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不登校だった私の言葉の価値。

皆様こんにちわ
yamaiです。

今回は先輩の仕事先である
子ども支援デイサービスなる所へ
見学をしに行ってきた感想や思った事を
綴っていこうと思います。

まず初めに、私は子供が嫌いです。

どこがとか、何がとか、
まだ言語化にまで落とせてはいませんが
いかんせん苦手で、

遠くから見守っている程度が1番楽です。

では何故、今回私が
子ども支援デイサービスなる場所へ赴いたのか。

別に大した理由などなく、
先輩に来いと言われたからなんですけど…

結局免許ないと駄目って言われた。
だろうな。

だけど、伝えたいことは
ひとつ、見出だせたかなと思います。

それは、親のこと。
私は三兄妹の一番末っ子として産まれ
まぁ大切に大切に育てていただきました。

立派になりました。
(体重計乗りながら)

兄弟構成としては
イジメられっ子だった兄
軽度の手帳持ち、2番目の兄
不登校だった過去のある私

あらぁ…なんて問題児共なんでしょうか。
兄はイジメられながらも学校には行ってましたが

いじめられても何もない私は
集団の中に存在することができず、
教室のことを箱庭と認知し

基本的に学校にはほぼ行っていませんでした。

今日行ったデイサービスには
障がいを持っている子だけではなく、
不登校の子(いわゆる健常児)も混ざっているらしく、

今日、見学させて頂いた
子ども支援デイサービスの所長さんの
不登校児についての言葉。

「ご両親も、自分のことを責めるし
子ども自身も、自分のことを責めてしまう。」

そうだなーと思った。
私が学校に行けない私のことを責めていたのと同じくらい親も自分のことを責めていたのではないか

それは子供ながら感じていた。ずっと。

苦しそうな親を見ていた。

私は、子供目線としてそれを伝えたい。

親は沢山、子のことを考える。
きっと、良い大学を出て良い就職先を見つけてほしいと思うし、別にそこまで願わずとも、

子供の幸せを願ってしまう。

でも子供が本当に望んでいることは
そんな事じゃなくて。

ただ笑って、抱きしめて欲しいだけなのだと思う。

別に、いいのだと思う。
お金なんてなくても、片親だったとしても、
学校に居場所がなくても、

好きなものがあって、時間を忘れるほど夢中になって
そして笑って抱きしめる存在が
変わらず家に帰れば居てくれること。

子供が考えられる事なんて
本当にはしたもので、先や未来なんて分かんなくて

ただそこに居て、誰よりも1番笑っててほしいだけ。

子供に豊かになって欲しいと願うなら、
誰よりも親自身が豊かであって欲しい。

子供はそれだけで幸せを感じることが
出来る生き物なんだと

たった、それだけのことを
私は伝えたいと思った。

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