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一気読みの毒と心地よさ

外を歩けば、秋風が気持ちよいらしい。らしいっていうのは、私がここ一週間引きこもり生活をしてたからだ。部活の大会、文化祭、バンドの初ステージ等、特大イベントを乗り越えて、その勢いでだだだだだーっと坂道駆け下りて体調最悪沼に落ちてっちゃった感じ。お腹がすくまで読書して映画見て音楽聞いて本読んで、ご飯食べて寝て、また読書、映画、音楽。みたいな生活を一週間続けていた。

そういえば最近、小説一気読みをしてなかったな、と思いだした。小説一気読み、と、毎日ちょっとずつ読む、はどちらも違う良さを持っている。最近の私の日常の中で作り出せる読書の時間というのは、学校までの域帰りの電車に乗ってる時間くらいだったから、毎日ちょっとずつ読むことしかできていなかった。毎日ちょっとずつ読むと、まるで入浴剤みたいに、少しずつさらさら人生に溶けていく感じがする。読み終わったてページを閉じたとき、あ、粉なくなっちゃった、みたいな、そんな心地だ。

一気読みの時は、人生の何分かの一がその本になる感じだ。読み終わった後は、その本のせいで悶々としてうずくまってしまうかもしれないし、いい気分になってなんだかすべてうまくいくと思えるかもしれない、あるいは、その小説の世界に暮らせればいいのにって切望するかも。

私は最近この感覚を完全に忘れていたのだ。川上未映子さんの「すべて真夜中の恋人たち」を真夜中に夢中になって読み、思い出した。主人公と一緒になってどきどきして、主人公と一緒になって泣いて、主人公と一緒に悔しい思いをした。最後のページをゆっくりゆっくり時間をかけて読んで、それから、おなかいっぱいなんだか空いているんだかわからない的現象、満足感と呼ぶべきか心にぽっかり穴が開くと呼ぶべきかわからないみたいな気持ちでいっぱいになって、次の物語を求めた。現実逃避からまた逃避先を見つけるみたいに、本棚から未読の小説を探した。

次の日、まだ物語のの毒が抜けきらないけど、それは、すごく心地のいいものなのだ。毒のせいでなんとなくぼんやりしてしまうし、なんとなく胸が苦しくなって寝転がりたくなってしまう。でも、それと同時に、なんて素敵な本に出合えたのだろう、と思う。表現が美しくて、でもすごく忠実なんだろうか?本当に自分が体験したのではないかというくらいに主人公の見た景色が脳裏にこびりついている。また、タイトルが好きだな、タイトルの意味、いろいろ考えられるけど、

(ここからネタバレかも)

三束さんが素粒子の話をしてくれていたじゃないですか?それから、今触れてるか、触れてないか、みたいな会話がありましたよね。真夜中に触れている=真夜中の恋人とするならば、真夜中に散歩する人はみんな真夜中の恋人で、主人公も、それから、どこかで真夜中に散歩しているかもしれない三束さんも、真夜中の恋人なのかな、と思いました。わかんないけどね!

なかなか、一気読みする時間て取れないけれど、たまには夜更かしして、一気読みの時間を取りたいな、と思いました!読書の秋だしね!それではまた!

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