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「教育委員会に訴えるぞ、いいのか?」「はい、どうぞ訴えてください」 --そう言う保護者は「ばか、もう知らない!」と、追いかけてきてくれるのを期待して男性の前から走り去る女性といっしょ。めんどくさい人たちへの対処。

 ドラマでよく見かける。
 付き合っている男女が喧嘩して、女性が
「ばか!」
とか
「もう知らない!」
とか言って走り去っていくシーン。
 すると周りの者たちが
「早く追いかけろよ」
と男性を促す。
 男性も走って飛び出していく。

 私はあれが嫌いだ。
 あれは、女性は男性に追いかけてきてもらうことを前提に走り出している。
 そんな自分を追いかけてきてくれるかどうかで、女性は男性を試しているのだ。
 いや、そんなことすべきじゃないでしょ。
「人を試してはいけない」
とキリスト教の聖書にだって書いてあるよ。

 こういう人を私はとてもめんどくさいと感じる。
 だが、世の中には男にも女にもこういうめんどくさい人は多い。

「教育委員会に訴えるぞ! いいのか?」
 学校に文句を言ってくる保護者がよく口にする言葉だ。
 教育委員会というワードを出せば、学校はびびると思っているらしい。
 どーぞ、どーぞという感じだ。
 こういうことを言う人は、
「そんな! 教育委員会に訴えるなんてやめてください。お願いです。学校が悪うございました。どうか穏便に済ませてください」
と、教育委員会に訴えることを、学校から止めてほしいのである。
 そうやって学校に懇願されるから、仕方なく教育委員会に言うのはやめてやるというスタンスで自分が優位に立ち、話を自分に有利なように進めたいのである。

 どうも、世間の人々にも学校の職員にも勘違いしている人が多いようなのだが、学校と教育委員会は別に敵対する組織ではない。
 学校も教育委員会なのである。
 広い意味では、公民館や図書館同様、学校も、教育委員会の中の教育機関の1つなのである。
 同一組織なのだから、別に訴えようが何だろうが、痛くもかゆくもない。
 そもそも、私がこれまで関わったケースに限れば、教育委員会でも警察でも、どうぞ訴えてくださいという感じのものばかりであった。
 実際、重篤なケースで、私のほうが警察を呼んだことだってある。
 警察、大歓迎である。

「教育委員会に訴えるぞ! いいのか?」
と啖呵を切る人は、そもそも止めてほしい人である。
「ばか!」
「もう知らない!」
と男性の前から走り去り、男性が迎えに来るのを待っている女性と同じだ。
 めんどくさい人だ。
 相手が若い女性なら、それでもまだ可愛いと思えるかもしれない。
 だが、申し訳ないが、中年の男性にそれをやられて、私はそれを可愛いとは思えない。

 大体、本当に教育委員会に訴える人は、そんなこと学校にいちいち学校にお伺いなんか立てない。
 さっさと教育委員会に電話するなり、出向くなりする。
 そうすると、教育委員会から
「こんな訴えがあったんですけど、どうなんですか?」
みたいな問い合わせの電話が学校にかかってくるから、それで
「ああ、あの人は教育委員会に言ったんだな」
と分かる。
 これで学校の教員に体罰だのセクハラだの、重篤な過失があればもちろん問題だが、学校側が適切に対処している場合であれば、教育委員会に話がいこうが何であろうが、こちらは何も臆する必要はない。
 堂々としていればよい。
 私はそう考えている。

 さて、
「教育委員会に訴えるぞ! いいのか?」
とこちらを脅しているつもりの相手に対してどう応じるかだが、ここでこちらが
「はい、どーぞ、どーぞ」
とでも言おうものならば、火に油を注ぐことになり、相手はますますヒートアップするから、対応に費やす時間が延びてしまい、誰も幸せにならない。
 といって、こちらのびびる姿を見せて、相手の「マウント取りたい心」を満足させてやるのも問題だ。
 そうなると、以後、相手はこちらをなめてかかってくるようになる。
 では、どう返すのがいいか。

「もちろん、教育委員会に訴えていただいて構わないのですが、学校としてもできる限りのことはさせていただきたいので、もう少しお話しさせていただけませんか?」

ぐらいが妥当である。
「教育委員会に訴えたければどーぞ、別にびびっちゃいませんよ」
と伝えつつ、
「でも学校としては引き続きあなたと真摯に向き合ってお話ししますよ」
ということだ。

「教育委員会に訴えるぞ」
という相手は、そもそも男性の前から「もう知らない、ばか!」と走り去る女性と同じで、本当は止めてほしい。
 私は気持ち悪いし、めんどくさい。
 でも、そこで、対処しなければどうなるか。

 男性の前から走り去った女性は、今さら男性の前に戻るわけにはいかない。
 男性が追いかけてきてくれなければ、もう引っ込みがつかない。
 修復は不可能だ。
 関係はそこで終わる。

「教育委員会に訴えるぞ」
の保護者も、学校が止めてくれなければ、本当に教育委員会に訴えないと引っ込みがつかない。
 もう、振り上げた拳の下ろしどころが無いのである。
 だが、保護者が
「教育委員会に訴えるぞ」
とわざわざお断りを入れてくるぐらいの案件は、実はそれほど大きな案件でもないことが少なくない。
 繰り返しになるが、本当に重篤な案件なら、保護者は学校になんか話をしないで、さっさと教育委員会なり警察なりに知らせる。
 保護者としても、大きくしたくないぐらいの話なので、まあ、学校レベルで何とかしてほしいのである。
 こんなことで教育委員会に連絡なんかしたくないと本心では思っている。
 もちろん、学校としては学校ができる最大限の対処をしている。
 ただ、それは、必ずしもその当該保護者を満足させる対処とは限らない。
 学校で問題が起きるとき、それは複数の子どもが関わっていることがほとんどだ。
 子ども1人でガラスを割ったとか、学校の備品を盗んだとかいう場合以外は、子ども複数が問題に関わっている。
 いじめとか、暴力とか、傷害とかの類だ。
 この対応において、全ての子ども、保護者が満足するような解決を行うことは難しい。
 というか、不可能である。

 世間一般の裁判を見たって分かるではないか。
 被害者、加害者、双方が十分満足した判決――などというのは無いのである。
 判決が出ても、一方はかなり不満、あるいは、双方とも不満――というケースがほとんどなのである。

 学校のトラブル対処も同様だ。
 どのような対処をしても、関係者が全員大満足――などというのはありえない。
 そこで、もし、誰かだけ大満足の対処があったとしたら、その裏には、大きな不満を抱えて泣いている者がきっといることだろう。

 報道等で、激高した保護者が校長に土下座を強要し、校長がそれに応じたなどというのを見聞きするが、そんな場面があったら校長なり周りの教職員なりが警察に通報すべきではないか。
 土下座の強要は犯罪である。
 警察を入れると保護者との関係が壊れるから、警察に連絡が入れられないと考えているのか?
 いや、校長に土下座を強要するような保護者とは、もう関係は壊れている。
 そんな保護者と、今後、良好な関係を構築し直せると、私は考えていない。

 私は、「全ての人と話せばわかり合える」などと微塵も考えていない。
 世の中には、分かり合えない人があふれている。
 理解不能な人だらけである。

 その全ての人たちと、理解し合い、良好な関係を築き、仲良くしていくのは不可能である。
 学校の教員は、教員同士でも、対子どもでも、対保護者でも、対地域住民でもそうだが、「話せば分かる」幻想を捨てたほうが良い。
 「話せば分かる」と思っている人は、食い物にされる。
 気を付けよ。

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