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(日記と回想) 執着

**「毎日が綱渡り」 **

短いけど重い妻の言葉を、
私は同意も非難もせず、ただ見つめていた。

そう。その朝、
二人が仕事と食事の支度に追われ、逃げるように家を出るその日常に、子供たちと自分を保育園と会社に送るその繰り返しである日常に、明らかに疲れを感じていたことを...
私はその言葉をみて思い出していた。

その思い出しの中で、未知の「何か」が明確な言葉になること。そしてその「言葉」が自分から放つとてつもない力が、さらなる「感情」と「イメージ」を作り出させていることに気づいた。

... 「私たち、あまりにもいろんなものを抱えていて、それらを出来るだけ手放そうとしないから、毎日が綱渡りとなるのかな」

... 自分の返事は、
それが言葉として吐き出されるや否や、自分を離れていき、数分も経たないうちに、自分とかけ離れたところに独り立ち、独特の違和感を纏っていた。

......

「全ての執着を捨てろ」

キリスト・カトリック・仏教・禅...あらゆる宗教と思想が、執着を捨てること、執着から自由になることを促す。また、それら全てが、その執着に気づくこと、その危険性と愚かさを見抜くこと、その気づきと見抜きの中で「人生」を見つめることを教えていた。
しかし、皮肉にもそのどれもが「その教えへの執着」「その言葉への執着」をも捨てろとは教えていなかった。

その二重性という矛盾の中で「執着」は、「批判すべき・捨てるべき執着」と「守るべき執着(教え)」にと絶え間ない分離を繰り返し、地獄・天国・極楽...など人が想像できるあらゆる「イメージ」を使って、自分の教えだけが「真実」であると、説得や言い回し、時には脅かしを通じて説かれていた。

二十年前のある教会で、私はバイブルを前に、ある牧師を眺めていた。
拳を突き上げ、力強く語るその仕草と言葉を傾聴する大人たち。彼らは、牧師のお言葉に登場する人の愚かさを嘲笑いながら、自分たちの矛盾とその二重性には気づいていなかった。そしてバイブルや言葉を疑い、それらには決して存在しない、その本質にある「何か」について見出そうとする人は、一人もいなかった。
...

「生きることが、どうしてこんなに苦痛だろう?」
二十年後。妻の言葉を前に、私は自分にそう聞いていた。その問いと共に、私はその反応と反動としての「怒りと不満」に満ちていた。

反応や反動は「苦痛」をありのまま見つめ、その深淵にある原因を見出すことを拒む。そして一刻も早くそこから逃げ出すようにと必死に私を促していた。
その必死さは、即座に「現実」「世の中」「生計」「責任」…という言葉を呼び起こし、私の思考の中に並べ始めた。そして私はいつものように、その言葉が意味するもの、それらを失う「恐怖」に怯えるのである。
...

反応と反動の外、恐怖を外から眺めるとき、「その恐怖に怯えている限り、その中でもがき、逃げている限り、その深淵にあるもの、その原因を見出すことは決してできない」という感覚が静かに浮かび上がってきた。

...。

突然彼は言った。
「先日聞いた話をしておかなくてはならない。古代インドの話です」
「いろいろなことを修得し、峻厳で有名なヨギがおりました。彼はたった二枚の腰布をもっているだけでした。一枚は洗濯用、もう一枚は着用です。

彼は国の都を訪ねます。
すると彼の名声は国王の耳に達し、国王はヨギを宮殿に招待しました。

王はヨギに言います。
『ここにある私の宝物のどれでもあなたに差し上げたい。好む物を言ってください。それはあなたのものです』

しかしヨギは昂然と断りました。
『世俗的な所有物は私にとって何の意味もありません。この世で私が所有しているのはこの二枚の腰布だけです』

王は感銘して彼に言います。
『どうか一、二日逗留して、あなたの偉大な無執着と智恵の秘密をご伝授願いたい』ヨギはこの招待を受け入れます。

召使いがその夜過ごす家具ひとつないがらんとした部屋に彼を案内します。
真夜中にあたりがひどく騒がしくなり、人々の叫び声や走る音がします。
誰かが彼の戸をいきなり開けて大声を出しました。
『逃げないと命があぶないよ!宮殿がかじになったのだ!』
ヨギは部屋から飛び出しました。
廊下には炎と煙が充満して、人々が逃げ惑っていました。
彼が闇の中に飛び出すと、王が衣服をまとって彼の隣にいました。
宮殿が炎の中に崩れ落ちるのを二人で振り返ってみていたとき、王はヨギに言います。
『ああ、私の全宝石が、全宝物が焼けていく。しかし、私は平気だ。あなたがわたしに所有物は大したことではない、必要なものは簡単な着衣だけで十分だと教えてくれたから』

その言葉を聞くと、ヨギは突然振り向いて燃えている宮殿の方へ走っていこうとしました。死に行くようなことをしている彼のことが理解できない。そこでヨギを追いかけて走っていき、彼をとらえて言いました。
『何をしようとするのですか?気でも狂ったのですか?』
『焼け死んでしまいますぞ。なぜそんなことを?』

ヨギは顔に恐怖と苦悩を浮かべて王の方を向いた。
『私の腰布、もう一枚の腰布。あれを宮殿に置き忘れた。あれを取ってこなくては、あれは私の全財産なのだ」
王は急に笑い出しました。
『たかが腰布のために命までなくそうというのかね?』
『あなたはわたしに執着を捨てろ、物を持つ心から自由になれと教えたではないか』
...。

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