白痴 NF型 愛と生き方

儚くも美しき人

先日、ドストエフスキーの白痴を読み終わりました。

正直、一度読み終わっただけじゃ、全部を理解できた訳ではないので、考察サイトを見て居ました。

考察サイトにいる人たち、みんなめちゃくちゃ頭いいですね。そこで物語の全貌が明らかになった気がします。

この物語は、NF型の人に読んで欲しいです。
めちゃくちゃ共感すると思います。

僕は、NF型の人たちと話したり(周りに多い)、とか、キャラクターを見て居たりしてて感じるのが、慈愛と恋の区別がない。もしくは慈愛が強すぎるために、自らの感情、恋を優先できないなどの人間が多々あるなと感じました。

慈愛って、恋愛とかの愛じゃなくて、人類全体に向けられる愛のことです。

このドストエフスキーの「白痴」の主人公がそうでした。

この物語の主人公である、公爵は、アグラーヤという女性に恋をしているのですが、可哀想な、ナスターシャという女性を見捨てることができず、結局破滅を迎える物語なのです。

公爵は、慈愛が強すぎるために、ナスターシャを見捨てる決断ができませんでした。
公爵は、アグラーヤには恋をして居ますが、ナスターシャのことは愛して居ません。 ですが、慈愛(弱き者に対して向ける慈しみの心)が強すぎるため、公爵は自分が二人とも愛していると思っている。

慈愛のため、自分が愛している女性と、愛して居ない女性を同格に扱ってしまう公爵。

そして破滅。

自分もこの気持ちがめちゃくちゃ共感できました。


例えば、自分が本当に好きな女性を特別扱いしたとして、他の女性が傷ついてしまうっていう状況があるとして、それが耐えられない。

いや、なんか自分気持ち悪いな。。。。

他者を傷つけてまで勝ち取った未来に、果たして幸福など存在するのか。と。

そう思ってしまいます。(公爵もそう思っているのだと思います。)

恋愛だけじゃなくて、就職でも、なんでもいいですけど、この世の中って、少なからず、椅子とりゲームみたいな側面があると思って居ます。

そりゃ、誰だって、自分の入りたい会社に入れたり、自分の好きな人と結ばれたりしたら幸福ですけど、その下にはいく数もの死体が現実転がっている訳で、まっすぐ幸福を享受できなくなっている自分がいます。

これNF型の人めちゃくちゃ共感してくれると思います。
誰かの苦しみの上にある幸福なんていらないよ。と、そう思います。

でも、大半の人が、誰かの苦しみの上で幸福で笑顔でいる。そう思います。

それを理解している人が多いNF型の人たちが僕は大好きです。

僕を含めて、なんて美しい心を持っているんだと、そう思います。笑


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