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アルプス山麓にて 過ぎ去りし冬日の北欧の山を偲ぶ 

 中欧の夏が間もなく終わりを告げようとしていたある週末、

 アルプス山麓に佇む一つの村にて、私は湖底まで透き通った湖のまわりを歩いていた。山と湖のある景観というものはかくも幻想的なものなのか、と一人感嘆しながら。



 
 
 そこは南ドイツであり、その景観は私にとってはまったく未知のものであった。汗ばむほどの炎天の下にて、深緑に装飾される山々を眺めていたら、もう何年間も北欧の山々を拝んでいないことに思い当たった。

 北欧の山々も、中欧アルプスほどではないかもしれないが、そこそこ有名である。特に冬のスポーツは盛んであり、冬季五輪におけるノルウェーとスウェーデンの獲得メダル数は上位を占めている。

 

   


  
 スウェーデンに移民してから、最初にスキー場を訪れた時に強烈に感じたことがある。


 「この国では到底暮らしていけない」、と。

 そう確信したのは、 スキーリゾートのバンガローを、別れた夫、ルカとその友人達とシェアした時のことである。


 
 
 スキーに行く人の多くは、スキー同様、その後のアフタースキーを非常に楽しみして参加している。若い人達の中には、激しく泥酔し、大音声で合唱しているような人も少なからずいた。

 私がバンガローをシェアした人達もその例外ではなかった。

 おふざけの度を越してしまった人、バンガロー内のサウナから素っ裸で走り出て来る男女、皆、赤い顔をして呂律が回らなくなっている。



 ルカは、せっかく皆で楽しんでいるのだから、せめて表面上だけでも楽しそうにしてくれないか、と私に、非難に近い懇願をする。

 楽しくもないときに楽しく振舞える人は、俳優か、相当器用な人なのであろう。同様に、集合写真を撮る際、可笑しくもないに拘わらず、「はい、笑って」、と促される行為にも疑問を感じる。

 この週は、さらに不運なことに、咽喉風邪をこじらせてしまい、声がまったく出なくなってしまっていた。そのため、私は完全に存在感を失くし、周りの人達は、まだ私が理解出来なかったスウェーデン語にて会話を弾ませていた。 

 どちらにせよ彼らと会話をすることも儘ならず、次の日は単独にて滑ることに決めた。

 ルカは非常に憤慨していたが、早めに就寝しようとしていた私に、「勝手にしろ」と言い捨て、友人達とのアフタースキーの饗宴を続けていた。



 あくる日、雪が多少重いようにも感じられたが、私は深慮無く中級コースのスロープのリフトに飛び乗った。ふもとから見上げる限り、それほどの急勾配には感じられなかった。 

 しかし、滑走を始めて数秒経ったところで後悔をした。

 


 ある地点の先から、地表がまったく見えなくなっている。霧が発生したわけではない。私の居た地点の数十メートル下の地面が、崖っぷちのようにパかっと切れていたのだ。

 すなわち、その地点の先から急勾配になっていたため、数十メートル離れた地点からは先が見えなかったのであった。


 この時、私は失敗を犯した。

 停止して座り込んでしまったのだ。

 このような事態において停止させるべきものは思考である。滑ることを停止させて、急斜面にて立ち往生してしまったら恐怖心が増長するだけである。

 
 勇気を出して、立ち上がって滑り続ければ良かったのであろうが、勾配あるスロープの上ではバランスよく立ち上がることは至難の業であり、少し動くだけでもツルツルと下降した。さらに、そのあたりの雪はガリガリのアイスバーンになっていた。

 


 私は、小一時間もそこに座り込んでいたであろうか。身体は冷え切り、途方に暮れていた。

 突如、背後から名前を呼ばれた。

 声のした上方を見上げると、赤色のスキージャンパーに身を包んだ長身の青年が、金髪を翻しながら、熟練スキーヤーの身のこなしにて私のところまで滑って来た。その姿は私の瞳には救世主のように映っていたであろう。

 果して、救出に現れたのはルカであった。

 私は彼のスキー板の間に自分のスキー板を挟むという体勢で、なんとか麓まで辿り着くことが出来た。

 彼の友人達も、私のことを心配して探してくれていたと言う。

 

 

 この国には「住めない」、と確信してから既に二十年以上が経っている。しかし私は、未だにこの土地にて辛うじて暮らしている。

 救出してもらった直後、「何故、私に対して非常に憤慨していたのに助けに来てくれたのか」、とルカに訊ねた。

 「家族だから」

 彼は、一言そう答えた。


 二十年間の日々が経てば、歴史は変わる。家族の歴史も変わる。

 現在、私達は、もう家族ではない。


 
 
 家族とは、私にとって、

 「私が世界中にソッポを向かれても、私を信頼して理解してくれる人々」

 そして、家庭とは、

 「木枯らしの吹き曝す外から家に帰ると、囲炉裏の中には温かい炎が焚かれているところ」、

 さしあたり、そのようなものであろうか。

 すなわち、家庭において安寧を得られなくなってしまった瞬間、一人で過ごす時間よりも、二人で過ごす時間のほうが虚無的かつ苦痛に感じられるようになってしまった瞬間、婚姻は(経済的保障以外の)本来の意義を喪失する、と私は惟っている。

 
 結婚という名のスロープを滑走している時、ある地点から、私には、一寸先がまったく見えなくなっていた。そして、その先に広がるはずの急勾配を二人三脚にて麓まで滑走し続けられる確信を失くした時、私は別のルートを採る選択をした。



 それから十年以上の月日が経つ。

 ルカには、早く新しいパートナーを見つけて幸せになって欲しかった。

 本人さえそう望めば、新しいパートナーを見つけることもそれほど難しいことではないはずだ、真面目で見栄えの良い男だ。

 しかし、未だにその気配はまったくない。

 

 彼と私の共通点は、皮肉なことであるが、お互いに短命の家系の出であることである。

 ある初夏の日、彼は入院した。

 
 彼は私よりも多少年上ではあるが、それでも彼の年齢は半世紀にも達しておらず、そのような病に侵されるには若すぎた。

 手術後、病院のベッドに一人横たわり、天井を見つめていた彼の姿を認めた時、スキー場のアイスバーンの中、私を救出してくれたあの日の長髪の青年の姿を追懐した。その後、彼が救世主の如く登場してくれた数々の情景が、走馬灯の如く、次から次へと浮かんでは消えて行く。

 これからは、私が、微力ながら彼を助けてゆく番かもしれない。
   

 私達は、書類上はもはや家族ではない。
 
 しかし、

 一度家族であった人との絆、というようなものは、(私にとっては)そう簡単には断ち切れるものではなく、断ち切る必要性も感じない。私達は、今後も良き友人として、お互い助け合って生きてゆくことは出来るであろう。



 
 アルプスの山麓に佇む湖の白浜に横たわり、澄み渡る碧空を見上げながら、取り留めもない話をしているドイツ人らしき家族の姿があった。

 年月は短かったが、ルカと私と娘達も一緒に笑い合っていた時期があった。

 
 普遍的かつ幸福な家族とのささやかな時間は、永遠に存続しないこともあり、再現も難しいが故に、やるせないほど尊い。

 

ご訪問有難う御座いました。

今回は、人と人との輪を繋げることに多大な貢献をされていらっしゃるチェーンナーさんの企画に参加をさせて頂きました。

「心に残るエピソード」、大変温かい企画だと思います。

noterさんの方々の素晴らしい玉稿を始めとして、心に残るエピソードは多く存在します。今回は、三週間前に訪れたアルプスの景観に因んで、一つの家族のかたちに関して綴らせて頂きました。

ニュース等のメディアを徘徊していると、「家族」の意義に疑問を持たせるような悲しい話が頻繁に飛び込んできます。その一方で、チェーンナーさん、あるいは母さんのように、世の中を一ミリでも優しくしようと尽力されていらっしゃる方も多く存在することは救いです。

バトンはのーこさんから戴きました。この方は、大変家族、友人想いであり、どのような悩みを打ち明けても、両腕を開いて受け止めて下さりそうな、(私のことを妹と呼んで下さる)お姉さんです。のーこさん同様、お優しい次女さんに関するほっこりするエピソードです。


のーこさんは、生まれてから一度だけ日本を出たことがあるそうです。この点に関しては、私とはまったく境遇が異なる方ですが、他の面においては共通する点も多いです。

のーこさんの記事は、タイトルも毎度興味深く、字数も短く、とても面白く纏まっています。その中でもわたしが一番衝撃を受けたのは、こちらの自己紹介記事です。こちらも短いのですが、このような自己紹介もあるのですね。


そして私からバトンを受け取って頂きたいのは、くなんくなんさんです。中学生の多感な時を高度経済成長期のシンガポールで過ごされた読書少女です。

この方とは、冬日に、一緒にこたつに座り、焼き芋を頬張りながら、ゆっくりと語り合うことが出来そうです。というのは理想で、実際は、彼女が関西弁で叫びながら野球観戦をしている間、私はその横でヘッドセットをしながらネットフリックスでボリウッド映画を鑑賞している、そのようなイメージが浮かんで来てしまう愛すべきお方ですが、彼女の綴られる読書講評は、いずれも臨場感に満ちており、正確で無駄がありません。

また、くなんくなんさんは、時折ショートショートを発表なさいます。ラブストーリーは苦手と仰りながらも、とてもダンディーな魔術師が出てきたり、と奇想天外かつ温かいお話が多いです。多くの本を読んでいらっしゃる方なので創作力も半端ではありません。こちらではショート・サスペンスをご紹介させて頂きたいと思います。


そして最後になってしまいましたが、この幻想的なアルプスの麓の村Schlierseeをご紹介して下さったのは、数年間ドイツに駐在されていらした世界の人に聞いてみたさんでした。この方のnoteは、私とはあまり縁の無かった隣国、ドイツと言う国の本質を斬られていらっしゃいます。

 

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