メタファーとしての「発酵」がこれからの時代に重要な要素を象徴する、と感じるようになった経緯とは?
はじめに
先日、こんな記事を書きました。
時系列がバラバラで、後で整理したいですが(汗)、ひとまず自身の思考の整理も兼ねて、それまでほとんど縁のなかった「発酵」が大事なキーワードになった経緯について書いていきます。
デジタル化とフィジカル化
数年前にベストセラーFACTFULLNESS」に関する記事を書きました。
この記事では、今日においてもなお私たちが全身で浸かっているのは、効率至上のグローバル資本主義であり、そこでは、あらゆるものが分断され、当初あった意味を失ったままゴールのない効率性を競い合うゲームを続けている、といった内容が載っています。
私はこの発展の方向性をデジタル化(数字化)と呼んでいます。
2018年頭にお金・経済の歴史について自分なりに探究し、これからの持続可能な人間社会づくりのためには「デジタル化のベクトルだけに偏るのではなく、その相対となるベクトルも踏まえたデザイン」が重要ではないか?と至ったのです。
そして、この「デジタル化の相対に位置するものは何だろう?」という問いに対して、人との対話を通じて自分なりに行き着いたことが「フィジカル化」というキーワード。(厳密に言うと皮膚感覚、刺激といった触覚:Kinesthetic)
この「フィジカル化」には、5感情報的であり、物語的であり、自然的な、といった意味を込めています。
都会に住む人にとって地方が魅力的に映るのは、そこにここでいう「フィジカル化」を見出しているからではないでしょうか。
AIよろしく、ITテクノロジーの発達は今後も加速していく一方で、フィジカル化の要素をどれだけ取り込めるかどうかがカギを握っていると当時強く思ったのです。
2018年1月にそんなことを考えていたのですが、その頃たまたま参加したイベントで味噌醤油醸造会社の七代目の取り組みを知り、前から言葉としては知っていた「発酵」が全く違った意味・意義を帯びて目の前に現れたのです。
そのイベントについて書かれた記事がこちら。
こちらの取材記事もオススメ。
この体験と自身の考察が結びつくことで、私にとってメタファーとしての「発酵」とは、先に伝えたような「フィジカル的」で、従来のデジタル的な評価軸では測れない価値を内在しているキーワードだと思えるようになったのです。
消費されない価値づくりの重要性
そして、それとほぼ同じ時期に、再会し数週間行動を共にした方がいました。その方とは、中村功芳(あつよし)さんです。
私は彼の実体験に基づく「地域活性化における価値観・プライオリティ」にとても共感しました。
インタビュー記事から引用していきます。
どういうことでしょうか。
では「しあわせ生産型のまちづくり」になるポイントは一体なんなのでしょうか?
こういったまちの先人や先輩、丁寧な暮らしをされてきたおじいさんおばあさんが尊重され、第1村人が笑顔になるようなまちづくりが、まちの人の幸せにつながるのではないか、と考えたそうです。
そして、この経験が「地域まるごと宿」の発想に繋がっていきました。
私は中村さんのいうこれらの話は「発酵」的だと感じました。
また、この少し前に友人に誘われて行ったイベントが「地域ツアーを考えるとしたら?」というもので、飛び入りで参加しました。締め切りは過ぎていましたがせっかくなので事前課題の企画書づくりをしたのです。
そのプロセスで生まれたのが「感動関係資本」という言葉。これはどんな意味なのか当時のメモをそのまま載せます。
この時は、この感動関係資本(感動を共有できた対象との関係性も含む)を増やすための体験(自然の中でのアクティビティや人との出会い)を積んでいくこと(地域の中にある自分にとってのそれらを発見すること)や、お金の本質について学んでいくことをテーマにしたリトリートプログラムの簡単な企画書をつくりました。
今思うとこの「感動関係資本が増える」ということは「発酵的」だなぁと感じます。
さいごに
今回の内容に気づいてから5年が経ちますが、今もこの「発酵的」であることを大事にしていると感じます。
それ以降に出会った言葉には「全体性(ホールネス)を取り戻す(fromティール組織)」「リジェネラティブ・リーダーシップ」といったものがありますが、それらと「発酵的」には通ずるものを感じます。
これらのキーワードと「発酵的」の同じと違いについて哲学してみたいなと思います。
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