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「人生には、代打もリリーフもない。」発達障害グレーゾーンと共に歩んだ20代最後の戯言

20代最後の9月20日、筆者はADHDアスペグレーゾーンの本領を業務で遺憾なく発揮した。まさに、「一歩歩く度に足を複雑骨折する」と形容しても差し支えないレベルにやらかしまくった10年間を締めくくるに相応しい炎上劇であった。

こういう時に筆者がすることというのは、酒を飲みながら2chの野球スレ「なんj」の閲覧なのだが、最近はどうもスレッドをめぐる指が進まない。

かつて私にとって唯一ガキに戻れる現実逃避の手段だったプロ野球はここ数年、現実を突き付けてくるコンテンツに変わりつつある。かつて羨望のまなざしを向けていた当時の巨人軍のスター達は軒並み腹の出た良いオッサンになった今、現在四番バッターを打っている岡本和真は自分より3つ年下で何十倍も稼いでいるではないか。

15年前、清原和博の引退セレモニーで彼に肩車されていたあの3歳児が、先月の夏の甲子園優勝を果たした慶應ナインの歓喜の輪に至るまでのこの期間、私自身は少々の英語とトルコ語と、ほんの僅かな健常者ムーブ(3日で化けの皮が剥がれる)が出来るようになった事を除いて本質的には何も変わらずに、ウダツの上がらないなんj民をやってるという事実を突きつけられ、どこか白けてしまうのだ。

上を見ても前を向いても惨めになる時はとにかく下を見るしかないので、とりあえず今夜は事務所で一人、2chでゴッホのやばいエピソードをまとめたスレを閲覧して過ごした。

彼が短い生涯の間に生み出した作品、そして数々のキチガイエピソードのオンパレードを目の当たりにすると、彼の狂気の生み出すエネルギーに只々圧倒される。画家仲間のゴーガンとの共同生活が破綻すると耳を切り落としただの、日常的にアブサン中毒だっただの、彼のパワー系メンヘラ振りを表すエピソードは枚挙にいとまがないが、それが現れたアクの強い唯一無二の筆致こそが、彼の衰えぬ人気を不動のものにした側面は否定できないだろう。

人間の弱さや欠点というのは、得てしてその人を人間たらしめる魅力となる事が往々にしてある。ドラえもんの声優として大山のぶ代に白羽の矢を立てたテレ朝の担当者の口説き文句は、「このドラえもんというロボットは、中古の出来損ないです。だからこそ、愛されるんです。」だったそうだ。巨人時代の清原和博は、無茶な肉体改造の結果毎年のように下半身の故障に見舞われた。成績こそ全盛期に及ばなかったが、ここ一番でライトスタンドから受ける歓声は、当時の不動の四番•松井秀喜に勝るとも劣らないものだった。打っても打てなくても淡々と打席に立つ、冷静沈着はゴジラ=怪獣の松井よりは、闘争心や感情を露わにする番長=人間の清原が、よりシンパシーを集め、ファンの心を躍らせたともいえる。かくいう私も、少年時代に初めて買ってもらった野球グッズは、清原がデカデカとプリントされたメガホンであった。

ところでお薬の執行猶予が明けた清原氏は何をしているのだろう。ふと気になって検索した画像を見て、思わず息を飲んだ。この鋭い眼光、構え、スタンス、全て、在りし日の「番長」そのものではないか。7年前の、虚ろな目で警視庁に連行される「清原容疑者」の姿は当に見る影もなかった。「50歳過ぎても、もう一度ホームランを打ちたい。」男が栄光を取り戻そうとリハビリや治療に励む姿は、胸に迫るものがある。

一方、清原と共に野球界を長年席巻した桑田真澄は、清原が逮捕された際にこう言い放った。「彼は、本当に野球が好きで…でも引退した後はする野球から支える野球にシフトしないといけないと思うんですよね。でも彼は四番バッターだった時の自分を忘れられなかったんだと思う。」

引退後はかつての大エースとしてのプライドを一旦脇に置き、十年かけて指導論を学び、巨人軍のコーチとして現場に返り咲いた桑田と、今もスラッガーとしての自分を追い求めることを生きがいにする清原。因縁のドラフト以来、二人の生き様はどこまでも対照的だ。

しかし、高校時代から散々セットで語られ、煽られ続けた二人について、その生き様までも比べてこれ以上論じるのは野暮というものだろう。時代を彩った二人の大スターの未来に幸あらんことを祈りたい。

清原の逮捕時、桑田はこんな言葉も残している。「人生には代打もリリーフもない。力になれたらとは思うけど、まず彼自身が頑張るという事が大前提。」彼の言を借りると、「人生には敗戦処理も助っ人もいない」のである。例え勝利投手の権利や自力優勝が消滅したように見えても、淡々と球を放り続けるしかない。

人生の節目節目に炎上劇を繰り広げている筆者としては、最早ここまで来たらダン•ミセリ(注1)あたりにリリーフを頼んでとことん滅茶苦茶にしてもらって、自分は戦いを放棄してベンチで他人事のようにせせら笑っていたいという気になる瞬間も正直あるが、それも当然叶うわけがない。

大観衆の前で人生をかけて一世一代の勝負をする選手にも、それを安全な部屋から眺めて自分は汗をかくことなくあれこれ批評する醜悪ななんj民にも、本当の意味でのリリーフなどいないのだから。

(注1:ダン•ミセリは、2005年に巨人に在籍したストッパー。開幕戦から炎上を繰り返した事に加え、「こんなリトルリーグみたいな小さな球場でやってるからだ。」と言い放つなど目に余る素行不良により見限られ、1か月で解雇。解雇後は堂々と家族を連れて浅草観光を行い、「東京観光のオプショナルツアーに東京ドームのマウンド体験があっただけ」「ダン•ミセリではなく仲見世リ」等と嘲笑された事は、今でも語り草である。

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