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1922年生まれのおばあちゃんを送りました

1922年、大正11年に生まれた女の子が、
2024年、令和6年に亡くなりました。
101才、もうすぐ満102才になるところでした。

私の祖母です。

私は、自分にこどもができてから、
祖母のことは「あやこさん」と呼んでいます。

私は、家族、親戚は名前呼びしています。

あやこさんは、1922年に生まれ、
当たり前だけど、生まれたときは赤ちゃんで、
みんなに抱っこされ、
あやこちゃん、あやこ、と呼ばれていたのかな。

2024年、ゆっくりと数日をかけて
眠るように呼吸をするのをやめていきました。

体に悪いところは特になく、
脳の働き、記憶の部分と、
骨がもろくなっていたことくらいでしょうか。
1ヶ月前は、顔も手も、肌につやがありました。

ただ、記憶はもう10代の頃でした。
口に出てくる名前は、
ずいぶん前に亡くなった妹の名前だけ。

心臓や肺機能がゆっくりとしはじめ、
彼女を胎内にいた頃に戻すのでしょう。

ここ数日は、ずーーーっと眠っていました。


眠りの中で、
101年の長い人生のどのシーンを思っていたでしょう。

10代、弟、妹たちの世話をしていた頃でしょうか。
銀行で働いているときに祖父と出会った頃でしょうか。
結婚をして田舎に祖父と引っ越してきた頃でしょうか。
戦争の時代、親戚が疎開してきた頃でしょうか。
子育てと野良仕事で毎日を過ごしていた頃でしょうか。
祖父と一緒に暮らしていた日々でしょうか。
孫が遊びに来てたくさんの食事を用意し、
おはぎをつくり、布団を並べたことでしょうか。
最愛の夫、私の祖父を看取ったときのことでしょうか。
土石流で流される寸前に避難したときのことでしょうか。
土砂に埋まる家をかたづけ、再建したときでしょうか。


お葬式があるといつも私は、
その故人の親のことを思います。

先にあの世にいった親が、
故人を迎え、
抱きしめているのかな、と。

親は、
よくがんばったね、
良かったねと、こどもである故人を
抱きしめてるよね。
親は、自分より、自分の親より、
自分のこどもが大切なのだから。

もちろん、送るときは
残されてる家族のことも考えますし、
私との接点も思い出します。
次は誰を送るのかも、
また、自分が死ぬことも考えます。
そして息子たちが年老いていくことも。


故人の親が、
この亡くなり方を、喜んでくれているか、
いつも私は考えています。

きくえさん、
あやこさんをそちらへ送りました。
あなたの娘はこれでよかったですか?

送る人がこんなにいて、
花をいっぱい飾ってもらえて、
よかったですよね、
私はよかったと思います・・・


私の曾祖母、あやこさんのお母さんは、
きくえといいます。
彼女も大往生で98年の人生でした。

あやこさん。
私が母を、あなたの娘を送りますね。
たぶん、20年、30年後になるけれど。

だから、安心して、
雲の上でお母さんに抱きしめてもらってください。

おばあちゃん、ありがとう。
私のことをいつもいつもほめてくれたおばあちゃん。

ありがとう。
いってらっしゃい。

私もいつかいくから。



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