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雑感記録(209)

【それっぽい"何か"と僕】


今、こうしてnoteを書き続けて改めて感じたことや思ったことを真面目に書こうと思う。本当はふざけたい気持ちでいっぱいなんだけれども、たまにはこういうのも良いだろうと思ってみたりもする。

まず以て、これは散々、いやくどい程に書いているが、僕にとっても偶然にも僕の記録に目を停めてくださった方々に注意というか確認しておきたい。僕がこのnoteに書いている記録というのはあくまで僕自身の為に書いており、誰かを変えようとか、誰かに影響を与えようと、それを第1目標として書かれている文章ではないという事である。ただ、SNSという性質上、自分自身にはその気が無くても、影響を持ってしまうことが往々にあるという事である。だったら別の媒体で書けば良い。日記でも何でも皆の眼に着かない所でひっそりと書けば良い。

ところが、事はそう簡単な話ではない。自分の書いた文章を好きなのは自分であって、その文章をよくしたい思う1番の読者でもある。僕は書き手であると同時に1番最初の読者でもあり、1番の自分自身のファンでもある。だからより良き文章を目指すのは当然であるかもしれない。良い文章を書き続ける為にはどうしたらいいか。簡単である。数多くの人に見てもらうこと。それが1番手っ取り早い。多くの人に烏滸がましくも読んで貰い、多くの人に罵詈雑言を浴びせられることで僕の文章は精気を持つ。自己の技術の追求のために仕方がなくSNSを使うのである。

しかし、ここでもう1度大事なことなので注意を促したい。

僕はここに書く文章で社会を変えたりとか、何かアジテーションをしようとかそういったつもりは微塵もない。それに偉そうに文学やら映画やら、美術やら哲学やらについて書き散らしている訳だが、だからと言って僕は「自分が高尚なことをしている」「自分が崇高な人間である」という風には微塵も思っていない。僕が全部書いているのは、これはハッキリ言ってしまえば出鱈目も良いところである。ところが、僕の文章は所々に偉そうに言っている部分が多い。上から目線で書いている所が、自分自身の為に書いているとは言え、やはり改めて読み返してみると自分でも腹立たしい。

これまで僕は色々書いてきている訳だが、僕は今まで1度も「文学」や「哲学」をやっているとは思ったことなどない。せいぜい、僕がやっているのは「文学っぽい何か」そして「哲学っぽい何か」を僕はやり続けている。僕が書き続けるのは究極その「っぽい何か」を探る旅でもある訳だ。自分はこういう信念を持って書いているのに、そうすることで逆にその信念が砕かれて自己崩壊しているという状態。自分自身に対する矛盾を抱えたまま僕は文章を書き続けている。

読み返すと実は僕が如何に矛盾を語っているかが分かる。しかし、前回の記録でも書いた訳だが、矛盾はある意味で脱構築な訳だ。という文章を僕は書いている訳だが、しかし、これは「哲学」なのか?と問われればこんなものは「哲学」などではない。「哲学もどき」「哲学っぽい何か」なのである。僕等が「文学」や「哲学」を語る時と言うのは結局、そのものについて考えている訳では決してなく、その「っぽい何か」でしか物事を語れないのではないだろうかと思うのである。


しかし、これは僕個人に帰結する問題でもなかろう。例えば今この時代に文学や映画、哲学、芸術、そういったもの全般について語ることがナンセンスな気がしてくるのである。特にSNSで語るともなればそれは顕著に感じられるのである。これは当然に僕自身も感じている問題でもある。

これは僕が記録で再三に渡って、柄谷行人を引き合いに出しながら「文学は死んだ」と言うように馬鹿の1つ覚えみたいに言っている訳だが、そういう事では決してない。文学が死んだとか死んでいないとかそういうことを問題にしたい訳ではない。その前提として「芸術を語ることがセンスがある人間だ」とか「文学や哲学を学んでいる人間は高尚だ」とかそもそもなぜそういう認識が生まれるのかという事にあるのではないか。

冷静に考えて、僕はこれもまた馬鹿の1つ覚えで「文学を読め」みたいなことを口走っている訳だが、大抵こういう文章を読む人間というのはそもそも「文学」にある程度の素養がある。つまり、僕が書いた文章なぞは「文学」に興味のない人間には届くはずもない。だから僕は「文学っぽい何か」「哲学っぽい何か」で書くしかなくなる。先に断っておくが、自分の為に書いているのだからそんなこと関係ないじゃないかと言われるだろう。しかし、これも先に書いた訳だが、SNSという性質上、嫌でも誰かに見られるし、自分の文章を読んで貰いたいという気持ちも当然にあるから書き方も少しは意識する。本当に自分の為に書くなら、こんな丁寧に書くはずがない。

つまりね、ここで僕が言いたいことは単純な訳。僕は今まで「文学っぽい何か」「哲学っぽい何か」をやっている。だから僕は自分が高尚な人間だとも思わないし、自分が崇高な人間だとも思わない。これは大切なことだ。僕は偉そうな書き方をしているだけで、その実読んでみると大抵テキトーばかり書いているんだ。

多くの人に読んで欲しいけど、僕の書いてあることを真に受けないで欲しい。ということを僕はここに強く言っておきたい。自分自身にも。


最近はそこらの本よりこういったある種のSNSで書かれている「文学っぽい何か」「哲学っぽい何か」が力を持っている。そんな気がしてならない。勿論、SNSも使い方次第だが情報収集には便利なツールである。しかし、一度使い方を間違えれば僕らの思考を奪う道具になりかねないのである。だから書いて投稿している僕自身も気をつけなければならないし、読んでいる方も気をつけなければならないことだと思う。当たり前か。

そういうこともあって僕は割と頻繁に「僕の書いたこと信用するなよ」とか「またテキトー書いたよ」とか書き添える訳だ。僕の目的は誰か第三者に影響を与えたいとかそういう事じゃない。ぶっちゃけ、そんなことどうでもいい。読んで何かそれで影響を受けて変われました…っていうのも正直なんか嫌だけど、でも僕からしたら「勝手にどうぞ」な訳だ。そこからの責任は僕には負えない。言葉を書くからにはそれなりの責任感を持たねばなるまい?だから僕は何度も言うが、僕のこのnoteは僕による僕の為の僕が有意義な思考をするだけの空間なのであり、それを読んでどう感じようと構わない訳だが、僕が書いていることは大体デタラメなんだからあんま信用するなよと。

「また、こいつ、馬鹿言ってら」というぐらいに鼻で笑う感覚で僕のnoteを読んでくれると僕としては有難い。

だから僕はSNSで書評書いている奴とか、ビジネス書やら自己啓発本を紹介している人間が嫌いなんだ。あいつらの書く文章はどうも「オレが正しいんだ」みたいな文章で書かれている感じがする。それこそアジテーションぽい文章なんだよな。だから嫌い。僕も負けず嫌いだからそれに対応して「文学読めよ」みたいなこと書いちゃうから大人げないんだな。反省せねば。でも、許せないものは許せない。それが正道みたいな面してSNSに居ることがただ腹立たしい。それだけのことだ。

何より、彼らは自分にとってそれが正しいと思っている訳だ。つまりは、自分たちはそれこそ「文学」やら「哲学」などの本を紹介する崇高な人間であるみたいな感じだ。「俺、この本読んで変われたんだぜ。凄いだろ。」みたいな。馬鹿か。お前らがやっているのは僕と同じで「文学っぽい何か」であって「哲学っぽい何か」なんだよ。それを堂々と「文学」「哲学」という名のもとに振りかざしてるんじゃねえと僕は声を大にして言いたい。いいか。SNSでそういうことをやっている以上はただの「っぽい何か」マンなの。僕みたいに。


かと言って、じゃあSNSで「文学」や「哲学」について語っている人達は実のところ皆「文学っぽい何か」「哲学っぽい何か」を語っているに過ぎないのか。答えは僕には分からない。正直言って僕はそれを模索している訳だ。「っぽい何か」も書き続けてくればそれなりに形にはなっていくでしょう。現に、あまり数字で評価なんてしたくないけど、この記録が209本目になる訳だ。ある程度の厚みはあるかもしれない。分からないけれども。

ただ、1つ確実に言えることは、「上には上がいる」ってこと。

例えばさ、自信満々に記録を残す。僕は個人で悦にいつも浸っているんだけど、「今日も良いの書けたな」って。でも、他の人たち、僕がフォローしている人たちの記録や別の媒体だけど友人の記録を見ると凄く良い事を書いていて、あらゆる気づきを与えてくれる。そういう記事を見るたびに「あ、僕は結局「っぽい何か」しか書けないんだな」と痛感するし、逆に開き直ってやろうかと思えるぐらいには最近ではなってしまった。

多分、僕は一生「っぽい何か」と向き合わねばなるまい。

まあ、そもそも「本物」というものがあるかどうかも怪しい世の中、そしてSNS上でそんなものを求めることがナンセンスなのかもしれない。これもまた、何回も書いてるけど自分にとってそれが「必要だ!」と感じたら、それが自分にとっての世界の中心で、自分にとっての「本物」なんだと思う。結局、僕はその「っぽい何か」に「本物」を見出そうとしているのかもしれない。それが例え力を持っていたとしたなら、そこにこそ向き合わなければならない課題があるはずだし、自分自身の書くこと読むことを改めて見直すべきなんじゃないかなと思う。

ただ、最後だから元も子もないことを言う。

「好きなんだからしょうがない。語らずにはいられない。」

真面目に考える日もあるさ。

よしなに。








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