や著名な誰かの声に、より信頼できる、よりエビデンスのある話に耳を傾けようとするのでしょうか?
‥.
人生をどう生きますか?
程度の差はあるにせよ、回数に少しの違いがあるにせよ... 同じ喜び、悲しみ、恐れ、失望、期待、妬み、怒り、寂しさ... あらゆる感情を感じてきたあなたと我々…あらゆる感情を絶えず快と苦に分けてきたあなたと我々は、その問いにどう答えますか?
その問いは、20年後、もしくは100年後... あなたや我々の生が終わったときに、その生全体を一望できたときに…後悔のない生き方であったと、そう自分に言い聞かせるためのものでしょうか?
それともその問いは、このブログのように、またもや巧妙にそれっぽく言葉を並べ、自分を正当化する思考の動き、絶えず思考が自らの存在意味を作り続けるための脳内遊園地のような、言葉の上の遊びにすぎないのでしょうか?
さぁ。あなたはどう答えますか?
我々と何も違わない同じ人間として…同じ時代に生き、同じ苦しみを生きる同じ人間として…光り輝くものに惹かれる、又はあらゆるものの無意味さを感じる同じ人間として…あなたはどう答えますか?
それともあなたはまたもや…その答えを巷にあふれる無数の書籍や言葉の中でその時々の自分の価値観にぴったり合う答えを...それを見つけては歓喜し安堵する自分に、それを果てしなく繰り返す自分に気づかないまま...それっぽいエビデンスで自らの存在意義を叫び出す思考の産物の中で、探し出すつもりなのでしょうか?
…
人生をどう生きますか?あなたはどう答えますか?
答えはある、ない…性急にそう決めつけないで、その決めつけから誰かの話をもう一度繰り返さないで...もしその問いがそういったもの全てを眺める中で自ら導き出された自発的な問いであるならば...
もし単に辛い経験や恵まれない環境や退屈さや怠慢からではなく、その全ての外側で現れた問いであるならば...
問いが持つとてつもない危機感や切迫感を、そのエネルギーに気づくのではないでしょうか。そしてそのエネルギーが…決して言葉にはできないそのエネルギーこそが、問いから自由な行為を、選択を必要としない葛藤から自由な行為をあなたにもたらすのではないでしょうか。
人生をどう生きますか?…そしてあなたはどう答えますか?
♬ 進行する闇・MEI EHARA
lcpam.hatenablog.com
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