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□鎌倉からスリランカ、ベトナム、ミャンマー、ブータン、インドを絆ぐ道


鎌倉の観音巡礼を終えて、法華経の意味やルーツを更に知りたくなった。大乗仏教、小乗仏教、原始仏教、上座部仏教とは何なのか?ブッダが説いたことは?日本人にとって仏教とは?仏教を知ろうとすればするほど、仏教を知らなかったことに気付かされた。

お釈迦様は、仏陀なのか?観音菩薩は仏陀なのか?菩薩って何なのか?大日如来ってお釈迦様なのか?そもそも、それすらも知らなかった。お寺にある仏像全てがブッダだと思っていた。

般若心経ってお釈迦様が説いたお経ではないのか?観自在菩薩行深般若波羅蜜多…

鎌倉の寺院仏閣を巡れば巡るほど、宗派が分かれていて、祀られている仏様がそれぞれ違い、でも尊い存在だから有り難いと想うべきか否か、仏教を知ろうとすればするほど、理解しがたいものへとなっていく。

そもそも、お経を唱えながら当然漢文のために経文の意味がわからず、しかしながら、お経を唱えれば「御利益」があるのであろうと思い、意味がわからないままお経を唱えてもいた。

坐禅すればするほど、深遠なものであり、「答え」がないような気がした。

鎌倉は、地場が強く、豊かな文化と何より鎌倉時代に鎌倉仏教が起きた歴史的な場所である。インドから中国へと伝わった大乗仏教の東の果てに鎌倉へと絆がる道がある。

法華経や坐禅や読経もふまえ、仏教でいう行いを真似れば真似るほど、「仏教」自体理解しがたいものであり「もやもやとしたもの」が同時に心に残っていた。

その「もやもやとしたもの」を解消してくれたのが、以下の書物だ。



この4冊の書物は、心の「もやもやとしたもの」を解消してくれる非常に役立った。

これらの書物は21世紀になり仏陀の教えが今後ますます必要になりえるものであることを教えてくれた。そして、今まで仏教の上澄みしか知らなかったことを知った。だからこそ、より原典であり、ブッダが語ったであろうことを知りたくなった。マインドフルネスが正念の意味であり、今ここに集中することを学んだ。法華経はスーパーポジティブシンキングで不安や怖れを取り除く最強のツールであることがわかった。ブッダは、因果関係を縁起として捉えた。因果応報とは、「すべての出来事は、原因によって生じた結果である」であり、徹底した自己責任論を展開した。

最後に2つの文章を引用したい。

怨みは怨みによって消えることはない
ブッダの教えを、現代でも生活の指針として実行している尊敬に値する人は数多くいます。第二次世界大戦を終結したサンフランシスコ対日講和会議(一九五一)で、仏教国セイロン(現在のスリランカ)は、日本に対する損害賠償請求権がありました。ところがセイロンを代表したJ.R.ジャヤワルダナ蔵相は、自発的にそれを放棄しました。その理由として引用したのが『ダンマパダ』の次のことばです。

じつにこの世においては、怨みは怨みによって消えることは、ついにない。怨みは、怨みを捨てることによってこそ消える。これは普遍的な真理である。

これは、現代の世界的な紛争解決の場においても、ブッダの教えが生きていることを証明しています。p.219-220


今枝由郎『ブッダが説いた幸せな生き方』

これからの世界の幸せを考えると、ブッダが述べているように、世界の人々の一人ひとりがあらゆる行為に対して自分自身が責任を持たなければならないことを自覚する必要があります。人々がそうした自覚と責任感を持って行動するようになれば、アショーカ王のような理想的な為政者も現れ、貧富の差もなくなり、人々が長寿を幸せを享受できる社会が到来するのではないでしょうか。ブッダの教えはそうした社会の出現に役立つものと確信します。p233-234

今枝由郎『ブッダが説いた幸せな生き方』

鎌倉からスリランカやブータン、ベトナム、ミャンマー、インドへの道。ブッダの教えから学べることは豊富にある。一つでもそのエッセンスを実生活や社会、世界へと絆がるように、ティク・ナット・ハンのように行動こそ善である。



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