見出し画像

施設からのご紹介でお葬式を承った2名の身寄りのない方。今日はその方の遺灰をもって散骨してきました。

葬儀のお仕事を長年していると実にたくさんの方との出会いがあります。

この方々との出会いもそうでした。お世話になっている高齢者施設からのご紹介で頂いた、いわゆる身寄りのない方のお葬式。血筋をたどればどなたかのご親戚がいるのでしょうが、だれも死後の引き受けをしてくださる方がいない場合には施設長が善意で身元引受人となり、最低限のお葬式を行ってくださいます。

費用は故人様が持っている範囲内でのお葬式ですが、大抵の場合にはラグジュアリーなお葬式代を持っている方はおられません。(ある施設の方の話だと、その方にいくらかそれなりの財産があると分ったとたんに遠縁の方でも身元引受人になるそうです。ああ・・)

この施設長さまはこんな事情のある方を嫌といわずに引き受けされる方で、今まで送り出した数名の方のご遺骨を預かっておいでのようです。しかしながら、やがてご遺骨もその数が増えてくると置き場所に困ってしまう。このような悩みをお持ちでした。私もこの施設長さまにはお世話になっているので、

「それでは分骨壺に少しだけ故人様のお遺骨をとっていただき、残りのご遺骨は私が無償で散骨を致しましょう。ただし時期は私が空いている時を見計らってからでもよいですか?」

「ええ、お願いしてもよろしいのですか?ありがたいです。それでは分骨壺を御社で購入してそれをうちで預かります。宜しくお願い致します。」

そして、その日はやってきました。お盆も近い8月某日。知り合いの方に船をチャーターしてもらい出発しました。この日は午前中猛烈な雨が降り、船長さんからその日の朝にお電話で、

「私は(雨が降っても)大丈夫だけどどうする?」と優しいお言葉が。

「いえ、決めた日なのでお願いします!」と、即返答しました。

私もずぶぬれになる覚悟はしていましたが、なんと!!お昼くらいから雨が止んだではないですか!

「やっぱ行いが良いのかね~」なんてナルシーに浸りながら一人船に乗り込みます。


雨上がりにしては凪でそんなに揺れることもなく丘から離れていきます。こうして船に乗りながら丘から離れてゆくのはどこか心地よいものを感じます。ボックスの中にはパウダー状になったお二人の遺灰があります。

「そろそろいい場所に来たよ。」と、船長さん。

「わかりました。じゃあ船を止めてください。」

私は遺骨容器を取り出して持参した花を切ります。花を飾るラッピングフィルムなどは海に流すことはできませんので花をむき出しにします。

準備が整い、故人様に手を合わせたのちに黙とう・・・

そして少しずつ遺灰を海に散布します。遺灰はまるで小学校の運動場に引く白線のパウダーのように海面へあたる位で少しモクモクとなりながら海へ降りていき、やがて消えていきます。その瞬間になぜか「ありがとうございます」と心の中で呟いている自分がいました。

遺灰を巻き終えるとその周辺を丸く動いていただきながらお花を撒いていきます。

身寄りの無い方にとってのご遺骨の問題は都心部ではすでに深刻な問題となりつつあり、後々をどの様に供養していくべきなのかは難しい問題です。本来ならばお預かりして下るお寺さまや墓地が存在してくれるととてもありがたい事なのです。しかし、管理ということになれば場所や金銭的なものも発生する事もまた事実。大変難しい事です。以前ご紹介した、

【檀家制度を廃止してゆうパックで遺骨を供養されているお寺様】

の事などを考えると、今私に出来る精一杯の事はこれだろうかと。

今から少子高齢化の多死社会と言われています。その時を迎える前に、おくりびととして出来る事を見つける事が出来ればと思う今日この頃でございました。

福岡県糸島市で葬儀社を21年経営している私の葬儀場はこちらです。↓




もしもよろしければ皆さまのサポートを頂けたらとてもありがたいです。