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あまり経験できないこと

ワインバルへ

最近、気心の知れた知り合いと、若い人が集まる街にあるワインバルに久し振りにワインを飲みに行った。「久し振り」と言うのは新型コロナウイルス感染症の影響で、大手を振って外でお酒を飲む機会が3年近くなかったからである。

階段を登り店のドアをあける。「食事は済ませているので、飲むだけですけどいいですか」とお店のオーナーに聞くと、ええ全然問題ありません。どうぞどうぞ(店の中に)入って召し上がって下さい、と気持ちよく案内された。

早い時間(18:00頃)だったせいか、先に入っている客はいなかった。私はまだ他人がいない店に一番乗りで入るのが好きだ。今から始まる雰囲気というのがなんとも言えない。すがすがしい。

店の中の壁側の棚には、どうだと言わんばかりにワインが整然と並べられ、それに対向する形で長いカウンターがある。そこのカウンターの椅子に座りワインを眺める。落ち着く。

ワインについては、ほんの少しだけだが味はわかる。手ごろな値段の赤のワインを頼む。イタリアのワインだそうな。口がゆがむようにタンニンが強いというそのワイン。確かにタンニンが強い。なかなか自己主張が強く、私のレベルを試されているような面白い味であった。

普通じゃ経験できないこと

その後、色々と他のワインを飲ませてもらい、話がはずむ。話も盛り上がったころ、なんの繋がりだったか忘れたが、「今まで普通の人では経験できないこと」ってありますか、とオーナーから聞かれた。

酔いが回って来てたせいか、「そう言えば」と、あることを思い出した。O-166の罹患とそれにまつわる飛行機の中での話はおそらく普通の人ではそうそう経験できないだろうと思った。この話をしてやろう、と。

香港からの帰り

それは、2002年9月のこと。仕事の関係で香港に行き、その仕事が終わって日本に帰るときの話である。昼食をどうするかという話になった。せっかく香港に来たので、広東料理食べたいと言ったら、仕事関係の現地の人が、広東料理食べたければいいところに連れて行ってあげると言って、ハッピーバレーのジョッキークラブ側の広東料理のお店へと向かった。連れて行ってくれた人は、ニヤリと笑っていた。

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店の前には、魚やカエルその他の両生類や爬虫類らしき生物が水槽や籠に入れられ陳列もされていた。そういう類のものを食べさせてくれる店のようだ。店に入る前にカエルを見たら目が合ってしまい、とてもではないがこれは食べられないと思い、無難に魚料理を頼んだ。

その魚料理は、魚を素油であげたものであり、添え物として香草類が添えられていた。「うまい」というより「こんなものか」という感じで、ビールを飲みながら魚料理を食べ、店を後にした。連れて行ってくれた人には、お礼を述べ、一路ランタオ島の香港国際空港に向かった。

空港にて

空港に着いたのは現地時間で14:00頃(日本時間で15:00頃)。出国審査でチエックインし、出発ターミナル内のショップで自宅と会社への土産を買い、タバコを一服(このころは私はタバコを吸っていた。ただ、香港国際空港では既に分煙が徹底されていたので、喫煙室での喫煙である)。喫煙中、ちょっとではあるが、おなかの様子に異変が・・・。

出発の便の30分くらい前になると、館内放送で搭乗開始のアナウンスが始まる。「キャセイパシフィック航空第○○○便15:30発成田行き、ただ今より搭乗を開始します‥‥」と。その時である。おなかの調子が急におかしくなる。食べ合わせか、と訝しむ。あの魚かな、とあれこれ原因を探る。そのうちトイレに行きたくなる。ま、搭乗してから飛行機内のトイレに入ればいいか、少し我慢しよう、ということで、搭乗を済ませ自分の席に着く。ここからが地獄であった。

飛行機がターミナルから離れ、滑走路まで移動し、自機の離陸の順番を待っている間、おなかの調子はだんだんと悪くなっていく。もう少し、もう少し、と自分に言い聞かせる。香港の場合、水平飛行に入るのは時間的には比較的早い。とにかく我慢するしかなかった。

滑走が始まり、離陸。やがて、香港島と九龍半島が見え、水平飛行になっる。そうこうするうちに飛行機の窓から陸地が見えなくなり、もっぱら海しか見えなくなった頃、私は一目散に機内のトイレに駆け込んだ。幸い、私が座っていた席は機体後方の席で、トイレが近かったことも幸いした。間に合った。

そしてその時が・・・

トイレに入った途端、我慢できなくなり便座に座るやいなや排泄。もちろん水様の下痢である。その下痢が終わると、今度は吐き気を催してきて口から未消化物が吐しゃされる。この上下の吐しゃ・下痢が約2時間程にわたって繰り返される。両方同時に催したこともあったと思っているが定かではない。それぐらい凄まじかった。これでもかこれでもかと液体個体を構わず体の中から出て行った。

もちろん、他のお客がトイレをノックするのもわかったが、とにかく止まらないので、ノックを返し、トイレに立てこもる状態が続いた。異変に気付いたキャセイパシフィックのパーサーの男性が、日本語で「大丈夫ですか?」「どういう状況ですか?」とドアの外から尋ねる。

これに対して、私が震えながら、下痢や吐しゃを繰り返していることや、気分が悪いことなどの状況を説明する。この確認が、十数分おきに2~3回あっただろうか。もっとあったかも知れない。最後の確認の頃には、少し下痢も落ち着き、吐く物も殆どなくなり、寒さが襲って来始めていた。

客席に戻って

そのタイミングを見計らって、パーサーが、外に出て横になりましょうと言って私をトイレから出してくれた。機内は最後方の席が空いていたので、人が一人分横になれるようにアームを立て、ベッドを作って貰い、そこに私は横たえられた。寝ている私の周りにパーサーとキャビンアテンダントの人が複数人寄ってきて対応策をパーサーと相談する。

私は、体内にほぼ何も残っていないため、寒くて震えが止まらない。「寒い」「寒い」というと、4~5枚の毛布を持ってきてくれて私にかけてくれる。が、それでも震えは止まらない。最終的にはかなりの毛布が幾層にもかけられた記憶がある。

あのシーンを経験することに

そこで、機内アナウンスがあり、映画やドラマで演じられるあのシーンを経験することになったのである。後で書物等で知ったことであるが、このような内容のアナウンスがなされていたようである。

アナウンスは日本語と英語でなされた。「機内で急病人が発生いたしました。お客様の中で医療関係者の方がいらっしゃいましたら、お近くの客室乗務員までお知らせください」「Ladies and gentlemen, we have a medical situation onboard. If there is a physician onboard, would you please kindly identify yourself to one of the cabin crew members. Thank you.」

このアナウンスに応じて、医療関係者とみられる2人の日本人の女性がすぐに駆けつけてくれた。お医者様ですか、の問いに、いいえナースですとの答えが耳に入ってくる。そして、状況をパーサーから聞くやいなや、私の目の下の部分を診ていた(いわゆるあっかんベー状態の目の下の部分)。それが終わるや否や、特に問題ないと言わんばかりに日本に着くまで暖かくしておいて下さい、と言ってキャビンアテンダントに何か言伝して去っていった。おそらく成田到着時の処置のことであったろう。

おそらく、このころに鹿児島上空を通過したようなことを機内アナウンスで言っていたことを覚えている。

パーサーの計らいで、私は私の荷物とともにビジネスクラスの席に移動させられた。移動する際に、ずっと閉じこもっていたトイレをちらっと見たが、「Keep Out」のテープがはりめぐらされていた。

移動先のビジネスクラスの席はフラットにすることが出来、あたかも病院のベッドのような状態である。鹿児島から成田までの約1.5時間、寝て向かうことになった。こういうのもまた普通には経験できないことである。

検疫所に

ちなみに、成田に着くと、車いすが迎えに来ており、私は一番最初に降りてその車いすに乗って入国審査のほうに向かった。が、着いたところは、成田検疫所であった。検疫所では、脱水状態のためポカリスエットをどれだけでもいいから飲めと言われ、2本くらいその場で飲んだ。

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それと、念のためということで、肛門に綿棒のようなものが挿入され、検体を採って行かれた。結果は数日後に知らせるとのことであったが、長い経験上ということで考えられるのは、食中毒ではないかと言うことだった。東南アジアに慣れない人が良く罹る症状だそうな。特に、現地のよく洗っていない野菜や半生の肉などを食べると当たってしまう人がいるらしい。あの魚と香草がそうだったのか。。。

その後、単身で自宅へ電車移動。途中の駅で気持ち悪くなり、いったん降りてホームの外に吐いたこと、ホームの外からはスズムシの鳴き声がしていたこと、を今でも覚えている。

後日、検疫所から連絡があり、O-166とのことであった。正式には、腸管毒素原性大腸菌という病名とのこと。まさしく、東南アジアに慣れない人が良く罹る食中毒そのものであった。

このように、機内で病気の人が出たことのアナウンスに遭遇したこと、その当事者が自分であったこと、病名がO-166というものであったこと、医療関係者の方がいたこと、をもって「普通の人では経験できないこと」の自慢話となった。店のオーナーも「それは普通の人では経験できないですね」と大笑いして妙に盛り上がった。

最後に

最後に、我を顧みず対応して頂いた医療関係者の方、キャセイパシフィックのパーサー並びにキャビンアテンダントの方達、あのとき御礼を言う状況になく挨拶もできませんでした。20年後になってしまいましたが、本当にありがとうございました。

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