見出し画像

家族はつらいよ。な話し。



閲覧ありがとうございます。
今日は、わたしの昔からのご近所で、親子共に仲良くさせていただいているご家族に関するコレアレを書いておこうと思います。個人独特的なことではなく、
あのご家族が迎えたようなことが、いつか、私にも起こるだろう。だから、書いておきたいという気持ちが発端です。


わたしが、書いておく前に、マナーとして、田崎さん(仮名)ちのおばあちゃんにお聞きしました。

「おばあちゃん、あのね、おばあちゃんのことを私の日記みたいなのに、書いていい?いろいろぼかすから。」

「え?なにが?あー、いいよ、いいよ。八千草薫みたいに描いてね。」

イラストがUPされるものと、勘違いされてましたが、説明に3日くらいかかるだろうから、「ありがとうございます」と言って帰ってきました。

田崎家には、84才のおばあちゃんとその娘さん四姉妹、おじいさんがいます。娘さんは40代、50代で、それぞれがご結婚をされ、ご実家を出てますが、三女さんはご実家の一室で、ご自分で手芸系のお店を開いておられます。

わたしの母と長女さんが同級生なもので、小さな頃から、私も、おやつのハウスのゼリエースなどを
いただいたものです。シャービックが出たときは、
めちゃ嬉しかったです。


わたしは、二女さんと結構、気が合い、道端で会ったら長いお話をしたりします。

四姉妹は、それぞれが休みの日などを利用して、両親の家に様子伺いなどをしていたそうですが、
冬に、おばあちゃんが脳系の病気で倒れてしまい、
入院、そのあとは、リハビリの為に専門病院に移ることになりました。

春のある日、二女さんに、道端で、出会い、おばあちゃんの様子などを伺うと、


「わたしはね、戦力外通告されたのよ!」
と、悲しげ憤慨げに言いました。

どこか違う球団に行くのか、と思ったら違うくて、
話を聞くと(うながさないでもべらべら話す)


おばあちゃんは、入院してますが、入院する際、
病院側が何かあるとき、家族に意志を確認せねばならず、その役割を担うのが、「キーパーソン」です。いわば、家族代表ですね。


自然ならば、おじいさんですが、おじいさんは90歳。耳も遠い。ならば、長女。
しかし、長女は、医療系の仕事で、連絡がつかない場合が多い。では二女か?と、思ったら、三女さんがキーパーソンになりました。四女さんは、かなり遠い県外にいる為、ムリでした。


「わたしは、車は運転しないし、三女は実家で仕事してるから、仕方ないかなと思うんだけど、母は
退院したあと、帰宅希望なんだけど、ネックは、
糖尿病のインシュリン注射。医療系の人以外は家族がしなければならないの。」


「この前、妹から電話がかかり、病院に、インシュリン注射の仕方を習いに行くから一緒に行くか?と
電話があったから、勿論、行くと、返事したら」


「えぇ??姉さん、大丈夫なの?できるの?」

と、言葉にトゲを出してきたけど、我慢して、大丈夫行く。と言ったら

「あのねぇ、猫の投薬もできないような人間が、注射とかできるの?わたしは、はっきり言って、最初から、姉さんは戦力外だったわ!」

わたしも、猫の投薬は、慣れないと難しいかと思いますが、二女さんは、猫のことを出されたのと、戦力外通告されたショックで、電話でケンカになったそうです。

問題外と思うならば、電話してくんなよ。という気持ちだったと思います。あおり運転にあった気分かなと思いました。

自分は悪くないとしか言わない





電話を切って、長女にラインをして、三女とケンカしたこと。今から、四人で力を合わせねばならないのに、悪かったこと。インシュリン注射は、長女から習いたいことを伝えたら

「やり合うのは、やっといた方がいいよ。注射は、
わたしが、教えてあげるから、心配しないで」

と、言ってくれたので、二女さんのご主人の薦めも
あり、二女さんから三女さんに、謝ったそうです。

「バカになれる方が大人だよ。三女さんもキーパーソンにされて、病院からガンガン電話かかってくるし、仕事しながらだから、大変なんじゃない?」


アントニオ猪木も「バカになれ!」と、言ってましたが、なるほどね。と、思いました。


二女さんが、あとで落ち着いた三女さんに聞くと、
三女さんはキーパーソンですが、決定権は、長女さんが握っていたようで、病院から連絡があったら、自分にも連絡。イエスかノーは、最終決定は長女さんが決める。ドクターからの説明も、詳しく聞いてメモに取り、専門的な質問なども、三女さんにさせていたようです。三女さんが、必死にメモするので
時々、ドクターから

「聞いてますか?」と、やんわり注意されたことも
あるそうでした。

「医療関係の方がご家族におられたら、専門的知識のすり合わせなどが上手くいかず、難しい場合があります。」

と、のちに、ケアマネになった方から、言われたそうです。


ハウスはプリンミクスが好き。

おばあちゃんは、無事に退院して、おうちに帰って来られましたが、その時点から、家族が主役で介護サービスが助演の、果てがわからない生活が続きます。
退院した翌日、母と、伺うと、おばあちゃんは、菩薩さまのように、ニコニコしていて(病と闘う経験を持つと、ワンランク上の人間力が付くのかなと思いました。)

反対に、娘さんたちが、富士山の三合目くらいまで
登ったあとみたいな、疲れぎみな険しい顔をされていたのが、印象的でした。


社会人になり、実家を離れ、親という絶対的法律から、独立すると、各々の人生。

立ち向かった問題も、違うし、仕事の種類も違うし、ものを考える順番も違っているに違いありません。

そして、自分の経験にもとずいて、得た答えが、自分の中と絶対的な正解になっている人間たちが、

「親の病気」という、局面で、また集まってきても、中々、一枚岩には、ならないのが当たり前なんだなと、勉強になりました。

いつか、誰しもが、通るかもしれない近しい人間の老いを見守らねばならない道程が、遠い未来ではない場合もあるなと、気を引き締めました。


ただ、おばあちゃんの話しが面白かったのが、
リハビリで、狭い廊下や狭い部屋にての車いす
移動訓練を、何回も、させられ、キレて


「こんな、狭い場所なんか!!やりにくい!見ただけでイライラする!狭い!」

と、言ったら、理学療法士さんが、

「なにを言ってるんですか!お宅のおうちの広さがこれくらいなの!おうちに帰るんでしょ?!」

と、たしなめられ、「そうでございます。」と、
しょんぼりしたと、聞いて、病院のケアも、徹底してるんだなと知りました。


前のとおりには、行かなくなった生活とは、思いますが、皆さんの毎日に笑顔がありますようにと
願わずには、いられません。



あとで、こう思うこともある。



この記事が参加している募集

振り返りnote

これからの家族のかたち

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?