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僕らはネコになってキカイに使われる

最近noteでよくネコとキカイについて書く機会が増え、X(元Twitter)での発言も多くなった.そこで今回はネコとキカイについて改めて考えていきたい.下のリンクから過去のネコとキカイについて触れた文章が読めるので参考にしてほしい.

仕事の効率化はキカイに任せて僕らはグランドデザインするクリエイター側に立つ.生産者側として社会にアプローチしていくんだけどAIの場合は商売の部分で大きな力を発揮してくれるが多くの物事にクリエイティブなジェネラリストは仕事を奪うためのインセンティブが働かないので安泰になる.

Twitter Leo SUGIMOTO

最近の直近の高校生の将来の夢ランキングを見ると1位に国家公務員・地方公務員が入ってきて2位はシステムエンジニア,4位に教育従事者となっている.

中学生の方が面白い夢を持っていてもっと多様だったはずなのに高校生になった途端に急に誰もが慣れそうな仕事に就き始める.この時の誰もがというのは一定の教養だったり資格があれば誰でもできる仕事という意味だ

教育機関の機能が中学生の夢を誰でもできる仕事に変えてしまっている可能性がある.教育機関の限界が大きい.特に教育に関しては日本が敗戦国になってGHQの教育制度の改変があってからほぼ変わっていない.その中で社会は個々人にパーソナライズされた世界を作ろうとしているのに教育は教師一人に生徒が40人ほどで授業を回していることがほとんどだ.

これは近代国家の成立を考えると効率的で近代の産業を見ると自動車産業などの製造業がほとんでハードウェア的な産業が国を支えていた.この産業の中で重要になるのが「言われたことをやる」というもので、クリエイティブ思考が求められる社会ではなかったから、教育方法はあっていたし、実際に大きな発展にも寄与する形になった.

しかし今は「言われたことをやる」産業はキカイによって代替され、人間はクリエイティブクラスを担う存在を求められている.キカイを使い倒して自分のクリエイティブをグランドデザインするということだ.そのためには今の教育方法のアップデートが必要になるのだが長年続いてしまったせいか既得権益を崩すことができない.

社会ではカーンアカデミーが存在し、個々人にパーソナライズされた教育手法が取られているのだが学校ではずっと昔の手法が取られている.

先ほどクリエイティブクラスが社会で活躍するといったが、例外も存在する.例外と言っても一つのことにプロフェッショナルになる人間の話だ.これはスポーツには代替ができない.他にも人を喜ばせることに高いインセンティブが発生する職業には代替が難しいが映画産業や作家、アプリ開発者には代替ができる.

星新一の「ショートショート」という本があるのだが、その本では短い物語が連立して中に盛り込んであり、一定の特徴が存在している.これはキカイが特徴を学習し星新一に似た文章の作成ができる.

映画に関しても創発的な部分で見ると一定のウケるフレーズが存在していて、それをもとに映画を作成すると一定数売れるアルゴリズムが存在する.

では何を目指せば良いのか.それは100万分の1の存在である.これは堀江貴文さんが著作の引用で何度か目にしたんだけど、要は100分の1の存在を3つ作るのだ.100人中の1の存在を3つ作り100×100×100で100万分の1である.

代替可能な人材と代替不可能な人材の差にはジェネラリスト的なプロフェッショナルな人材が関わっていることが挙げられるのだ.

多分、100万分の1の可能性を掴めと言われても無理な人は一定数いるだろう.その人たちは国からのベーシックインカムを糧にして毎日自由時的に過ごせばいい.

社会から必要とされるのはクリエイティブ×キカイの存在で今のホワイトカラーと呼ばれる人たちや金融系で価値を生み出さない人は徐々に薄れていく可能性が高い.しかし投資といってもVCと呼ばれる上場していない価値を生み出す企業への支援としての投資は重要性を見出す.

お金を稼ぐための金融ではなく価値を生み出すための金融が重要になってくる.価値を生み出さない市場である程度認知されている投資だとキカイによるファンド運営の方が安定性を確保できるだろう.

僕らはキカイの自然世界の中で新時代の多用種クリエイティブ人材として活躍する必要がある.今まで通りにはいかないし勉強も今以上に重要になってくる.その新時代には多くの人が選ばれないしコモディティ化する.価値の大体不可能を確立するためには自分という価値を高めるしか方法は存在しない.

もつ鍋を食べて少し胃もたれ気味の電車の中より.

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