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黒人差別根絶に世界がひとつになって立ち向かっている中SNSで生じている軋轢と、それに対して思うこと

ここ数日間で、一気に黒人差別根絶に対する姿勢が
アメリカをはじめとして全世界で一気に強くなりました。

Instagramは今までにない量の黒人差別に関する画像・動画・ハッシュタグで埋め尽くされています。

どうして黒人差別問題がこんなに話題になっているのか

それは、調べればわかります。

InstagramやTwitterなどのSNSでたくさんの方達が、現状や歴史的背景、どうして #AllLivesMatter (みんなの命が尊い)ではないのか、そして寄付先やハッシュタグの効果などを、
とてもわかりやすい画像や動画にしてまとめてくださっています。


勝手に情報収集しとけー。と見放している訳では決してありません。

私がここで改めて説明する必要がないと思うんです。
まとめられた情報を受け身になって読むのではなく、
自分自身でメディアの種類や情報の発信源を選んでこその、リサーチだと思うんです。

だから、私はお伝えしません。


その代わりに、

この問題に関するSNSでのムーブメントに疑問を感じている人

SNSで何もシェアしない人に対して疑問と怒りを憶えているを感じている人

に届いて欲しいメッセージを書かせてください。

(以下「黒人」という言葉が頻繁に出てきます。)


SNSで発信してくださっている方の「本当の」想い

たくさんの情報がとってもわかりやすくまとめてある投稿や

アメリカでのニュースや実況中継を丁寧に日本語に訳してくださっている投稿


それらを見ると、

「この現状を日本でも伝えていきたい」

「もっと多くの人に知ってもらわないと」

「差別は人ごとではない」

という発信者の強い使命感が伝わってきます。


しかし、それ以上に伝わってくるものがあります。

それは「愛」です。


差別に真っ向から立ち向かっている黒人

恐怖に怯えている黒人

同じ人間として認めてもらうために戦っている黒人


彼ら彼女らに対して、何千マイルも離れた島国から投げかける

「一緒にはいられないけど心は一緒だよ。」

「今まで一緒に戦わずに見ていただけで、ごめんね。」

「あなたたちの声、届いているよ。」

「味方だよ。負けないで。」

という愛に溢れたメッセージが伝わってきます。


遠く離れた国にいるたくさんの仲間たち。

彼ら彼女らの連絡先なんて知りません。名前なんかも知りません。

ですが、彼らに思いを届けることはできます。

それを可能にしてくれるのが、SNSなんです。


あまりにも頻繁な投稿やリポストに対してうんざりすることがあるかもしれません。

でも、少しだけ考えて欲しい。


あなたの友達がどこか遠い、電話すらメッセージすら繋がらないところでいじめられていて助けを求めていたら、どうしますか?

見過ごしますか?
それともどうにかして周りの力を借りて助けようとしますか?

きっと、後者だと思います。

その友達がどんな思いをしているか考えたら、1日に何回でも友達に愛を送りますよね。

そして、出来る限りたくさんの人に何が起きているのかを広めて、協力してもらおうとしますよね。

周りから飽きられようが白い目で見られようが何されようが、そんなの関係ないと思います。


このSNSでに投稿は、そんな気持ちに近いのだと思います。

黒人差別ついて書かれている、まとめられている投稿は

「情報を広めてどうにか周りに知ってもらいたい」という気持ち以上に

「何千マイル離れた国で戦っている人たちに送る目には見えない愛」

で溢れています。

その愛を示す手段として、SNSはとても優れているのではないでしょうか。


SNSが全てじゃない

こうして「愛」と一緒に発信してくれている方々には、本当に感謝しています。

その愛は、絶対に届いているはずです。


SNSというどこの誰かから叩かれるのかわからない、実在しない空間で発信をしてくれる勇気と

同じ人間として仲間である人々に届ける愛の大きさには、本当に胸が打たれます。


このような勇気と愛を持ちながらSNSでシェアをしている方からすると、

一切SNS上でシェアしない人に対して少し疑問を抱くこともあるかもしれません。


「どうして何もシェアしないの?」

「どうして黙っていられるの?」


でもね、SNSで投稿していないからといって、

その人は無関心なのでしょうか?


それは違うと思うんです。


SNSに投稿しなくても


個人的に寄付をしている人

個人的に署名をしている人

映画やYouTubeをみて必死に勉強している人

みなさんが発信してくれている情報をしっかりと読んでいる人

英語を日本語に訳して一生懸命に現状を理解しようとしてる人

家族や友達と話し合っている人

まとめて寄付するためにお金を貯めている人

他のプラットフォームで発信している人


は必ず、絶対に、間違いなくいます。



SNSは、意思表示をするたくさんある手段のうちの1つにすぎません。

SNSではなく他の方法で、意思表示をし黒人差別に一緒に立ち向かっている方達は、たくさんいます。


SNSに投稿することによってただただ流行りに乗っているように見られないように、

仕入れたばかりの生半可な情報を広めないように、

同じ情報でタイムラインやフィードを埋めないように、

考えた上であえて投稿していない人だって、たくさんいます。


しつこくなってしまいますが、SNSはただの手段です。

同じ方向を向いていれば、手段なんて関係ありません。


だから、もし少しでも

「どうして何もシェアしないの?」

「どうして黙っていられるの?」

と思ったら、少し立ち止まって見てください。

少しだけでも視野が広がって楽になるかもしれません。


他人事 VS 自分事

そして、きっとこの現状に対して興味を示さない人に対して遣る瀬無い気持ちが生まれることもあるかと思います。

「他人事じゃないんだよ。私たちにだって関係あるんだよ。」

と訴えても興味を持ってくれる人はほんの一部。


人間である以上何者でもなく、

人間である以上仲間である。

だから一緒に戦わないといけない。

困っている人は助けなければならない。

差別は決して起こってはいけない事。


これらは事実です。


ですが、

隣接する国はなく

日本史と世界史を並行して習うことなどほとんどなく

差別に関する授業は義務教育に組み込まれていなく

立法行政司法機関の決断が遅く

日本人が大半を占めている国で生活している以上、

この現状を自分事として捉えるのは、そう簡単ではないと思います。


「海を何時間も渡らないと辿り着けないような場所で、違う言語を話す人々が、差別という悲しい現実に立ち向かっている」

「これは意識の高い真面目な人しか触れないような問題なのかな」

「私たちは多分関わってはいけないような問題なのかも」


そう捉えても、何もおかしくないと思います。


これは、個人の意識を変えれば解決するような問題ではなくて

国や教育、法律を刷新するレベルの問題です。


国よりも規模の小さい「テレビ」を変えるといっても、

メディアの役目は消費者つまり視聴者が見たいものを届けること。

そのため、彼らが変わらないのにテレビを変えようと訴えるのは、主客転倒なのではないでしょうか。



だから、この状況をあまり把握していない人に対して

怒りや憐れみを抱くのは、何か違うと思います。


優しく色々な方法で教えてあげる気持ちと姿勢が大事なのではないでしょうか。

興味を持ってもらうか否かは、もちろん受け取り方によります。

が、教える側だって必ず工夫できることです。


自分が経験した辛さを、全ての人が経験している訳ではありません。

自分が見ている世界を、全ての人が見ている訳ではありません。

全ての人が、自分と同じような環境で育った訳ではありません。


彼ら彼女らに対しても、愛を育むことが大事なのではないでしょうか。


為す全てのこと、接する全ての人に対して

愛持つのは、決して忘れてはいけないことだと思います。



最後に

SNSの最近の投稿にうんざりすること

SNSで何も投稿しないアカウントに疑問を抱くこと


どれも抱いて当たり前の感情だと思います。

でもそんな時は、一歩下がって相手の立場を考えてみたり、

自分の環境を客観視してみたりすると、

気づくことがあるかもしれません。


今後何が起こるかわかりませんが、

私なりに思っていたことを綴ってみました。


最後に1つだけ。


人間というのはあくまで曲のジャンル。

ジャンルは地球上で1つしかありません。

でも、そのジャンルの中には、たくさんの曲が入っており、

同じカバー写真や歌詞は決して存在しません。


同じ者は決して存在しませんが、

それでもお互いを尊重し合い、認め合い、愛し合うべきなのだと

心から思います。



こんな長い文章を最後まで読んでくださったみなさま

お役に立てたかはわかりませんし、これに対して反論のある方もたくさんいらっしゃると思います。

その際は、コメントでぜひ教えてください。


ありがとうございました♡



Lily


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