感情と社会 19

「社会」という言葉

感染症の騒動が始まって間もなく、ソーシャル・ディスタンス (英語圏では social distancing) という言葉がよく使われるようになりました。これを日本語に訳すのは(社会学がもともとかなり厳格な意味で使っていたせいなのかもしれませんが)落着きが悪かったんでしょうか、「社会的距離」という訳語は好まれることがなかったようです。
一方、日本でも耳にする social dance ということばがあります。これは「社交ダンス」と訳されています。同じ social でも、「社会ダンス」ではない。どうやら social は、「社会的」というイメージでは覆い尽くせないようですね。
日本では「社交」と「社会」とはだいぶイメージが違うようですが、ラテン語の societas に語源を持つsociety、あるいは société は、この両方のイメージを指すことができることばです。イメージが二つあると思うのはおそらく誤解です。日本では二つのイメージに分かれてしまうものが、ラテン語の societasを語源として使っている地域では、分離していないと考える必要があります。social は、日本人が何も考えずに「社会的」と<翻訳>したつもりで使っているイメージではないかもしれない、ということになります。
実はその通りで、social distancing というのは、日本語なら「社交」にとても近いイメージを含んでいる言葉です。お互いに、そう、お互いに、感染させ合わないように気をつけて距離をとりましょうね、というイメージ。「社会として人が集まっているときに物理的距離を保ちましょう」のようなイメージだけでは捉えられていません。social distancing、そういうことなら、「社交的離れ合い」とでも言った方がぴったりかもしれません。

明治初期には、英語から入ってきたことば、society に、一定の訳語はなかったようです。「交際」「仲間」「連中」「組み」「俗間」「社中」などがその都度あてられていたようです。このことばに「社会」という訳語を定着させたのは、1875年、論客だった福地源一郎が新聞で用いたのが最初ということになっています。ただ、最初は「社会」は、とても狭い地域共同体や会社などを指すときに用いられていただけでした。これは、「社会」ということばの漢字のイメージ通りですね。
もともと「社会」は中国語で、その昔はどうやら村祭りという意味合いで使われていたようです。「社」は「やしろ」と読みますし、神を祀る場所が「社」と呼ばれていました。今でも「神社」にこの字は使われています。
「社会」を字義どおりに、「やしろ」で「出会う」人たちの集まり、と捉えると、「共通の利害、地縁、共同体意識などを持った人たちの寄り集まり」というイメージに落ち着くでしょうか。この字面どおりのイメージがもたらすものにせよ、明治初期に広まっていた society の翻訳に見られるイメージにせよ、現在ぼくたちが持っている、「世の中全般、世の中の仕組み全般、自分を取り巻いている手に負えなそうなややこしい人と決めごとの一切合切」というイメージとは、だいぶズレがあります。
現在ぼくたちが安易に使っている「社会」ということばと、そこから感じ取られるイメージに先立って、明治初期には、翻訳語にあった、もっと小さくて親密な感じを受けるイメージ。じつは英語のsociety、フランス語の société、またドイツ語の Gesellschaft は、もともとこのようなイメージが始まりでした。

society、société の語源は、ラテン語の societas 。

まずsociété を辞書で調べると、こんなことが書いてあります。
12世紀あたりにフランス語にすでにこのことばがあり、それは compagnon、つまり「一緒に食事をする仲間、パンを分け合う仲間」、またここから転じて、同じ職場や職種の仲間というイメージで使われていました。現在の英語で、会社のことを company と呼ぶことが多いのはこれで納得がいきます。
17世紀に入ると、英語圏では、society は、「一定の秩序をもった共同体で共に暮らす人々のつながりや交流」を示すようになります。フランスでは、18世紀に至るまで、société はずっと、同業種の集団、あるいは同じ理念を持ったもの同士の集まり、いわば「協会」、といったイメージでずっと使われ続けていました。

19世紀に入ってやっと、イギリスでもフランスでも、society、société は、「共同体の中でもかなり洗練された人々の集まり」を指すようになり、そこから特にイギリスでは「fashionableな、つまりTPOをわきまえた洗練された趣味で衣装を整えた人々やその振る舞い」を指すようになりました。Cambridge Dictionary で socialize を調べてみると、「19世紀後半から、労働以外の時間に友人や他の人々と一緒に過ごすこと」という記述に出会います。このイメージは、日本語の「社交」が言い表そうとしているイメージにとても近いものですね。
これでお分かりでしょうが、society、société には、ヨーロッパでは、特に<文明化>が一般化していく19世紀後半からは、文明的に洗練された人たちの余暇における集まり、というイメージが強く染み込みました。だから先ほど、social distancing は「社交的離れ合い」とでも訳せそうだと言ったわけです。この、礼節をわきまえて、イッパシの文明人として真っ当に振る舞う、という感覚での society は、今のぼくたちが日本で使っている「社会」というイメージには、まるで含まれていません。19世紀後半といえば、ちょうど日本に society という見知らぬ言葉が入ってきた頃ですが、その頃ヨーロッパでは一般的だった社交的な含みは、明治初期以降、どんどん消えていってしまったようです。

ドイツ語圏はどうでしょう。ドイツは、19世紀の末に至るまで、大都市文化もあまり発展せず、また中央集権化も、ハプスブルク家が牛耳っていたオーストリア地域を除いてはほとんどなかったという、フランスやイギリスとは極端に違う歴史的な事情があります。それでも、ドイツ語の Gesellschaft の語源をずっと辿ってみると、やはりsociety や société と同じイメージに行き着きます。
すでに9世紀にはこのことばの元となる Geselle ということばがあったようで、それは「専門職人の仲間」、あるいは「居住空間を共にする仲間」さらには「愛するもの同士、身分が同じもの同士」「若い人たち」などといった、利害や社会的地位、心の状態などを共有する仲間を表す言葉でした。
やがてここから今のドイツ語で言う Geselligkeit が派生して、「仲の良い集まり、娯楽をする集まり」というイメージで使われ始めました。
同じ9世紀には、Gesellschaft の古い形である gisellascaft,、giselliscaft もすでに使われ始めていて、「目的を同じくする集まり」「貴族とその家臣」といったイメージをくくることばとして使われていたようです。
これでお分かりのように、ドイツ語圏でもやはり、日本人がざっくりと「社会」と翻訳してしまうことばが、最初からずっと、じつは日本語の「社交」に近い情緒的なイメージで使われていたことがわかります。
日本語の「社会」に近い、「様々な小集団からなる市民的な集団」というイメージが現れるのは15世紀。(市民、というのはドイツ語ではBürger、フランス語だとBourgois ですが、共に城塞で囲まれた集落に住む商工業者たちを指します)さらに、とりわけルソーの société のイメージの影響を受けて、18世紀になってから「国家」とほぼ同義のものとしても使われるようになりました。産業革命の進行と共に、このことばは19世紀になって、国家的な政治と経済の仕組みにまとめ上げられた諸集団の集まり、というイメージが新たに広まっていきます。
ドイツ語では現在、Gesellschaft はどちらかというと日本語の「社会」に、Geselligkeit がどちらかというと日本語の「社交」に近いイメージで使い分けられていますが、面白いことにドイツ語でも「社交ダンス」はGesellschaftstanz と呼ばれるのですね。やはりドイツ語の Gesellschaft にも、「社会」という翻訳語が取りこぼしてしまっているイメージがしっかりとあります。

これでお分かりかと思いますが、ヨーロッパ文化圏、少なくともロマンス語圏、ゲルマン語圏、そしてアングロ=ノルマン語圏では、ぼくたちが「社会」と呼ぶイメージは、親密で気のおけない集団、余暇を共有する集団、利害を共にする集団、同じような組織あるいは身分に属する集団、習慣的儀礼や道徳観を共有できる集団、そしてまた、行政地域や国家などの権力機構によって区分された地域内部の集団などを含んでいて、じつに幅が広いイメージを含んでいます。個が個として認め合える、お互いの顔が見える、規模の小さな集団と、支配装置や経済組織の上層部が眺めているような、個を疎外した方が都合がいい大きな集団との間に、はっきりとした情緒的な連続性があります。この連続性があることと、ヨーロッパではデモや社会運動などが盛んなこと、あるいは最近だと、マスクでお互いの表情が分かりにくくなることに大きな抵抗感があること、などとは、明らかに関係があると考えていいでしょう。個を超えた集団は、その規模がどれほどのものであっても、自分に関わっている、そして自分に関わっているということは、自分が集団に積極的に関わっていることなのだ、という感情が、日本とはまるで違う感情として、しっかりと根づいているのです。

これに対して日本では、「社会」ということばには、「世の中全般、世の中の仕組み全般、自分を取り巻いている手に負えなそうなややこしい人と決めごとの一切合切」という感じばかりが目立ちます。この感じは、社会は自分以外のもの、社会はまるで、上から、天から、お上から、力の強い者から降ってくるもので、自分は関わりようがない、という情緒的なイメージに連なっています。私、という個から、それを超えた集団へと至る様々な段階に、連続性があるのではないか、という感覚はほとんどありません。日本では息の長い社会運動や労働争議が定着しているとは言えませんし、イギリスの50年近くの革命、フランスの80年にも及ぶ革命と動乱、第1次世界大戦以降のドイツの社会主義的な革命と動乱などに相当するものも、ヨーロッパでは現在でも頻繁に起きる大規模な街頭デモも、日本にはありません。
このことと、自分発の行為が集団に十分な影響を与えることができる、という自信を持っている人が、日本では極端に少ないこととは、明らかに関連があるでしょう。この国では、個と個とが、感情的にしっかりと結びついているという実感がとても少ないようです。そのために、集団内で生まれる自発的で利他的な連帯感(利他的な行為は自発的であるときにだけ、互恵的になります)はほとんどありません。その代わり、強制された利他的な連帯感、つまり「同調圧力」ですね、こうした連帯感が集団を縛りつけるために、その集団は情緒的にも極端にもろくなっています。日本では小さなものであっても、集団が形成されるとすぐに、「いじめ」や「ハラスメント」といった暴力性が現れることとも、関連がありそうです。もちろん、この小さな集団のひとつには<家族>も含まれますし、そこに現れる強制的な圧力は、「親の愛」、「絆」などの美名で呼ばれています。
こうした暴力性が優勢な集団にあっては、gesellig、和気藹々とした情緒の共有は、ありそうに感じられても、実はかりそめのもの。集団を集団としてまとめている感情は、主に相互監視、相互不信、そして逸脱を許すまいとする暴力性。日本人に特有の、人といるときの途切れることのない愛想笑いは、こうした感情を糊塗するために発明された空疎な戦略なのでしょう。
暴力的な感情が、自分自身を失っている状態、自分の外から来るルールを内面化してなんとか自分を作り上げながらも、自分を失っていることにもはっきりとは気がつかず、あるいはぼんやりと気がついて漠然とした不安を抱きつつ、それを忘れようとする緊張状態から生まれるのであろうことは、すでにお話ししました。心の状態がそうであれば、そこに自発的で満ち足りた個が育っている可能性は限りなく低い。個がない、自分がいない人たちが集まった集団には、social で gesellig な情緒は生まれようがありません。
明治初期の翻訳語が定まらなかった頃、まだこの国の人たちはいくらかは心が和やかだったのでしょうか、それはわかりませんが、ぼくたちが現在体験して知っているこの国の人たちには、ヨーロッパにあるような、個と集団とを連続的にとり結ぶような、複合的な情緒としての society はないようです。

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