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 2020年3月、日本中の学校が休校となった。
 いわゆるコロナ休校である。
 このコロナ休校で新入生は4月になっても学校に通うことができず、気の毒だという声が多く聞かれた。
 ただ、このコロナ休校で救われた人たちがいたのも事実だ。
 崩壊していた学級の担任である。
 学級がうまくいかず、精神的に追い詰められていた教員たち。
 彼らはコロナ休校となり、どんなにかほっとしたことだろう。
「もうあの荒れた学級の子どもたちと顔を合わせなくて済む!」
 これで精神疾患を理由とした休職にならずに済んだ教員たちが、どれほど日本中にいたことだろうか。

 学級が荒れるのにはいくつか理由がある。
 理由の1つはやはり教員の力量不足だ。
 力量不足の教員、彼らは学級が荒れる理由を子どものせいにする。
「あの子がいるから学級が荒れるんです」
「問題の中心はあの子です」
というわけだ。
 だが、1年生や転校生でもない限り、その子は前の年も同じ学校にいたのだ。
 そのときは、別の教員が担任だった。
 そして、その学級は荒れていなかった。
 では、その子がいるから学級が荒れるということにはならないではないか。
 力量不足の教員は言う。
「去年より子どもも大きくなって変化したんです」
「ほかにも、この子とその子がいるから、あの子といっしょに問題を起こすんです」
 力量不足の教員は言い訳の天才だ。
 よくもまあ、いろいろと人のせいにする理由を挙げられるものだと思う。
 力量不足の教員は、子どものせいだ、自分をサポートしない周りの教員のせいだ、管理職のせいだと、とにかく人のせいにする。
 自分自身に問題があるとは決して言わない。
 たとえば、前の年、自分の学級は荒れていなかった。
 だから、自分には力量は十分ある。
 学級が荒れているのは、今の子どもたちのせいである――というわけである。

 学級には、いや、学級に限らず、学校全体でも、地域社会でも、国でもそうだが、世の中にはいろいろな人間がいるのだ。
 そしてそのいろいろな人間はいわゆる「いい子」ばかりではない。
 「悪い子」だっている。
 でも、そんなさまざまな子どもたちを教え導くのが教員の仕事ではないか。
 いわゆる「おりこうさん」ばかりだったら、こんな楽な仕事はあるまい。
 誰にでも務まる。
 ひとこと言えば、誰でも直ぐに言うことを聞く、指示に従う。
 そんなこと、あるわけがないだろう。
 言うこと聞かない子、反抗する子、そんなバラエティ豊かな子どもたちをまとめ、指導し、学級という集団を作り上げるリーダーになれなければ、学級担任は務まらない。

 学校の先生になるくらいの人は、みんなある程度優秀だ。
 教員免許を取得できるくらいの学力がある。
 だが、学力だけで教員は務まらない。
 コミュニケーションスキルがないと、まず無理だ。
 人前で話すのが苦手、初めて会う人とうまく付き合えない、そもそも挨拶すらできない――いくら学力が高くても、こういう人は、教員に向いていない。
 でも、子どものころから勉強はできたらから――みたいな感じで教員になり、泣きを見る。
 中には、小中学校から大学までずっと私立の優秀な学校に通い、教員になる人もいる。
 そういう人は、学級に「いろいろな子」がいない子ども時代を送る。
 周りはだいたい優秀で、お行儀のいいいわゆる「いい子」で、ある程度経済的にも恵まれている子どもたちばかりだ。
 自分の学校生活は楽しく幸せだった。
 今度は自分が先生となって、子どもたちに楽しく幸せな学校生活を送らせてあげよう。
 そんなふうに理想に燃えて教員になる。
 その「理想ちゃん」が教員となって公立学校に来て驚く。
 自分が担任した学級には、自分の子ども時代に周りにはいなかった、とんでもないいたずら坊主、行儀の悪い子、障害のある子、貧しい家庭の子などがいるからだ。
 そして彼らの言動は、理想ちゃんを驚かし、戸惑わせ、怒らせ、悲しませる。
 理想ちゃんはどう対処してよいか分からない。
 理想ちゃんの学校時代は、「言えば分かる子」ばかりだった。
 およそ、他人に乱暴したり、物を壊したり、暴言を吐いたり、先生に悪態をついたりする子はいなかった。
 それがどうだ。
 自分の学級には、とんでもない子ばかりがいる。
 これは、子どものほうが悪いのだ。
 自分は正しい。
 子どもが間違っている。
 こうやって、理想ちゃんは自分の教員生活がうまくいかない原因を他人に求めるようになっていく。

 私は、教員はそれほど学力が高くなくても、人間関係能力のある人ならば務まる仕事だと考えている。
 教員は人間と関わる仕事なのだ。
 子どもや、その保護者、職場の同僚、学校に出入りする業者、地域住民、いろいろな人と関わる。
 学力が高くても、そういった人たちと上手に関わることができなかったら、たちまち行き詰まる。
 人間関係能力、コミュニケーションスキルについては、今は本もたくさん出ている。
 「自分は人間関係苦手だな」という人は、まずそういった本を読んで学び、実践すべきだ。
 私は授業よりまずそちらが大事だと考える。
 そもそも、自分が挨拶一つまともにできなくて、子どもたちに「朝は挨拶をきちんとしましょう」などと指導できるだろうか。
 子どもは教員の言葉よりも、立ち居振る舞いから学ぶ。
 その教員が、ろくに挨拶しない人なのに、子どもが「挨拶しろ」とその教員に言われて挨拶するように育つとは考えられない。

 学力がそれほど高くなくてもとは書いたが、まったく学力が無くていいわけではもちろんない。
 子どもに授業できる程度の学力は必須だ。
 本当は、教員免許を取得できるくらいの勉強をしてきているはずなのだから、ある程度の学力はあるはずなのだが、現実はそうではない。
 かつて勤務した学校に、分数の計算がちゃんと分かっていない教員がいた。
 いや、あなたが分数の計算できなくて、どうやって子どもに算数教えるのよという話だが、事実だ。
 大学の一芸入試ではないが、教員採用試験も一芸採用みたいな方式をとったことがあり、それで学力が十分ではない教員が合格して正規教員として配属されてきたのだ。
 小学校の先生は基本的に全教科教えるのだから、一芸じゃダメだろと単純に思うのだが、当時の教育委員会はそうは考えなかったみたいだ。

 一芸採用みたいな極端に走らず、必要最低限の学力があり、人間関係能力もある――そんな人を採用してくれれば学校としては助かるのだが、今はなかなかそうなっていない。
 職業としての教員の人気は落ちる一方だ。
 学校がブラック職場だということがすっかり世間に浸透しているので、若い人は教員になりたがらない。
 採用倍率は、実質1倍程度。
 これ、受ければ誰でも受かるということだ。
 昔だったら不合格の人が、今は合格して教員に正規採用されてきている。
 学校は楽な職場ではない。
 バラエティ豊かないろいろな人間と対峙していかなければならない。
 ストレスに耐えられる強さが必要だ。
 精神疾患で休職する教員の数が史上最多とのことだが、採用倍率の低下も原因の1つだろうと感じる。
 教員の激務に耐えられない人が教員になってしまっているのだ。
 昔だったら不合格だったレベルの人が、教員として今、教壇に立っている。

 そんな教員たちが救われたのが2020年3月のコロナ休校だったのだ。
 コロナ制限が緩和され、学校の様子もコロナ前に戻ってきた。
 でも、それに適応できず、多くの教員が精神疾患を理由に学校を休職している。
 そしてそのしわよせは、他の教員たちに来ている。
 これでは学校のブラック化は進む一方である。

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