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思う存分の言い訳

あれもしなきゃ、これもしなきゃ。やるって決めたから続けなきゃ。ちゃんとこのタイミングでやっておかなきゃ。今日までに終わらせるって自分が言ったし。ココで自分がやっておかないと次が進まないし、自分で止めるわけにはいかない。

ドタバタの日々。まぁよくも毎日走り続けてるもんだなぁ、と思う時がある。あっという間に1日が終わる。毎日のTODOリストを淡々と消し込むように進めていく。今日もよくやったもんだ。やるべきことはやったし、誰かに催促されることもなかったから順調という事にしよう。

なのになぜ。あそこまでやればよかった、ああしておけばよかった、と落ち込んでしまったりして。ここまでやれてたら完璧だったのに無理だったなぁ、とか、それとは別次元の理想の自分や生活、自己実現への1歩ができなかったということが頭をよぎる。日々に追われて終わる日々を嘆いてみたり。

毎日がとても幸せで感謝の連続で、不満なんてあるわけでなくとも、ただ走り続けている安心感を得るために毎日を忙しくしてるだけの気がしたりして。毎日何かやってるようで、結局何もやってないような気持ちになったりする。

さて、ここまで読んであなたはどう思っただろう。

めちゃくちゃわかる?
そんなの厳しすぎる?
へ~頑張り屋さんだなぁ?
え、すごい!!
自分はそんなことすらできていない?

どんな反応でも、きっとあなたも同志。

「何を言っているのか何ひとつ理解できない。」
という人こそが100%の健全健康だと言えるほど、人間だれしもが毎日何かしら自分のやるべきことと、やりたいことに時に押しつぶされそうになる。そして通りすがりの虚無感で立ち尽くしてしまう。

そんな時にソーシャルメディアを見ると、
『みんなすごいな、私なんて。』が加速していく。

その人は毎日必死に、心身を削って作り上げたものだとしても、
『あの人には才能、センス、技術、時間、お金、心の余裕もある。いいな、自分には何にもない。』と勝手に追い打ちをかけてしまう。

あぁ、もう全部、何もしたくない。

体調不良や、なんとなく不調。テンションは上がらないし、何もかもめんどくさい。ついボーッとしてしまう、急に不安に押しつぶされそうになる。

でも何か今日も1つでもやらなきゃ。
目の前のことに、今の幸せに感謝しなくちゃ。
ここで止まるわけにいかない、立ち上がれ自分!

そんな時の家族の体調不良。追い討ちをかけられる気持ちになる。

看病、通院、それに伴う時間拘束と、必要な買い物も増える。当人に伴う各位への連絡、自分の予定をキャンセルすることや、仕事をお願いすることもある。

そうなるとますます焦る。
今日こそはあれをしたかったのに、これは絶対しなきゃいけないのに、せめてここまではやらないといけないのに。

あらゆることが頭をよぎりすぎて、結局何からどう片付けていいかわからなくなってパニックになる。この時点で疲れてしまう。

なんでこんな時に?
と思っても、今日ならOK!なんて余裕のある日は1日だってない。

さぁ、あなたならどうするだろう?

この辺でやっと本題に入る。

ここまで来たら『ご褒美と化す作戦』を提案したい。

体調不良の家族のことはもちろん心配だけれど、事故や事件、原因不明なこと以外は、時間が解決してくれる。体調不良の原因がわかっていれば、抗体を作る時期なのね、とお互い腹を括るしかない。しかし自宅待機の必要があるし、安眠のためにも、物音を立てずに静かにいた方が良さそう。

もしこの時点で自分が健康なら、最大のラッキーチャンスである。明日は我が身の期間限定かもしれない。だったらなおさら、特別だ。同じ菌は保持していても、発症に至るかどうかはここからの自分次第。だとすると、ここで変に頑張りすぎて、結局共倒れするのは避けるミッションも重なっている。

ということは?

最大の言い訳で、究極にダラダラしよう。

国民の休日に休んだことはあるだろうか?家事育児は永遠に思える。でも家族だれか1人でも体調不良になったら、全滅を避けるのが最大のゴールだ。まずは全員、究極にダラダラするぞ!と申し送る。

元気な人は、やりたいことを自由にすればいいし、便乗してさぼりたいならそうしてもOK。食べたいものは自分で買ったり、UberEatsのありがたさを再確認すればいい。

料理は看病のためだけにする。
看病食のお粥や雑炊、うどんは、健康な時に食べるといつも以上においしく感じて健康にもいい。

天気が良くても洗濯しない。
看病のための着替えだけ洗濯しておけばいい。

シンクには食器を溜めていけばいい。
菌が気になるなら上から消毒スプレーをかけておけばいい。

そんな事より最優先すべきは、自分の睡眠確保だ。
いつのタイミングで眠ることができて、いつ起きて看病が必要かわからないんだから、明るい時間でも眠ってしまえばいい。

毎日のあらゆるルーティンも休みにしよう。
それで機嫌悪くなることなかれ。それはサボってるのとは違う。誰かのために使うことができた時間に変わっただけ。

これが全部言い訳だったとしても、それでいい。
こんな時でもちゃんとできる人は諦めないって思うかもしれないけれど、いざという時にそばにいることができる存在としての価値を改めて感じて浸っておけばいい。

家が散々に荒れて行く様を、どこまで荒れ果てていくのだろうかを見届けてみても良い。そうなったらダメだ!って思っていた景色は、案外この程度なのか、とも思うかもしれない。そこまで思えるってことは、散々荒れ果てた家の中を思いっきりキレイにすることで爽快感を感じることができるということと隣り合わせだろう。

看病は新生児の育児に似ている。眠れるタイミングで眠っておかなければ、睡眠不足からの体調不良、慢性的なメンタルストレスにつながる。誰も見ていない、当たり前だと、責任だと言われて感謝されないこともある。達成感を感じられることや明確なゴールもない。

ただ、今この時間をどうやって自分自身が少しでも穏やかに過ごそうか、と思ってもいい。思う存分の言い訳を活用するくらいでいいのだ。

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