見出し画像

それはもう業が深い異世界少年旅行 第一部



第一話「かみさまが選んでしまったのは、ショタビッチでした」

 「んっ、男の子って、やっぱり素敵だ」
 キスを終え、情欲に満たされた顔が離れてゆく。
 無限に続くかと思われる砂漠の、その上空で微笑む月を、かろうじて目に入れながら。

 ぼくは今、少年神子に、犯されかけています。

 ◆◆

 神の座、瓢風の領域。
 地平線が見えるほど広大なパステルイエローの空間に、神のおわす居室があった。
 室内には同じ色をしたベッドと机、二つの椅子。カーペットにはチリ一つなく、部屋の主の几帳面さを物語る。どこにでも繋がるはずの、ドアは、その機能の大半を失っている。
 部屋から少し離れたところで、ブロンドの髪を持つ、黄金色のポンチョを着た美しい少年が、床に魔法陣を書きながらぼやいていた。
 「はーあ。全く面倒なことになったよね。各地域及び神殿との連絡途絶、他の神々もほぼ不通」
 彼こそが、風の陽面を司る神にして、吹き渡る見聞と情報の象徴、瓢風神アヴィルティファレトである。
 「このレベルの障害はいつ以来だったかな。とにかく、ぼくはぼくの仕事をやんなきゃね」
 魔法陣を完成させ、すぐさま魔力を注ぐ。
 事態は刻一刻と進行している。急いで事に当たる必要があった。
 「異世界へのリンク、取得。コネクション、確立」
 大気が渦を巻き、魔法陣に吹き込む。
 彼はポンチョをはためかせながら、風の声を聞き、異世界を見通す。
 「条件に合うヒト、居るかな?」
 視点を動かすたび、彼の脳内に召喚候補の異世界人データベースが構築されていく。
 「この人は一般人だ、厳しいな。こっちは……なんだコレ? 強さは申し分ないけど情報量が狂ってる。ナシだ」
 異世界人を選ぶ方も大変であった。程々に強く、世界を壊さない程度の格である必要があるのだ。
 「げっ」
 ふと、気配を感じて手が止まる。
 「こんにちはー! 珍しいお客さんだね?」
 脳内に鳴り響く声。どうやら現地の神に捕捉されてしまったようだ。
 どうやら、アヴィルティファレトと同じような少年の姿であるように思える。
 「こ、こんにちは」
 とりあえず、挨拶を返す。
 「どもども! 見た感じ、そっちの世界になにか問題があって、こっちから召喚しようって感じだね?」
 「うぐっ」
 バレている。すぐさまリンクを切り、別のポイントから出直すべきかとも思ったが。
 「おっと、転移型の召喚は勘弁願いたいけど、コピーなら別に良いよ? それだったら有望な子たちのカタログも送ってあげるからさ」
 虫がよすぎる話だと、訝しむ。
 「そっちにメリットが無さすぎませんか、それ」
 腹を探る。
 声の主はカラカラと笑い、続ける。
 「どっちかというと、被害を出さずに穏便に済ませる方が大きいかなー? だって君、急いでいる上にとっても強い、でしょ?」
 しかも切羽づまっている。確かに、『今のアヴィルティファレトと正面からやりあうと、それはそれで互いの世界が壊れかねない』状態と言えた。
 「わかった。きみのプランでお願い。落ち着いたらお礼させてよ」
 外交用の笑顔を作り、脳内で握手する。
 「ん! じゃあ、カタログを出力する間、大体一分くらい待ってて。そっちに直接データ送るから」
 契約、成立。
 リンクを保持したまま、意識を現世へと戻す。
 彼は深い溜め息をつき、戸棚を「ぽん」と生成する。
 「何が『とっても強い』だよ。あっちも大概じゃないか」
 戸棚をがさがさと漁り、小箱を探し当てる。信者から捧げられた、ソルモーン社製クッキーだ。封を開け、頬張る。
 「あまい」
 こういう時は甘いものに限る。
 ソルモーン社とは、大陸東方のソルモンテーユ皇国にある小麦粉業者のことだ。最近製菓事業を始めたようで、参入から日が浅いにも関わらず、クッキーは捧げ物としてかなりの高品質であった。
 当然、そのソルモンテーユ皇国とも連絡が取れていない。
 「そろそろかな」
 バニラ、チョコレート、紅茶フレーバーの三枚を味わった後、魔法陣から「しゅぽん」という音とともに冊子が現れる。
 駆け寄り、タイトルを読んでみる。
 
 「厳選おすすめ勇者カタログ」
 持ち上げてみる。表紙はすべすべとしており、勇者輸出業でもやっているのかと思うくらいに本格的な出来である。
 リストを開き、目を通す。
 「浄炎の君。攻撃適性特化。性格は野望持ち。放っておくと群れて勢力を築くので扱いに注意」
 一ページ目からアクが強い。なんだよ、放っておくと群れるって。自然湧きするアンデッドじゃあるまいし。
 「魔法使いの弟子。回復に強い適性。性格は弱気だが、真面目。人たらしなので喧嘩の仲裁に最適」
 ソロでの任務には向かない、か。
 「バンドマンの竜人。攻守両面において英雄領域。性格は楽天的。酒が弱いのに酒好き」
 ペラペラとめくり、無難そうなものを探っていく。
 「ん、これは」
 中程のページで、めくる手が止まる。
 「兎耳の名を持つ少年。現時点での能力は万能型。成長性が高いので、最終的な予想戦力と比して世界に組み込むコストが小さい。性格は好色」
 これは、アリかもしれない。
 今回の召喚――と言うよりは転写なのだが――にあたって、召喚者が解決すべき障害が一つではない可能性がある。
 となると、こちらの世界で何度か成長のチャンスがある。加え、初期の召喚コストが安いと、己の手で適切なバフを与えることも可能だ。
 「こいつにするか」
 決断し、カタログを閉じる。

 「よし、決まったなら、すぐやろう」
 再度魔法陣に魔力を注ぐ。
 今度は、風向を逆向きに。こちら側に吹き出るように。
 神の座を照らす光が明滅し、雷めいて断続的にアヴィルティファレトの顔を照らす。
 その表情は、滾る魔力と裏腹に、痛々しい。

 「遠き彼方におわす英雄よ、英雄の住まう世界を統べる神々よ」

 激しい風が、ばさばさとポンチョをはためかせる。

 「白日の地の神々の名をもって、お訪ね申す」

 光は帯をなし、魔法陣に吸い込まれていく。

 「御身のお姿を拝借いたします」

 世界に満ちていた光を全て吸い込んだ魔法陣は、目もくらむような輝きを放ち、一人の少年の姿を描いていく。
 
 頬まで伸ばした髪と、好奇心に満ちた目の虹彩は透き通る水色。
 白磁の肌に、マットブラックのチアリーダーコスチューム。
 左手首にはリストバンドが巻かれている。
 美しい脚は素肌を晒しており、見るもの全てをうっとりとさせる。
 
 そして、男であった。

 それが、『兎耳の名を持つ少年』である。

 ◆◆

 少年の肉体が構成されるやいなや、彼は周りを見渡す。
 突然のことだ、誰だってそうするだろう。
 「やあ、ルノフェン。突然だけど、ぼくの話を聞いてくれないかな?」
 彼が名前を思い出す前に、アヴィルティファレトが彼を「定義」する。
 本来の名前をリスペクトした、別の名だ。こうしなければ、世界に齟齬が出る。
 「ルノフェン? ボクの名前は……」
 少しの当惑。
 「まあいいか、そうだった気もするし。ルノでいいよ。君は誰?」
 駆け寄り、手を握られる。
 なんだか距離が近い。
 室内に足を踏み入れながら、説明を行う。手は握られたままだ。
 「ぼくはアヴィルティファレト。この世界の神の一柱。それで、君は異世界から召喚された。早速なんだけど、頼みがある」
 ルノフェンを椅子に座らせ、その傍らで、懇願する。
 
 「この世界は、危機に瀕している。君の手で、問題を取り除き、救ってはくれないか。助力は惜しまない。終わったら、できる限りでお願い事を一つ、聞いてあげるから」
 目を合わせ、真摯に。

 「良いよ」

 コンマ二秒での決断であった。
 
 「良かっ……」
 アヴィルティファレトは当座の関門を乗り越え、胸を撫で下ろそうとした。

 その瞬間であった。
 
 「むぐっ!?」
 唇を、唇で塞がれる。
 握られていた手は、いつの間にかこちらの顔を抱き寄せている。
 唐突な行動に、理解が追いつかない。
 そのままルノフェンはアヴィルティファレトを優しく床に押し倒し、たっぷりキスを堪能した後、告げる。
 「ボク、丁度失恋したばっかりでさ」
 愛情への飢えを隠さずに、耳を舐め、囁く。
 「誰かのぬくもりが欲しいんだ」
 唾液の橋を作りながら上体を起こし、シャツ越しに細い体を撫で上げる。
 「んっ。待って、ぼくはおと」
 「知ってるよ?」
 (なんだ、こいつ)
 からかわれているにしては、動きが本気すぎる。
 信仰を集める者として、本能で分かる。
 この子は、人を虜にするのに慣れている。
 「じゃあなんで」
 「ボクが好きだったのも、男の子」
 唖然とする。確かに、珍しい話ではないのだが。
 「その子、つい先日結婚して手が届かなくなっちゃった」
 慣れた手付きで、ポンチョのボタンを外す。

 (まさか、まさかこいつ)

 ルノフェンは妖艶に、悲しげに微笑んで、舌なめずり。

 (――こいつ、この場でぼくを犯す気だ!)

 理解した。アヴィルティファレトは脳を急速に回転させ、この窮地を乗り越えるための方策を巡らせる。
 (時間はない、考えろ、思い付け……!)
 ポンチョを脱がされながらも、確実な方法が一つ思い当たる。
 (これだ)
 両腕を伸ばし、「待て」のポーズ。
 「はあ。分かったよ。じゃあ、ぼくがリードする」
 深呼吸し、主導権を握る。
 「もう一度、キスしよ」
 作り笑いを浮かべ、潤んだ瞳で、訴える。
 「嬉しいなあ」
 ケダモノは上体を再度かがめ、アヴィルティファレトだけを視界に入れるがごとく、キスの準備をする。

 唇が、迫る。

 ぎりぎり触れようかというところで、振り上げた右手に水晶玉を召喚し。

 「お前さ、無理やりはダメだろ!」
 
 油断している側頭部に、クリーンヒットを叩き込んだ。
 
 「きゅう」

 ルノフェンは意識を失い、倒れ込んだ。

 気絶する彼の体の下からどうにか這い出し、呼吸を整える。

 「なんなんだ、なんなんだよコイツ」

 数十秒経っても、アヴィルティファレトの心臓は高鳴ったままだった。

 【それはもう業が深い異世界ショタジャーニー】

初め世界は茫洋とした何かに包まれていた
その中では何ものも形を持たず
ただただそこに在るのみだった

あるとき世界に“陽光”が灯った
その傍らに"陰"が落ちた

陽と陰によって
世界の輪郭がはっきりすると
茫洋としていた世界に差異が生まれた

熱い“火”

冷たい“水”

軽い“風”

重たい“土”
土に光が当たるとその上に“生命”が生まれ
土の中の暗い陰に“鉱石”が生じた
この二つはあまりに遠いため
はっきりと分かたれた

そうしてこの世界は"陽"と"陰"
“火” “水” “風” “生命” “鉱石”
七つの要素で形作られた

第一話「かみさまが選んでしまったのは、ショタビッチでした」

 ◆◆

 「クソ、あっちの神にハメられたか」

 恨み言とともに、カタログを睨む。
 
 ポンチョを再度身にまとい、別の世界にもう一度潜り込むコストを考えたところで、居室のドアが開く。

 「うわあ。なーに? この惨状」
 現れたのは花冠を戴く若い女。室内を見渡し、状況を把握する。
 彼女もまた神の一柱。生命神テヴァネツァクである。
 「召喚した神子がヤバいヤツだった。初対面の神を犯そうとするとか、恐れ知らずだぞ」
 息を整え、口元を拭う。
 「あらあら」
 テヴァネツァクは《キュア・コンプリート》をルノフェンに掛ける。魔力が十分にありさえすれば相手の生命力に対応した強度で傷を癒やす、便利な魔法だ。
 その代わり若干ではあるが、回復効率が悪い。
 「まあ、見てたんだけどね。ルノフェンくんはよっぽど好きだったんだろうね、その子のことが」
 「ハムホドみたいなことを言うね」
 アヴィルティファレトはクッキーを一枚掴み、また頬張る。抹茶。次の言葉を促した。
 「これでも生命神だし。こういう時は仲間を引き連れて傷心旅行ってのも、私は悪くないと思うな」
 彼女はそのまま床に落ちているカタログを拾い上げ、ペラペラとめくる。
 「そう。要するに、追加で召喚する気? ぼくの方はもうそんなに余力がないけど」
 もう一枚。今度はジンジャーだ。
 「私が喚ぶよ。こっちの領域は南側が復活したから、火の神々たるエシュゲブラとハムホドとは連絡が取れた。魔力も余裕がある」
 んーと。彼女はバサバサと流し読みして、迷わずに決める。
 「この子は私の魔力と相性が良いかな。魔法陣、借りるね」
 目で是認する。
 他の神が独自に動いて神子を召喚するならば、特に止める理由もない。
 テヴァネツァクが魔法陣に魔力を注ぐと、陣の内側は緑の双葉で満たされる。
 双葉は瞬く間に四葉に変わり、茎を伸ばし、複雑に伸びて互いに絡まり合う。
 「ンンッ……」
 植物の成長とともに、彼女は腕を上に伸ばし、舞い。
 踊りに呼応するかのように絡まりあった緑の網は、繭のような楕円の形に捻じ曲げられ、人が一人分入れるスペースをこしらえた。
 
 「ふう、出来たっと」
 仕事を終え、パンパンと手をたたく。
 植物は急速に枯れ、中から横たわった可愛い男の子が姿を見せる。
 ルノフェンよりもやや少し背が高く、色白。栗色の髪はなめらか。
 その表情は柔らかで、多くの愛情を受けて育ったことが伺われる。
 衣装は巫女服で、丈は膝のあたりでカットされ、細い脚が見えていた。

 テヴァネツァクは少年を揺すり、目を覚まさせる。
 「こんにちは、オド。」
 力ある言葉は、世界に神子の名を刻む。
 
 「こ、こんにちは」
 身を起こしたオドは続く言葉を探そうとし、詰まる。
 きょろきょろとあたりを見渡す代わりに、目の前の女性に問おうというのだ。
 何も言わず、笑顔で促すテヴァネツァク。
 彼女を待たせることを躊躇い、オドは幾つかの簡単な質問を投げかけた。
 「あの、ここはどちらでしょう? それと、貴女の名前を伺っても?」
 女神は腰を下ろし、目線を合わせ、説明する。
 「ここはシュレヘナグル大陸の、神の座。本来ヒトの子は入ってこられないけど、貴方は危機に瀕した世界を救うため、特別に異世界から召喚された。そこで気絶してるルノフェンも同じね」
 答えながら手を引き、「クッキー食べる?」とテーブルに誘う。木製の椅子を新たに召喚し、自分が座る。
 そのままティーポットとカップを召喚し、人数分のハーブティーを注ぐ。
 「お茶もあるよ」
 オドは警戒し、一瞬体がこわばるものの。
 「ええと、お言葉に甘えさせていただきます」
 最終的に相手を信頼できると判断したのか、大人しく席についた。
 クッキーはまだ半分ほど残っている。
 「私の名前はテヴァネツァク。そこの不機嫌そうなのがアヴィルティファレトで、どっちも神。公式には後八柱居る」
 「不機嫌ってなんだよ」
 アヴィルティファレトはクッキーを一度に二枚つかみ取り、重ねて齧った。
 オドは控えめに一枚取り、口に運ぶ。
 「あ、美味しいです!」
 目を輝かせる。率直な感想のようだ。
 「もぐ……。とーぜんだよ。ぼくの信者からの捧げ物だからね」
 「へえ、すごいですね! 信仰しておられる方も、誇りに思うに違いありません!」
 真っ直ぐな目に、たじろぐ。
 「へへ、そうかな、そうかも。自慢の信者だもん。そうだよね」
 大事なものを褒められ、少しくすぐったく思いながら、アヴィルティファレトは恥じらった。

 「それで、この世界にはどのような問題が起こっているのですか?」
 会話の流れの中で、ナチュラルに本題に踏み込む。
 そこで転がってるやつとは違う。オドは割と話が通じるようだ。
 「ぼくが説明する。端的に言うと、この大陸は幾つかの領域に分かれていたんだけど、そのほとんどが、互いに連絡を取れなくなったって問題だ。元凶がどこにあるかは、まだ掴めていない。君たちはまず、ぼくの管轄である南部にある黄砂連合から北西に向けて進み、主神オルケテル様の領域である、聖都デフィデリヴェッタの機能を確認してもらいたい」
 図を書き、言葉で補足する。
 テヴァネツァクによると、大陸東側は別働隊が既に解決に向けて動いており、西側の手が足りないため呼ばれた、ということらしい。
 「もちろん、報酬もある。問題が全て解決したら、可能な限りで願い事を一つ聞いてあげる決まりになってる」
 「なるほど」
 事情は、だいたい伝わったようだ。
 「結構大変な旅になると思う。何度か戦いに巻き込まれるかもしれない。けれど、君のスペックなら十分達成可能だと、ぼくたちは思ってる」
 戦いかあ、できるかなぁ。オドはそう漏らした。
 「それと、今の段階で、願い事を聞いておこうかな」
 予め聞いておくことには、理由がある。
 物によっては物理的に不可能だったり、諸々の準備が必要だったりするのだ。
 「願いですか、それなら、そうですね」
 うーん、と頭を抱え、少し悩み、答えを出す。
 「だったら、この世界での経験を、元の世界に持ち帰れたらなって思います」
 そうかあ。アヴィルティファレトは呻く。
 特に断る理由はない。むしろ、前向きで好感が持てる内容だ。
 ただ、ルノフェンを召喚リストに突っ込んできた神との折衝が必要になるだろう。
 要は、気まずいのだ。
 「一応、理由を聞いていいかな? 仕込む時に、いい感じの動機があると嬉しいから」
 「あっ、そうですよね」
 軽くハーブティーに口をつけ、オドは語る。
 「その、あっちの世界で好きな人が居るんですけど、わたし、その人の後ろで守られてばっかりで」
 「へえ」
 テヴァネツァクが耳ざとく反応する。
 「だから、わたしも強くなりたいなって。強くなって、前に立てるまでは行かなくとも、せめて横で並んで戦えるくらいにはなりたいんです」
 「良いね」
 数多のつがいを見てきた生命神は、表情をほころばせる。
 「うまくいくと思うよ、お姉さんは」
 褒められた彼は「えへへ」とはにかんだ。
 
 「ま、オドくんは大丈夫かな。問題はそこのルノフェンだ」
 アヴィルティファレトは椅子から降り、彼の背中をつま先で蹴る。
 「いったぁ!」
 既に目覚めていたようだ。
 「なんかボクの扱い雑じゃない!?」
 彼はふてぶてしく起き上がり、そのまま伸びをする。
 「自分自身に聞いてみて欲しいな。願いを聞くときにボソっと言いやがって。そっちの心の声は全部ぼくに聞こえてるんだぞ」
 「ちぇー」
 立ち上がったルノフェンは、クッキーを一枚かすめ取って、口の中に放り込んだ。
 「実のところ、『ぼくとえっちしたい』って願いは、前例がたくさんあるから断れないんだけどさ。何してくれてんだよホント」
 話を横で聞いているオドが、困惑している。
 声変わりが始まったばかりの子供に、この話は強烈かもしれない。
 「あー、あー」
 流れを変えようという意図で、「ポン」という音とともに、もう一つティーカップが現れる。
 「せっかくだしルノも飲んでいかない? 世界に放り出す前に、ちょっとした性能試験があるからね。コンディションは良いほうが良いよ」
 ハーブティーを注ぐテヴァネツァクのテンションは、それなりに高い。
 「ん。じゃあ頂こうかな」
 カジュアルにカップを受け取り、喉を鳴らして飲む。
 カモミール、ペパーミントとローズマリー。そこまでは分かった。
 残りを複雑に絡み合った芳醇な香りと味から判別するのは、素養がなければ不可能だろう。
 「おしゃれな味だ」
 「ミトラ=ゲ=テーア特産ハーブティー。各国の境界線を埋めるように私の領域が存在しているから、何度か通るかもね?」
 「へー」
 彼はティーカップの中の黄緑色の水面を覗き、また飲む。
 飲み干したカップは、そのまま煙となり消えた。
 「ごちそうさま」
 ルノフェンは、簡易に礼を言う。
 オドも合わせて、「ご、ごちそうさまでした」と合掌。
 「お粗末様でしたー」
 にこやかな言葉とともに、即席のお茶会は終わった。

 ◆◆

 「さて、じゃあ性能試験と行こっか」
 アヴィルティファレトが指を鳴らすと、五メートル先の地面から、棍棒を持った二体のオーガのような影が染み出した。
 「簡単に戦闘スタイルを見て、出力が問題ないか確認するんだ」

 「ふええ」
 オドはポカンと口を開け、オーガの影を見上げている。
 「この世界は、光、闇、火、水、風、生命、鉱石の七属性で成り立ってる。最後の二つは土の陽と陰の面が分かれたものだ」
 アヴィルティファレトはオドの肩に手を置き、告げる。
 「まあ、そうだね。ルノくん、オドに手本を見せてやってほしいな」
 「はぁい」
 猫が媚びるような声で、承諾。
 声の口調とは裏腹に、ルノフェンは拳に荒々しい魔力を集める。
 彼が魔力を練り終え、「うん!」と気合を入れると、両腕には瘴気で出来たガントレットが装着されていた。

 「あれは、風の陰属性だね。質量のある気体を操作できる。応用の範囲になるけど、雷もそうだね。ルノフェンはその中でも瘴気を選んだか」
 感心するアヴィルティファレト。
 「がんばれー!」と応援するオド。
 
 「せー……」
 ルノフェンは身をかがめ。

 「の!」
 爆発的な瞬発力で、突進。
 
 「GRRRRRR!」
 影はすくい上げるように棍棒を振り上げ、ルノフェンに渾身の一撃を叩き込もうとするが。
 「はっ!」
 ルノフェンは左ガントレットの瘴気を、影の棍棒を持つ腕に絡みつかせ、拘束。
 
 「ARGHHHHH!」
 影はなおも残った方の手で掴みかかる。

 しかし、相対する彼は怯えない。
 それどころか、握撃を加えようとする掌に自ら飛び込んだではないか!

 (素手なら毒が直に刺さる。だよね?)
 彼は心の中で呟き、拳が閉じる前に瘴気の出力を高め、殴りつけた右の拳を媒介に、影のオーガへ注ぎ込む。

 たった一瞬の出来事であった。

 「GYARRRRRR!?」
 おお、なんということだろう。影の拳は腐り果て、肩の根本から崩れ落ちていったではないか!

 そして彼はもがく影の頭に取り付き。
 「ふぃにっしゅひーむ」
 致命的な毒を、脳内に直接流し込んだ。

 瞬く間に、影は倒れ伏した。
 ルノフェンの勝ちだ。

 「うんうん、影のオーガでそのくらいなら、多分イケるかな」
 アヴィルティファレトは満足そうだ。
 並の魔法の使い手では、ああは行くまい。身長三メートルもあるオーガを物ともしない身体能力と、相手の本領を万全には発揮させない即応力。そして、十分な魔力と、魔法の応用力。
 神としての心境は複雑ではあるが。
 「戦闘力は申し分ないよ。クエストの方もよろしく」
 最終的には、握手とともに、契約はなされることとなった。

 一方の、オド。
 「とまあ、今のが理想的な戦い方の一つかな。君の得意分野は生命だけど、どんな属性でも応用は利く。考える時間はあげるから、あの影を倒すにあたって色々試してみなよ」
 「は、はい!」
 緊張しながらも、彼も戦闘を開始した。

 初手。
 オドは地面に手を当てる。
 手が触れた途端、様々な花々が自由気ままに生まれ、オドに寄り添うように蔦を絡めていく。

 「うーん」
 今一つピンと来ないのか、手を離し、生成を止める。
 魔力の質を変え、もう一度。
 次に生えてきたのは樹木。
 天を貫くようなスギ、樫、そして、バンブー。
 バンブーを手に取ろうとし、根元の部分だけを腐らせたところで。
 「わっとっと」
 あまりに重すぎることに気づく。

 バンブーはそのまま傾き、派手な音を立てながら倒れていった。

 「これはコントロールが難しいな」
 気を取り直し、三度。
 次に生み出したのは、肉の塊。
 「うえっ、本当にできちゃった」
 生み出した本人が一番戸惑っている。

 しかし。

 「うーん、でも、もしかしたら」
 なにかを思いついたらしい。
 「とりあえず、やってみるか」
 再度地面に手を当て、今度は狙って海鳥を呼び出す。
 バンブーの一部を枯らすことで器用に節を一つ取り出し、その中に魔法を込めた肉塊を詰め込む。
 「ねえ、海鳥さん。ちょっと、このお肉をあの影のところに持っていってくれない?」
 海鳥を腕に止まらせ、額をカリカリと掻いてお願いする。
 「ぐわ」
 承知した、とのことである。

 さて。
 海鳥は、無事に目的を果たした。
 影のオーガの目の前に、ポトリ、と美味しそうな生肉が落ちる。

 突然降ってきた食料に困惑する影のオーガ。
 匂いをかぎ、その異常な新鮮さに気づくと、無造作に口に運ぶ。

 「GULP」
 よく噛みもせず、飲み込んでしまった。

 この瞬間、オドの勝利が決まった。

 実のところ、この肉に掛けられていたのは、遅延化された、彼が脳内のリストの中から一番強力そうだと感じた回復魔法であった。その名は《キュア・シュプリーム》。現時点のオドが知ることではないが、基本的に瀕死の巨人族に対して使う魔法であり、間違っても小型のものに使うべきではない魔法だ。
 もっとも、当のオドとしては、単なる実験のつもりだったのだが。

 「ARGYARRRRRRR!?」
 影のオーガに飲み込まれた謎の肉は、回復魔法の発動とともに胃の中で膨れ上がり、更には爆発。
 散弾と化した細胞の塊は、そのまま筋肉を貫き、骨に穴を開け、皮膚から射出され。
 犠牲者となった影のオーガは、惨たらしく爆発四散し、その役目を終えることとなった。

 「は?」
 その惨状を見て、頭を抱えたのが生命神テヴァネツァクである。
 「ねえ、アヴィ。この子、魔力量どうなってるの?」
 生命をいとも軽々と創造し、オーバーヒールにいたっては鼻血程度では済まず、物理的な破壊すら伴う。
 何より、それだけのことをやっておいて、まだ余力が残っているどころか、ほとんど消耗していないようにすら思える。
 これは、生命の神から見て、ヒトとしてはまさしく異常なスペックと言えた。
 「はっきり言って、予想外だ。これだけのものを喚んでおいて、君の方は何ともないの?」
 心配を投げかける。
 「むしろコストは安かった。魔力の相性が良すぎたのかなあ」
 死骸、というよりはぐずぐずになった何かの塊を確認した後、声を張りこちらに駆け寄ってくるオドを見ながら、神々は呆然とするのであった。

 ◆◆

 一呼吸。
 もう一杯ハーブティーを飲んでから、早速出発することが決まった。

 「まあ、とりあえずふたりとも合格ということで。特になにもないなら、このまま黄砂連合に送る」
 説明しながら、アヴィルティファレトは魔法陣を二人用に拡大し終えた。
 「準備できてまーす」
 「わたしも行けます!」
 二人は張り切っている。
 「じゃあ送るね。サポートはする。最初は神殿に向かうといい。それじゃあ――」
 《テレポーテーション》。言葉とともに、世界がゆがむ。
 シュレヘナグルにリンク。座標特定。転送。

 二人の姿は薄くなり、神の座から離れゆく。

 「やっべ、ズレてた!」
 転送中、妙な声が聞こえた気もする。
 気のせいだと信じたかったが、どうも、彼らが最初に降り立った地は。

 「ねえ、オド。これさ」
 「ルノ、わたしも同じ感想かな」

 少年たちが見渡す限り、三百六十度の、砂、砂、砂。そして、砂。

 そう、要するに。

 「「砂漠のど真ん中だー!?」」

第二話「丈夫そうだから間違って砂漠に放り出しちゃった」

 (あらすじ:異世界、シュレヘナグル大陸に転移したルノフェンとオド。でも、どうやら座標ミスで砂漠のど真ん中に転送されてしまい……?)

 目の前には、砂、砂、そして、砂。
 強いて言うなら、おまけに少しのサボテンと、サソリ。
 常人ならばあまねく熱中症になるであろう日差しのもと、二人の少年の旅路は、早速行き詰まっていた。

 「どうしよう?」
 旅立ちの第一歩から襲いかかってきた予想外に、オドは困惑の声を上げる。
 「どうしよっか。あんまり日焼けしたくないんだけどな」
 ルノフェンも同様だ。
 それでも、ただぼーっとするわけにも行かない。状況をどうにか進展させる必要があった。
 「うーん、ひとまず水と食料、あと日除けを確保しなきゃですよねえ」
 オドはそう言いながら、手で影を作る。
 立ち直りは早い。これでも、元の世界で最低限の生存術は培っている。
 ルノフェンは二、三歩歩き、正面からオドに向き直る。
 「そうだねえ。ボクは、丘の上から街が見えないか探りたい。オド、水と食料は作れそう?」
 問われたオドは、先程の戦いを思い出す。肉の爆弾で影のオーガを惨たらしく破壊した、あの戦いだ。
 「多分、できると思います」
 「良い子だ。しかも可愛い。じゃあ、拠点作成はお願いね」
 はーい、という声を聞く間もなく、ルノフェンは発つ。
 (ま、あの子のことだから、目印になりそうなものを作ってくれるでしょ)
 そのまま歩き続ける。なんにせよ、旅は始まった。
 背後で魔法によって植物を創るオドの姿が小さくなったころ、彼は己を呼び出した神との交信を行う。
 (で、どうしてこんなことになったの)
 問う。
 彼は、去り際のアヴィルティファレトの言葉をしっかりと覚えていた。
 神の答えはこうだ。
 「ごめん、本当にごめん。完全にぼくのミス。魔力が危うかったから普通の《テレポーテーション》を使ったのがまずかった。属性的に適性が良くないのもあるけど、転送距離に応じて消費がキツくなるし、確実化しないとたまにズレるんだ、この魔法」
 (ふーん)
 平謝りする雰囲気は、伝わってくる。
 「今から少し休んで、魔力が回復したら道案内するから。ぼくは見聞の神だし、そっちは得意分野だよ。許して? ね?」
 (ふーん、ふーん)
 心のなかで、弄ぶ。
 面倒な交際相手のように、手玉に取ってみる。
 「あー、もう。君の親の顔が見たいよ、ホント。とにかく、暫くこっちは休まないとキツい。回復したら、こっちからコンタクト取るから」
 (はぁい)
 分かっているのか分かっていないのか、曖昧な返事をする。
 「あ、それとオドくんのことだけど。あの子の魔力、この世界では異常に強い部類に入るから、目を離しちゃダメだよ。特に女の子の近くではね! それじゃ、またね!」
 通信、途絶。
 ほどなくして、丘の上に、到着。
 正面には、豆粒のように小さくではあるが、都市の影が見える。あれが目的地だろうか。
 背後のオドはどうだろう。
 振り返ると、遠くで見事なオアシスが「生えて」いるのが見えた。
 ただし。
 その中心で、複数の亜人がオドを囲んで舞っているようにも見える。
 見たところ、上半身は人間で、下半身は蛇、といったところであろうか。
 要は元の世界における伝承で言うところの、ラミアである。
 「マ?」
 つまり、オドは今、厄介そうな女の子に囲まれている。
 警告が、遅すぎる。
 彼は頭を抱え、もと来た道を戻り始めた。
 
 さて、少し時を戻そう。

 ルノフェンが発ち、少し経った頃である。
 オドは、与えられた自由課題をどうこなすか、考えていた。
 「とりあえず、ヤシでも生やすかなあ」
 地面に手を当て、魔力を流す。
 瞬く間に、「うにょーん」と巨大なヤシの木が生えてきた。
 全長二十メートルである。
 完成したものを見上げ、「わあ」と声を出す。
 「大きすぎたかな。でも目印にはなるか」
 てしっ。軽いケリを入れるが。
 返ってきた感触は、頑丈そのもの。揺れる気配は、ない。
 「実は落とせそうにないや。次は食べ物と飲み物かなあ」
 ヤシの木から数歩距離を取る。あのデカさの実が不意に頭に落ちてきたら、たやすく死ねる。
 気を取り直し、二回目。創りたいものを想像し、魔力で形を作る。
 ゾババババッという、生物の大半が耳にしたことがないような音を立てて形成されたのは、様々な果物が生る果樹園であった。
 リンゴ、バナナ、パイナップル、桃。小売店で売っている果物をまとめて想像した結果である。
 どれもこれも非常に大きく、葉の方は即席の日傘になりそうである。
 実の方はどうだろう。試しに近くにあったぶどうを、背伸びをしてどうにかもぎ、大きな粒を一つ口に入れる。
 「うん」
 記憶と同じように、みずみずしく、とても甘い。
 冷えていればなおのこと良かったが、冷やす魔法は生命属性にはなく、水属性・陰の管轄であった。
 「飲み物はどうしよう……か……」
 ヤシの木の方を振り返り、気づく。
 
 池が、出来ている。

 「えっ?」
 オドは目を白黒させ、状況を飲み込もうとする。
 唐突に発生した池の周りには、にょきにょきと草が生い茂っている。
 その草は小さな花を咲かせ、「ラーラーララーラーラーラー」と呑気に歌い始めた。
 「わあ」
 最終的に、オドは理解を諦め、砂ではなく土と化した地面に身をあずけるよう、ぽさっと仰向けに寝転んだ。

 実のところ、彼の流し込んだ生命属性の魔力が環境を滅茶苦茶に破壊し、世界に「あれ? ここはオアシスでしたっけ? 環境値それっぽいしオアシスにしますね」と誤認させてしまった、という顛末ではあるのだが。
 「異世界こわい」
 それに気づくことは、なさそうだった。

 仕事を終え、寝転んだままぼんやりとしていると。
 にゅるり。 
 体の上を、何か奇妙なものが這う感覚を覚えた。
 「ひっ!?」
 とっさに起き上がろうとするも。
 「こんにちはぁ、少年」
 蛇の舌を持つ美女が、顔と顔とが触れ合うかのような距離で、チロチロとこちらを舐め回しながら、声をかけてきた。
 「ひゅあああっ!? ラ、ラミ、ラミア!?」
 まるで蛇に睨まれた蛙のように、固まる。
 「も、もしかして、わたしを、た、食べっ!?」
 いたずらっぽく笑う彼女から、目が離せない。
 「あン? ラミア? そりゃフィデリの呼び方だね。こっちじゃアタシらの種族名は臍を持つものタブールだよ」
 クスクスと笑い、ぬるりと体の向きを変え、鱗をこすりつけるように、オドに寄り添う。
 下半身も、蛇だ。
 「まあどっちでも良い。好きな方で呼びなよ。それと、アタシらは食人はしない。別の意味では今すぐにでも食べたいけどね」
 耳に、舌を入れる。
 「ひいっ!」
 「可愛い子だねえ。ところでさ」
 抱きつきながら、問いかける。
 豊満な胸を押し当て、《チャーム》の魔法を行使。
 「これ、やったの少年だよね?」
 『これ』とは、唐突なオアシス化のことである。
 オアシス化は、彼女たちにとってメリットが大きい。自由に水分を補給でき、果物も好んでは摂取しないものの、草食動物を呼び寄せるエサとなる。
 ただ、今回は大きな問題があった。
 位置が悪かったのだ。巣の、真横である。
 池の水が、彼女の巣をジトジトにしてしまっていた。
 もっとも、それゆえに第一発見者の利益を享受できた、とも言えるわけだが。
 「ねえ? 少年。答えてよ」
 目は合わせたままである。
 これでは、《チャーム》に抗えようはずもなし。
 「ふあ……」
 唐突に、目の前の異形が愛おしくてたまらなくなる。
 尾の先でタン、タンと鳴らす音のリズムが、脳に響く。
 「ふぁい、ぼくがやりました」
 嘘は、つけなかった。
 「いい子だ」
 ラミアはオドの耳を舐め、心地よい音をご褒美として与える。
 「ふううっ」
 魅了魔法との相乗効果で、至上の快楽として心に刻み込まれる。
 「んっ……。耳からでも魔力を感じる。こいつは逸材のオスだねえ」
 オドからすると、相手が何を言っているのかすら、霧がかかったように判然としない。
 「ふう。割とチョロい仕事だったが、巣に持ち帰る前にコイツの力をもう少し見ていきたいねえ。少年、名前を教えろ。それと、アタシらのために、美味しいお肉を作ってはくれないかねえ?」

 ラミアが合図をすると、巣から五匹ほどの同族が現れ、オドを囲んでいった……。
 
 そういうわけで。

 ルノフェンは、ラミアたちの視線を遮るよう、慎重に移動し、オアシスの様子を観察していた。
 
 宴の中央にはオド。どこから持ってきたのか、料理が満載されたテーブルに着席させられている。ただ、予想とは違い、目には理性の光がある。あたりを見回し、ルノフェンを探しているようにも感じられる。支配されているというわけではなさそうだ。
 その周囲。ラミアたちが舞を踏みながら、時折オドに料理を食べさせている。ボディタッチも念入りにやっており、手や尾が体に触れるたび、オドは可愛く媚びたふりをする。
 
 (近づくのは危険すぎるな)
 《レビテイト》を行使し、足跡と足音を消す。加護のある風属性とはいえ、不得手な陽の側面なので、消耗がやや大きい。
 距離を維持したまま正面に回る。ラミアはオドに夢中だ。警戒されていれば厄介だったが、その心配はなさそうだ。
 ほどなく、オドはルノフェンを見つける。視線で分かる。
 流石というべきか、すぐさま目立ったアクションは起こさない。代わりにオドは瞬きを何度か行い、ルノフェンに対し信号を送る。
 (巣、潜入、宝物庫……?)
 意図するところは、わかる。
 オドは会話を通じて情報を入手しており、巣の中の宝物庫の何かが、この状況を打破する鍵となると考えているのだろう。
 実際、ラミアどもの巣の警戒が手薄になっている今、物資を調達する上では最大のチャンスとも言える。
 もう少し情報を得ようと思ったが。
 「オドくんお腹いっぱい食べてねえ。食べられなくなったらアタシらの巣で、一人ずつ全員をじっくり相手してもらうからねえ」
 彼は少食だった気もする。どうやら、時間の制約が問題になりそうだ。
 
 方針は、決まった。情報交換はおしまいだ。
 巣の入り口を探るため、《ラパンヌ・イヤー》を行使する。これも陽の風属性。この属性には、大気の振動を扱える関係か、音の魔法が充実している。聴覚を鋭敏化させ、ラミアの鱗が砂と擦れる音、一つ一つを取り込む。ついでに、魔力でできた兎耳が生える。
 
 (あちゃー、迂闊だったな)
 巣は、オアシスのすぐ横にあると分かった。なるほど、上手く風景に溶け込んでいる。これでは余程気を配らなければ気づくまい。
 (次から探索する時は《ディテクト・ライフ》を掛けて貰わなきゃな)
 浮遊したまま、巣に近づく。
 
 見張りが、二匹。肩に傷がある個体と、体が小さな個体だ。物陰に隠れ、様子をうかがう。
 とはいえ、話しながらあくびをしており、士気は低そうだ。
 会話の内容を拾ってみる。
 「はーあ。どうしてアタシが見張りなんだよ。まだ子供のお前は分かるけどさあ。アタシもあのきゃンわいい子に餌付けしてェんだよな。なあ?」
 「まあまあ、クジで決まったことですし」
 「あ゛ー、やってらんね。酒とか飲みてえわ。それも全部表に出てッけどさ」
 「まあまあ」

 世知辛い。
 大した情報は得られなさそうなので、さっさと仕留めることにする。
 「《サイレント・ミスト》」
 隠れたまま、右手のガントレットから、霧を放出する。声を出されるのが一番面倒だ。
 霧をそのまま見張りへと送りつける。
 「あん? なんか霧――」
 抵抗、突破。
 異変を察知した見張りは声を上げようとし、異変に気づく。
 「――!」
 音が、出ない。尾を地面に叩きつけても、返ってくるのは触覚だけだ。
 肩に傷のある個体が当惑した一瞬の隙を突き、ルノフェンは突進。瘴気の乗った飛び蹴り一撃で小さな個体を壁に叩きつけ、残った方を絞め落とす。

 (ここまでは、よし)
 見張りの失神を確認。

 そのまま、巣への侵入を果たす。
 
 中はジトっとしており、どこから湧いて出たのか、サソリやネズミが天井から漏れる水を飲みにやってきていた。
 巣というよりは、洞窟という体裁であった。
 (なんだこれ、砂を固めて建材にしてるのかな)
 トラップのなさそうな壁に触れ、材質を確かめる。

 脆い。
 たっぷりすぎるほどに水を吸った壁は、下手に衝撃を与えると崩れかねない。
 (なんか、だいたい察したかも。豪雨を想定していない作りだ。事故だ、これ)
 ルノフェンはふわふわと浮き、警戒しながら宝物庫を探し、進む。
 地中を掘り進むように作られた巣の中で、脳内に地図を描く。
 ラミアの特性に最適化された巣は、どちらかというと、縦に長い。
 縦に長いということは、最終的に余分な水は全部下の方に落ちてくるのではないか、ということに思い当たる。
 (あ、進めば進むだけ、『これボクたちが悪い』って気分になってくる)
 気の毒になりながら、空っぽの食堂、寝室を通り過ぎる。
 明かりが生きているのは救いだった。魔力を媒介に光を放つ鉱石ランプが設置されているために、人間の目でもあたりを見通すことは難しくない。
 とはいえ、仮にオドが囚われたとして、そもそもそれぞれの部屋が鉛直方向に長い以上、適切な魔法が使えなければ抜け出すのは至難の業だろう。
 急がなければ。
 最終的な原因がルノフェン一行にあるとは言え、オドを誘拐され、足止めを食らうのは看過できなかった。
 
 墓場に行き当たり、武器庫を抜け、聖堂に至る。
 いずれも、警報やトラップの心配はいらなかった。
 正確に言うと、そういったものは入口付近には集中的に設置してあったが、全部湿気ってしまっていた。
 (ごめん、ラミアたち。本当ごめん)
 これから更にひどいことになるぞと覚悟を決めながら、なおも進む。

 そして。
 (ここが最奥かな)
 宝物庫に、たどり着く。
 多分、きっと、そうだ。
 いまいち確証が持てないのは、ルノフェンから見てガラクタが大半であったためだ。
 
 しぼみかけのゴムボール、よくわからない意匠のブロンズのオブジェ、放置されすぎてだめになった盆栽。
 撫でると「にゃあ」と鳴く虎のぬいぐるみ、光に当てるとゆらゆら揺れるマスコット。

 そういったものが、無造作に放り込まれていた。
 
 途方に暮れる。
 何しろ、何を探せばよいのか分かっていないのだ。

 「どーしろっていうんだ、ボクに」
 脱力し、ゴムボールに腰をかける。

 ゴムボールは体重を受け、「ぶふぅ」という音とともに、残る空気を吐き出してしまった。
 
 座り込んだまま、頭を抱える。
 こんなところでボクたちの旅は終わりなのか。
 ラミアに革の首輪を付けられて、オドともども一生巣の中で生活するのがお似合いだというのか。

 いや、でもそれも魅力的かもしれない。おっぱい大きいし。
 
 そんなことを考えていると。

 「そこに、誰か居るのか」
 ガラクタの山の中から、ダンディな声。

 「ッ!」
 ガントレットを生成し、即時警戒する。

 「風属性使いか。ここのラミアどもではないな。奴隷として放り込まれたか? 安心しろ、俺はお前に危害を加えるつもりはない。むしろ、力を貸すことも厭わない」

 警戒は、解かない。
 味方だと言って取り入ってくる奴らは、大抵の場合厄介だからだ。

 「姿を見せろ、ジェントルマン」
 ガラクタに向け、呼びかける。
 あちらはルノフェンの位置を掴んでいるが、こちらは近くに居ることしか分かっていない。
 もし相手がこちらに力を貸す気があるのなら、情報の差を埋めるために応えてくれるはず。そういう読みである。

 「なら、魔力をくれ。エネルギー切れでな。属性は問わん。魔素化機能はある」
 答えを受け、渋々左手からガントレットを外し、ガラクタに向けて投げてやる。
 どうせ生成物だ。魔力が続く限り、何度でも呼び出せる。
 
 カン、コン。ガントレットはガラクタの上を跳ね、愉快な音を慣らす。
 そして、徐々に穴が空き、分解されてゆく。

 食われている。ルノフェンはそう感じた。

 「ありがとよ」
 声の主がそう言うと。
 
 ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。
 激しい駆動音と共に、宝物庫が揺れる。

 ランプが揺れ、その中の明かりが苦しげに明滅する。

 凄まじい音を放ちながら、ガラクタの山が二つに崩れ、裂けてゆく。

 その中から出てきたものは。
 
 正面にバカでかいドリルがついた、モグラのような巨大機械。
 それでいて洗練されたフォルムは、少年ならばこう声を漏らさずにはいられない!
 「かっけえ!」
 ルノフェンは叫ぶ! 様々な思惑、戦略をかなぐり捨て、コクピットに搭乗する!

 機械は、こう名乗った。
 「私の名はアースドラゴン。イスカーツェルの遺産にして、あるじに忘れ去られし者。そういうわけで、今からキミを仮初の主としよう」
 ルノフェンは、惚れた。

 ◆◆

 地上!
 (うっぷ。お肉ばっかり食べてたら、脂がキツくなってきた。調子に乗って霜降りを生成しなければよかった。ルノ、助けてえ……)
 オドは追い詰められていた。
 彼は普段から満腹になるほど食べる子供ではない。目の前の、大量の肉料理を前に、めまいを覚える。
 魅了は解けていた。彼の大切な人への想いが、手早く正気にしてくれた。
 「もう食べられない? 満腹? 満腹ゥ!?」
 蛮族たちは急かす。彼女たちも彼女たちで、お預けを食らっているようなものだ。
 「姉貴ィ! もう良いですよねェ!? こいつこの場で剥いてヤっちまいましょうよォ!」
 待ちきれなくなったハスキーボイスの個体が、とうとう声を上げる。
 ヒューヒューと歓声。誰もが、己の欲望をむき出しにしていた。
 「ふゥーむ」
 リーダー格のラミアは、悩んだふりをする。
 間もなく、いやらしくにたりと笑い。
 「いいだろう! だが最初に手を出すのはアタシだ!」
 「ギャッハハハハ!」
 餌付けは、終わったようだ。
 彼女はオドの衣服に手をかける。
 舌なめずりをし、期待に胸を高鳴らせる。
 酒臭い息が、耳元に掛かる。
 
 もはや、万事窮すか。

 オドは目をつぶり、来たる運命に備えようとする。

 その時!

 ズム、ズム。

 オアシスを激しい振動が襲う!

 「なんだァ!?」「敵襲か!?」
 
 ラミアどもの雰囲気が変わる。
 「レリィ! ありったけの武器持ってこい! シセルは即席の防壁を!」
 「リーダー! レリィは気絶してます!」
 「なんだと!? 子どもたちは無事か!?」
 「今起こしてます!」

 振動は、尚も大きくなる。
 ラミアのリーダーは訝しむ。
 まるでこの音は。
 外というよりは、地中から聞こえてくるような――
 「皆、巣から離れろ! 最悪埋まるぞ! 地上で応戦する! 巣の入り口を崩されたら戻ってこれん!」
 (なんだ!? 蟲人か? このタイミングで襲撃? まさかオドくんを強奪するために?)
 リーダーは高速で思考し、有りうるパターンを脳内で展開していく。
  
 一方オドは、吐きそうになりながらも、状況を理解する。
 ズム。
 ひときわ大きな振動が、足元から響く。
 地面が隆起し、鋼鉄のドリルとともに這い出た意思持つ機械が、近くに居たラミアを跳ね飛ばす。
 「オド! 捕まれ!」
 ルノフェンの言葉を受け、高さ三メートルもある機械のコクピットから投げ渡された縄梯子を、掴む。
 そのまま機械に乗り、凄まじい推力のもと、走り去る。
 「あっ! オドくんが逃げ出すぞ!」
 砂から槍を生成したラミアが、叫ぶ。
 「逃がすなァ!」
 リーダーは機械を指差し、キャタピラに向けて熱線の魔法を放つ。
 結果は、レジスト。
 「全く、油断も隙もないんだから」
 ルノフェンによる瞬間的な魔力供給がなければ、大破炎上もあり得ただろう。
 「クソッ! ラルゴ! 槍投げろ!」
 合図とともに、彼女は槍を構え。
 「ブッ壊れろォーッ!」
 投擲。
 一直線に投射された槍は、光のようにコクピットに向かう。このままでは直撃し、ゴア待ったなしだ!
 それを遮るのはオド。コクピットの上によじ登り、仁王立ち。何をしようというのか!?
 「ごめんね、ラミアさん」
 彼は謝罪の言葉とともに、掴んでいた縄梯子を投げる。
 縄梯子はまたたく間にブクブクと膨らみ、巨大な肺魚へと変化する。
 槍は、肺魚のぬめぬめとしたヒレに弾かれ。
 そのまま、地面に突き刺さり、止まってしまった。

 遠く後ろに離れていくラミアの集落を一瞥し、オドもまた機械に潜り込む。
 最大四人乗りのようだ。ルノフェンの座る操縦席の隣席に体を投げ出すと、深い溜め息をついた。
 「おつかれ」
 こともなげに、ルノフェンはねぎらいの声をかける。
 「まさか旅の始まりからこんなことになるなんて」
 「ねー」
 全くである。
 「ラミアさんには悪い事しちゃったかなあ」
 オドはひどい目にあってもなお、彼女たちを心配していた。
 「まあ、なんとかするんじゃない? 少なくとも食べ物には暫く困らないだろうし」
 「だと良いけどなあ」
 少し後ろ髪を引かれながらも、やむを得なかったと納得することにしたようだ。

 「ところで、我が仮初の主よ。これからどこに向かうつもりだね?」
 操縦席のスピーカーから声が響く。
 この機械に宿った人格たるアースドラゴンは、キャタピラで砂を掴みながら走る。
 曰く、彼が太陽の光を浴びたのは百年ぶりとのことであった。
 「黄砂連合、かな」
 「ほう。どの氏族の都市だね? 最も近いところだとジャミラ氏の都市があるが」
 大陸の南西に位置する黄砂連合は、厳密には単一の国家ではない。
 複数の氏族がゆるく連携することで、国家の体をなしている。政治的な決定も、年数回行われる首長集会にて行われることになっている。
 つまるところ、黄砂連合の都市という表現では、どの氏族の都市であるか明確ではないのだ。
 また、以上のことを、ルノフェンは知らない。
 オドとルノフェンは顔を見合わせる。
 沈黙に陥りかけたところで、口を開いたのはオドだ。
 「あの、ジャミラ氏の都市にアヴィルティファレト様の神殿はありますか?」
 「あるはずだ。ジャミラはこの地域の言葉で美を意味する。アヴィルティファレト神の構成要素の一つだ。今もそうかは知らないが、エンブレムにもかの神の遣いたる鵬が描かれていたな」
 進む方向を修正しながら、彼は語る。
 「ふむ、そうだな。私もその都市に行きたくなってきた。この躯体、地下で現れもしないかつての主人を待つより、ヒトの為に役立てたほうがいくらか有益であろう」
 アースドラゴンに顔があるとすれば、今の彼は渋く笑っているに違いない。
 「ゆくぞ、少年。快適な旅とは行かぬだろうが、そう待たせもせぬよ」
 燃料代わりにオドが魔力を込めると、機内の炉によって魔素に変換されたそれは、すぐにジェットエンジンめいた推進力となった。

 ◆◆

 ゴウ!
 時速一〇〇キロメートルにも達する暴走メカは、自然湧きするアンデッドや獣型モンスターを轢き殺しながら、間もなく黄砂連合北の大都市、ラハット・ジャミラへと到着する。
 「主よ、後三十秒もあればたどり着く」
 アースドラゴンは報告を入れながら、減速の姿勢に入る。

 少なくとも、減速したいようだった。
 だが、出来なかった。

 「……もしや、主よ」
 搭乗者の二人は、あまりに過酷な走行に乗り物酔いを起こしていた。
 彼の運転が荒いのは確かにそうだが、それ以上に、急ぐあまり揺れを気にしなかったことが響いている。 
 この世界に来てからあまり飲食をしていないルノフェンはまだ良かった。
 問題はオドの方だ。
 「うぷっ、おろっおろろっ」
 超満腹との合わせ技でこらえきれず、彼は少し吐いていた。
 当然、彼の吐瀉物にも魔力が残っている。
 「しまった、私としたことが!」
 オドが乗っている間、魔力タンクは常に最大。
 タンクの破裂を防ぐため、魔力が供給されている限り、彼は止まれないのだ。
 「ごめん、アースドラゴンさん。できれば下ろしてくれると」
 青い顔をしたルノフェンが声をかける。
 「やむを得ないか。座席をパージする。しっかり捕まっていろ!」
 車体が門に“到着”する十秒前のことであった。
 既に状況を察知した門番は、鉱石魔法によって生成された奥行き二メートルの障壁を作り、衝撃に備えている。

 座席、射出。
 神業とも言える調整で水平方向の速度を殺した座席は、ぽさっと砂の上に落ちる。
 それからしばらくして。
 
 グワラガグォーン! というなんとも強烈な音とともに、車体は障壁に激突。
 有り余るエネルギーで障壁を掘り進み、ドリルを半ばほどめり込ませた後。
 「エラー。前方に障害物があります。バックしてください」
 というメッセージを吐きながら、ようやく停止することが出来た。
 
 オドとルノフェンはどうなったかって?
 
 射出された座席から降り。
 盛大に嘔吐するオドの背中を、ルノフェンはよしよしとさすっている。
 そこに、街からやってきた、憤怒の形相の蟲人警備隊長が二人の肩を叩きながら、こう告げた。
 「そこのオマエとオマエ、逮捕。今日から暫く取り調べ」
 そのまま、二人まとめて牢屋にブチ込まれた。

 余談ながら、獄中の食事はそこそこ美味しかったらしい。

第三話「嵐剣の使い手も神子も、がんばえー!」

 (あらすじ:砂漠に放り出されたルノフェンとオドは、どうにかラミアどもの魔の手から逃れることに成功する。しかし乗り物の巨大メカが暴走し、その責任を負う形で逮捕されてしまった!)
 
 黄砂連合、牢獄。

 窓代わりの鉄格子から漏れる月明かりを受けるように、ルノフェンは膝を立てて座っていた。

 「シたい」

 取り調べを終え、長い沈黙を経て開口一番発された言葉が、これである。

 ルノフェンは欲求不満であった。
 元の世界では手術によって固定された外見年齢を活かし、毎晩男女を問わず食い散らかしていたので、ひとりきりでベッドに入ることに慣れていないのだ。
 彼は、既に成人している。
 しかしながら、今の彼の姿は、その肉体相応に頼りなく見えた。

 「そういえば、ルノ」
 鉄柵で隔てられた隣の牢屋。
 ベッドに仰向けに寝ながら、オドは問う。
 彼の肉体はルノフェンとは異なり、年齢相応に成長する。
 自身が望んだからだ。やろうと思えば、永遠の停滞に留まることもできた。
 彼は、彼を孤児院から拾ってくれた師匠と、事実上の恋仲にある。
 師匠の愛が、オドに大人になることを選ばせた。そういう言い方も、アリだろう。

 「わたしたち、あんまり一対一で話したこと、ないよね」
 オドの言葉に対し、ルノフェンは、「ん」と、雑な返事を返すのみである。

 「ほら、元の世界だと、接点あるようでなかったからさ」
 委細は省くが、彼らは同じコミュニティに属していた。
 とはいえ、部門が異なるがゆえ、顔を合わせることは多くなかった。
 ルノフェンは、その戦闘力を活かした敵地攻撃担当。身軽に、気ままな風のように、出現した敵性生物を叩いていた。
 オドの方はというと、対人折衝。可憐な見た目ながら、末恐ろしいまでの人たらしであった。

 「接点、かあ」
 ルノフェンは立ち上がり、据え付けられた蛇口を捻って水を飲む。
 砂漠の都市にあっても、水には困らない。
 どうやら真水を生成する専用の魔術師部隊が、二十四時間体制で働いているらしい。
 無論、相当な高給取りであるわけだが。こればかりは適性の問題であった。

 「あっ、そうだ。わたしもルノも女装してますよね。これ、特別な理由があったりしますか?」
 問いながら、ヒラヒラとした巫女スタイルの短袴を揺らす。
 淑女が見れば、顔を赤らめ視線をそらすに違いない。
 
 「それ、聞いちゃう? ボクの方は割とシンプルかつ実用的な理由があるんだよね」
 チア服の埃を払い、彼は続ける。
 「ずばり簡単。女の子の服を着てると、男とも女ともえっちできるから」

 沈黙。

 「なんか言ーえーよー」
 不服げに、二つの牢屋を隔てる鉄柵をガタガタと揺らす。
 「ご、ごめん。まさか、服装までその……えっちの為だとは思わなくて」
 オドに、そういう知識がないわけではない。
 それどころか、前述の師匠に一度襲われている。
 とは言え、唐突にそういう話題が出ると、理解が追いつかないこともあるわけだ。
 「まあでも、分かります。ルノってわたしから見ても可憐で、素敵だし」
 「良いね。ボクの可愛さが分かるって有望だよ。なんならここで一線超えとく? 柵越しだけどきっと新しい扉を拓けるよ?」
 フリフリと細い腰を揺らし、柵に押し付ける。
 「そ、それは良いかな」
 オドは、ジェスチャーで断った。
 
 「ん」
 誘いを断られ、残念そうにしていたルノフェンは、何かを感じ取ったのか、唐突に鉄柵から離れる。
 「ルノ?」
 様子の変わったルノフェンを気遣ってか、声をかける。
 「アヴィが起きた。今視界共有してる」
 アヴィとは、彼をこの世界に召喚した、アヴィルティファレト神のことである。
 「どう? 怒ってたりしない?」
 オドは起き上がり、伸びをする。
 「んー、怒ってはないけど。絶句はしてる」
 そりゃそうだ。
 送り込んだ神子が、一日経ってみれば自らの領域で虜囚となっているなど、想定しづらいにも程がある。
 「とにかく、すぐ遣いを送ってなんとかしてくれるから待ってて、ってさ」
 「やった」
 伸びの後はぴょんぴょんと跳ね、鈍った体に火を入れる。

 すぐさま、慌ただしい足音が聞こえてくる。
 「『すぐ』が文字通りすぎて笑える」
 ルノフェンもストレッチを始める。
 「さっきの話の続きだけどさ、オドが女装してるのは、なんで?」
 手首をぐるぐると回しながら、問う。
 「これ、言うの恥ずかしいんだけどね」
 調子を整え終えたオドは、二つの牢屋の境目に近づき、小声で。
 「コミュニティのリーダー、居るでしょ? わたしたちと同じで、女装してる男の子。知ってると思うけど、とっても可愛い。その人と初めて会ったとき、『男でも可愛いを目指して良いんだ』って思っちゃって」
 そのまま、くるりと一回転する。
 ミニの袴がふわりと広がり、重力に従ってもとに戻る。
 「それでわたしも女装してるんだけど、声変わりも始まっちゃったし、いつかは卒業しなきゃなあ、って思ってるところ」
 「そっかあ、そっかあ」
 ルノフェンは、目をそらし、相槌を打つ。
 「ルノ? どうかした?」
 オドは、違和感に気づく子であった。
 「うん、これ、どっかで言っとく必要があるなって思ってはいた」
 諦めたような笑みを浮かべ、続ける。
 「そのリーダー、ボクが恋してた子。あの子、結婚したから今ボクは失恋中」
 唐突に、爆弾が投げ込まれた。
 「ボクのほうが先に好きだったのになあ。キスはしたんだけど、ゴタゴタで疎遠になってたら知らないうちに女の子と一緒になっててさ。しかもその子もムカつくほど可愛いし」
 「それはその、どんまいです」
 これは、対応を誤るとヤバいことになる。オドはそう感じた。
 「まあでも、オドが一緒で良かったかな。一人だと、寂しさに押しつぶされてただろうから」
 「わたしが一緒に居て慰めになるなら、良いですけど」
 優しく、語る。オドに出来ることは、それくらいだった。

 そうしていると、彼らを逮捕した警備隊長が牢獄にやってくる。
 武具を装備した、二足歩行する蜂という外見だ。
 「失恋。親近感、湧く」
 彼は牢屋の鍵を開けながら、話す。
 どこから聞いていたのか分からないが、たどたどしい共通語で話しかけてくる。
 蟲人はその発声器官の都合、共通語の発音が難しい。
 それでも、彼の言葉がどうにか聞き取れるのは、努力の賜物と言えるだろう。
 「俺もかつては蟲人らしく、同族が住まうコロニーに居た。だが、当時の女王の寵愛を受けられず、逃げ出した。厳しい旅路だったが、最終的にこの都市に流れ着いた」
 手招きし、オドとルノフェンを牢屋の外から出してやる。
 「黒の神子よ。絶望というものは、一過性のものだ。長い時間を掛ける必要こそあるが、傷は癒える。少なくとも、俺はそう思う」
 黒の神子とは、ルノフェンのことを指すらしい。この世界では、転生者や転移者のことを、神子と呼ぶ。
 外へと繋がる回廊に、カツ、カツと靴音が響く。

 ところで、と警備隊長。
 回廊の終わりで、彼は振り向く。
 「アヴィルティファレト神の遣いから、提案があった」
 彼は懐から巻物を取り出す。
 「この都市には、黄砂連合最大の闘技場がある。そこで今日の昼、台覧試合が行われる」
 巻物を二人に渡し、説明。
 「黄砂連合は商人の国だ。あの暴走メカを被害なく止める上で、貴重な魔力結晶を消費してしまってな。そういうことで、お前たちのどちらかにこの都市における筆頭闘士の一人と戦ってもらい、その興行収入をもって、チャラとしたい」
 へえ、とルノフェン。
 オドは直接戦闘を得意とするタイプではない。出場するとすれば、ルノフェンだ。
 「神子とのマッチは、滅多にない。赤と青の神子は闘技場文化に縁がないようでな。もしお前が参加すれば、当然巨額のカネが動く。無論、通常のファイトマネーは支払う」
 「面白いね、やろう」
 二つ返事で承諾。
 「あの、命の危険とかはないですよね?」
 念のため、オドが確認する。
 「心配は要らん。闘士にはブローチが支給される。ブローチには、ダメージを肩代わりしてくれる宝石が嵌っている。被弾しすぎてその宝石が砕けたら負けだ。仮に事故が起きても《リザレクション》を使えるキャスターが待機している。問題ない」
 安全には配慮されているようだ。
 「なら大丈夫かな」
 オドの同意も、取れた。

 牢獄の外に出て、燃えるような朝日を浴びたルノフェンは、最後に一言。
 「あ、もし相手を瞬殺しちゃっても恨まないでよね!」
 そのまま、闘技場に向かう。

 彼らの背を見送りながら、警備隊長はつぶやく。
 「やれるもんなら、やってみな」
 
 ◆◆

 そして、興行は始まった。
 前座のバトルロイヤルでは屈強な男どもが殴り合い、ひときわ強靭な鬼人が勝利を収めた。彼は有望な闘士へと成長していくだろう。
 その後は三対三、二対二の順にトーナメント試合が組まれ、各部門で最強のユニットが讃えられてゆく。
 ルノフェンの出番は、メインに据えられたタイマントーナメントの直前であった。
 既にあるプログラムに急遽割り込んで組まれた試合だ。観客は、何が起こるのかとざわついている。
 選手入場口。彼は靴でトン、トンと地面を叩き、声がかかるのを待つ。

 程なくして、よく通る声でアナウンスが掛かる。

 「続きましては特別試合! 賭けたきゃ近くの機械種族ディータにカネ突っ込みな! あの男のライバルがオファーに応じて文字通り舞い戻ってきた! ソルカ・レ・エルカ!」
 凄まじい歓声と共に向かいの入場口から現れたのは、小柄な少年。
 ただし、その腕は鳥のように鋭い翼で。
 バサバサと飛びながら、鋭い鉤爪の生えた右足で長剣を握っている。
 ハーピィだ。胴体と頭部は、人間のそれである。
 彼は地面に落ちた緑の羽根を左足で一枚拾い、風の魔法を掛け、飛ばす。
 羽根は観客席にひらりと落ち、まもなく争奪戦が始まった。
 「あっコラ! 久々だからって滅多にやらねェファンサしやがって!」
 そのまま、実況席に向け、頭をかしげ、ウィンク。
 小悪魔的な男の子であった。

 「まあいい。もう片方も紹介するぞ! 紆余曲折あってこの世界に舞い降りた黒の神子! このラハット・ジャミラに建設用ディータを飛ばして突っ込んできやがった極悪ドライバー! 兎耳のルノフェン!」
 再び巻き起こる歓声。
 「神子だと!?」「何年ぶりだ!?」「女の子にしては胴がストンと落ちているな」「それが良いんだろうがたわけ!」
 などの声を受け、両手を上げて入場。
 観客席に投げキッスをすると。
 「目覚める! 俺男の娘に目覚めちまうよ!」「目が合った! くっそ可愛いなこいつ!」「アイドルだ……」
 とも聞こえてきた。

 「レギュレーションは白兵標準! つまるところ引き撃ちはナシだ! それ以外は大体なんでもやって良いぜ! 胸のブローチの宝石が砕けたらおしまいだ!」
 正面のソルカにも投げキッス。
 彼は翼で胸を叩いた。
 挑発だ。

 「準備はいいか紳士淑女ども! この試合はザイン殿下がお見えになっている! 闘士どもの一挙手一投足を目に焼き付けな! 殿下、試合開始の合図を」
 実況席の隣に座るターバンの男に、拡声の魔法が掛かる。
 「良いだろう」
 彼は両手を広げ、立ち上がり。
 「いざ尋常に、始めよ!」

 闘技は、幕を開けた。

 合図が終わるか終わらないかの瀬戸際、ソルカは地面を蹴り、翼の推進力を用いて一気に距離を詰める。
 そのまま上下反転し、袈裟懸けに剣を振り下ろす。
 速度の乗った切り下ろしを、ルノフェンは右手のガントレットで受ける。
 そのまま左手で掴もうとするが、ソルカは弾かれた反動で逆方向に縦回転。
 「甘いッ!」
 隙の出来た腹部に、翼でのボディーアッパーを叩き込む。
 「ッ!」
 鈍い痛みを耐え、体ごと浮きそうになりながら、戻した右手で翼を殴りつける。
 「おっと」

 互いに弾かれ、再び距離を取る。
 最初の立ち会いは、やや不利気味な痛み分けに終わる。
 
 「《スピードアップ》。鍛えてなさそうなお腹だったから殴ったけど、しっかり魔力で守ってるみたいだな」
 闘士の声はフィールドの効果により、全て拡大されて観客席に届く。
 煽り合いもコンテンツなのだ。

 「《スピードアップ》。もっと触ってみるかい? ちっちゃい子には刺激が強かったかな? 今度はその剣で貫いてみなよ」
 同じバフを掛け、補助戦に食らいつく。
 セリフは半分挑発、半分強がりだ。
 相手の体重は軽いが、スピードが乗った一撃は重い。
 先程の切り結びで確信する。
 こいつは、本命の攻撃をカモフラージュするよう、あえて派手な動きを選んでいる。

 ならば。

 足元に風の魔力を設置。
 「次はボクが攻める番だ」
 ドウ! 踏み込む際に破裂させ、瞬間的な加速をもって襲いかかる。
 
 選んだのは、暴風雨めいた、瘴気ガントレットでのフック。
 ソルカは、上に飛んで回避。
 彼は翼人種だ。三次元的な動きには種として適応している。
 器用に剣を持ち替え、斜め下に突き攻撃。
 牽制だろう。左手で軽く内側にそらし、一回転して右の裏拳で襲う。
 ルノフェンの読みは正しかった。ソルカは体重の乗っていない突き攻撃を早々に引き上げ、裏拳を掻い潜るようにサマーソルト。上を取るポジションを維持しながら、後頭部を襲うように本命の斬撃を放つ。
 おお、ルノフェンはこのまま後頭部を斬られ敗北を喫してしまうのか?
 否、彼の目は意思を持つ。
 「そこだ!」
 ルノフェンが取った行動は、横へのスウェー。
 全体重が乗った斬撃を躱すと、狙い通りソルカはバランスを崩す。
 左手を突き出し、詠唱。
 「《ミアズマ・ランス》」
 ルノフェンの左掌から吐き出されるは、瘴気の槍。
 狙いすました魔法はソルカに脇腹に直撃し、彼はそのまま地面に落ち、転がり、遠ざかっていく。
 観客席からどよめきの声が上がる。
 「良い一撃が決まったーッ!」
 実況席からも声が上がるが。

 攻撃を受ける際、かろうじて距離を離すように羽ばたいたのが見えた。
 追い打ちは、できない。

 決定打を与えられた訳ではないのだ。

 ソルカはネックスプリングで起き上がり、剣の根本を掻く。
 「やるじゃんか」
 剣は大部分が分解し、床に落ちていく。
 ソルカの手元に残るは、鋭い短剣。
 
 「おお! どうやらソルカも本気を出すようだーッ!」
 天が割れるような歓声。

 観客の誰かが、「ハ・セアラー!」と言った。
 音は伝搬し、次々に同じ単語が紡がれる。
 「観客は飢えている! 一ヶ月ぶりに復活したこの男の、奥義に飢えている!」

 それは古代の言葉で、嵐。

 いつしか、闘技場を埋め尽くす声は。
 「ハ・セアラー! ハ・セアラー! ハ・セアラー!」
 数多の期待のもと、嵐となり、二人に襲いかかった。

 ◆◆

 ソルカは、聖都デフィデリヴェッタに生まれ落ちた、ハーピィであった。
 裕福な家に生まれ、何不自由なく暮らしていた。
 
 はずだった。

 ある朝、まだ子供だった彼が朝食を食べにリビングにやってくると、両親はどこかに行っていた。
 三日経っても、彼らが戻ってくることはなかった。
 曰く、事業に失敗したらしい。
 両親は大量の借金を残していったが、手元の資産を全て売ることで、どうにか返済は完了した。

 そして彼には、彼を翼で守るように包み込んでくれた、姉だけが残された。
 生きるためにカネが必要だった。
 黄砂連合で闘士を募集しているという話を聞き、彼は飛びつくように応募した。
 姉は止めた。ソルカも私の前から離れていくのかと。
 それでも、彼の決意は固かった。
 最終的に、姉は涙を流しながら、約束を求めた。

 必ず、必ず生きて帰ってくるように。

 その約束は、今も続いている。
 彼は、折れそうになるたびに約束を思い出し、奮起した。

 結果として、彼は「二頭」と呼ばれる、闘技場の双璧の一つとなった。
 もっとも、もう片方は老いによる衰えを理由に、ひと月前に引退してしまったのだが。

 その間に、カネは十分すぎるほど稼いだ。定期的にやり取りする手紙によると、送ったカネで家を買い戻すことに成功したという。
 目的は達成した。
 だが、心残りもあった。
 聖都に帰る前に、もう一回、全力を出せる相手と試合がしたかった。

 ソルカは、目の前の拳士を睨む。

 「願わくば、一発で倒れてくれるなよ」
 そう、自然と言葉に出た。

 このまま、仕掛ける。
 初手は、直線的な突き。
 弾かれる。それでいい。
 反撃を仕掛ける彼の拳の先に、ソルカはもう居ない。

 《テレポーテーション》。
 距離が長いほど魔力の消費が大きく、転移ミスの誤差幅も長くなる、陽光属性の転移魔法。

 では、白兵戦を前提とした、たかだか数メートルでの転移ならば、どうだろう? 魔力の消費は相応に小さくなる。誤差も、数センチメートルの範囲に収まる。

 ルノフェンの背後に出現し、ふくらはぎを斬る。
 彼は反射的に蹴りを繰り出すが、転移は既に終わっている。
 そのまま膝への切り払い、腰への突き、胸への切り上げ、背中への叩きつけと繋げる。
 うち二発はインパクトをずらされ、残りはしっかりと入る。
 
 「無法だ」
 かつてソルカと戦ったベテランの闘士は、そう漏らした。
 「どこから襲いかかってくるか、完全にヤツの気分次第だ。まともにやるなら、己の幸運以外に頼れるものがないだろうね、アレは」

 続けて放った首への逆さ斬りは辛うじてガードされる。
 締めに尻からすくい上げるように入れたサマーソルトキックは、見事にクリーンヒットした。

 ルノフェンは錐揉み回転し、着地の衝撃も殺せぬまま、無様に地面を跳ねる。
 短距離転移を駆使した、回避困難な連続攻撃の嵐。
 これが、ハ・セアラーであった。

 ソルカは残身しながら、荒い息を整える。
 この技には集中力を要する上、無理に肉体を動かすため、疲労が激しい。
 更に言えば、短距離とは言え《テレポーテーション》の連打は魔力を食う。

 闘技場のインジケータを見る。
 相手ブローチの耐久力は、残り三割といったところか。
 悪くない削れ方だ。

 これなら、次で終わる。
 
 「立てよ、まだ終わってないぞ」
 短剣を弄び、継戦を促す。
 彼は数秒掛けてゆっくりと立ち上がり。
 よろりと、ファイティングポーズを取る。

 自然と、ソルカの目が険しくなる。
 ルノフェンは、戦意をなくしていない。
 ブローチの効果により、肉体的な損傷も起こらないはずだ。

 なのになぜ、あそこまで大仰な動きをする?

 疑問には、彼の戦士としての直感が応えた。
 時間を掛けてはいけない。
 短剣を握りしめ、《テレポーテーション》。
 足首を狙った一撃は、魔力を込めた瞬間的な跳躍でかわされる。
 「なッ!」
 実況席の驚愕が伝わる。

 ――バカめ。
 ハーピィ相手に空中戦を挑む気か。
 だったら乗ってやろう。
 高度十メートルのルノフェンに向け、再度《テレポーテーション》。
 背と太ももに、短剣を突き立てる。
 逃げ場のない空中では、魔力による制動を除けば、足を使った機動力を活かすことは出来ない。出来たとしても、ハーピィほど上手く飛べることはない。
 ソルカには、全てが好都合だった。
 無数の連続攻撃に対し、ルノフェンは数えられるほどしか防げていない。
 「これで、とどめだ」
 ルノフェンの下に転移し、突き上げるように一撃を入れて、終わろう。
 そう決めたところで、落下するルノフェンと、目が合う。

 獰猛な笑みを、浮かべていた。

 ソルカは察知する。
 何かが来る。
 ルノフェンは右手のガントレットをこちらに向け、術を放つ。

 逃げることは出来なかった。
 なぜなら。

 「《アンチ・エアーレジスタンス》」
 何かがおかしい。
 魔法防御力が、意味をなしていない。
 ソルカの空気抵抗は、一時的にゼロになる。
 制動するための翼は、空気をつかめず、無為にバタバタと動くだけだ。
 「ねえ? 気づかなかったでしょ? ボクは最初から、左手にガントレットを纏う代わりに、フィールドに薄く《ミアズマ》を張ってたの」
 まさか、こいつは。
 最初からデバフが十分蓄積するまでの時間を稼ぐつもりでいたとでもいうのか。
 ルノフェンは空を蹴り、落ち行くソルカの首を掴む。
 「知ってる? 天使って、堕ちるときが一番美しいんだって」
 二人は、そのまま重力に従い落下していく。
 しっかり両腕で固定された首を、振りほどく手段は、ない。

 「ねえ」
 絞める力が強まる。
 「地獄に行こうぜ? ソルカ!」
 そのままルノフェンはありったけの魔力を費やし、加速。

 限界を超え、加速。
 
 彼の全身を凄まじい衝撃が襲ったのは、その言葉を聞いた直後だった。

 砂埃が舞い、散っていく。

 歓声の代わりに、一瞬の悲鳴。
 観客は固唾をのみ、墜落点に注目している。

 長く続く、無音。
 やがて、沈黙に耐えきれなくなった赤子が、おぎゃあと泣く。
 「っ! どうなった!? 審判!」
 実況者はその声に正気付き、席にまで届く砂を払いながら、己の責務を果たそうと目を凝らす。

 砂埃は時間とともに落ち、視界はクリアになってゆく。
 
 結末を見た観客は、目を疑う。

 「んっ、あっ」
 見えたものは、地面に体を投げ出してあえぐソルカと。
 「ちゅっ。ソルカ、そんなに声抑えなくてもいいじゃん」
 彼にキスをしながら、翼を撫で回すルノフェンだった。

 ルノフェンの入場席から、様子を見かねたオドが走ってやってくる。
 「ちょっ! ちょっとルノ!? 何やってるの! 試合は!?」
 実況席の心境を代弁するように咎めるが。
 「んっ。オレの負けでコイツの勝ち。ブローチ見てよ。もーこんなに粉々になったの見たことないなー」
 愛撫を受けながら、ソルカが答えた。
 インジケータを確認した審判は、改めてルノフェンの勝利を宣言する。

 勝負を終えた彼らを迎えるのは歓声ではなく。

 カメラに映る淫猥な光景と、拡大された二人の嬌声を受けた、悩ましげなため息だった。

 「……で、どうして唐突にそんなことになったの?」
 少しおかしくなった雰囲気の中、オドは平然と問う。彼は、男同士のやり取りには興奮できない子であった。
 「ふああっ、イイっ。オレ、前から包容力のある子になら、男女問わず抱かれても良いって思っててさ」
 話を聞き、げんなりとする。
 「ボクの方も限界。戦闘中、スカートの中の細い脚がチラチラ見えてて。そりゃあ戦ってるときは集中してたよ? でも、終わったら一気に欲情しちゃって。見てよこのふわふわの翼。触ったら反応いいし、その気にさせられちゃった」
 弁解しながら、胸を指でなぞる。
 「はあ。だからってここで始めることないじゃない。そっちの趣味に口をだすつもりはないけど。ベッドでやりなよ、そういうの」
 オドは行為をやめない彼らの説得を諦め、試合を見ていた警備隊長に目配せする。
 警備隊長はひときわ大きなため息を付き、片手を彼らに向ける。
 「《スケイル・オブ・スリープ》」
 呪文の効果で、睡眠効果を持つ鱗粉が、彼らのもとに飛んでいく。
 間もなく、疲労が限界になっていたルノフェンとソルカは、すやすやと眠り始めた。

 その後、オドは警備隊長と一緒に、彼らを手近な宿屋に放り込んだ。

 ◆◆

 日差しが傾くころ。

 オドは機械種族用の宿舎にやってきていた。
 この世界の機械種族は、自身を女神の子デイティ・バギーニャと自称する。
 共通語ではそれが鈍って、ディータと呼称されるのである。
 ディータは一級から五級に分けられる。格の高さというよりは、その機能に応じた分類という方が適切だ。
 ちなみに、自律思考のない五級以外をオートマトンと呼んではいけない。喧嘩の火種になるだけだ。
 彼は受付でアースドラゴンの居室を問う。
 受付で案内をしている彼女もディータであった。
 「ああ、新入りの彼ですか。二級ディータ用の大部屋で雑談していると思いますよ」
 礼を言い、あたりを見渡しながら向かう。
 曰く、二級はエンジニアリングに特化した機体性能を持つらしい。
 案内に従い、苦もなく居室にたどり着く。
  
 ディータの中でも、彼は大きく、目立つ。
 もっとも、特徴的だった正面のドリルは、今はリフトに換装されていた。
 それはそれで、実用的でかっこいいのだが。
 「こんにちは、アースドラゴンさん。昨日はごめんなさい」
 ひとまず、この都市に衝突した際のあれこれを謝る。
 「構わんよ、あれは事故だ。そっちも大事ないかね?」
 大丈夫だ、と返す。
 アースドラゴンの現在の状況を聞いた後、オドは本題を切り出す。
 「そういえば、わたしたちはこれからデフィデリヴェッタに向かおうと思うのですが、またご一緒してはいただけませんか?」
 その言葉を受け、彼は苦しげに唸る。
 「アースドラゴンさん?」
 続く言葉を促す。
 重い口を開き、彼はこう言った。
 「無理だな。高低差がキツすぎる。私は掘り進むことは得意だが、岩の山を登るのは自重もあって不得手だ」
 同室のディータにも問うが、答えとしては、概ね同じであった。

 「というわけで、アプローチを変えたほうが良いと思う。山脈の麓まで行けば翼が売ってるってさ」
 宿屋。
 やけにつやつやしたルノフェンに対し、オドは調査した情報を渡す。
 「それまではどうする? エヴリス=クロロ大森林を通ることになるから、結局は厄介な魔獣が居ない空路が一番安全だけど、オレに二人を運べるほどのパワーはない」
 同じくきらきらとしたソルカが、議論を展開する。
 「待って」
 オドは一旦静止し、ソルカの方を見る。
 なぜこいつがナチュラルに会議に参加しているのだろう。そういう目線を送る。
 「ああ、ソルカもボクたちの旅に加わるんだって」
 答えたのは、ルノフェンだ。
 「だーめ?」
 可愛らしく、ソルカはオドの手に翼を当てる。
 自分より一回り小さい子の上目遣いである。
 「まあ、心強いからいいけど」
 断る理由も、特にない。
 オドは、恥ずかしさにぷいと目をそらしつつも、承諾する。

 こうして、ハーピィの剣士、ソルカ・レ・エルカが、ルノフェン一行の仲間になったのだった。

第四話「やると決まったら本当に早いなこの子」

 (あらすじ:闘技場で戦いあったルノフェンと、ハーピィのソルカは意気投合。仲間になったぞ!)

 オドとソルカ、図書館にて。
 「一般的な範囲だと、プレフィクス級、マジック級、マスターピース級の順に品質が上がっていって、ヒト一人の手で作れるのはここまで。そこからはレリック、レジェンダリー、ミシック。レリック以上は、入手もオークションか、闇商人経由になってくる」
 彼らが読んでいるのは、『トレジャーハンターの手引』。一般書の類だ。
 ルノフェンは神子ゆえに、今はアヴィルティファレトの神殿に招かれている。時間の余ったオドは、ソルカを連れてこの大陸の知識を読み込んでいた。
 ソルカは、滅多に本を読まない。というより、腕が翼かつ足には鉤爪という姿であるため、そもそも本を読むのに適していない。
 そのため、有益そうな本の選定はソルカが行い、ページを送るのはオドという、奇妙な共同作業が成立していた。
 「この辺はこの世界の常識だな。ちなみに、オレもマスターピース品は持ってる」
 そう言うやいなや、荷物袋をあさり、金属製の棒を取り出す。
 ぱっと見、体育祭のリレーに使うバトンに見えなくもない。ただ、作りはかなりしっかりしていそうだ。
 「おっと、オドは触るなよ。魔力が強すぎて武器の方が壊れそうだしな」
 ソルカは司書に許可を取り、術式を起動する。
 すると、棒の片方から、バーナーのような、緑色の光刃が飛び出した。
 「これは『セイバー・オブ・エミッション』。これから向かうデフィデリヴェッタでしか生産できない。出力が魔法だから物理攻撃が効かない奴らを相手にするのに便利だし、何よりリーチの割に軽い」
 魔力供給をやめると、刃もすぐに消えてしまう。
 「闘技場ではレギュレーションの関係で滅多に使わねェけど、厄介な魔物が湧いたときには同時に複数体を叩けるし頼りになるんだよな。いい買い物だったよ、ホント」
 言いながら、荷物袋に押し込む。
 ソルカの荷物袋には、あらゆるものが雑多に放り込まれていた。
 これで目的のものをすぐに取り出せるのだから、その点だけは感心に値する。

 「そういえば、闘士はやめてよかったの?」
 ページを捲りながら、オドは問う。
 然り。ソルカは一行に参加するにあたって、ラハット・ジャミラの闘士を、引退という形で辞めていた。
 「んあ? 問題ないよ。必要なものを買うだけのカネは稼ぎきったし、最後にデカい試合もできた。勝てなかったのはアレだけど、オレとしては大体満足してる」
 彼は、きょとんとした目で答えた。
 「そう、ならいいけど」
 やることがなくなったら、白々しくマスクでも付けて戻ってくるのもありかもな。彼は、そう言って笑っていた。
 「オレからもオドに質問がある」
 マジックアイテム紹介ページの、「木材をふかふかなパンに変換する釜」を翼で指しながら、逆に問われる。
 「お前、メシ作るの上手いよな。どこで練習してきた?」
 図らずも、今日の朝食は宿屋の厨房を借りて、持ち込みの食材で簡単に作ったものだった。
 もっとも、ルノフェンはろくに料理ができないので、自分から料理当番を買って出た、というのが真相なのだが。
 唐突な日常の話題に困惑するも、オドは正直に返す。
 「師匠から教わったのが大きいかなあ」
 「ふーん」
 値踏みするように、オドを見る。
 「その師匠ってさ、女の人?」
 投げられたのは、ストレート。
 「そ、そうだよ。わたしの憧れの人」
 「ほーほー。可愛い系?」
 続けざまの質問に、赤面する。
 「どっちかというとかっこいい系かなあ。頭もいいし、いざという時は頼りになるし」
 恥ずかしそうにするオドを、なおも責め立てる。
 「こっちに来る前は毎日その師匠のごはん食べてたの? いーなー!」
 「えへへへ。わたしも師匠みたいにとっても美味しいごはん作りたいなって思ってる」
 このままでは無限に師匠自慢が続きそうだ。
 「へー。おっぱい大きい?」
 ニヤニヤしながら、ソルカは角度を変えた質問を投げる。
 「ふえっ!? おっきいけど、そういう質問はなし! セクハラー!」
 頭をぶんぶんと振り、これ以上はムリと言うかのように、両手をソルカの方に出す。
 「おーよしよし。オドくんは純情でちゅねー」
 翼でわざとらしく頭をなで、からかう。
 「ほ、ほら! もうそろそろ落ち合う時間だよ! 行こ行こ!」
 限界に達したオドは本を棚にしまい、さっさと図書館の外に出てしまう。
 「はーい」
 ソルカも続き、外に出た。

 かつては、書物は特権階級のものであった。
 それゆえ、権限の強い神殿の付近に、王族や神官、宮廷魔術師のみが立ち入れる書物庫が建てられた。
 ディータによる印刷技術が発達した現在でも、都市最大の図書館は行政の心臓部に建てられることがある。そうでなければ、教育機関の周辺だ。
 神殿までは徒歩で数分だった。
 ソルカにからかわれながら、オドは聖堂でルノフェンを待つ。
 「何やってるんだろう、ここで」
 元の世界は宗教色が薄いので、オドには皆目見当がつかない。
 「ありそうなとこだと、神子を使った神との交信とかじゃね? 神殿のことは詳しくないけど」
 ソルカは適当に返す。彼はオルケテルを信仰してはいるが、熱心というわけではない。
 問答をしていると、神殿の立ち入り禁止区域の方から、名状しがたいカラフルな布を被ったゴーストのようなものがやってくる。
 「なんだあれ?」
 ソルカが最初に気づき、見咎める。
 彼には勇気がある。お化けは怖くないし、なんならマスターリッチとの交戦経験すらある。よってアンデッドに慣れている。
 「わかんない」
 オドは別だ。まだまだ幼い彼は、お化けなど怖くないと頭では思っていても、無意識に様子を見るため距離を取る。
 推定お化けはゆらゆらと近寄ってくる。
 それも明らかに、オドの方に。
 「わー、オドくんお化けに憑かれちゃったー。怖いなー」
 棒読みで煽るソルカ。後ずさるオド。
 やがて、オドは段差に躓き、尻餅をつく。
 「も、もしかして本当にお化け!?」
 顔の見えない存在を凝視し、固まる。
 「たーべーちゃーうぞー」
 お化けは魔法でエコーのかかった声を発しながら。
 「きゃあ!」
 布を閃かせ、オドを包み込む。
 
 そして。

 「あは、あははは! なにこれ! このお化けめっちゃくすぐってくる!」
 響いたのは、笑い声。
 オドは、布に覆われくぐもった声を出す。
 「ソルカ、助けてよお! この手付き絶対ルノだって! あはははは!」
 蚊帳の外のソルカは、興味を隠しもせず、器用に鉤爪を用いて布の端を持ち上げる。
 見えたのは、オドの脇腹をこちょこちょとくすぐりあげるルノの姿。
 「なんだ、やっぱりルノじゃん」
 興味をなくし、布を下ろす。
 布の下は、再び暗闇に包まれる。
 「待って! 暗いところでくすぐられ続けるのキツいんだよ! もう!」
 我慢の限界が訪れ、オドは自ら這い出す。
 荒い息のまま、壁にもたれかかるように身を投げ出す。
 飽きたのか、オドが出てすぐにルノフェンも布の下から脱出した。
 
 「で、この分厚い布はなに? オレの鑑定魔法が通らないってことはほぼ間違いなくレジェンダリー級以上だけど」
 鉤爪でつんつんとつつきながら、ソルカは問う。
 「アヴィにおねだりしたらくれた」
 
 神殿の中を、天使が通り過ぎる。

 「アヴィってアヴィルティファレト神? おねだりでモノくれたの? 孫にお小遣いあげるおじいちゃんじゃん。これヤバいって。国宝クラスだよ?」
 ソルカは煽りを交えながら、質問を続ける。
 ルノフェンの背後から不穏な気配を感じた気がしたが、気のせいだと思うことにしよう。
 「というかこれ、わたしたちが召喚された部屋に敷かれてたカーペットだよね」
 オドは立ち上がり、布を撫でる。
 一辺五メートルもあるカーペットは魔力に呼応して、ふわりと浮いた。
 「いやあ、神殿への報告と一緒に『空を飛べるマジックアイテムが欲しいな』って聞いたら、祭壇からごそごそ漁る音がして。暫く待ってたらポンって四つ折りのこれが降ってきてさ」
 今にも飛び立ちそうなカーペットを押さえつけ、ルノフェンは説明。
 何かを思いついたソルカは、思いついたまま口に出す。
 「これさ。売っちゃって質のいい乗り物買った方が良くね?」
 彼の邪悪な提案は、「それは流石に神罰食らうからムリ」と拒否された。

 「ってことは、これに乗っていけばデフィデリヴェッタまでひとっ飛び、なのかな」
 話を聞いていたオドは、状況をまとめる。
 「ん、そういうことになるかな。ボクはいつでも行けるけど」
 ルノフェンはソルカの方を見る。
 「んー、お世話になった人に挨拶はしていきたいかな。第二の故郷みたいなもんだし。オレの機動力があっても一時間くらい掛かりそう」
 「あ、じゃあわたしもそうしよっかな。ルノは荷物まとめてて」
 「はーい」

 ということで、出立が決まった。

 ◆◆

 正午。
 「わあ、なんかいっぱい見送ってくれる人来た」
 とは、ルノフェンの弁。
 アースドラゴン、警備隊長は勿論のこと、噂を聞いたソルカのファンや闘技場関係者が合わせて百人ほど集まってきていた。
 これでも、直接面識のある人々だけに限定しているという。
 「それじゃあ、オレは聖都に帰るから。おい、泣くなよ。今生の別れってわけでもないんだぜ?」
 ソルカは、人との別れを経験したことのない、最前列に立つ小さな子供の頭を撫で、カーペットに乗り込む。
 「ソルカ様ぁ! ずっと健康でいてね! ご飯いっぱい食べてね! うええん!」
 泣きじゃくる子供に苦笑する。
 「着いたら長老宛に手紙を出すよ。オレの活躍を見守っていてくれよな!」
 彼が大きく三度手を振ると、カーペットは離陸。
 「じゃあねー!」
 オドが叫ぶと、アースドラゴンがマニピュレータを掲げ、応える。
 一行を乗せた、見た目の割にしっかりとした乗り物は、つづがなく飛翔する。
 またたく間に見送りの人々の姿は小さくなり、やがて見えなくなっていく。
 「人気あったんだね、ソルカ」
 手を振り続ける彼の肩に手を置き、ルノフェンは語りかける。
 「当たり前だ! オレは筆頭闘士だったんだぜ? そりゃもうサインは行列、グッズは即日完売だ」
 自慢気に語る彼の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
 二人が、それを咎めることはなかった。

 暫く余韻を味わった後。
 「ところで、聞くの怖いんだけど、このカーペットでどのくらいの価値なのかな」
 沈黙を割るように、ルノフェンが声を上げる。
 「あー」
 ソルカは言いづらそうだ。
 「そうだな、こうしよう。ルノが貰ったファイトマネー、見せてくれよ」
 うん、と承諾し、荷物袋に手を突っ込む。
 ルノフェンの荷物袋の中身は、二段底となっているようだ。
 思いの外しっかりしている彼は、財布から幾つかの硬貨を取り出す。
 大きく丸い金貨と燻し加工した黒い銀貨が一枚ずつ。後は、小さな銅貨と半銅貨、銅片が数枚、といったところだ。
 「うん、だいぶ貰ってるじゃん」
 とソルカ。
 彼は説明を続ける。
 「この大陸の通貨はシェル。鉱石を司る女神ミクレビナーと、その神官によって価値が保証されてる。小さい方から説明すると、銅片が十シェルで半銅貨が五十。銅貨が百。そこの黒いのは黒銀貨で千シェル。ここにはないけど白銀貨ってのがあって、それは五千」
 対応する硬貨を、足の鉤爪で指す。
 「わあ。じゃあ、このおっきいのは?」
 問うのはオドだ。
 「丸金貨。一万シェル。国にもよるけど、これ一枚で大体半年は暮らせるからな。絶対落とすんじゃないぞ!」
 うへえ、とルノフェン。
 「これ以上も何種類かあるけど、端折らせて。一般的には丸金貨まで覚えていれば生きていける」
 「ファンタジーだ」
 小説もよく読むオドは、そう漏らした。
 「逆に聞くけど、オマエらの世界ってどうやってモノをやり取りしてるの? オレとしてはそっちも気になるんだけど」
 会話が脱線する。
 「んー、電子決済ってこの世界だとなんて言えばいいんだろう。こう、形の見えない、強いて言うならお金の数字を直接相手に渡してる感じ? ごめん、ボクは詳しくないからわかんない」
 オドも同じく。
 彼らは、ふわっとした認識で生きていた。
 「オマエら、それでよく生きていけるよな……」
 ソルカは、引いていた。

 「で、このカーペットだよ」
 ルノフェンは、強引に話を戻す。
 「んあ、そうだったな。オレの見立てだと、最低でも一千万シェルは堅いぞ、コレ」
 「いっせ……!?」
 オドは驚愕し、両手を口に当てる。
 一万シェルで半年暮らせるのだから、その千倍以上ともなると、途方もない額である。
 「このデカさと分厚さのカーペットだろ? 基礎がまあ大体千シェル。レジェンダリー等級だとしたら、概算で一万倍くらいはする。オークションでしか買い手がつかねえだろうから、振れ幅は相当あるな。して、仮にミシックだと更にその十倍。想像しただけでめまいがしてきたぜ」
 一行全員、絶句する。
 「ボクたちはそんなものを足蹴にしてたの?」
 頭を抱えるルノフェン。
 「ま、まあ神罰あるから手放せないし。実質ゼロシェルって考えるのが健康に良いと思う。うん、オレはそーする」
 そういうことで、三人は思考を放棄することにした。

 「ボクから振っててなんだけど、この話、やめよう。ほら、大森林に入るよ」
 ルノフェンの言葉とともに、我に返る。
 正面を向くと、砂一色であった地面が急速に土へと切り替わり、緑に満ちる光景が見える。
 と同時に、進路を塞ぐように何者かが待ち構えているのが見えた。
 その者は拡声の魔法の掛かった声で、止まれと警告。
 ルノフェンとオドは視線を交わし、カーペットを減速させる。
 よくよく見てみれば、それは鳥人オフェットの女性である。ハーピィとは違い、肉体はほとんど巨大な鳥のそれだ。
 彼女は身の丈の何倍もある二本のハルバードを宙に浮かせ、こちらを警戒している。
 「よし、良い子だ。我々はエヴリス=クロロ大森林のレンジャー。すまないが、ここ数日立て込んでいてな。ミトラ=ゲ=テーアに入国するつもりなら、紹介状が居る」
 顔を見合わせる。
 「えっと、わたしたちはこのままミトラ=ゲ=テーアの領域を通らず、そのまま大森林を突っ切ってデフィデリヴェッタに向かう予定なんです。だめですか?」
 交渉役はオドだ。
 「ん? ああ、なら構わんぞ」
 ハルバードを下げ、警戒を解く。
 「引き止めてすまなかった。落ち着いたら、また寄ってくれ。平時の観光客は歓迎だ」
 そのまま降下しようとする彼女を、オドが呼び止める。
 「えっと、すみません。その立て込んでることについて、何が起きているか少しお話伺っていいですか?」
 情報が欲しい、そういう目論見だ。
 「ん? 知らんのか? シュヴィルニャ地方から大量のオートマトンが湧き出していてな」
 シュヴィルニャ地方。大陸北部の、荒涼たる凍結の地だ。
 ちなみに、海産物が美味い。
 それはそうと、オドとルノフェンがオートマトンと聞いて頭に浮かぶのは、どちらかというと紳士的なディータのアースドラゴンである。
 「オートマトン? わたしたちはディータしか知らないんですけど、あの優しそうな種族ですよね?」
 とオド。
 「とんでもない! そりゃディータの方には優しい奴らも居るだろうがねえ。ニュースで聞くのは『ホワイトアイ』軍団の厄介さだよ。統率と連携が異常だ。我々の情報は少し古いかもしれないが、奴らは既にこの地を踏んだと聞いている。最前線じゃ英雄どもが奴らとバトってるだろうな」
 話を終えると、彼女はさっさと詰め所に戻ってしまう。
 「私もあっちに行きたかったなー! 何も起こらない警備やーだー!」
 そんな声が聞こえてきた。
 「ソルカ、どう思う?」
 オドは、この世界の有識者としての意見を問う。
 「んー、わかんない!」
 即答であった。
 「モンスター相手の戦争は前にもあったけど、オートマトンが大挙して押し寄せるってのは現代じゃ聞いたことないな」
 議論は、早速行き詰まる。
 「行こ行こ。明日頭上にメテオが落ちるかどうか考えたって無駄だ。オレの故郷の話でもしようぜ?」
 ソルカは話題を切り、カーペットを発進させる。
 飛行魔法では到底追いつけないスピードで、空を駆ける。
 「そういや、デフィデリヴェッタってどんな街なの?」
 落ちることはないものの、念のためカーペットにしがみつくオドはソルカに問う。
 彼は、仰向けに寝転がりながら。
 「オレは子供の頃に出てったから今もそうかは分かんねえけど、一番良かったのはメシかなあ。手に入りづらい塩の代わりにスパイスが効いてる」
 片目でオドを見、懐かしそうに語る。
 「後は街並みも整然としてて。聖都っていうくらいだから当然白日教の総本山がある。どこへ行こうにも高低差があるからディータにとっては厳しい環境だけど、オレたち翼人にとっては暮らしやすい都だな」
 彼は脚で荷物袋をあさり、一つのペンデュラムを取り出す。
 それを鉤爪で器用に開くと、中から写真が何枚か現れた。
 「こいつのチェーンも帰ったら直してやんねえとな。見ろよ、出発のときに撮ったのがある」
 オドはどうにか体の向きを変え、写真の方に目をやった。
 しわくちゃになった写真には、急峻な山脈を背景とした、二人の幼いハーピィが映っていた。
 片方は子供の頃のソルカに違いない。ではもう片方は?
 「かわいいだろ? こっちは姉さんだよ。もう何年も会ってないけど、手紙のやり取りはしてる」
 「兄弟、居たんですか。良いなあ。わたしは孤児だったから」
 オドは憧れを隠さない。
 「なになに?」
 ルノフェンも話に乗ってくる。
 「えっ、こっちはもしかして最近の写真? うわあ、食べごろじゃん」
 ナチュラルにセクハラを掛ける彼を、ソルカは小突く。
 「オレがやられる分は別に良いけど、姉さんを襲ったら流石に怒るからな」
 「はあい」
 大人しく、引き下がる。
 「こう釘を刺しとかないとマジでヤるからな、こいつは」
 正しい評価だった。
 「ん、あれ」
 オドは写真を見比べ、気づく。
 「どれもこれも違う場所で撮られてますね、これ」
 着目したのは、背景だ。
 「ああ、気づいちゃう? いや、オドだから気づくか」
 苦笑し、話す。
 「当時、家なくてさ。神官の荷物を運ぶ代わりに食い物もらってたんだけど、その時に《プリザーブ・シェイプ》で撮ってもらった」
 へー、とオド。
 同時に、これは地雷なのでは? という想像が働く。
 「どうしてっかな、姉さん。ルノたちが色々やってる裏で会いに行くかなあ」
 どうやら、そういうことはなさそうだった。 
 「まあ、続きは現地でのお楽しみってことで。やっぱこのカーペットめちゃくちゃ速いな。もう大森林を抜けるぞ」

 鬱蒼と生い茂っていた緑の木々は、やがてその高さを縮めていく。
 次にまみえるは石の地面。少々の草花や低木こそあるものの、運動不足の人間種が踏破することは難しくなっていく。
 それでも、人々は登り続ける。ある人は聖地巡礼のため。あるいは、景色のため。とにかく、魅力のある山には違いない。
 「きれいだ」
 前方の、急峻と呼ぶに相応しい山々を見て、ルノフェンはそう言わずにはいられなかった。
 「貰った地図によると、もう少し登ったら神殿が見えるようになるのかな?」
 オドは、黄砂連合で得た情報をしっかり読み込んでいる。
 「ん」
 前方で目を凝らすルノフェンが、何かに気づいたようだ。
 「ねえ、正面左。十一時の方向かな? ボクの見間違えでなければ、可愛いディータが居る」
 ディータに、可愛い?
 残る二人は、頭の中にクエスチョンマークを浮かべる。
 「ルノ、とうとうヒト型やめてても興奮できるようになっちゃったの?」
 恐る恐る、オドが問う。
 「ん? ヒト型だよヒト型。カーペット、止めていい?」
 頷く。一行を乗せたカーペットは一切の振動なく減速し、目的のディータの正面に着陸する。
 姿は、近未来的なバイザーを被った球体関節の男の子といった具合だ。
 もっとも、何らかの衝撃を受けたためか、脚は膝から下が粉々に粉砕されている。ボディにもひび割れが目立つ。
 バイザーの目に当たる部分からは、白い光が漏れていた。
 近寄り、手を触れようとするルノフェンを、オドが静止する。
 「待って」
 「なんだよー」
 思い当たることがあるのだろう。試しに手頃な大きさの石ころを拾い、ディータの方に投げてやる。
 「飛翔物検知」
 可愛らしい合成音声とともに、ディータが腕のブレードを振るうと、石は真っ二つになった。
 「うっわ、近寄ったら切られてたってこと? ありがとー!」
 ルノフェンに抱きつかれたオドは、一つの確信に至る。
 「こいつ、例の『ホワイトアイ』軍団かもしれない」
 「確かに、目のあたりがビカビカ光ってるな。壊していくか?」
 ソルカは武器を構える。
 「それでもいいけど、動けないみたいだからどうにかして情報を得られないかな」
 とオド。
 「うーん、ちょっとアヴィに聞いてみる。元の世界だと音で機械をどうにかする方法があったはずだし、それ関係の魔法をなにか知ってるかも」
 ルノフェンは交信モードに入った。
 「そもそも起きてるのかな、アヴィルティファレト様。わたしの方でも色々やってみるかなあ」
 地面に手を当て、りんごを生成。
 転がすように、渡してやる。
 ピピー、という電子音の後。
 「最優先確保対象の魔力を確認。最優先確保対象の魔力を確認。同期中の機体、ゼロ。報告モードへ移行します」
 ソルカが前に出て、警戒したものの。
 ディータは二、三度腕をぶんぶんと動かし。
 「エラー。脚部および無線モジュール破損につき命令実行不可能。索敵モードへ移行します」
 要するに、オドをどうこうすることは諦めたらしいとわかった。
 「どういうことだろう」
 よくわからないが、例によってオドが狙われていることだけは、なんとなく掴めた。
 「ルノフェン、どう?」
 相方の様子をうかがう。
 彼はぎくしゃくした動きで、ディータの方に手のひらを向けていた。
 「あー、今ちょっと憑依してる。ぼくが直接やったほうが早いからね」
 ルノフェンの声に重なるよう、アヴィルティファレトの声も聞こえてくる。
 体のコントロールは、神の方が握っているようだ。
 「やっべ、もしかして今オレ神の声聞いてる?」
 とソルカ。
 「改宗は大歓迎だよ? 低めの同期度だから大したことは出来ないけどね。《ノーツ・インジェクション》!」
 ウィンクし、魔法を放つ。
 掌から放出される人間の可聴域を超えた音は、誰の耳にも入らない。
 だが、機械には意味の通じるコードの奔流でもあった。
 「外部命令の入力を確認。ホワイトモジュールによる抵抗を開始します。エラー。攻撃者への有効な反撃手段がありません。自爆プログラムを――権限委譲完了。ダンプファイル作成。エラー。第三ストレージが破損しています」
 反応を見ながら、ディータに命令を下していく。
 「今、自爆って言ったような?」
 聞きとがめたオドを、目線で黙らせる。
 「容量不足につき、これ以上の書き込みはできません。ホワイトモジュールの分離を試みます。……完了。エラー。人格モジュールが見つかりません。ベースモジュールによる動作に変更します」
 「終わりっ!」
 最後にパチンと手を鳴らし。
 「ちょっと危なかったけど、なんとかなったかな。後は任せた。ぼくは戻るね」
 降りてきたときと同じく、彼は速やかにルノフェンの体のコントロールを返した。
 ディータの方は、バイザーから漏れる白い光がなくなっている、くらいの違いはあるように見える。
 「ふう。憑かれてるほうも結構疲れるな」
 あっけにとられるオドを、「大丈夫」となだめながら、無防備にディータへ歩み寄り、その頭を撫でる。
 ディータは、甘い声でルノフェンの施しを受け入れた。
 安全だ。
 彼は、視界に映るものを理解できず。
 「うち、接客モデル“ラック”シリーズのプロト二号。お兄ちゃんは?」
 「ルノフェン。ラックって呼んで良い?」
 いいよ、とラック。彼は、あたりを見渡す。
 「ここ、どこ?」
 と、また質問。
 「強いて言うなら聖都山脈の麓」
 頭を撫でる腕にさわさわと触れながら、コミュニケーションを続ける。
 「そっかあ。シュヴィルニャ地方じゃないんだ。えへへ、お兄ちゃん優しいね」
 シュヴィルニャ地方と聞き、オドは耳をそばだてる。
 間違いない。彼は大森林を攻め入ったディータの一人なのだろう。
 だが、なぜデフィデリヴェッタの麓に?
 オドは会話に割り込み、『ホワイトアイ』軍団について何か知らないか聞いてみる。
 「工廠に居たとき何か聞こえた気もするぅ。ちょっと待っててー」
 ラックはストレージを参照し、録音された音声を再生する。

 中身はこうだ。
 耳障りな機械音声で、傲慢そうな指示が記録されていた。
 「これより『ブラインド・ホワイトアイ』作戦を実行する。第二軍指揮官。貴様はミトラ=ゲ=テーアに揺動をかける。全滅しても構わん。どうせバックアップはここにある」
 重いものが地面に擦れる音がする。何かが歩いているのだろうか?
 「第一軍指揮官。貴様は、我が開発した空挺部隊を用い、デフィデリヴェッタを攻め落とせ。いずれ来る機械の帝国の奴隷とするために、なるべく殺しはするな。だが、市民は念入りに分からせろ。二度と立ち上がれぬようにな」

 再生終了。

 邪悪な計画であった。
 ソルカが、怒りに震えている。
 故郷が襲われているのだ、無理もない。
 「急がなきゃ」
 オドがそう言うと、ルノフェンは力強く同意。
 ことは一刻を争う。三人はカーペットに乗り込み、出発の準備をする。
 「うちも連れて行ってよお」
 状況のつかめていないラックが、頭から己のコアチップを抜き取る。
 少し逡巡した後、ルノフェンがカーペットの上から《バキューム》を詠唱して回収した。
 「姉さん、無事で居てくれよ」
 ソルカはペンデュラムに己の翼を重ね、祈る。
 
 カーペットは、魔力の軌跡を描きながら、矢のように。

 駆ける。

 風を置き去りに、早鐘を打つ心臓の音すらも追い越し、聖都デフィデリヴェッタへ。
 
 たどり着いた一行が見たものは。

 「なんだよ、これ」

 炎、けが人。破壊された何かの残骸。
 
 燃え盛る街並みと、市民を追い回すディータの群れであった。

第四話あとがき

 作者はハピエン至上主義者なのでメインキャラクターは曇らないぞ! 安心してくれ!

第五話「オルケテル様、なんか聖都ヤバいことになってない?」

 (あらすじ:ルノフェン一行は、魔法のカーペットで空を飛んでデフィデリヴェッタに到着。しかし彼らが見たものは今まさに攻撃を受け、炎上する町並みであった)

 「なんだよ、これ」
 ソルカが、声を震わせる。
 目から白い光が溢れるディータの一団が、輸送機から降下し、焼夷弾を撒きながら着陸。
 そのまま近くにいる市民を殴りつけ、拘束していく。
 あるいは、民家に押し入り、中の住人を米俵めいて担ぎ上げ、拘束部隊に引き渡す。
 場合によっては何人か死んでもおかしくはない手荒さだ。

 なんとも酸鼻きわまる光景であった。

 「ソルカ」
 ルノフェンの言葉で、彼は我に返る。
 「ああ、ごめん。まだ絶望するには早かったな」
 伸びをするように翼を広げ、彼は。
 「ルノ、オド。力を貸してくれ。オレはこの街を救いたい」
 それを聞いたルノフェンは、ソルカの背中を叩く。
 「やるに決まってるでしょ。元からそのつもりだよ!」
 オドはカーペットの魔力を借り、いくらか果物爆弾を生成。黄砂連合で買ってきたポシェットに詰め込む。
 「わたしたちも神殿に用があるし、まずはこいつらをどうにかしないとね」
 全員、利害は一致していた。
 そうでなくとも、彼らはお互いを助けたに違いない。
 「へへっ、ありがとな!」
 三人のリベレーターは、行動を開始する。
 
 彼らは目立たないようにカーペットを滑らせ、ソルカが作戦を共有する。
 「まず、姉さんと合流したい。姉さんは、屋敷を買い戻したときにこの国最強の聖騎士団長とコネを作った。手紙によると、今は騎士団の荷物の運搬を担当しているはずだ。その関係で、あいつと合流できれば騎士団と連携が取れる可能性が高い」
 地図はない。わざわざ出している余裕も、ない。
 「わかった。案内は任せていい?」
 合理的だ。ルノフェンもオドも、手勢を増やすことに異論なし。
 何より、ソルカの心情も考慮すると、それ以外の方法は取れそうになかった。
 「よし、じゃあ行くぜ! 姉さんの写真は見てるよな? 道中にそれっぽいハーピィが居たら止めてくれ!」
 言うやいなや、ソルカはカーペットをかっ飛ばす。

 ◆◆

 カルカ・ド・エルカ。種族は翼人種のハーピィ。
 生い立ちはここで語ることじゃないから、省く。とにかく大変だった。
 私には、可愛い弟がいる。
 幼い頃に、生き別れになった弟だ。
 生きていることは分かっている。毎月、十万シェルの送金と共に手紙が届くからだ。
 いくらなんでも送ってきすぎだ。稼ぎがいいとは言え、これでは手元にはいくら残っているのだろうという心配が脳裏によぎる。
 どんな姿に育ったかは分からない。写真は、一枚も送ってくれない。あるのは、過度にデフォルメされた、勇ましい彼のぬいぐるみだけ。闘技場で闘士をやっているらしいから、傷だらけの肉体を見せないようにという配慮でもあるのかもしれない。
 ムカつくから、毎回の返事には自撮りを送っている。
 聖都から去ったときだってそうだ。こっちの気持ちは何一つわかっちゃくれない。

 そんな平穏は、突如として失われる。
 
 二日前、壮絶なサイレンと共に、大量のディータが降ってきたらしかった。
 伝聞調なのは、私たちの屋敷は聖騎士団本部に近い位置にあったからだ。
 初日は、聖騎士団長フィリウスが八面六臂の活躍を見せ、区域にはオートマトン一匹たりとも入ってこなかった。フィリウスが敵を引き付けている間に、聖騎士団本部がセーフハウスを作った。
 二日目、彼は輝く光の剣でディータ輸送機を直接叩きに行った。その分守りが手薄になったので、死角から何匹ものディータが忍び込んでいた。セーフハウス内の騎士はそれらを軽々と討ち取った。

 三日目。つまりは、今日。
 自動操縦機では攻めきれなくなった敵は、主戦力を投入する。
 「グワラハハ、愉快!」
 体長十メートルもある敵の指揮官が、彼我を隔てるバリケードの真上に降ってきた。
 凄まじい衝撃だった。
 あちらこちらにはね飛ぶ木材、石畳。その一撃で、少なくとも五人が深い傷を負った。
 セーフハウスの真上でなかっただけマシ、と言えなくもない。
 ヒト型をしているだけのその化け物は、自分が何をしたかにも気づかぬまま、そのまま神殿の方に歩いてゆく。
 呆気にとられる暇はなかった。
 「来るぞ! 全員備えろ!」
 その言葉とともに、ディータがわらわらと寄ってくる。
 いくら精鋭揃いの騎士団と言えど、山のように大量の敵が相手では、押し切られてしまう。
 
 そして、今。
 私は騎士団の皆と同様に、翼と口に枷を掛けられ、路地に座らされている。
 「マスター、拘束終わりました」
 純白のパーツで揃えた軽装歩兵ディータが、一回り大きいボディの隊長に報告。
 「全く。手間かけさせやがって」
 彼はスタスタと捕虜の周りを歩き、どこから取り出したのか、革の鞭をしならせている。
 「指揮官からは“わからせろ”とのお達しだ。これで、俺達と貴様らの上下関係を叩き込む。動物みてェだな? エエ?」
 彼がヒュパン、と腕を振るうと、私の帽子に鞭が当たる。
 帽子は吹き飛ぶ。頭を守っていた、頼りない防具を失ってしまう。
 「なかなかキレイなツラじゃねえか」
 クソ野郎は屈み込み、鉄の指で私の顎を持ち上げ、白く光るモノアイでこちらを見る。
 殺意を込め、睨みつけてやる。
 彼は目を離さぬまま。
 「決めた。お前を最初に分からせてやろう。その反抗の意思が折れるのが、今から楽しみで仕方ないぞ」
 立ち上がり、鞭を構える。
 「最悪ホネまで届くかもな? ハーピィは俺たちと違って、軽い代わりに脆いからな」
 下卑た笑み。

 「カウントダウンだ、三」

 兵士が指差し、笑っているのが見える。

 「二」

 目を閉じ、痛みに備える。

 「一」

 多分、奴が全身に力を入れる。

 「……?」

 あれ?

 痛みが、やってこない。

 恐る恐る、目を開ける。
 
 見えたのは、鋼鉄をバターのように斬り溶かす魔法の刃。
 鞭を持つ隊長の腕が、一撃で飛ぶ。

 「お姉ちゃんに」
 
 反応すら追いつかない速さで、胴に切り下ろし、足に横薙ぎ。

 「お姉ちゃんに、手を出すな」

 バラバラに崩れ落ちる指揮官の奥に見えたのは、最愛の――

 ――弟、だ。

 ◆◆

 突然の隊長撃破に、どよめく兵士。

 「かかれ! 敵だ!」
 そう叫ぼうとした兵士の声は、出ない。
 「――!」
 兵士は、他の兵士の姿を見て、自らの状況に気づく。

 錆びている。
 体内を通る導線が朽ち、千切れてゆく。

 「ごめんねえ? 君たち、五人を残して他の戦場に行っちゃったでしょ? その少なさだと、濃くした《アシッド・クラウド》の的だからねえ?」
 声の主は、チア服の男の娘。
 ルノフェンだ。
 赤く、脆くなっていく兵士の関節では、もはや指一本動かすことも出来ない。
 「無線とかで連絡されても困るから、ここで壊していくねー」
 彼は躊躇なく頭を殴り飛ばし、動力部との接続を断っていく。
 「そっちはどう?」
 拘束されていた騎士や市民の方を見ると、皆立ち上がり、戦える者は首を鳴らしている。
 オドが拘束を解いたのだ。
 「ふう。拘束具がゴムで出来ててよかった」
 手に持っているのはプレフィクス品の果物ナイフだ。非力な彼にも、力を与えてくれる。
 ナイフをポシェットにしまうと、彼は薄く《キュア・フィールド》を展開し、皆の傷を癒やす。
 「ソルカは?」
 ディータを破壊し終わったルノフェンは振り向く。
 見えたのは、泣きじゃくる女性のハーピィと、彼女に強く抱きしめられながら、複雑な表情をするソルカだ。
 「わりぃ、暫く動けそうにねえわ」
 彼は姉の背中を抱き返し、謝る。
 これは、どうしようもなさそうだった。
 
 「落ち着いたら、そっちは騎士団長探して。見つかったら加勢してくれると助かる」
 作戦は、ルノフェンに引き継がれる。
 「ボクたちは神殿に行く。てっぺんに大きな鐘があるんでしょ? そこからなら、アヴィがやったのと同じように音魔法を使って、戦場全体に効かせられるはず」
 早々にカーペットへ乗り込もうとする二人を、騎士が引き止める。
 「お待ち下さい。貴方がたの力量を察するに、どうやらこの状況を覆しうる様子。これをお持ちください」
 彼は自らの首から下げていた、クリスタルのネックレスを差し出す。
 「これは?」
 ルノフェンが問う。
 「《プライベートチャネル》が掛かっています。これを下げていると、騎士団長からの指令が聞こえてくるはず。こちらからの声は届きませんが、誰が握っているかは彼に分かるので、連携の助けになるかと」
 騎士がもう一人、オドに対して同じようにネックレスを差し出す。
 「わかった、ありがとう。そっちは大丈夫?」
 受け取りながら、ルノフェンは確認。
 「残念ながら、陥落は時間の問題ではありますね。ですが、一時間、いえ、二時間程度であれば持たせられます」
 「りょーかい! なら、急いだほうがいいね」
 改めて、乗り込む。
 「お気をつけて!」
 手で別れの挨拶を行い、発進。
 騎士たちがバリケードの修復を行い始めたのを確認し、正面に視線を移す。

 「ディータたち、倒して良かったのかな?」
 とオド。
 「大丈夫でしょ。コアチップまで届いてなければだけど。やんなきゃやられるなら、ボクはやるよ」
 顔の向きは変えず、ルノフェンは語る。
 「うう。怖いけど、最終的に再生できるなら倒しちゃうのも仕方ない、かなあ」
 どうにか自身を納得させ、オドも戦場に踏み込む覚悟を決めた。

 ここからは、死闘だ。
 「わっとと!」
 早速カーペットの端に流れ弾がぶつかり、ほつれが生じる。
 「あっちは銃もアリか。連射はできないみたいだけど、こうも敵の密度が高いとつらいな」
 高高度への退避も検討したが、輸送済みの対空砲がみっちりと並べられていたことで断念した。
 彼らの知ることではないが、文字通り空を駆ける聖騎士団長、フィリウスを撃墜するための布陣である。
 「どうする? 頑張って避けてみる?」
 オドが提案。
 「流石に厳しい。それよりも、このカーペット自体の推進力を活かして、行けるところまで強行突破する方がまだ進めると思う」
 サイドロールし、斬撃を回避。
 「無論ボクたちにも被弾が来るはずから、オドの回復魔法が要ると思う」
 うへえ、とオド。
 「痛そうだ。でも、やるだけやってみよう」
 同意。魔力を高め、詠唱。
 彼は、やるときはやる子だった。
 「《マス・リジェネレーション》、《マス・ディレイ・キュア》、《マス・バーチャル・タフネス》」
 カーペットの加速に合わせ、バフを炊いていく。
 「《マス・スピードアップ》、《アンチ・バインド》、《ブレス・オブ・アヴィルティファレト》」
 ルノフェンも同じだ。次の戦闘に備える。
 「《アナザー・ライフ》、《インシュランス》、《リピート・マジック》。さあ、これで怖くないぞ!」
 これで暫くは、死のうにも死ねないだろう。己に発破をかけ、突撃。

 猛スピードで飛び来るカーペットに対し、一般兵士の反応は追いつかない。
 だが、自我持たぬオートマトンは、的確に攻撃を加えてくる。
 カン、カンと、見切れる攻撃はルノフェンがガントレットで弾いていくが。
 「ぐうッ!」
 死角からの射撃が、命中する。
 ワスプ型のオートマトンが取り付き、針で刺す。
 カーペットに穴が空き、そこからも弾丸。
 体の傷こそすぐに癒えるが、痛みは残る。
 ルノフェンだけではない、オドも同じだ。
 確かに前に進んでいる、その事実だけを信じながら、耐える。

 目標地点まで後二百メートル、というところで、カーペットが限界を迎える。
 耐久力を使い果たしたそれは、急速に浮力を失い、二人の体を地面に投げ出す。

 「あいたた……」
 受け身を取りそこねたオドが頭をさする。
 着地の際の擦り傷も、すぐに癒える。
 「大丈夫? オド。痛いのは慣れてないんじゃない?」
 ルノフェンの方は、無事に着地していた。駆け寄り、オドに手を差し伸ばす。
 「ありがと。流石に堪えたかな。でも、まだ行ける」
 手を掴み、立ち上がる。
 「ん、そうだね。実際、アイツを倒さなきゃ何も終わらない、ってのはある」
 二人は正面に向き直る。
 
 見えるのは、巨大な神殿。
 てっぺんには、鐘が見える。そこまでたどり着けば、聖都デフィデリヴェッタは取り戻せる。
 道中には、ディータの群れ。幾つかのグループに分けられている。
 最も手前には捨て石の小型オートマトン。諸々の蟲型をベースに、増設された腕でハサミなどを抱えている。これでも一般市民には手に余る。
 その次は四本脚、四本腕の中型オートマトン。腕のそれぞれが武器や拘束具を持っている。
 中程を過ぎたところで、自我持つ少年型ディータの精鋭兵士。意地の悪い笑みを浮かべている。
 そして、最後に神殿入り口。指揮官の巨大ディータが、幾つもの支援機ディータとともにこちらを睨んでいる。
 
 「《マス・フライ》」
 ルノフェンは唐突に呪文を掛け、上空に飛ぼうとする。
 「いったあ……」
 すぐさま何かに頭をぶつけ、戻ってくる。
 「ゴンって音がした」
 オドも飛んで確認すると、確かに壁があるようだ。
 障壁であった。見えない障壁が張られている。
 指揮官が、空気を裂くような声で呼びかける。
 「無駄だ。既にこの領域は我らの支配下にある。《メック・バリアー》にて、ここに至る通路をただ一つだけ構築させてもらった。貴様らが我のもとに来るには、我が軍団を滅ぼす以外に道はなし」
 
 「《クリアー・ヴォイス》」
 ルノフェンは声を張り上げ。
 「ふーん? じゃあ、その通路とやらも塞いでおけばよかったんじゃない? ボク、舐めプは良くないと思うなあ」
 息をするように挑発。
 「グッハハハ! 何を言う。これも戦術だよ。こうしておけば、わざわざ我の首目当てに攻め入る、強き愚か者を一人残らず倒せるではないか」
 一拍置き。
 「ちょうど貴様らのようにな」
 指をさす。
 「その割にはそっちに人影はないようだけど、どうやらアテが外れたみたいだね? つよつよの神子が最初にキミたちをぶちのめしても、文句はない、よね!」

 会話を打ち切り、突撃。
 拳の一撃が、最も近くに居た不幸なワスプ型オートマトンを殴り飛ばし、後続のムカデを巻き込む。
 「まずは二匹!」
 殴り飛ばした右手を開き。
 「《チェーン・ライトニング》!」
 最も得意とする、陰の風属性を用いて範囲攻撃。
 「PYGYYYY!?」
 敵は密集していた。抵抗を貫通された六体が犠牲となり、機能を停止する。
 その間に背後に回っていたアリ型オートマトンがハサミで背中を狙う! 危ない!
 「《ヴァイン・テンタクル》! 《エンチャント:ポイズン》!」
 「GYAR!?」
 戦場をよく見ていたオドがカバーに走り、蔦の鞭で軸足を打ち払う。
 即座に毒が回り、アリ型オートマトンの脚は溶け、のたうち回るだけの存在となった。
 「やるじゃん!」
 ルノフェンは攻撃手段を《ライトニング・ボルト》に切り替えながら、振り返らずうち漏らしを任せる。
 「バテそうだったら言って!」
 「分かった!」
 大量に這い寄る蟲どもを、二人で殲滅していく。
 先陣を前衛での戦闘に長けるルノフェンが担当し、オドが討ち漏らしを叩く。
 とはいえ、オドの方は無限に近い魔力があるが、ルノフェンのそれには限りがあった。
 「ごめん、ちょっと休む!」
 押し上げた前線から少し後退し、オドに代わる。
 前線を任されたオドはポシェットから輝くいちごを取り出し。
 「ほら、ごはんだよっ!」
 投擲。
 ただのいちごでは到底ありえない量の魔力を含んだそれは、小型オートマトン一群の後方に着弾。
 直後、爆発。
 ヒトには癒やしの力として働くそれは、糖と水分のショットガンとなり機械の体を貫く。
 一瞬で後詰めが壊滅し、その衝撃で前線も揺らぐ。
 魔力回復タブレットを噛み砕いたルノフェンが前線に復帰すると共に、雷の鞭を振るいオドに迫るオートマトンを焼き払う。
 「おまたせ! どんどん行くよー!」
 戦闘は、続く。

 「ほう、こいつが主の言っていた従者か」
 神殿そのものに腰を掛ける指揮官は、興味深く先程の爆発を観察し、呟く。
 「なるほど、たしかに神の力が宿っている。確かに、我に下された指令にも、納得がいく」
 分析しながら、その結果を精鋭のディータに飛ばす。
 「だが、残弾には限りがあるな? 精々我を楽しませるがよいわ」
 グハハと笑いながらも、語調は極めてシリアスだ。
 『ブラインド・ホワイトアイ』作戦は欺瞞に満ちている。
 ホワイトモジュールを組み込まれた兵士は、指揮官の指令を疑うこともしない。そのように出来ている。
 指揮官自身は別だ。彼だけには個別メッセージで、真の狙いが知らされていた。
 「たどり着いてみせろよ、我の前に」
 彼は再度、戦場に視点を落とす。

 「これで、最後!」
 ルノフェン魔力を節約し、最後の蟲型オートマトンにフックを叩き込む。
 「PYGY!」
 殴られたオートマトンは壁に叩きつけられ、機能を停止した。
 「まずは無双おしまいっと。どう? 奥にいる精鋭さん、逃げるなら今のうちだよ?」
 無駄な降伏勧告を投げかける。
 これは、強がりでもあった。このペースで戦っていれば、いずれは消耗の影響が出始める。
 「――!」
 彼らの答えは、彼我の中ほどに鎮座する、中型オートマトンによる投擲攻撃であった。
 ただの石ころではない。二本のトマホークによる重い一撃だ。
 「やっぱそうなるか」
 ルノフェンはオドへの攻撃を辛うじて弾き、その流れで自身へ飛び来る凶器を避ける。
 「《マス・リジェネレーション》、《マス・バーチャル・タフネス》」
 オドは効果が切れたバフを掛け直す。これで、一撃殺は避けられる。
 「おっと、忘れてた。《マス・スピードアップ》」
 ルノフェンも同様だ。バフは、攻撃魔法よりもコスパよく戦闘を有利にしてくれる。
 「《スムース・サスペンション》」
 精鋭兵士の一人がやってきて、中型オートマトンに呪文を唱える。
 戦いを見ていたアヴィルティファレトが、「この系統は!」と動揺し、他の神々に知らせる。
 「それだけ? もっと唱えなよ。ボクたちも同じだけ強くなるだけ、だけどね」
 手招きの答えは、舌打ちだった。
 時を同じくし、四本脚の機械が凄まじい速度で踏み込み、バルディッシュによる一閃。
 「つれないやつ」
 しゃがんでかわし、《アシッド・クラウド》を詠唱。
 「む」
 効果が、ないようだ。
 続けざまのさすまたによる突きを跳んで上に逃げ、《ライトニング・ボルト》による打撃を加える。
 オドも、今のところはなんとかついてきている。果物爆弾を投げる隙を伺っているようだ。
 「それに酸は効かんぞ。我の半径百メートルには様々なフィールドが発生しておる。無論、ディータにのみ効果がある支援フィールドだがな。貴様らは、この中で戦うことになる」
 指揮官がわざわざ解説を入れる。彼は余裕を隠さない。
 「ああ、そうだ。もう一つ追加しよう。《メック・バリアー》だ」
 気だるげに手を伸ばし、呪文を詠唱すると、ルノフェンたちの背後に障壁が発生する。
 閉じ込められてしまった。
 (面倒だな)
 そう思っても、口には出さない。
 代わりに、攻撃の雨をかいくぐり、ボディブローを加える。
 「PGY!?」
 中型オートマトンはよろめくも、すぐに体勢を整え。
 隙の出来たルノフェンに、タックル。
 「がッ!?」
 直撃し、全身の骨が折れたかのような痛みを味わうとともに、《インシュランス》が発動する。
 ひとまず生きてはいるが、意識を失うほどのクリーンヒットである。
 「ルノ! 《インシュ――」
 即座にバフを掛け直そうとするオドを、背後に回っていた精鋭ディータが羽交い締めにする。
 ルノフェンの牽制がなければ、彼を拘束するのは容易だ。
 「やめろ! 離せよ!」
 趨勢が傾いたのは、一瞬のことだった。

 「行け」
 指揮官は、支援ディータを二機、前線に向かわせる。
 人が容易に入るような、メタルのシリンダーを背中に携えた、カニのような容姿をしたディータである。
 精鋭ディータの命令を更新し、己は再び腰を下ろす。
 「くそっ、このっ!」
 暴れるオドの懐から、果物爆弾が溢れる。
 「危ないじゃないか、オドちゃん」
 会話データから二人の名前を学習した精鋭ディータは果物爆弾を蹴り飛ばし、人間種と変わらない舌でオドの頬を舐める。
 彼らも、こうなる前はヒトと一緒に暮らしていたのだろうか? そういう想像が、一瞬頭によぎる。
 「ほら、そこのシリンダー、見える?」
 精鋭ディータの一人が、オドの顎を強制的に支援機の方に向かせ、語る。
 「これがオドちゃんの新しいおうち。栄養は注射されるから、飲み食いの心配は要らない。下の方も毎日自動でお世話してくれる。良いでしょ?」
 語りながら、手際よく二人を拘束する。
 口、手足には枷がはめられ、いくらもがいても外れそうにない。
 こいつらは狂っている。オドはそう感じた。
 しかし、いかに魔力に満ち溢れていようと、言葉を紡ぐ口が塞がれていては、いかなる呪文も効果を表さない。
 オドの目から涙が流れ落ちるものの、精鋭兵士はそれを舌で舐め取る。
 「じゃあ、サヨナラ」
 ルノフェンもオドも、そのままシリンダーに押し込められ、入り口が閉じられる。
 
 二人を、暗闇が支配した。

 ◆◆

 「――! ――!」
 ルノフェンは、何者かの声に気づき、目を覚ます。
 意識がはっきりするにつれ、状況が飲み込めてくる。
 暗闇の中、四肢と頭部がガッチリと拘束されている。
 (そうか、中型オートマトンに負けて)
 ガントレットを生成しようとするも、生成物のためのスペースが確保されていないため、魔力が霧散する。
 ルノフェンは、拘束するのは好きだが、拘束されるのは嫌いだ。
 彼は生まれつき、非人道的な実験のサンプルとなる定めだった。
 鎖に繋がれ、辛い実験を何度も繰り返す中、同期であった一人の少年と絆を結ぶ。
 確か、最初にキスをしたのはボクの方からだっけ。
 とにかく、彼が、ルノフェンの生きる理由そのものだった。
 これからどうなるのかな、と考えかけたところで、ネックレスから聞こえる『声』に意識を向ける。
 「――フェン! ルノフェン!」
 知らない男の人の声だ。
 余った魔力を流し反応する。
 「むっ! 良かった、いや、良くないのか? とにかく、魔力の経路が繋がった! 時間がない、今から言うことを頭に叩き込め!」

 その男は、続ける。

 「この世界の魔法は、大なり小なり行使者の適性の影響を受ける! 種族の差もあるが、とにかく傾向は人によって違う!」

 まくし立て、なおも語る。

 「ルノフェン! お前は風属性を選んだが、お前の本質もそうか? お前の心の奥底の欲望はなんだ!?」

 意識がクリアになり。

 「ここでは、お前の本質が、お前の望みが! 生き様が! ただお前だけに力を与える!」

 言葉は意思と化し、ルノフェンの奥底を触れる。

 「思い出せ!」

 聞いていたルノフェンは、気づく。

 なんだ、単純じゃないか、と。

 ボクは望んでいた。

 最初から、声を聴きたかったんだ。

 もう一度、アイツの声を――!

 涙とともに力が溢れ、暗闇は濃く、密度を増してゆく――!

 ◆◆

 神子二人を確保し終えたディータの一団は、撤収の準備を始める。
 「全く、オートマトンがほとんど鉄くずではないか」
 遠く離れた地を横目に見ながら、指揮官はぼやく。
 騎士団長があれだけやる男であったとは。流石に計算からは漏れていた。
 「とんでもないですね、あの男は」
 精鋭も、同じものを見ていたはずだ。
 《テレポーテーション》で輸送機の頭上に転移し、《ライトニング・ブレード》でコアを断つ。位置が悪ければ、《クリエイト:プラットフォーム》で光のブロックを作り、空を走る。
 その繰り返しだ。シンプル極まるその戦法で、作戦に使用した輸送機の多くを失った。
 より恐ろしいのは、今回の戦いで彼が殆ど手札を切っていないところである。確かに、その戦法に対しろくな対策を打てなかったことにも原因はあるが、情報を全くと言っていいほど得られていない。バカバカしいまでの戦力だ。
 「さて、我々も帰る、か?」
 
 腰を上げたところで、指揮官は異変に気づく。

 神子を捕獲している支援機の、動きが鈍い。

 コマンドを飛ばし、状態を確認する。

 「なんだ、これは」
 ルノフェンを背負っている方は、重量オーバーで潰れている。
 オドの方は、もはやこちらのコマンドに答えを返さない。

 「総員」
 戦闘の構えを取る。同期は、一瞬だ。

 やがて、ルノフェンを押し込めていたシリンダーは、内部から溢れ出る漆黒の闇の腕に蹂躙され、溶けるように消え去り。
 オドのシリンダーは、白い閃光とともに弾け飛ぶ。

 「ルノフェンは闇陰、“奪う力”。オドは陽光、“統べる力”か」
 ネックレスの主、フィリウスは上空から戦いを見下ろし、状況を注視している。

 ルノフェンとオドにより、怒気とともに放たれた魔力の奔流に、一般ディータが抗えるはずもなし。
 「PYGAAA!?」
 支援機はただの金属塊にその身をやつし、それを滅ぼしてもなお勢いを保つ一撃が、指揮官に届く。
 「ふん!」
 魔力を両腕で払い除ける指揮官。命中した部位の装甲が、ドロドロと溶けている。

 「ボクを縛るだなんて。そんなことが許されるのは、世界でただ一人」

 ルノフェンは死すらも殺す魔力を両手に集め。

 「虚無の彼方に送ってあげる。第二ラウンドの開始だ!」

 憤怒を、指揮官に向けた。

第六話「こいつがこれ以上強くなったらぼくの貞操が危険だ」

 (あらすじ:ディータによる侵攻によって炎上する聖都デフィデリヴェッタにて、ソルカは姉を救い出すことに成功する。ルノフェンとオドは事態の収束を狙い、山頂にある神殿の入り口にたどり着くが、敗北を喫する。諦めかけたそのとき、二人は覚醒し――!)

 現在の状況。
 ルノフェンとオドを囲むように、多腕オートマトンが一体と、精鋭ディータ兵士が五体。
 少し離れ、苦々しげに伺っているのが、敵のボス。指揮官だ。

 最初に動いたのは、オドだ。
 「《サンクチュアリ》」
 覚醒したばかりの陽光魔法を用い、ルノフェンと共に自らを結界に隔離する。
 「チッ」
 指揮官は舌打ちし、膝のポッドからミサイルを射出。
 爆発が起きるも、結界は無傷だ。
 「《アブソーブ》《タスク・オブ・ボーパルバニー》《ディプライブ・イミューニティ》《サースティ・フォア・マサクゥル》《エンチャント:カース》」
 ルノフェンは、結界内部で悠々とバフを掛ける。オドのことは、信頼している。
 「《サモン:ドミニオン》、《リピート・マジック》」
 オドも呪文を唱え、ともに戦う天使を二体召喚する。
 笏を持つ、身長二メートルの偉丈夫だ。
 「《マス・ストレングス》、《マス・インドミタブル》、《ディレイ・ヒール》!」
 彼らも合わせて強化する。

 二人が五つの呪文を唱え終えたところで、結界が破られる。
 ディータが結界を破る方向に動いた判断は正しい。《サンクチュアリ》内部では指揮官の張ったフィールドが意味をなさず、二人からリソースを奪えないことが分かったためだ。
 「滅!」
 剣を前に構え、オドに向けて突撃してくる一人の精鋭ディータを、天使の笏が受け止める。
 「何ッ!?」
 天使は腕一本だけで払い除けると、精鋭ディータは吹き飛び、背中から地面に激突する。
 
 「SHAGYAAA!」
 次はバフの効果が残っている多腕オートマトンが跳び、一行を踏み潰しにかかる!
 「させないよ!」
 ルノフェンが反応し、右腕を質量を持つ闇に変化させ。
 「PYGY!?」
 吹き出した闇はねばつく数多の蛇になり、多腕オートマトンの全身を絡め取った!
 しかし五百キロもある超ヘビー級のボディを片腕で支えきれるのか!?
 「ンンンンン!」
 オドのバフの効果だ! 踏ん張り、足元の石畳にヒビを入れながらも持ち上げる!
 「エラー。着地できていません。機体の向きを確かめてください」
 虚しくエラーを吐くオートマトンを、彼は!
 「せー!」
 振りかぶり!
 「の!」
 指揮官に投げる!
 「フン!」
 巨大なディータは受け止めることを諦め、跳躍。
 障壁に激突し爆発する多腕オートマトンを背景に、カニ型支援機とともに自らも戦場に降り立った!
 
 衝撃によって機能を失った障壁。
 その維持に回していた分の魔素を、背中から取り込む。
 「我を引きずり出したこと、褒めてやろう」
 立つと十メートルもある巨躯から、指揮官は睥睨する。
 「こちらも任務なんでな、引くわけにはいかん。死んでも、恨むなよ!」
 最初の一撃は、体重を乗せた踏みつけ。
 異常な速度を持って行われた踏み込みは、石畳の残骸を周囲に弾き飛ばす。
 召喚された天使の片方がかわしきれずに致命傷を負うが、ルノフェンとオドは踏み込んだ軸足を重力に抗いながら足場として利用し、駆け上る!
 「ちょこまかと!」
 腰のミサイルポッドが展開し、指揮官自身の体への被弾をいとわず、発射!
 「《プロジェクタイル・プロテクション》!」
 「《アストレイ・ホーミング!》」
 呪文によりミサイルは誘導性能と威力を逸らされ、空中で爆発!
 横槍を入れたのはソルカと、その姉カルカだ!
 障壁の消滅に伴い、加勢しに来たのである!
 ルノフェンがメロイック・サインで謝意を伝えると、カルカは顔を赤らめた。
 息つく間もなく二人は指揮官の頭部にたどり着く!
 「ぬゥん!」
 風を切り飛び来る巨大な拳!
 「力比べ? 良いよ!」
 再度ルノフェンは闇と化した右腕を構え、拳を殴りつける!
 「ぬ、ぐォおおおッ!」
 身長十メートルの巨人と、一メートル半にも満たない男の娘の力が、拮抗する!
 「《インクリース・ディスプレイスメント》!」
 生き残りのカニ型ディータがバフを掛ける!
 徐々に圧されるルノフェン! ミンチ待ったなしか!?
 「わたしも居るんだよ? 《コマンド:スタン》!」
 「《グレーター・ストレングス》!」
 オドの妨害により拮抗を取り戻し、天使のバフによりルノフェンが優勢となる!
 
 そして!

 「いっけえええええッ!」

 ルノフェンの闇の拳は、指揮官の拳を殴り抜け、その勢いのまま反転し腹部に強烈な一撃を加える!
 有り余る衝撃は拡散し、残った精鋭ディータを弾き飛ばす!
 「おのれ、おのれェッ!」
 殴りつけた右腕を失い苦しむ指揮官! だが、撃破にはまだ足りぬ!
 「こうなってはなりふり構っては居られぬ! 《エンチャント:ブレイク》!」
 左手を右肩に置き、武器庫めいた体内から冒涜的なまでの物量を持ったミサイルを放つ! 「全弾斉射! 死ぬがよい!」
 最後に死体さえ残れば下された任務に支障なし! 一旦上空に放たれたミサイルは、空を覆い、この場の全員に降り注ぐ!
 「みんな、集まって!」
 呼びかけたのはオド! ルノフェンは察し、彼を抱えて指揮官の肩から飛び、地面へ!
 ソルカ姉弟も集まる! おお、彼にはこの絶望的状況を乗り切るすべがあるというのか!?
 皆が集まったことを確認し、オドは唱える!
 「《ダブルキャスト》! 《サンクチュアリ》! 《リピート・マジック》!」
 ミサイルが着弾するコンマ〇五秒前! 何者をも寄せ付けぬ多重結界が生成!

 ZGOOOM! KRATOOOM!

 ミサイルは吸い込まれるようにオドの結界に着弾する!
 結界の維持に使う魔力は、尋常の量では済まないに違いない!
 
 だが! オドならば!

 ミサイルを受け続ける結界の中の、彼の顔は!

 この世界に来るまでには見せなかったであろう、自信に満ちた表情であった!

 ◆◆

 暫く爆発は続いていたが。

 やがて、全てのミサイルが役目を果たし、残骸が地に落ちる。

 神殿周辺は黒い煙に満たされ、一寸先も見通せない。
 
 それも、山脈に吹きすさぶ一陣の風が、すぐに彼方へ吹き飛ばす。

 破壊の衝撃は凄まじく、ミサイルは結界の周囲を球状に抉っていた。

 オドは衝撃が止んだのを見計らい、結界を解く。
 「うわっ、浮いてる!?」
 クレーターの底に落ちかけるオドの背中を、ソルカが両足の鉤爪で掴んで引き止める。
 「身長の割に軽いな、オド。肉を食え、肉を」
 小言を言いながら、優しく地面に下ろしてやる。
 「そうだ! あのデカいのは!?」
 しなやかに着地したルノフェンは、クレーターの縁に登り、周囲を見渡す。
 
 「うーわ」
 彼が見たものは、穴だらけになり、機能を停止した指揮官ディータである。
 
 「これで、終わったのかな?」
 カルカは飛びながら、ルノフェンに確認する。
 
 「いや、まだだ」
 上空から一人の騎士が降り来て、代わりに答える。
 高価そうな全身鎧に羽根つきのフルフェイスヘルムという出で立ちで、一切の肌と表情は隠されている。
 「あっ! 聖騎士団長様!」
 カルカがカラスのようにぴょんぴょんと跳ね、聖騎士団長の腕に頭を擦り付ける。
 普段はやらない。カルカにとって特に意中ということもないのだが、彼はミステリアスな強者ゆえ、そもそも国民からの人気が高すぎるのだ。
 彼は気にせず、一行に己の身分を明かす。
 「黒の神子様、お初にお目にかかる。私の名はフィリウス・ルシスコンクィリオ。この聖都デフィデリヴェッタで、聖騎士団長を拝命している」
 簡易な敬礼を行い、ルノフェンもそれに倣う。
 「ボクはルノフェン。と言っても、そっちはボクのことを知ってるみたいだね。フルネームが必要ならラパンを付けて。こっちはオド・クロイルカ」
 「ど、どーもー」
 さっきの自信はどこへやら、オドは控えめに対応した。
 「うむ。とりあえず、今の状況を整理しよう」
 フィリウスは、ボロボロの神殿内部に一行を招き入れる。
 「現状、敵の指揮官は倒した。君らの戦果だ。空で輸送機を潰しながら見ていたよ。だが、残る問題が二点ある」
 率先して、手近な椅子に座る。続いてルノフェンたちを促し、座らせる。
 「まず、国内に蔓延るディータどもは未だに破壊活動を続けている。これが第一の問題。そして、ディータが大気中の魔素を食らい付くしたことで、この国のマナ装置に一部支障が出ている。その結果として、神殿の機能も一部停止中だ」
 彼の目は、領内の複数のポイントを同時に見ている。陽光属性は、視覚系の呪文をその範囲に含んでいる。
 「なるほどねえ。マナ装置は分からないけど、指揮官を倒しても、ディータ兵士を支配しているであろうホワイトモジュールは外れない、ってことかな」
 ルノフェンが話をつなげる。
 「まあ、そういうことだ。マナ装置は放っておけば小世界樹がどうにかしてくれるだろうが、兎にも角にもディータを片付ける必要がある。もっとも、少人数で倒し切るにはあまりにも多すぎる量ではある」
 話に、オドが割り込む。
 「だったら、わたしたち、というかルノがなんとか出来るかもしれません」
 聞かせてくれ、とフィリウス。
 「むしろ、そのためにボクたちが居る、というのかな。フィリウスさんのそのネックレス、普通の音だけじゃなくて、超音波も送信できるのかな?」
 要するに、国中に散らばる騎士が持つネックレスを媒介に、道中で出会ったラックというディータにやったような、コマンドでの干渉を行いたい、というところである。
 「なるほどな。悪い賭けじゃない。ちょっと実験してみようか。そこのまだ機能が残ってそうなヤツを使うとしよう」
 フィリウスは目視でボロボロになった精鋭ディータを選び、《アザー・テレポーテーション》で引き寄せる。
 「あ、そうだ。ちょっと待ってて」
 言うやいなや、ダッシュで走り去るルノフェン。
 
 荷物袋を片手に戻ってきた彼は、その中から、道中で出会ったラックのコアチップを取り出す。
 オドの《コマンド》の助けを借り、コアチップを入れ替える。
 「多分これなら、実験に失敗しても安全だと思う」
 再起動し、様子を見る。
 程なくして、起動音。
 「おはよー。うちは接客モデル“ラック”シリーズのプロト二号。ラックって呼んでね」
 目を開け、ルノフェンの方を見、何度かまばたき。
 「あれえ? また変なところに居るぅ。お兄ちゃんお久しぶりー」
 素体が入れ替わっていることにも気づいていないようだ。手を振り、愛想良く笑う。
 「なんというか、ふわふわしているな。さっきまで戦っていたのとは大違いだ」
 フィリウスはネックレスの親機をルノフェンに渡しながら、感想を述べる。
 「はーい、ラックちゃんはそこでじっとしててねー」
 五メートルほど離れ、ネックレスに向け、極めて弱い出力で《ノーツ・インジェクション》を放つ。
 「んんー? 体が勝手に動くー」
 オドの子機から増幅されて放たれた魔法は、確かに効果を及ぼす。
 ラックは女の子が取るような可愛い姿勢を取らされていた。
 前傾姿勢で手を腰と額に当てるポーズ。あるいは内股に座り、両手を広げハグを求めるポーズ。
 「うわ」
 カルカは思わず目線をそらす。元の世界で少女の魅力を高めるために考案された種々のモーションは、刺激が強いものばかりだ。
 しかも、操られているのは美形の少年型ディータである。
 なお、弟のソルカは全く動揺していない。彼はむしろ、闘士としてファンサをする側であった。
 最後に、オドは自らのカワイイを磨き上げるためか、見入っていた。
 「もう良いだろう。実験は上手く行った、ということだな?」
 カルカを見て、それとなくまとめにかかるフィリウス。
 「ん、そうだね。全部のネックレスに対して一括送信できるんでしょ?」
 ああ、と返す。
 作戦は、実行可能のようだ。
 「じゃあ、決まりだね。早いところやっちゃおう!」
 ルノフェンは親機を返し、フィリウスに作戦の通達を任せる。
 その間にラックを撫で、何かを思いつく。
 「あ、そうだ。終わったら祭壇も見ていきたいかな。オドの魔力があれば、他の国との連絡くらいは出来るかも」
 「じゃあ、その案内は私がやるね。これでも、オルケテルの神官でもあるし」
 買って出たのはカルカだ。
 「ん、じゃあよろしく」
 ルノフェンは彼女の翼をトントンと叩き、承諾した。

 フィリウスの作戦通達は、すぐに終わる。
 「よし。ルノフェン、後は任せた」
 片手で投げられたネックレスを、ルノフェンは掴み取る。
 「ふー。この国の行く末を握ってるって思うと緊張してきたな」

 一旦胸のあたりに手を置き、深呼吸。
 「いつも通りマイペースにやりなよ。それが一番いいよ」
 オドが肩に手を回し、激励する。
 「うん、そう。そうだ」
 自分の調子を取り戻し、詠唱。

 「《ノーツ・インジェクション》!」
 
 ◆◆

 聖騎士団本部、セーフハウス前。
 にらみ合う、騎士と幾百ものディータ。
 そこら中に機械の残骸が散らばり、騎士の覚悟の強さが伺える。
 
 とは言え、誰も彼もが満身創痍であった。

 「あー、一応聞いておくが、降伏しないか? 貴公らの指揮官は倒れている。その情報は既に得ているだろう?」
 部隊の指揮を任された騎士が、ディータに呼びかける。
 無論、無駄だと分かっている上での提案だ。
 「それは出来ません、騎士よ。ワタクシどもに下された命令によると、降伏も撤退も許可されておりませんので」
 白いドレスを着た上品な女性型ディータが前に歩み出て、にべもなく断る。
 「そうかい、それは残念だ」
 騎士は長剣を構え、臨戦態勢を取る。
 場の空気がヒリつくような緊張感を帯びた。

 死闘がまさに始まるかと思われた。
 
 まさにその瞬間。

 「ぴんぽんぱんぽーん! 団長からお知らせだよ!」
 幼い子供の声が、部隊長の首元から聞こえる。

 戦場にあまりにも不釣り合いな声に、彼以外が訝しむ。

 彼は左手で、装備しているネックレスを取り出した。
 「いや、すまん。今年で五歳になる娘が居てな。その声を受信音にしてたのよ」
 ネックレスの音量を抑え、指示を聞く。

 ドレスのディータが、冷ややかな視線を送る。
 「娘、ですか」
 彼女はただ、呪わしげに呟く。

 それほど長くはない時間を掛けて、通達は終わる。
 
 「悪いな、待たせちまった」
 部隊長はネックレスに細工した後、外し、地面に落とす。
 
 彼は両手を広げ、前に出て。
 「終わりだ、終わり。じき、国王から終戦の宣言が出るだろうさ。俺は帰るわ。ツラ見せて娘っ子を安心させなきゃならん」
 言いながら、武器を仕舞ってしまう。
 そのまま背を向け、他の騎士の合間を縫って堂々と去ってゆく。
 
 「待て、騎士。こちらには継戦の意思がある」
 ディータ側からすれば、不服という他ない。
 彼女は煌めく二本のレイピアを構え、部隊長を睨みつける。

 「ほー、やってみろよ」
 彼は兜を脱ぎ、素顔を晒し。

 「“ソレ”聴いてもやれるんならな」
 
 とどめの言葉が放たれた、刹那。

 ディータのみが聞き取れる高周波のコマンド列が、地面に転がるネックレスから放たれる。

 「なッ!?」
 防ごうにも防げない。
 呪力を帯びた音は、適切な対抗手段なしでは抗えない。

 彼女は、聖都中のディータから、継戦に支障が出ている旨、報告を受ける。
 自我持つ者だけではない、オートマトンも同様だ。

 そして、報告を受ける自身も、例外ではない。
 もはや武器を持つことは叶わず、カランと二回虚しい音を立て、マジック品のレイピアは石畳の上に置き去りに。
 プログラムによって埋め込まれた攻撃の意思が、仮初めの人格が、剥ぎ取られていく。
 
 偽物の欲望も。

 最後に、憎悪も。
 意識は溶け去り、再起動という名の、慈悲深い眠りに襲われた。

 瞬く間に、聖都は静まり返る。

 時計の針が一つ周るも、なおも静寂は続く。

 聖都を燃やす炎は薄い魔素の中でも辛うじて稼働している自動消火装置により、徐々に勢いを弱めていく。

 「パパー?」
 外に出るな、と言いつけられていたはずの幼い子どもが、空気の変化を敏く感じ取る。
 窓から様子を見た後、彼女は街路に飛び出した。

 キョロキョロと首を回すと、遠くには見慣れない機械の残骸が、大量に転がっている。
 
 聖騎士団本部への道。昔、パパと一緒に歩いた道。
 あたりには誰もいない。
 いつも美味しい匂いが漂ってくるパン屋も、無愛想な店主の時計屋も、閉まっている。

 階段だらけの、道半ば。足が疲れたのでベンチに座る。
 今日は様子が変だ。
 彼女は記憶を手繰り寄せる。こんな日は今まで一度もなかった。
 とりあえず、パパに会うために歩こう。
 意志を取り戻し、歩く。

 もうすぐたどり着く、といった頃。
 パパの職場の前に、一人の女性が立ち呆けていた。
 ママではない。だけど、上流階級が着るようなドレスを身につけた彼女は、ぼんやりと。
 目元をよく見ると、泣いている。
 なぜだろう?
 「あなた、どうしたの?」
 声を、かけてみる。
 彼女は、ハッとしたように我に返り。
 「あら、ごめんなさい。ワタクシ、少し意識を失っていたみたい」
 目に気力を取り戻すと、彼女は屈み込み、こちらを撫でた。
 「なまえ、なんていうの?」
 撫でられながら、またも問う。
 「ええ、と」
 彼女は短い間、不意を突かれたような顔をして。
 「じゃあ、ダナ・パヴァーヌ、とでも呼んでもらおうかしら」
 「わかった! ダナさん!」
 こちらは、笑顔で、にこやかに。
 「可愛い子ね」
 釣られ、彼女も笑顔になった。

 「んんー? デボちゃんの声がするぞー?」
 聖騎士団本部の扉を開け、一人の男性が顔を出す。
 彼は一瞬ぎょっとしたが、状況を把握し、すぐに笑顔を取り戻す。
 「この子、貴方の娘さん?」
 ダナは困ったような笑みを浮かべる。
 「あ、ああ、そうだな。自慢の娘だよ」
 ギクシャクした手振りとともに、返す。
 「あの、さっきまではごめんなさいね。プログラムのせいとは言え、皆を危険に晒しちゃって」
 踏み込んだのは、ダナの側だ。
 「いや、こっちこそすまん。二十、もしかすると、三十体はあんたの同族を斬っちまったかもしれん」
 彼は頭を下げ、謝罪する。
 間に立つ子供、デボラはわけが分からず、双方を交互に見ている。
 ダナはクスクスと笑い。
 「貴方、ディータにはそれほど詳しくないようですのね。オートマトンなら命と言えるようなものなど持ちませんし、仮にディータでもコアチップが無傷なら、なんとでもなりますよ」
 言葉に合わせ、右手を差し出す。
 男は頭を上げ、その手を握り返した。
 「これから、どうするんだ?」
 その質問に、ダナはこう返す。
 「そうね、街の復旧を手伝いながら、酒場の仕事でもやりましょうか。これでも、シュヴィルニャではダンサーとして造られて――」

 穏やかな夕日が、彼らを照らす。

 こうして、ディータの侵攻は、ひとまず終わった。

 だが、この物語はまだ続く。

 視点を、山頂の神殿へ。

 「ふいー、疲れたー!」
 音を介して聖都中のディータからホワイトモジュールを取り去ったルノフェンは、両手を上げ、くるくると回る。
 「はい、ジュースあるよ。頭使ったでしょ?」
 オドが差し出したガラスのコップは夕日に照らされ、中の液体の色も相まってみずみずしいオレンジに輝く。
 「んー! ありがとー!」
 受け取り、ごくごくと飲み干した。
 《マナ・リカバリー》が込められたジュースは、彼の疲労を取り除く。
 「よし! 祭壇行こっか!」
 コップを返し、カルカに案内を頼む。
 彼女は振り返り。
 「分かった。ちょっとルノフェンと話したいこともあるし、ソルカはお留守番ね」
 ソルカを脚で指す。
 「あいよ。団長から姉さんのエピソードでも聞いて待ってるぜ」
 「もう」
 そっぽを向いて照れを隠し、歩き出す。
 祭壇は、地下にある。
 ルノフェン、オド、カルカの三人で、チカチカと明滅する鉱石ランプの通路を歩く。
 一行の声が地表に届かなくなった頃を見計らい、カルカが声をかける。
 「ねえ、ルノフェン」
 「なにかなー?」
 彼女は、躊躇いながら口を開く。
 「その、最初に助けられたとき、貴方からソルカの強い匂いがして、ソルカからも貴方の匂いがしたんだけど。何かした?」
 オドがなにかに感づき、「あっ」と声を漏らす。
 「そりゃもう、ナニだよ」
 ルノフェンは答えになっていないようで、事実直球の答えをぶつける。
 
 三秒の、沈黙。

 「え?」
 カルカは、聞き返す。
 頭の中では、答えに至っている。しかし、理性が理解を拒んでいた。
 「わたし、しーらない」
 オドは黙秘を決め込む。ルノフェンが何を口走るか、彼には分かっていた。
 
 「ソルカ、気持ちよかったよ?」
 純粋な目で感想を述べるルノフェン。
 それと同時に、カルカの中のソルカ像が、ひび割れる。
 彼女はたたらを踏み。
 「あえて聞くけど。どっちが攻め?」
 すがるような面持ちで、更に問う。
 ルノフェンはんっふー、という声を出し。
 「ボクが攻め。ソルカ、女の子みたいで可愛かったなあ。翼を撫でながら突くと、喘ぎながらピクッと震えるの」

 脳内のソルカ像は、粉々に砕けた。

 「弟に、さ?」
 彼女は震えながら、魔力を集め。

 「あっ」
 オドは反射的に、《プロテクション》を唱えた。
 鉤爪に集約した魔力で、一撃。
 「弟に何してくれてんのこのドグサレヤロー!」
 「ぎゃーっ!」
 ケツを蹴られたルノフェンは、ゴロゴロと階段を転げ落ちる。
 「あーあー」
 予想できていた惨状だった。オドは駆けて追いつき、《レッサー・ヒール》を唱える。
 「ひと目見たときは可愛くて格好よかったのにい!」
 カルカは息を荒げ、石の壁を蹴りつける。
 かと思えばしゃがみ込み、嘆く。
 「節操がなさすぎる……ルノフェンもソルカも……」
 泣きこそしないが、それでも相当なショックであった。
 
 「行こう、お姉ちゃんももっと強くならなきゃ」
 胸のうちに傷を抱えたまま、歩き出す。
 「その、ルノが後先考えなくてごめんね」
 オドは追いついてきたカルカの隣に並び、代わりに謝罪。
 「いいのよ、いつまでも姉の後ろ姿を見てる方が怖いし」
 自嘲気味に笑い、続ける。
 「でもさー、せめて逆だったらまだ傷は浅かったのになあ」
 (そういう問題なの!?)
 オドは声には出さず、心のなかで突っ込んだ。

 その後は、気まずい無言が続いた。
 やがて、一行は祭壇にたどり着く。
 
 外の激戦をまるで知らないかのような純白の石で出来た部屋に、太陽とその周りを飛ぶドラゴンが象られた布が掛けられている。
 祭壇本体の後ろの壁には荘厳な王の聖画がはめ込まれており、これこそが主神オルケテルを模した姿に違いない。
 
 彼らは無言のまま、室内に入る。
 ルノフェンは尻を押さえながら祭壇の前にひざまずき、この地におわす神との交信を試みる。
 すぐさま、彼は何かを感じ取り、オドに指示を出す。
 「魔力が足りない。手、握って」
 言われるがまま、そうする。
 「《ドレイン・タッチ》」
 「ぐうっ!」
 オドは喪失感に襲われ、ルノフェンは滾る。
 ルノフェンを介して祭壇に流れ込んだ魔力は、神の座への献上物となり。
 「来たか、神子よ」
 オルケテルの領域を通して、世界中にその健在を知らしめた。

 「デフィデリヴェッタとの魔力疎通、確認! ルノフェン、よくやった!」
 魔力の道を通して、すぐにアヴィルティファレトの声が祭壇に響く。
 「あ、もう魔力供給はいいよ。流石にオドくんも干からびちゃうからね」
 指摘を受け、《ドレイン・タッチ》を解除する。
 「エッグいぞ、これぇ」
 魔力を吸われていたオドは荒い息を吐き、その場に座り込んだ。
 「で。ボクたちの冒険は、これで終わりじゃないよね?」
 と、ルノフェン。
 アヴィルティファレトは首肯する。
 「うん。悪いんだけど、オルケテル様の領域が復活したことで、消去法的に元凶の居る地域が割り出せた」
 かの神はルノフェンの脳内にイメージを送り、言葉を続ける。
 「シュヴィルニャ地方。この大陸の、北の果て。封じられた機神の眠る、凍りついた地にして、全てのディータの故郷」
 「機神?」
 問いで返す。
 「そう。古代人に造られた神、ムコナダァト。さっきの戦闘でディータたちが使っていた魔法は、彼女が関係しているはず。悪神ではないけれど、厄介には違いない。状況からして、多分凍結が解かれたわけではないと思う。放っておくと大変なことになりそうではあるね」
 その姿を直接見たものは、この世において神々以外になし。
 「ふーん」
 相槌を返し、続きを促す。
 「まあでも、君たちのお陰で、状況はどんどん良い方向に向かってる。問題のシュヴィルニャ地方に居るミクレビナー以外とは連絡が取れたし、麓の様子を見る限り、この聖都も暫くは大丈夫なはず」

 神は少しだけ、間を置き。

 「この際だからさ、この世界での休日を過ごしてみない?」
 そう、提案した。

第七話「かわいいかわいい神子くんの休日。あれ? 一人多くない?」

 (あらすじ:聖都デフィデリヴェッタにてディータどもの侵攻をどうにかはねのけた一行。敵の本拠地が判明したところで、つかの間の休日を堪能することになった!)

 「それじゃあ、乾杯!」
 「「「かんぱーい!」」」

 戦いを終えた後の夜。第一回お疲れ様でした回が、カルカ邸にて開かれた。

 ルノフェンが手に持つのはエールのジョッキ。子供のような見た目だが、彼は成人している。
 「にしても、ソルカの家って豪邸じゃん。入り口通って即シャンデリア付き広間って、洋館を歩き回るホラーゲームでしか見たことないな」

 絡まれるソルカは、テーブルにワインのグラスを置いている。うまく掴めるよう、グラスの足には二本の穴が空いている。ハーピィは立食には向かない身体構造をしているので、座って足で食べるのだ。
 「いやー、大変だったんだぜ? 最初の頃は一試合で五百シェルしか貰えなかったからさ、家を買い戻すために毎日試合に出て、食費も限界まで削ってさー」
 彼の好物である、香辛料の効いた魚のステーキを口に運びながら、カルカの方を見る。今ソルカらの家が維持されているのは、彼女の才覚による部分も大きい。
 
 「ソルカ、食べるか喋るかどっちかにしてよ、もう」
 家の主、カルカは使用人たちに指示を出しながら咎める。
 彼らの目の前にある質の高い料理は、彼女がかき集めたレシピをもとに、使用人たちの手によって作られている。
 彼女は冷たい紅茶を一口飲んだ後、新しくこの屋敷にやってきたディータの使用人から、運ばれた料理を受け取った。

 その使用人の名は、ラック。同士討ちによりコアチップが故障した少年型ディータのボディを即席で修理し、そのまま使用している。ルノフェン曰く、リユースだから仕方ないとのことである。
 「マイレディ・カルカ。料理はこれで全部ですよー。不都合ないですかー?」
 普段どおりふわふわした雰囲気をまとっているが、彼は本来食堂での接客のために作られた存在だ。上手く立ち回っている。
 彼はデフィデリヴェッタに残ることにしたそうだ。そもそも戦闘が好きではないということもあり、カルカ邸で仕事をする、とのことである。
 「うん、これで良いはず。ありがとね」
 撫でられたラックは一礼し、去ってゆく。彼は彼で、同僚から可愛がられるに違いない。

 「オドくん、ちゃんと食べてる?」
 カルカはオドの方に気を配る。
 彼は未成年なので、グラスに注がれているのはぶどうジュースだ。皿には香ばしいソースのかかったハンバーグと、丸いパン。
 答える前に口の中のものを飲み込む。
 「頂いてます、美味しいです!」
 にっこりと微笑み、返す。

 「良いよね、健気な子は。そういう子が美味しく食べる姿は尊い」
 うっとりとしながら、カルカも料理に手を付ける。
 デフィデリヴェッタの厳しい環境で採れた香草と、ぷりぷりとした白身魚のマリネを頬張り、評価を下す。
 「うん、やっぱりハレの日はこれよね!」
 満足行く出来栄えのようだった。

 「カルカさん。そういえば魚料理が結構多いですけど、デフィデリヴェッタって近くに海はないですよね?」
 今度はオドの方から話しかける。
 「んあ? そうね、あるにはあるんだけど、地形が厳しいのと、漁業に適した水精族マーマンがほとんど居ないから、事実上外国との貿易港だけね。魚は大陸東側のソルモンテーユから冷凍したものを輸入してる。肉は半分がシュヴィルニャで、もう半分が国内産。農作物は色々リスクを考えて、大体はこっちで採れるのを使ってる」
 「へー、お詳しいんですね」
 「まーねー」
 カルカは回想する。
 実際のところ、流通に詳しくなったのは、失踪した親の遺産を買い戻し、資料を読み込んだことに尽きる。
 親がやっていた事業は、貿易商。頓挫した理由を詳しく語ることはしないが、要は業界環境上の問題だったとしておこう。
 おのれ、ソルニア公社。
 
 大量に盛られた料理は、主にルノフェンとソルカによって、かさを減らしてゆく。
 「明日のことも考えて、六人分も用意させたんだけどなあ」
 内訳。デフィデリコンソメスープ、フィデリ牛のソテー、地場産レタスとオニオンのサラダ、シュヴィトナカイのハンバーグ、凍土風レッドシチュー、ソルモンタイのマリネ、巨大遠洋魚ステーキ、高山種小麦のロングブレッド、エヴリスいちごのショートケーキ。
 それと、各種飲み物。
 各人の胃袋の許容量が分からなかったので、取り分けを各自に任せて正解だった。
 
 「んー、ごちそうさま!」
 パン、と両手を合わせ、すべてを食べ終えたルノフェンは感謝の言葉を口に出す。
 「ごちそうさまでした」
 オドも倣う。ルノフェンの半分程度の量だが、彼にとっては満腹だ。
 「お粗末さまー」
 「ういうーい」
 ソルカ姉弟は適当に相槌を打ち、使用人に皿を片付けさせる。
 ひとまず宴は終わり、ということだ。

 ルノフェンは窓の外を見て、よく響く声で。
 「よーし、じゃあ、ボクは娼館行ってくる!」
 立ち上がり、そのまま館の外に出て行ってしまった。
 なお、荷物袋については《ポケット・ディメンジョン》を習得したことで、不要となったそうだ。
 「し――!?」
 驚くオドの横顔を、柔らかな夜風が包む。
 「あんなに食べてまだ動けるの?」
 彼の驚きをよそに、門はゆっくりと閉じ、ルノフェンの姿は見えなくなっていく。
 「あーゆーとこ、アイツらしいよな」
 「そ、そうだね」
 三人は、取り残される。

 気を取り直し。
 「そーいや、オドはルノのこと、知らね? エピソード的な意味で」
 机の上に、新しいワインとチーズが運ばれてくる。
 オドの前にはよく冷えたハーブティーとチョコレートの粒だ。
 「うーん、元の世界だとそもそも接点がなかったもんなあ」
 ハーブティーに手を付け、考える。
 「ルノ、一言で言うなら寂しがり屋なのかなあ」
 「寂しがり屋?」
 意外にも話をつなげたのはカルカだ。
 「うん。チームの朝礼が終わったら即二度寝するくらいには夜遅くに帰ってくる人で。噂を聞く限り多分そっちでもその、娼館に行ってるんだけど、ルノが満ち足りた表情で朝礼に出てくることってあんまりないってゆーか」
 「へー」
 ソルカはオドの供述を肴に、なおも飲む。
 「だから、今朝のつやつやした顔みて正直びっくりしたのはあるかなあ」
 「へー。……ん?」
 彼は酔った頭で、朝のことを思い出す。
 「あ」

 思い出す。

 昨晩アイツと一緒に居たの、オレじゃん。

 「どうしたのよ、そんなポカンとしちゃって」
 まさか例の交合がつい昨晩行われたことなど知らぬカルカは、弟の顔を覗き込む。
 「い、いや、なんでもねェよ。そっか、アレで良かったんだな」
 翼で顔をくしくしと洗い、元の調子を取り戻した。
 
 その後、もう少しだけ談笑し。
 「すみません、お風呂お借りしてよいですか?」
 「案内させるよ」
 オドが眠気に耐えきれず、おやすみの準備をするため、広間から離れた。
 つまり、この場にいるのはソルカ姉弟のみ。

 「ソルカ、おっきくなったね」
 身長は小柄だが、二人分の食事をたやすく平らげたソルカに対し、感慨深く呟く。
 「姉さんもな」
 飛べるかどうか怪しいくらいにはお腹を膨らませた彼は、椅子にもたれかかっている。
 「ルノフェンに、ついて行くんでしょ?」
 (危ないのに、ね)
 カルカは本心を抑え、問う。
 「ま、そうだな。今回の冒険が終わるまでは、そうする。後はそのとき考える」
 眠気をたたえる目元を拭い、彼はそれが当然であるかのように、答える。
 その様子に、かつての光景がフラッシュバックする。
 我慢できず、彼女はソルカの方に歩み寄り。
 「ん」
 彼を見送ったあの日のように、翼で包み込む。
 「よせよ、もうオレは子供じゃないんだ」
 そう言いつつも、抵抗はしない。

 暖かい、沈黙が流れる。

 「約束」
 ソルカの耳元で、契る。
 「覚えてるよ。『必ず、必ず生きて帰ってくるように』。だろ?」
 振り返り、確認する。
 「一回守ったんだ、今度もそうするさ」
 誓い、彼女の翼に己の翼を這わせる。
 「暫く、このままで居させて」
 「……うん」

 夜が、柔らかに彼らを覆った。

 ◆◆

 ふかふかのベッドの中。
 オドは、毛布の下で、埋もれるように眠っていた。
 「ちりりん♪ ちりりん♪ 起きる時間だよっ♪」
 夢でテヴァネツァク神の声を聞いたという狂信者の作った目覚まし時計が、朝を告げる。
 「んうー」
 言葉にならない呻きを発しながら、右手で目覚まし時計の有りそうなポイントをペシペシと叩く。
 「ちりりん♪ ちりりん♪」
 十回ほど試し、埒が明かないと判断したのか、ベッドからようやく這い出てくる。
 目覚まし時計を視認したオドは。
 「うわあ」
 と力なく言葉を漏らす。
 想像上のテヴァネツァクを象った目覚まし時計は、浮いていた。
 止めようとして手を動かすと、ふわりと避けてしまう。
 目覚まし時計はオドの意識が覚醒したことを確認すると、ストンと地面に落ち。
 「おはよー! 今日も頑張ろうね!」
 と音声を発し、動作を停止した。
 なるほど、これでは二度寝など出来ないだろう。
 「テヴァネツァク様、流石にこんなに子供っぽくはなかったかなあ」
 実際に神の姿を知る者はこれ以上何も言わず、奥ゆかしく顔を洗うことにした。

 「ありゃ」
 朝の支度を終え、広間に降りてきたオドは、ソルカ姉弟がすやすやと床で眠っていることに気づく。
 使用人に話を聞くと、何年ぶりかも分からない再開を引き剥がすのもアレだし、同じベッドに寝かせて何かが起こったと勘違いされても困るしで、とりあえず毛布だけ掛けといた、とのことである。
 ソルカの頭をつんつんとつつき、起こしてやる。
 「うっそ、朝!?」
 彼は飛び起き、羽ばたいて歯を磨きに向かった。
 その衝撃で、姉の方も目覚める。
 「ふわーあ」
 落ち着いて伸びをした後。
 「起こしてくれてありがとね」
 ぴょんぴょんと跳ね、ソルカと同じ方向に。
 
 オドは一人、広間に取り残される。
 やがて。
 「ごはんできたよー」
 予めピカピカに磨かれた机に、ラックの手によって朝食が配膳されてゆく。
 パンと卵、ソーセージを軸にした、安定とも言えるメニューだ。
 ブラックコーヒーは黄砂連合産であったとしてもまだ飲めないので、ミルクティーにしてもらった。
 「先食べてて良いって言ってたよ」
 カルカからの言伝を受け取り、フォークを握る。
 「それじゃあ、いただきます!」
 オドが卵にフォークを入れようとした、その瞬間。

 「ただいまー!」

 正門が勢いよく開け放たれ、ルノフェンが戻ってくる。
 「おかえ、り?」
 よく見ると彼の後ろに、しおらしい様子の、青肌の女性が着いてきている。
 背はオドの身長より少しだけ高い。最も背の低いソルカと比較すると、頭一つ分の差といったところか。
 衣装は着流し。胸には、キツく巻かれたサラシが見えている。オドは反射的に目を逸らした。
 武装は太刀と脇差し。太刀は規格品のように思われるが、脇差しの方は相当年季が入っているようだ。
 《アナライズ》を使用しても良かったが、敵意のなさそうなこの女性に対して、オドとしては初手で取るような行動と思えなかった。
 「お、おはよー」
 彼女は緊張した面持ちで広間に足を踏み入れる。
 あたりを見回し、アウェーな空気に胃を痛めていそうだ。

 暫くすると、ソルカが戻ってくる。
 「うっす、さっきは起こしてくれてありがげえッ!? 鬼人族オルクス!?」
 見事なリアクションであった。
 迷わず《アナライズ》を仕掛けようとするソルカの視線を塞ぐように、ルノフェンが前に出る。
 「まあ、ちょっと話を聞いてよ。ラックくん、朝食もう一人分増やせるか、シェフに聞いてくれる?」
 ラックは「はぁい」と去っていった。

 ソルカはひとまずテーブルに着席する。
 「それで、どうしてルノフェンが鬼人族と一緒にいるんだよ」
 荒っぽく爪でパンをちぎり、ソーセージと一緒に口に放り込む。
 「お? これでもこの子、めちゃくちゃ可愛いんだよ? 実を言うと、ボクたちが気づいてなかっただけで、昨日のあの戦いのときから一緒に居たみたいだね」
 「は?」ソルカは遠慮なく言葉を口にする。
 「不思議だとは思わない? ボクたちがディータの大群と戦ってたとき、なんで背後からの増援がなかったのか」
 ルノフェンも席に着く。鬼人族の女性は、使用人の案内でルノフェンの隣に座る。
 「や、そりゃあ騎士が後詰めやってくれてたからだろ。オレ見てたもん」
 然り。ソルカは、途中参戦とはいえ戦いを上空から見ていたのだ。
 「グレちゃん」
 ルノフェンが指示を出すと、彼女はバッグから銀の兜を取り出す。
 兜のサイズは、バッグの容積に比してだいぶ大きい。バッグ自体がそれなりに高位のマジックアイテムであるように思える。
 彼女が兜を被ると、確かにそちらの方に目が行く。鎧まで装備していたならば、確かに騎士のように見えただろう。
 「マジか、アイツだったのか」
 ソルカは翼で頭を押さえる。
 「自己紹介、できる?」
 『グレちゃん』と呼ばれた鬼人族の兜を外しながら、ルノフェンが促す。
 彼女は立ち上がり。
 「せ、拙はグレーヴァ・ガルデと言いまちゅ」
 噛んだ。
 一回、深呼吸。
 「種族は鬼人族。出身はデフィデリヴェッタ」
 ルノフェンの方をチラチラと見ながら、続ける。
 「今回は、ルノフェンご一行との旅に同行願えればと思い、こうして、しゅが、姿を表したの」
 一礼。そのフォームは見事であった。
 「なるほどねえ」
 パンとソーセージを片付けたソルカは、卵に手を付ける。
 「や、オレは良いよ? 戦闘力的には申し分ないし。素で耐久力のあるメンバーが居ないから、ちょうどタンクやってくれる人が居たほうが良いかなとは思ってた」
 オドはどう思う? と振る。
 「二点、あるかなあ」
 先に食べていたオドは、既にミルクティー以外を胃の中に収めている。
 「な、なにかな? お姉さんに答えられることなら、答えるよ?」
 彼女は硬い笑顔を作っている。
 「じゃあ、一点。こっちはそんなに重要じゃないけど、わたしはグレーヴァさんの戦闘スタイルをまだ見てないから、見せてほしいな」
 少しホッとしたようだ。
 「わかった! ご飯食べ終わったら見せてあげるね!」
 先程よりは自然な笑顔で、ウィンク。
 オドは動じず、続ける。
 「二点。ルノ、グレーヴァさんについて何か隠してるでしょ。グレーヴァさん、ずっとルノフェンの方見てたよ? できれば共有してほしいな」

 ピシッ。

 グレーヴァの心にヒビが入る音がした。
 「グレーヴァちゃん」
 ルノフェンは彼女の肩を掴み。
 「ごめん、プランBだ。オドの人を見る目がここまでだったとは」
 「いや、ワケアリってのはオレから見てもバレバレだったぞ」
 ソルカのツッコミを受け流しながら、再度グレーヴァに発言させる。
 昨日、ボクに言ったとおりにするように、と釘を刺した。
 「うう、まさか一瞬で感づかれるなんて」
 彼女は観念して、本当のことを話し始めた。
 「出身は紫晨龍宮ししんりゅうぐう。大陸北東の島だね。本名は染仙月セン・シェンユェだけど、周りにはグレーヴァで通してる」
 ここまでを話した段階で、ソルカが「うっそだろ」と漏らした。

 染家。紫宸龍宮の最高権力者である巫后を輩出するために権力争いを続ける十二月家の、その八に名を刻む一族。
 つまるところ、貴族の娘である。
 
 オドも、上記の知識は持っている。
 「それでその、染家のお嬢様がどうしてデフィデリヴェッタに?」
 なおも踏み込む。
 意図としては、貴族の諍いに巻き込まれると面倒になる、という具合である。

 「ううー」
 言いたくなさそうにしている彼女を、ルノフェンがカバーする。
 「端的に言っちゃうと、この子がショタコンだから、なのかなあ」
 「ショタコン!?」
 彼女は、容赦のない説明に驚き、ルノフェンの方を見る。
 「まあ聞いてよ。グレちゃん、全部話すね」
 うつむき、ルノフェンの手をぎゅっと握って耐えることにしたようだ。

 「この子、政略結婚させられかけたことがあってね」
 (唐突に重いのが来た!?)
 オドは突っ込む代わりに、「うん」と相づちを打った。
 「それで、相手が良い人なら良かったんだけど。ほら、この写真見て」
 ルノフェンが取り出した写真は、見目麗しい、筋肉質な青年であった。
 「イケメンじゃん。クズだったの?」
 写真を見て、ソルカが率直な感想を投げる。
 「いんや? 話を聞く限り、むしろ性格も良いし、非の打ち所がない人ではあったっぽい」
 「面白そうなことやってるねー。うわっ、この写真の人かっこいー」
 カルカがメイクを終え、広間にやってきた。
 「嫌な予感がするけど、断った理由を聞いても良い?」
 引きながら、オドは促す。
 「だってお姉さん、どっちかというと筋肉質な人より細い子のほうが好きだし」
 要は、性癖の問題であった。
 「政略結婚って、その、そういう理由で断れるものなんですか?」
 彼我に断絶を感じ、言葉を濁しつつも、話を聞いていく。
 「最終的に決闘になったかなあ」
 「決闘!?」
 まさかの武力である。
 「うん。その結婚相手と一対一で。武器は太刀だけ。勝ったら拙のこと好きにしていいよって誘ったら乗ってきてくれたの。剣技も素の力もあっちのほうが強かったんだけど、角を犠牲に『なんとかなれー!』って全力でやったら、なんとかなっちゃった」
 なるほど、確かに彼女の角は、両方とも半ばほどで折れている。
 「角は鬼人族の誇りだ、って聞いたことあるんだけど」
 ソルカすらも引いている。
 「だって、あんなおっきいのとえっちしたくないもん。それで、拙が勝っちゃったから邸内大騒ぎになって、その隙に持てるもの持って脱出した、って感じかなあ」
 「貴族の行動力、怖いなー」
 これはカルカの感想である。グレーヴァが言葉を発する度に、カルチャーショックを受けてコーヒーに口をつけていた。
 
 「うん、まあそれなら他の家が暗殺者を送ってきたりはしないのかなあ」
 オドがまとめ、あることに気づく。
 「あれ、でもそうなると、わたしたち途中で襲われたりしない?」
 「しないよ!」
 本人が否定した上で、ルノフェンが。
 「安心していいよ。昨日この子を連れて女の子用の娼館に行ったんだけど、キスで気絶してたから、襲う以前の問題だと思う」
 貴族相手だろうが、ルノフェンはいつもどおりである。
 彼の倫理は壊れていた。
 「それ言うの恥ずかしいからやーめーてーよー!」
 耐えかねたグレーヴァは、鬼人族の握力でルノフェンの手を握る。
 「あ」
 関節を破壊する、凄まじい音がした。
 オドは床に崩れ落ちるルノフェンに対し《グレーター・ヒール》を掛けてやり、遅れてやってきたグレーヴァの分の朝食を、冷めないうちにとるように勧めた。
 
 ◆◆

 カルカ邸、中庭。
 グレーヴァの実力を見るため、模擬戦が行われることになった。
 「言っとくけど、オレはどんな絶望的な戦いでもやる。相性最悪でもな」
 ソルカは既に短剣を抜いており、最初から本気を出すつもりである。
 「相手がお姉さんだからといって、手加減したらだめだよ!」
 一方のグレーヴァは抜刀姿勢。右手で太刀の柄を握っている。
 互いの首には試合用に用いられる、ダメージを肩代わりしてくれるブローチが掛かっている。
 「よし、準備は良い?」
 間に立つのはルノフェン。
 彼が腕を下ろせば、模擬戦は始まる。
 
 対戦する二人が頷くと。

 「はじめっ!」

 戦いが、始まる。
 「《テレポーテーション》!」
 ソルカの初手はテレポーテーション。
 グレーヴァの背後に回り、背後から強襲を仕掛けるが。
 「戦技」
 ソルカには、何が来るか分かっている。
 「《ラウンドスイープ》」
 「《テレポーテーション》!」
 グレーヴァが抜刀すると、太刀からは迸る火花と熱が放射される。
 彼女はその勢いのまま一回転する。
 太刀の熱は意思を持つ鞭めいてしなり、伸びるごとに何度も分かれ、増えてゆく。
 やがて、桔梗の花弁めいたその熱の塊は、形を崩し、ソルカに対し追尾する弾となって襲いかかる!
 「《テレポーテーション》! クッソ、キリがねえ!」
 ひたすら躱し続けるソルカ。グレーヴァ自身が炎の花弁に守られ、攻め入ることも出来ない。
 「《ラウンドスイープ》!」
 無慈悲な二発目。彼女は消耗を見せず、淡々と攻撃を放つ。
 「あー! 熱い熱い! 焼き鳥になっちゃう!」
 フィールド上に避ける場所がなくなり、あえなく被弾。
 過密弾幕を次々と受け、ブローチの宝石はすぐに破壊されてしまう。
 「やめ!」
 ルノフェンが合図すると、炎の弾幕はすぐに霧散した。

 「オドくん、どうだった?」
 グレーヴァは目を輝かせ、子犬めいて駆け寄ってくる。
 「なーにがラウンドスイープだこのやろー!」
 「あ痛ぁ!」
 復活したソルカが、背後から翼で頭を叩く。
 妥当である。普通、《ラウンドスイープ》と言えば、自身を軸に武器を一回転させ、ただ周囲に攻撃するだけの初級の戦技を指す。
 「鬼人族って魔法が苦手だって聞いてたけど。そもそも詠唱もしてないのにえげつない出力だったよね」
 冷静にオドは分析する。
 魔力は消耗したようだが、それにしても火力が高すぎるとしか言いようがない。
 「まあ見ての通りだけど、インファイターのオレだとそもそも近寄れないからコイツには勝てん。オドなら守りきれるだろうけど千日手で、ルノフェンだったら腕で弾を消しながら殴ってなんとか削り勝ち、位なのかなあ」
 ソルカの感想だ。
 「脇差しがなかったらどうだろう?」
 ルノフェンは二人に意見を聞く。
 彼の説明によると、彼女の脇差しは装備しているだけで物理攻撃を陰陽両面の火属性として出力してくれるもの、らしかった。
 「それだったらオレが勝ちそうな気はするけど、そもそも一撃が重いもんなあ。一発耐えられたら御の字って感じ」
 とソルカ。
 「じゃあ、戦力としても不足なし、だね。連れて行こっか?」

 オドの言葉で、グレーヴァの同行が決まった。
 
 ◆◆

 神の座、アヴィルティファレトの領域。
 
 瓢風の神である彼は、ルノフェンの目を通して宴から娼館巡り、グレーヴァの加入まで、すべてを見ていた。

 「アイツ、なんだかんだで真面目に仕事はやってくれるんだよな」
 黄砂連合産の最高級コーヒーを消費しながら、ルノフェンについて感想を述べる。

 「不服そうだね、アヴィ?」
 机の影が独りでに伸び、人の姿を取る。
 アヴィルティファレトが瞬きをすると、影の上には布面積の小さいトーガをまとった、妖艶な男が立っていた。
 彼の名前はツェルイェソド。白日教における至高神の片割れにして、闇陰を司る神である。
 「その出現の仕方、割と心臓に悪いぞ」
 実体を持たない神に心臓などというものはないが、比喩を交えて小言を投げる。

 「悪いね、ちょっと君の様子を見たかっただけなんだ」
 言葉に反して悪びれることもせず、勝手にマグカップを召喚し、コーヒーを淹れる。
 しかめっ面をする瓢風神の向かいに座り、己の権能を用いて一瞬で情報を共有し終わる。
 闇の力は、システムに穴を穿つがごとき力でもあるがゆえに、極めてしまえば、他人の持つ情報を抜き取ることも出来る。
 「この娘、見覚えがあるな」
 アヴィルティファレトの視界を勝手に覗き見る。
 「染仙月。そちらの領域から出奔したらしいね。多分、あの脇差しは染家の家宝だ。貴方が望むなら、取り返させることも出来るぞ」
 その言葉に、彼はフッと笑う。
 「何を言う。俺は人の持つ闇を肯定する。自我のもたらす愛憎、欲求、破滅への覚悟。どれも全て、好ましい」
 コーヒーを飲み、続く言葉を待つ。
 「この件については、俺は何もしない。どうするか決めるのは、彼女自身だ。俺は、その姿を眺める」
 「そっか」
 アヴィルティファレトは言葉を認め、新しい捧げ物が現れたことを知る。
 
 「ドライフルーツ、か」
 机の上に召喚する。
 種類に統一感のない、乾いたフルーツたちには、粉砂糖が掛けられている。
 「黄砂連合ではリンゴは育たないと思うが」
 アヴィルティファレトは疑問の言葉を受けながら、一つつまみ、食べる。
 品質は、悪くない。
 「ああ、神子がこっちに来た直後、ちょっと環境破壊をやっちゃってね。多分それで生えてきたのが残ってる」
 ツェルイェソドにも勧めておく。
 バナナを、一口。
 「テヴァネツァクの残渣を感じるな」
 とのことであった。
 
 「で、神子の話に戻そう。彼らは上手くやっているように見えるが、君の意見は少し違うようだな」
 空になったアヴィルティファレトのカップに、コーヒーを注ぐ。
 「ああ、実のところ、今日は休ませる予定だったんだ」
 ほう、とツェルイェソド。
 「なのにあいつら、まず新しい仲間の加入試験をやっただろ? 次はぼくがあげたカーペットを直しに魔法工房に行ってるし。休む気あんのかな、ホント」
 カップを揺らして冷ました後、一口飲む。

 「アヴィ」
 ツェルイェソドは正面から彼の目を見て、一言。

 「まずは君が休め」
 アヴィルティファレトは、ぐぅ、と唸ったきり、何も言葉を返せなかった。

第八話「これは、間違いなくクソトラップ道中だ」

 (あらすじ:休日! 宴会! 新しい仲間! ということで、ショタコン着流し鬼人侍のグレーヴァ・ガルデが仲間になった!)

 「オド、と言ったか」
 聖都一番の腕を持つという魔法工房、フィデスティリ。
 歴戦の冒険者パーティが集うこの場所に、オドはアヴィルティファレトから賜った空飛ぶ魔法のカーペットを直してもらおうと、フィリウスの紹介で足を踏み入れたのだ。
 「は、はい!」
 片目をアイパッチで覆った店主の種族は、天使マルアク。ハーピィと違い、腕もヒトのそれだ。オドが召喚したモンスターとしての天使ではなく、翼人種に分類される。
 彼は、無自覚に威圧感を放ちながら、問う。
 「アレ、どこで拾った」
 カーペットは既に預けており、数十分の調査を終え、状況を確認しにやってきたところである。
 投げられた質問は、答えづらいものだった。
 だが、嘘をつくよりは、正直に話してしまったほうがよい、とも考えた。
 「あの、わたしは神子と一緒に召喚されて、旅の途中でアヴィルティファレト神から賜ったんです」
 店主の目を見る。
 半目、三白眼。
 信じてないな、これは。
 「『照らしの灯台』、やれ」
 店主は、オドの様子をうかがっているパーティの一つを、二つ名で呼ぶ。
 パーティの中から、頭部を包帯でぐるぐる巻きにした女性の神官が進み出る。
 怪我をしているわけではない。彼女の目は彼女にすら有害なものを視てしまうため、普段は塞がれているのだ。
 「ええ、分かりました。《ボッカ・デラ・ベリタ》」
 神官が呪文を唱えると、オドの首の周りを、一瞬だけぬるっとしたものが這う。
 「ひいっ!?」
 それだけだった。
 「……?」
 術をかけた神官の方を、きょとんと見る。
 彼女は、こう語った。
 「この者は、すべて真実を語っておりますね」
 「ふーっ」
 力が抜ける。
 神官は、疑ってごめんね、とオドの頭をぽんぽんと叩いて、またパーティのところに戻った。
 「ちなみに、嘘をついてたらどうなってたんですか?」
 好奇心を出し、質問。
 「そりゃもう、これよ」
 店主は、親指で首を切るポーズを取った。
 
 「試すような真似をして悪かった。本人確認をしたくてな。依頼についてだが。結論を言うと、恐らく応急手当が限界だ」
 申し訳無さそうに店主は言う。
 「鑑定部によると、このカーペットの等級はミシック級。恥ずかしながら、ウチの者だけでは鑑定できなかった。教皇まで話が届いて、バフを大量に重ねた《アナライズ》でようやく全部判明した、ってところだ。知っての通り、ミシックは価値が付く中では最上級のアイテムだ」
 店主はカウンターから出てきて、手近な椅子にオドを座らせる。
 「どれもこれも、神の御業なら納得がいく。教皇から話を聞いた。黄砂連合からデフィデリヴェッタの間をたった数時間で移動するなど、ふざけているにも程がある」
 実際は神の座に長期間放置されて膨大な魔力を帯びただけなのだが、オドは黙って話を聞くことにした。
 「魔力を循環させる回路の構造が、あえて形容するなら神代のものとしか言いようがねえ。それも、こっぴどく壊れてやがる。だから、俺たちが出来るのは別の仕組みで上書きする、という処理になる」
 「なるほど、性能が変わる、ということですか」
 店主はそれを認め、オドに二つの選択肢を提示する。
 「まずは、スピードを落とす案。マスターピース品の翼と同じくらいが限界だ。オドの次の目的地はシュヴィルニャだったな。山脈の麓まで丸一日、向こうの一番大きい都市まで三日掛かる塩梅だ。だが、出力は安定する。壊れることもない」
 メモを書き、オドに見せる。
 「もう一つは、時限強化の魔法をありったけ注ぎ込んで、スピードを維持する。俺の見立てだと三時間は飛べるが、効果が切れれば当然ゴミになる。この場合、一番大きい都市までギリギリ耐えられるか耐えられないか、といったところだろう。サブの移動手段を用意すべきだな」
 これもメモに書き記した後、千切ってオドに差し出す。
 「ま、よく考えろ。術式はそのままでガワだけ直すって選択もアリだ。俺たちとしては、依頼があれば受けるというだけだからな」
 それで、話は終わった。

 「ということがあってさ」
 昼食。オープンテラスのカフェにて。
 クリームのたっぷり乗ったパンケーキを切り分けながら、オドはルノフェンに状況を説明する。
 「そりゃ時限一択でしょ。アヴィも壊していいとは言ってたし」
 ルノフェンはローストビーフのたっぷり入ったサンドイッチを頬張っている。
 流石に昼から酒を飲む気はないらしい。
 「わかった。暫くディータの攻勢はないとは言ってもあんまり時間は掛けたくないし、わたしも同感かなあ。そういえば、ソルカとグレーヴァさんは?」
 「あーね」
 曰く、全員の防寒具と翼を揃えるために、二人で防具屋に向かっている、とのことである。
 「アヴィから『お前ら真面目過ぎ』って怒られたから、ソルカたち回収したら劇でも見に行こっかなって」
 「いいね、劇。ちゃんと人がやるやつ、一回見てみたかったんだ。元の世界だとVRばっかりだったもんなあ」
 パンケーキを口に運び、もしゃもしゃと咀嚼。飲み込む。
 「甘いもの、やっぱり良いなあ」 
 オドは、極度の甘党であった。

 その後、四人で一緒に劇を見て、オドを着せ替えながらショッピングを楽しみ、ソルカ邸で美味しいご飯を食べ、ぐっすりと睡眠を取った。

 翌日!

 「カーペットが届いたら即出発、ってことでいいかな?」
 皆の状況を確認し、ルノフェンがまとめる。
 朝食を食べ終え、一行は準備万端だ。
 全員防寒効果のあるアイテムを装備し、ソルカ以外はカーペットが壊れたときのためにマジック等級の翼を背中に装着している。
 「昨日の劇がまだチラついてる。良かったなあ」
 とオド。
 内容は、少年同士の純愛ラブストーリー。ソルカは戦記ものを提案したが、オドの棄権とルノフェンおよびグレーヴァによる多数決で選ばれた。陽光魔法によるパーティクル演出が、実に効果的であった。
 一応、全年齢向けである。

 「カーペットが壊れた後の隊列は、ソルカが先頭。次にボクとグレちゃんで、最後にヒーラーのオド。日中はソルカの視力を頼れるから、これで行く」
 「異論はないぜ」
 「夜は拙が前に出るね~」
 移動中にやる予定の作戦会議を、少しだけやっておく。

 「あ、来客だ。カーペットかも。ちょっと待っててねー」
 カルカは使用人を行かせ、正門の相手を確認する。
 
 使用人は、間もなく真っ青な顔で戻ってくる。
 「なによ。強盗でも来たの?」
 冗談めかす彼女も、使用人の話を聞いて冷や汗をかきはじめる。
 尋常ではない様子だ。
 「みんな」
 彼女はどうにか焦る頭を働かせ、皆にお願いした。
 「何も言わず最敬礼して」
 「お、おう」
 敬礼ということは、害意のある存在ではないのだろう。
 だが、カルカがこうも慌てることは、余程の相手に違いない。
 四人は、言われるがまま指示に従う。
 中でもグレーヴァのカーテシーは堂に入っていた。無自覚に出自がにじみ出る。
 
 カルカが正門に歩き、その存在を招き入れる。
 「!?」
 絢爛なローブを身にまとう姿を目にしたグレーヴァの表情は、驚愕。
 その様子を感じ取ったオドも、誰がやってきたのか察する。

 豊かな銀髪に、長い鬚。普段は厳格な雰囲気を纏うことで知られる人。
 ルノフェン以外は、彼の顔を文書を通して一度は見たことがある。

 彼は、皆の目の前に歩み寄り、クスっと笑いながら。
 「よい、非公式な場じゃ。そう畏まることもない。面をあげよ」
 手を振り、穏やかな雰囲気で告げる。

 その名は、アウレリウス・デウムノドゥス。
 白日教の教皇猊下。事実上の国王その人である。
 
 「げ、猊下、どのような要件でこちらに?」
 上ずった声で問うカルカ。
 「ああ、こいつを渡すついでに、神子の顔を拝んでおこうと思ってな」
 アウレリウスが手招きすると、フィリウス聖騎士団長が、畳まれたカーペットと、桐の小箱を五つ抱えてやってくる。
 彼は恭しくそれを置き、一度グレーヴァの方を見て、またアウレリウスの後方に戻った。
 「あの半鬼人族が気になるか? フィリウスよ」
 目ざとくフィリウスの違和感を汲み取り、問う。
 「せ、拙ですか!?」
 グレーヴァは予想外の発言を受け、慌てる。
 「……いえ、気の所為でしょう」
 フィリウスは感情を表に出さない。慣れている。
 疑問に満ちた雰囲気のなか、アウレリウスは続ける。
 「ああ、詳しく語ることは出来ないが、こいつには色々な縁がある、ということにしておいてくれ。フィリウスはミステリアスという評判じゃからな。謎は謎ということよ」
 彼は煙に巻き、おどけた。
 
 「ちなみに、この箱は?」
 我慢できずにルノフェンが声を出す。
 「ああ、これかね。聖都を救ってくれた礼じゃ。ありがとよ。委細は全てフィリウスから聞いておる。そこの嬢ちゃんの分もあるから、安心するがよい。良いものが入っておるから、移動中にでも開けときな」
 「ありがとうございまァす!」
 最敬礼で対応。ルノフェンのノリは良い。
 「うむ、元気があって良いぞ! じゃ、儂は帰るからの。縁があったらまた会おう。フィリウス、行くぞ」
 「御意」
 聖騎士団長はアウレリウス教皇の差し出された手を握り、《テレポーテーション》で山頂に戻ったようだ。

 緊張がほぐれ、グレーヴァに至っては柱に身を委ねるほどである。
 「なんというか」
 オドが胸に手を当て、呟く。
 「嵐みたいなお方だったなあ」
 皆が同じ気持ちだった。
 
 「よ、よし。気を取り直していこう。カルカちゃん、今までありがとね!」
 ルノフェンは頭をわしゃわしゃと撫で、別れの挨拶。
 「うん。いざという時は貴方がソルカを守ること! みんな、一人も欠けずに終わらせなさいよ!」
 カルカは各人の手の甲にキスをし、見送る。ソルカにだけは、頬にキス。
 「ん、元気出た!」
 ルノフェンはもう一度だけ伸びをし、カーペットを外に展開する。
 「うちもばいばいするねー」
 ラックも現れ、手を振る。
 オド、ソルカ、グレーヴァもルノフェンに続き、カーペットに乗り込む。
 「オレの良いニュースを心待ちにしてなよ! いつか帰ってくるぜ、姉さん!」
 カーペットは軽やかに発進し、空に。

 「デフィデリヴェッタ。ちょっと階段は多いけど、好きな街になっちゃったな」
 人影が小さくなり、次第に山脈としての姿が強くなってゆく聖都を背後に、オドが語る。
 「オドちゃん、わかるー。紫晨龍宮も過ごしやすかったけど、実際他の国も良いところはあるよねー」
 背後からオドの頬に手を当てながら、グレーヴァ。
 サラシが装備中の翼に当たっている。
 「ちなみに、オドには彼女が居るから、あんまり距離詰めすぎると怒られるよ?」
 ルノフェンは、念のため釘を差しておく。
 「がーん!」
 グレーヴァは、大人しく引き下がる。
 押しが弱い女であった。

 「そこのショタコン侍は置いといて。国境に入るまで暫く時間があるから、その間に教皇からの贈り物を開けようぜ」
 言うやいなや、ソルカは自分の箱を開けてしまう。
 「なんだこれ? ペンダントか?」
 箱の中に入っていたものは、ドラゴンの頭部をあしらった、プラチナの首飾りである。目の部分には、小さなガーネットが嵌っている。
 「《アナライズ》」
 鑑定魔法をかけると、結果がすぐに出た。
 「等級はレリック級。名前は『トライアドの怒り』。一日に三回だけ、無詠唱で《ゴッズ・フィスト》を発動できる。射程は三十メートル」
 「待望の遠距離攻撃じゃん」
 ルノフェンの反応を受け、ソルカは。
 「実用的じゃねえか! しかもかっこいいし」
 「そ、そうね」
 適当に相槌を返す。
 ソルカのセンスは、小学生のそれと言えた。
 まあ、本人がそう思うなら、かっこいいということにしよう。
 「お姉さんの箱にはバングルが入ってたよー」
 グレーヴァが得たのは、二時間に一度の制限はあるものの、魔力を回復させる機能を持ったマジックアイテムである。魔化されたマホガニーをベースに、黒漆で仕上げられている。
 アクセサリーとしてもグレーヴァに似合っていた。
 「あの教皇、ボクたちの弱点を的確に塞いでくるな。滅茶苦茶有能じゃん」
 ルノフェンも続いて箱を開ける。
 「チョーカーだ。これもレリックっぽいかな? 名前は『シャーマンの水槽』。陰の魔法を一定容量までストック出来て、自由に放出できる」
 装備しただけで、等級と概要までは分かる。そういうシステムだ。
 見た目は真っ黒な革で出来ているが、レリック等級というだけあって、思いの外頑丈だ。ベルトが付いており、締めたり緩めたり出来る。
 「なんかこれ、あの子を思い出しちゃうな」
 ルノフェンは複雑な表情をしつつも、装着する。
 あの子とは、彼が想っていた男の娘のことである。彼は、いつもチョーカーを着けていた。
 「まあ、強くなれるんだしいっかな。オドはどう?」
 オドの方に視線を向けると、彼は既に指輪を着けていた。
 素材はミスリル。緑色の金属の上に白く輝く太陽が印されており、その太陽が放つ光をモチーフに複雑な彫り込みが入っている。
 「で、性能は? 《アナライズ》」
 ソルカが鑑定魔法を入れる。
 「魔力消費軽減、二十%」
 「強いの?」
 オドは、ソルカに聞いてみる。
 「まあ普通の人が使ったらシンプルに強い。オドだと、どうだろう。オドだもんなあ」
 ソルカは少し考え、結論を出す。
 「ぶっ壊れ。ルノフェンが《ドレイン・タッチ》を覚えただろ? アレの効率も多分良くなるから、後ろで突っ立ってるだけでルノフェンと、多分中継してやればグレーヴァも延々と高火力をパナせるようになる」
 「アレかあ」
 オドは、一度だけ《ドレイン・タッチ》を受けている。
 苦しかった、とは漏らしていた。

 「まあとにかく、全部有用で良かった良かった。もう一休みしたら、昼食をとろう」
 ルノフェンは要らなくなった箱を全て《ポケット・ディメンジョン》に放り込み、皆で寝転んだ。

 ◆◆

 前回の移動と同じように、各国の境目にまたがるエヴリス=クロロ大森林を通過。気温が急に下がり、皆はシュヴィルニャ地方に突入したと理解する。
 カーペットの上で昼食を取りながら、木々の葉が細くなってゆき、生物がその数を減らしていくことからも、環境の変化は見て取れる。
 一行は防寒具を装備しているので、寒さを感じることはない。
 それでも、人が暮らすに当たっての厳しさは見て取れるものだった。
 環境の変化は続き、瞬く間に、雪景色。

 キツネとクマをたまに見かけるくらいの、不毛の地。

 一行は、二時間も同じ景色を見ていたことになる。

 「シュヴィルニャ地方、そもそもあんまり開発が進んでいないんだよねー」
 沈黙に耐えかね、グレーヴァが簡単に解説を入れる。
 「鉱石資源も生物資源も少ないし、農作物もほとんど育たない。トナカイの牧畜と漁業は盛んだけど、総じて資源に乏しいかなー」
 「グレーヴァさん、わたしが聞いた感じだと、学問の都市って聞いたんだけど、どうなんですか?」
 さん付けに距離を感じながらも、グレーヴァは返す。
 「遺跡があるところはそうねー。古代にイスカーツェル文明が支配していた地域でもあるから、彼らの都市があったところではディータや古文書の発掘や、それらの研究を進めるために人が集まりやすいみたい」
 「へー!」
 オドは目を輝かせている。
 「そーいえば、アースドラゴンさんも自分のこと『イスカーツェルの遺産』って言ってたな」
 ルノフェンも、重機めいた紳士的なディータを思い出す。
 「ルノくんには他にもディータの知り合いがいたんだ! 聖都への侵攻もシュヴィルニャ地方から来てたし、早くなんとかしてあげなくちゃ、ね!」
 言葉を受けたルノフェンは、一言。
 「声で甘やかされるの、なんかムズムズして良いかも」
 「ふえっ!?」
 攻めも弱ければ守りも弱いグレーヴァを弄りながら、カーペットの速度が落ちていくのを感じる。
 遠くには、街が見える。
 「地図が正しければ、あれはシュヴィルニャ第一都市だと思う」
 《エクステンド・ストレージ》を掛けたポシェットに地図を突っ込み、装備済みの翼に魔力を込める。
 ふわりと、オドの体が浮く。
 「おっと」
 縦に一回転し、少し落ちたところで調子を取り戻した。
 「思ったよりはコントロールしやすいね」
 ソルカ、グレーヴァも飛び立ったことを確認し、ルノフェンはカーペットを《ポケット・ディメンジョン》で回収。自身も宙に浮く。
 「隊列良いかな? じゃあ行くよ!」
 ルノフェンの合図と共に前に出るソルカ。

 「うっし、行――」
 
 KABOOM!

 ソルカが突如爆発し、意識を失った彼は地面に落ちてゆく。
 「《キュア・モータリィ》!」
 とっさに回復魔法を掛けるオド。
 「ハッ!?」
 空中で我を取り戻した彼は、再び同じ高さに浮上する。
 「いっつつ、攻撃か!?」
 
 もう一度前に出ようとしたところで、再度爆発。

 爆風を受け、ソルカは吹き飛ばされる。
 「《リピート・マジック》!」
 先ほどと同じように、回復。
 「ソルカ、一旦引いて。何かがおかしいぞ」
 ルノフェンの指示に従い、ルノフェンと同じ地点に浮き直す。

 爆発は、起こらない。

 「能動的に攻撃されてる、ってわけじゃなさそうだ。罠かな?」
 オドは《ディテクト・トラップ》を唱えてみる。

 「なんだこれ」

 彼が知覚したものは、都を中心とした円柱状に仕掛けられた、無数という言葉では表せないほどの、密集した機雷。
 しかも丁寧に一つ残らず、《インビジビリティ》が仕掛けられている。
 以上のことを皆に説明すると、グレーヴァが前に出る。
 「グレーヴァさん、何を?」
 怖気づくオドに対し、彼女は。
 「オドくん、お姉さんに、ありったけの防御魔法を掛けてくれないかな? 抜刀してまとめて切り払おうと思うんだけど」
 「わあ」
 あまりに単純すぎる作戦に、オドはめまいを感じた。
 「まあ、やるとしたらルノかグレーヴァがやるしか無いよな。道中でオレの遠距離攻撃切るのアレだし」
 冷静に返すソルカ。肝が座りすぎている。
 作戦については、ルノフェンも是認した。
 「あと、お姉さんもちょっと怖いから、終わったらお手々握ってもらっても、良いかな?」
 手ぬるすぎるお願いを控えめにやってくるグレーヴァに、オドは「うん」としか言えなかった。

 「《プロテクション》、《グレーター・プロテクション》、《ダメージ・リダクション》、《サラマンダー・スキン》、《リジェネレーション》」
 オドは淡々とバフを掛けた後、距離を置き、《サンクチュアリ》で万が一に備える。
 「よーし! お姉さんやっちゃうよ!」
 グレーヴァは刀に手をかけ、叫ぶ。
 「《サジタル》!」
 抜刀に伴う切り上げに名前をつけただけのソレは、脇差しの効果によって無数の火炎球を生じ、正面を焼き払ってゆく。

 爆発、次いで、爆発。
 連鎖的に不可視の機雷は爆ぜ、振り返った彼女の青い輪郭を照らす。
 たまに機雷の破片がグレーヴァにぶつかるが、何の影響もない。かすり傷すら、一瞬で治ってしまう。
 「グレーヴァ、ヘキはともかく肝は据わってるよな」
 結界の内部でソルカが小声で呟く。
 「そりゃあね、婚約拒否するためだけに角を折ったようなもんだしね。本気出したときの怖さはボクたちのパーティの中で一番まである」
 とルノフェン。
 「分かるわ。ルノフェン、ありがとな。アイツを味方に引き入れてくれて」
 凶悪な花火を観ながら、彼らは寒気を感じていた。

 「終わったよー!」
 進行方向の機雷を概ね片付け終わったと判断したグレーヴァは、飼い主の帰宅を知った子犬めいて、嬉しそうにこちらに戻ってくる。
 「うん、ありがと! 助かったよ!」
 結界を解いたオドは彼女の少し上に浮遊し、頭を撫でる。
 「はわー!?」
 尻尾があれば、ぶんぶんと振り回していることだろう。
 「また何かあったらよろしくね!」
 オドの笑みは、たとえ業務用のそれであっても、人の心を撃ち抜くには十分だ。
 「うん! お姉さん何でもする!」
 他の二名はその様子を遠くから見て、オドも大概だ、と思うのであった。
 
 「それで、見えない機雷はもう無いんだよな?」
 念のため確認を入れるソルカ。
 「そうだね。でも、《ディテクト・トラップ》で見た感じ、外壁のすぐ手前にも罠があるみたい。わたしが先に行くから、ソルカはトラップ以外の脅威を探してくれると助かるな」
 「あいあーい」
 異議なし。
 オドはスイっと飛び、隙間の空いた機雷地帯を潜り抜ける。
 三人も追随し、無事に最初のトラップをクリアすることが出来た。

 そのまま、何も起こらず外壁前にたどり着く。
 「止まって」
 オドの言葉に従い、全員その場に停止する。
 彼は暫く飛びまわり、状況を知らせた。
 「外壁を覆うように、ドーム状の力場が仕掛けられてる。ちょっと離れてて」
 ポシェットから取り出したのは、聖都デフィデリヴェッタのみで使える、一シェル貨の鉄片。
 「それっ」

 投擲。

 鉄片が力場に触れると、グンッと下に引っ張られ、積もった雪を突き抜けて地面に叩きつけられた。
 「こっわ。何も知らずに飛んでたら餌食ってことかよ」
 ソルカらの目には、投げ放たれた鉄片が急に直角に曲がったようにしか見えない。
 「なんだろ、《グラビティ》かな?」
 と推測するルノフェン。
 「かもしれないけど、一応地面が安全か調べたいね。グレーヴァさん、雪溶かせる? なるべく派手じゃない感じで」
 オドの注文には、胸に手を当て、「うん!」と。
 「任せて。こうやってすこーしずつ抜刀していくとね、いい感じになるの」
 グレーヴァが毎秒一センチメートル程度の速さで鞘から刀を抜いていくと、ふわふわとした火の玉がぽん、ぽんと発生し、地面の雪を溶かしていく。
 「妖精みたいで可愛いかも」
 「当たるとケガするから気をつけてねー」
 というやり取りをしながら、少しずつ雪を液体に変える。
 積もっていた雪は次第にその体積を減らしてゆき、それに従い、土の地面が見えるようになる。

 地面の上には、大量の撒き菱が散らばっていた。
 
 「なあ、オド。オレさ、このトラップ作ったやつマジで性格悪いなって思うんだけど」
 引きつった笑みを浮かべ、ソルカは《エンチャント:ウィンド》を短剣に掛ける。
 「撒き菱、吹き飛ばしていーい?」
 短剣からは、強烈な風が放出されている。
 「任せた。地面の近くだけは力場がないから、屈めば通れるよ」
 許可が降りると、ソルカは「おらーっ!」と叫びながら、意地の悪い撒き菱を遠くに追いやった。
 
 「はーっ。全く、何重に防御してんだよ。要塞かよ」
 「ソルカくんかっこいい!」
 地面の罠を排除し終わり、一行は力場をくぐり抜ける。
 「一応、またわたしが《ディテクト・トラップ》をオンにして先頭を行くね。ほら、『二度あることは三度ある』って言うし」
 城壁の周りの低空で、門を探して飛ぶ。
 当初の予定と違い、オドが先頭のままである。
 実を言うとソルカも《ディテクト・トラップ》は使えるのだが、視覚による索敵を優先していた。
 「ん? 誰か居るぞ」
 その戦術は、功を奏した。
 ソルカの視線の先には、ディータ兵士。
 正門の前に、二体。
 グレードがそれほど高くないモデルなのか、今はソルカが一方的に視認できているようだ。
 「どうする?」
 ソルカの問いに答えたのは、ルノフェンだ。
 「機動力のあるボクとソルカが行く。片方任せていい? 首の動力ケーブルを切れば通信が死ぬのは確認済み。ボクは手前の方をやる」
 「りょーかい。さっさと仕留めようぜ」
 即席の作戦を練り、実行に移す。
 「《マス・インビジビリティ》」
 「《ヴェイル・オブ・ツェルイェソド》《リピート・マジック》」
 オドの手も借りて不可知化のバフを掛け、突撃。
 
 「ピッ!?」
 ソルカの一撃は鮮やかな切り払い。頭部と胴体を正確に切り離し、保険で準備しておいた《ゴッズ・フィスト》は空を切る。
 「ギャッ!?」
 ルノフェンは右腕を闇に変え、胸部を鷲掴みにして握撃。握りつぶしてしまった。

 「コアチップは壊してないとは言え、人の姿をしてる奴らを破壊するのは心が痛むな」
 ソルカはしかめっ面をしながら、短剣を鞘に納める。
 「そう? ボクはなんとも思わないけど」
 ルノフェンの方も、クリアリングして右腕を元に戻す。
 彼は平然としていた。
 「なあ、ルノ。元の世界で何人かコロコロしてないよな?」
 オドとグレーヴァに翼でOKサインを送り、その傍らで問う。
 「いんや? そりゃあ命を奪われるくらいなら奪うほうを選ぶけど、まだ『ボク自身は』そんな目にはあってないかなあ」
 「ふーん?」
 含みのある答えを返したルノフェンの真意を掴もうとする。
 「まあいいじゃん。結果として生きてるんだし。ほら、グレちゃんのお手々握ろ。ソルカは翼でなでなでするといいよ」
 話をそらされた。
 「ふう、到着だね! オドくんのお手々柔らかいなあ、可愛い」
 オドとルノフェンに両手を握られ緩みきった表情のグレーヴァをよそに、ソルカは石造りの正門に掲げられていた都市の名前を口に出す。

 「バギニブルク……?」

 聞いたことのない名前だった。

第九話「ミクレビナーさんは寝ているのですか!?」

 (あらすじ:クソトラップ道中を切り抜けてシュヴィルニャ第一都市にたどり着いたぞ! でも、その都市の名前には聞き覚えがなく……?)

 「この都市の名前は、バキニブルク。グレーヴァ、聞いたことあるか?」
 ルノフェンとオドに挟まれ、とろけていたグレーヴァは我に返る。
 「聞いたことないねー。博物誌にも、こんなに分厚い外壁の写真はなかったよー?」
 謎が深まる。ルノフェンはアヴィルティファレトと交信し、情報を探る。
 結果は、「わからない」とのことであった。
 「分かんねえ。座標は合ってんだろ?」
 ソルカはオドに振ってみる。
 「うん、《コンパス》で確認したけど、間違いなくここが第一都市だ。とりあえず、中入ろっか。《マス・ポリモーフ》」
 オドは呪文で皆の外見を誤魔化し、ディータの姿に変える。
 念のため、目は白く光らせておく。『ホワイトアイ』だと偽装するためだ。
 変化させたのはあくまで外見だけなので、触られるとマズいということを、皆に知らせる。
 「うーん、関節の動きがちょっと不自然かも。凝視されるとバレるかな」
 首を傾げ、己の姿を見るオド。
 「まあ、いいんじゃね? グレーヴァ以外は他にも探知阻害呪文を持ってるし、まずは情報収集しよーぜ」
 ソルカは羽ばたき、一足先に侵入。
 彼の姿は、人の子ほどの大きさを持つ、機械の蝶に見えている。
 「そうだね、倒した見張りを誰かに見られるとマズいし。続きは拠点を探しながらにしよう」
 残りの三人も、遅れて門をくぐった。

 街の様子をひと目見て、ルノフェンは「すごい」と無意識に口に出す。
 広大な街路を、姿かたち様々なディータが行き交っている。
 その全てがホワイトモジュールを埋め込まれているためか、目に当たる部分は白く発光している。
 街路から沿道に目を向けると、石造りの建物が立ち並ぶ。
 赤、白、灰といったカラフルなレンガで造られたそれは、わずかに熱を発し、降る粉雪を触れたそばから水へ変える。
 「なんか、思ったより文明を感じる」
 水路に流れ込む雪解け水を眺めながら、ルノフェン。
 「他のディータも、特にオレたちのことを気にかけてるってわけじゃなさそうだな。ちょっとオレは飛んで街全体を見渡してくるわ。なんかあったらすぐ戻る」
 ソルカはふよふよと宙に浮き、そのまま行ってしまう。
 「ん、分かった。オド、出番だ」
 「頭脳と交渉関係が全部わたしに来てる気がする」
 文句を言いながらも、手近な通行人に話しかける。

 相手は、ヒトであればマッチョと呼べるであろう、女性型のディータだ。
 「あのー、すみません」
 上目遣いで、申し訳無さそうに告げる。
 「おう、どうした!?」
 声量がでかい。
 臆せず、オドは続ける。
 「シュヴィルニャ第一都市はここだって聞いてやってきたんですけど、なんかバギニブルクって名前になってるみたいで。経緯をご存知でしたら、お伺いできると助かるんです」
 「むん!」
 サイドチェスト。
 魔素を含んだ暖かい蒸気が吹き出し、顔に当たる。
 「バギニブルクは、我らが預言者プラロが建造された都市! それ以前のことは記憶がないので分からん! すまんな!」
 スクワット。
 機械の体なので鍛えても筋肉量は変わらない気もするが、指摘はやめておこう。
 「そうですか、ありがとうございます。ところで、この都市には人間たちが居たと思うのですが、今、彼らはどちらに?」
 危うい質問だが、聞いておく価値はある。
 この都市のディータの多くが記憶を失っているか、あるいは最近製造されたばかりだとすると、彼らを情報源としてあたることは難しくなる。
 であれば、人間を当たるのが良いだろうという判断だ。
 「人間? 脆弱なる者たちのことか! 彼らの居住区はスラムに用意されている! さもなくば奴隷商だ! あの屋根の上を見ろ!」
 彼女が指差す方向を見てみると、幼い少女がクレーン型ディータに吊られ、ガラスを拭いているのが見える。
 最低限の防寒装備は与えられているようだが、彼女は痩せており、手もかじかんでいた。
 待遇は劣悪そうだ。だが、即座に皆殺しにされたわけではないらしい。
 オドはなるべく表情を変えずに対応する。
 「わかった、助かりました! これ、お礼です!」
 ポシェットから十シェル銅片を出し、指で弾くと、彼女は片手で軽やかに掴み取った。
 「良いやつだな、お前! 達者でな!」
 彼女は太ももを高く上げ、走り去っていった。

 (口止めの意図、通じてればいいんだけど)
 声に出さず、ルノフェンたちのもとに戻る。
 「おかえり、グッジョブ!」
 彼は子供型のディータに、どこで手に入れたのか分からない風船を渡すと、オドに気づいた。
 ルノフェンの方でも話を聞いていたらしい。
 いざという時はグレーヴァが暴れてなんとかする算段なので、それぞれ安心して動けるのだ。武力は正義。
 「どうだった?」
 オドにも風船を渡す。
 一応、受け取っておく。水色だ。
 「話のできる人間を探したいかな。次に行くべき場所はスラムだね。そっちは?」
 上空のソルカを呼び戻しながら、ルノフェンに振る。
 「んー、なんてゆーか、市民はただの市民って感じがした。戦力じゃないって意味で。あと、神というよりは預言者プラロが信仰対象っぽい。市民は神の名前を知らない」
 「なるほどねえ」
 率直に言って、胡散臭い。神が身近なこの世界で、神よりも預言者の色が濃いのは、中々に異常なことだ。
 ソルカが降りてくる。
 「一通り見てきた。この都市は、区画が厳密に分かれているな。今居るのが南端の商業区。西側には居住区と、端の方にスラム。中央から東側にかけては、遺跡や工場が乱立してる。北には神殿があって、ミクレビナーを祀っていたものをプラロ用に変えてるみたいだ」
 ルノはソルカにも風船を渡すが、うっかり鉤爪が触れた途端、割れてしまった。
 「うっぷす。目立ったところはそのあたり。流石に細々とした施設は分かんねえ」
 ソルカを労い、オドは状況を伝える。
 「スラムかあ。お姉さん、そういうところに足を踏み入れたことないかも」
 「不安か?」
 割れた風船の残骸を片付けつつ、ソルカはグレーヴァを見上げる。
 「ううん。一回はちゃんと見とかないとなって思ってた。心配してくれてありがとね」
 ソルカの頬に手を当て、にこっと。
 彼は触れた手に一瞬だけ翼を重ね、我に返る。
 「ん。そっか。じゃ、行くぞ」
 あえて振り払い、先に行ってしまう。
 「あの反応、意外と意識してそうじゃない?」
 グレーヴァに耳打ちしたのはルノフェンだ。
 「うっせ! うっせ! 聞こえてんぞ! はよ来い!」
 「ひゃ、ひゃい!」
 呆れるオドについていくようにして、残りの二人も都市の西側に向け、歩き始めた。

 バギニブルク居住区。
 賑やかなかつ華やかな商業区と比べると人通りが少なく、建物も地味な色合いに変わってゆく。
 とは言え、出歩く人々が全く居ないわけでもなく、数メートルもあるような巨大ディータこそ見ないものの、逆足や複腕程度の異形であれば、そこかしこで見かけることができた。
 (この街、ホントにディータのものになっちゃったのかな)
 ルノフェンは口に出す代わり、脳内でアヴィルティファレトに聴く。
 露骨な発言は避けるようにしている。外見は装えても、思想で生身だとバレる可能性もあるからだ。
 (ぼくもルノの視界を共有してたけど、ヤバいね。そもそも、聖都での戦闘然り、ディータの数がここまで多いという報告はこれまでなかった)
 続きを促す。
 (あまり考えたくはないけど、何者かによって製造されている、という見方が出来ると思う。失われたテクノロジーだ。それが、預言者プラロの持つものか、ムコナダァトの加護かはわからないけれど)
 (止めるべき?)
 ルノフェンの問いに対し、彼は即答する。
 (この事態が、かの機神かその関係者によるものなら、当然止める必要があるよ。彼女に対する神罰は未だ有効だからね。ただ、無理だと思ったら退くのもありだ。流石にこの都市そのものを相手にするには、ヒトの身は矮小にすぎる)
 (ボクのことを心配するくらいには、好きになってくれたのかな?)
 意地悪な質問だ。
 (ばっ、ばか! 死なれると困るだけだ!)
 そう言い捨て、リンクは一方的に切られた。
 (上手くやるよ。ボクだって、まだやりたいことはあるもん)
 その言葉が受け取られることはないが、考えずにはいられなかった。

 居住区とスラム街の境目は、明確だった。
 熱を持つ鉱石で作られた石畳。居住区にはあるが、スラム街には無い。
 雪は降りゆくままに積もり、体力が少しでもある人々は、その対処に追われている。
 ディータを装った一行への視線は、警戒と恐怖のそれだ。
 「スラムには着いたが、これからどうする?」
 ルノフェンに次の手を聞くソルカ。鉤爪に雪が触れるのを嫌い、飛んでいる。
 「あれば酒場、かな。やっぱり情報を集めるんなら定番でしょ。ね?」
 年季の入った民家の上で雪下ろしをする少年を指差し、可愛いポーズを取って聞いてみる。
 「おわあっ!? ディータ様が僕に声を!?」
 灰色のショートヘアを持つ彼はバランスを崩して転落しかけたが、どうにか持ち直した。
 「やー、悪いね? 驚かせちゃって。見ての通り治安維持とかそういうのじゃない、ただの旅行者だから安心してよ」
 なだめる。
 「本当かー? なら良いんだけど。酒場は大通りをもう十分くらい歩いたところに、スラムでは一番マシなのがあるよ」
 「ありがとー! これ、お礼ね!」
 十シェル銅片を投げ渡すと、彼はどうにか受け取った。
 
 去ってゆく一行を尻目に、少年は雪かきを続ける。
 彼らの姿が見えなくなったことを確認すると、腰から通信機を取り出し、何者かに報告する。
 「酒場に罠を張れ。僕は後で向かう。こんなクソな所で十シェルもくれたんだ、ディータなら好都合。全部絞り尽くしてやる!」

 彼はニヤリと笑い、雪の様子を見た後、屋根から飛び降りた。

 そんなやり取りを聞いたか聞いていなかったか、神子一行。
 言われた通り十分歩き、目的の酒場を見つけ出す。
 「そろそろ、かな。ちょっとみんな集まって」
 入り口に掲げられていたボロボロの時計を視認すると、オドは皆の歩みを止めた。
 「どうしたの? オドくん」
 「《イリュージョン》、《サンクチュアリ》」
 前準備なしに、いきなり結界を張る。
 外側からも同じようにオドたちが話し込んでいるように見える幻影を、追加で付与する。つまり、結界を悟られないようにしている。一行の言葉が、外に漏れることはない。
 オドは、情報を共有する。
 「《ディテクト・トラップ》に反応があった。範囲はあの酒場全体。罠が張られてる」
 「強烈な歓迎だな。オレはどうすれば良い? 先手で適当に暴れれば良いか?」
 血気盛んなソルカを抑え、オドは自分の作戦を話す。
 「いや、ここはあえて罠に乗って、相手の情報を引き出そう。ボスが直接出てくればそれが一番いいんだけど、そうでなくても人質の二、三人は作れるはず」
 「なるほど、そっちの方が面白いね。ボクは乗った」
 ルノフェンの同意で、方針が決まる。
 グレーヴァ、ソルカも追認した。
 「ありがと。じゃ、簡単に作戦を伝えるね」

 オドの考えをベースにルノフェンが趣味を張り巡らせた作戦は、とても悪辣なものであった。

 ◆◆

 カラン、コロン。
 酒場に鐘の音が響く。
 「よォ、お客さんか? 生憎とここは生身用だぜ」
 鷹のような目をした細身の老バーテンが、油断ならぬ目で一行を睨む。
 意識はカウンター裏の鎮圧用ショットガンに。殺傷力こそないが、射撃に気絶の追加効果を付与したマジックアイテムだ。
 「釣れなーい。これでもボクたち、高級モデルだから酒は飲めるんだよ?」
 横にくるりと一回転。
 彼の視線は、いま居る客の手元を確認している。
 思ったより隙がない。もう一人の少年型はそうでもないが、残りは油断させねば骨が折れそうだ。
 「フン、そうか。何が飲みたい」
 「エール。こっちのおどおどしてるのはミルクで」
 「あいよ」
 注文を受け、準備する。
 飲み物自体には何も仕込んでいない。《スリープ》を仕込んだ毒液は、ジョッキの方に塗られている。
 「どうぞ」
 透明なジョッキには、頼まれた液体がなみなみと注がれている。
 「ん、ありがと」
 入れ替わるように、カウンターの上には十シェル銅片が三枚置かれる。
 相場より高い。この店では、エールが五シェル、ミルクが三シェルだ。
 もっとも、新参者であれば、公式に使われていない、五シェル以下の硬貨を所持していない可能性も十分にある。
 幾つか硬貨をつかみ取り、その中から六シェルを釣り銭として渡し、様子を見る。
 都合、誤魔化したのも六シェルだ。
 「ん、ちょっと高いけどこんなもんかな?」
 と言いつつも、受け取る。金銭感覚はあるものの、一シェルが生活を左右するような水準の者ではないらしい。
 「お客さん、どこから来た」
 それとなく情報を探る。
 「第二都市。久しぶりに来たらこっちの都市も改名しててさー」
 嘘が下手だ。生半可な実力であれば、あの大量の機雷に阻まれ、たどり着けないはずだ。
 そして、そのような存在は、辺境の第二都市には居るまい。
 だが、妥当な嘘でもある。バギニブルクのディータは彼らほどにはヒトにフレンドリーではない。だが、状況的には、強者の出戻りでなければバギニブルク内の者に違いない。我々が都市からの脱出を試みていなければ、バレない嘘だ。

 彼はジョッキのエールをごくごくと飲み、カウンターに叩きつける。
 「んんー、酒って良いよね!」
 その様子を見て、他の三人も口をつける。腕の代わりに羽を生やした異形ディータだけは、端に座る女性型ディータに飲まされる形だ。
 彼らの背後でジャーキーを持つ女剣客が、口角を歪め、笑う。

 《スリープ》の発動までには、少し時間がある。あまりに早く落ちると、怪しまれるためだ。
 「つまみもあるぞ。第二都市から来たなら食べ飽きているだろうが、シュヴィトナカイのジャーキーだ」
 話を合わせつつ、提供は素早く行う。こちらには、《レジストダウン》が付与されている。
 余分に受け取った分くらいはサービスしてやることにした。どうせ、最後は全部奪うのだ。
 「良いね、合うよ」
 迷わず口に運ぶ。
 もう一人の少年型は手を付けない。仕方ないことだ。これは甘いミルクには合うまい。
 
 「こっちからも質問、良いかな?」
 「答えられることなら、答えよう」
 向こうから時間稼ぎに付き合ってくれるなら、好都合だ。
 「預言者プラロについて、知ってることを教えてくれない?」
 「ふむ」
 彼の目を覗き、真意を探る。
 バギニブルクの者ならば、彼によるこの都市の支配を知らぬ筈はない。
 先の予想を修正する。このディータが、先の侵攻以前に出奔し、戻ってきた強者である可能性を考える。
 であれば、我々の敵う相手ではない。装備面でも、こちらは精々がプレフィクス品上位だ。早急にボスを当てる必要がある。
 「そいつのことをよーく知ってるヤツを呼ぶ。少し待ってろ」
 尻ポケットから通信機を取り出し、ボスに繋げる。
 「ディー、お客人がプラロについての情報をご所望だ」
 コード・ディー。意味としては、現場では対処不能。
 「わかった。薬はしっかり飲ませたよな? すぐ行く」
 打ち合わせは終わった。後は、アドリブだ。
 「お客人、私の知っている情報を少し教えよう。プラロは、遺跡から発掘された存在だが、ヒトを自称している。導く者、であるともな」
 「ディータじゃないんですか?」
 割り込んだのはミルクの坊やだ。
 「知らん。姿を見せるときはいつも全身ローブに頭巾だ。生身であれ機械であれ、私たちにとっては変わらんがな」
 通信機のボタンを押し、店内の全員に「ボスが来る」旨を知らせる。
 距離的には、全速力で走れば先の通信から六十秒も掛かるまい。
 ショットガンに手をかけ、安全ピンを抜く。
 これから起こるのは制圧だ。予定とは違うが、《スリープ》が効いていれば、少なからず戦力に影響が出る。
 「じゃあ、わたしから一つ」
 「なんだ」
 窓の外、ボスがこちらに駆けるのが見える。

 潮時だ。始めよう。

 ショットガンを構え、元気そうな少年を狙う。
 しかし、それよりも早くミルクの坊やが動く。
 「《マス・アンチドーテ》!」
 初手で解毒。ハナからバレていたか。だが、これで一手稼げる。
 「死――」
 叫び、トリガを引こうとする右手に、何かが突き刺さる。
 先が二股に分かれたクナイだ。今まで沈黙を保っていた女性ディータが投げたのだ。
 さらに、傷が灼けている。激痛にショットガンを取り落としかける。
 「てやーっ!」
 その隙を狙い、背後の女剣客が瞬時に抜刀。女性ディータの延髄を狙いに行く。
 結果は、足に携えた短剣一本での阻止。
 「おっと、先に仕掛けたのはオマエらだぜ。ちょっと痛い目見てもらうからな!」
 羽のディータはそのまま短剣を振り抜いて刀を弾き、《ウィンド》を詠唱。女剣客は酒の入ったグラス、増援の拳士を巻き込んで派手に吹き飛ぶ。
 次は吹き抜けの上から魔術師が《アイアン・バレット》を行使する。
 鉱石属性の呪文だ。彼女らは、ミクレビナーへの信仰を維持している。
 「《アイアス・シールド》!」
 行使者はミルク坊や。空中に光の盾を召喚し、的確に一行への射撃を防御する。こいつを先に片付けねば、どうしようもないか。
 「リーダーの登場だぜー!」
 このタイミングで、我らがボスが追いつく。窓から回転跳躍した彼は、両手に握った短剣で、ミルク坊やのシールドにヒビを入れる。破壊力に特化したマスターピース品だ。むしろ一撃で割れない事に驚いた。
 その様子に勇気づけられ、再度ショットガンを構える。狙うはミルク坊やだ。
 だが、照準は彼ではなく、我らがボスに向けられる。
 「《ドミネーション》」
 いつの間にか少年ディータがカウンターの中に潜り込んでいた。
 BLAM!
 掛けられたのは支配の呪文。彼の意思により、気絶効果の付与されたショットガンの一撃は、全てボスの方向へ。
 いや、支配の呪文を掛けられた以上、もはや私から見て、ボスは彼ではない。撃ったのは「アルム少年」だ。
 「は?」
 直撃。
 予想外の人物から与えられた攻撃を受け、彼はそのまま気を失う。
 リロードし、新たなボスの指示に従い、酒場に居る狼藉者どもを無力化してゆく。
 「ルノ、勝てそうだし擬態解くね」
 ミルク坊やが念じると、一行の外見はディータのそれから、肉を持つ種族のものに変わる。
 戦闘で上気した肌が、麗しい。
 「俺は逃げるぞ! うおーっ!」
 どうにか女剣客の下から這い出した拳士は、一目散に外に飛び出し、遠ざかろうとするも。
 「へぶしっ!?」
 見えない壁に衝突し、その衝撃で気を失う。
 「《サンクチュアリ》に《リバース・マジック》を掛けたらデスマッチ会場が出来るの。オドもエグいこと考えるよね」
 誰も逃さないつもりだったらしい。
 「わ、私は抵抗しません! だから命だけは助けてくださいーッ!」
 魔術師、陥落。杖を捨て、土下座。
 「安心しろ。そもそも命を取る気はねェよ」
 羽のディータは、擬態を解いてみればハーピィであった。
 丁重に彼女を吹き抜けの下に運び、下ろしてやる。
 「むう、なら良いのか?」
 復帰した女剣客も、戸惑いながら納刀。
 コード・ディーを発令した上で、最大戦力たるアルム少年が気絶しているのだ。どうしようもあるまい。

 戦闘は終わった。
 魔術師が割れたグラスを《リペア》し、女剣客の手も借りて机の配置を戻し、床を掃除する。
 一行は名乗った上で、床で意識を失っているアルム少年を指す。
 「ところで、こいつがボスで合ってる? スラムの入り口に居た子だよね?」
 ルノフェンは手際よく彼を拘束し、衣服を脱がせながら問う。
 他の三人は階段で吹き抜けの上に上がる。まだなにかやるつもりらしい。
 「そうですけど、その、なぜ服を?」
 魔術師の視線は、アルム少年のつやつやとした肌に釘付けだ。
 「キミたちの手で、誰が本当のボスか分からせることにしようかなと思って」
 「ぼ、暴力反対ですう!」
 彼女は手をクロスして、拒否のポーズ。
 「大丈夫大丈夫。きっと気持ちいいだけだよ」
 魔術師の表情は、何を言っているんだコイツはという顔だ。
 「あ、窓閉めといて。暖房入れて」
 指示に従い、窓とドアを閉めてしまう。
 「ん、良いかな」
 残りの三人が、併設された寝室に入り、ドアを閉めたことを確認し、彼は呪文を唱える。
 「《ラッティング・ガス》!」
 猛烈な勢いでピンク色の気体が放出される。
 効果は、発情。
 「なに、これェ!?」
 この場に居た全員が抵抗に失敗し、情欲に駆られ、疼く。
 「はいはーい! この子が相手できるのは一度で二人までだよ。並んで並んで!」
 酒場の人々は衣服を脱ぎ捨てながら、我先にと、ギラついた目でアルム少年を囲む。
 
 その後のことは、ここで語るには憚られるほどのものであった。

 ◆◆

 寝室。
 念のため《レジストアップ》を付与したオドは、仏頂面で小説を読んでいた。
 デフィデリヴェッタで購入したものである。
 
 他に室内にいるのは、グレーヴァのみ。イスに座り、オドを眺めている。
 ソルカは、「混ざりに行って良い?」と一言残し、暫く前に階下へ降りてしまった。

 「なんというか、室内でガス系の呪文は怖いなー、って思ったなー」
 幸いにも二階までガスが届くことはなく、二人はこうやってのんびりとしている。
 「無差別効果ですもんね。普段は使いづらいですけど、自分にも掛けるとなると効率は良いのかなあ」
 淡々と分析する。
 ルノフェンのこういうムーブに対し、完全に慣れてしまっている。
 階下から響いていた嬌声は、時間の経過に従い、疲労の色を帯びてゆく。
 「堕としたよー!」
 一方、ルノフェンの声は元気そのものだ。
 無邪気に、蛮行の報告を行う。
 「降りて大丈夫ー?」
 「ガスは抜けたからおっけー!」
 オドは小説をポシェットにしまい、立ち上がる。
 グレーヴァもオドと一緒に寝室から出て、吹き抜けから階下の様子を見る。
 
 「うっわあ……」
 バーテン、女剣客、魔術師、拳士、その他の三下は、完全に精気を吸い尽くされてノビている。
 そこら中に体液が散らばっており、ガスがなくともその臭気はえげつない。
 中央には、既に服を着たルノフェンとソルカ。ソルカの方はげっそりとしている。
 ルノフェンに頭を撫でられるようにして、ボロボロのウェディングドレスを着たアルム少年が女の子のように座り、クスンと泣いている。
 「この子、もともと男の子を愛せる素質があったみたい。ボクと同じだね?」
 ルノフェンがかがんでアルムの耳たぶを噛むと、彼は「やぁん」と喘いだ。

 アルムは、完全に調教されていた。

 「ルノフェンさまに女の子にされちゃったぁ……。もう戻れないところまで来ちゃったぁ……」
 アルムは可愛く泣きながら、ルノフェンに縋る。
 「本気出したルノフェンの体力、マジでヤバい。コイツ、神子より調教師とかの方が向いてンじゃねーの?」
 ソルカは限界だ。彼はふらふらと階段を上がり、寝室に入った後、バタンとベッドに倒れる音が聞こえた。
 「《クリンネス》」
 臭気に耐えかね、オドは床の体液を掃除してしまう。
 「そうだ、調教中に聞いた情報を共有するね」
 しかめっ面をするオドに対し、ルノフェンは語る。
 曰く、アルムは預言者プラロに対するレジスタンスのリーダーである。スラムの取り込みは半分ほど終わり、反抗する機会を伺っていたが、全くチャンスがないので困っていたようだ。
 彼らは、ミクレビナーの神殿からディータへの指示が飛んでいることを既に掴んでおり、適切な武力を必要としていた。
 攻める拠点が判明したのは、ルノフェン一行にとって願ってもないことであった。状況を聞く限り、また音による解呪が行えるはずだ。
 「ルノフェンさまのためなら何でもしますからぁ! 是非ご命令をください!」
 俄には信じられないが、彼らの口から語られたということは、本当のことなのだろう。
 「まあ、都合がいいのは確かかな。落ち着いたら、アルムくんと一緒に戦略を練ろう。良いよね?」
 オドの提案は、即座に了承される。
 「ん、そうだね。ただ、一旦アルムを休ませないといけないかも。ボクは慣れてるから大丈夫だけど、この子は色々と初めてだったから」
 ルノフェンはアルムを立たせ、寝室に向かう。
 なにやらアルムの尻を掴んでいる気もするが、見ないことにした。
 
 「グレーヴァさん、大丈夫?」
 「はっ!?」
 オドは、ぼんやりとしているグレーヴァに呼びかける。
 「この光景を見て、むしろオドくんはなんでそんなに平然としていられるか不思議なんだけど!?」
 当然の疑問ではある。
 「ルノフェンが好色なの、今に始まったことじゃないし。グレーヴァさんも慣れないと」
 「な、慣れるかなあ。オドくんみたいになれる?」
 頬をかき、控えめにオドの方を見る。
 「グレーヴァさんなら出来るよ! えい、えい、おー!」
 精一杯励ます。
 「おー?」
 彼女は控えめに手を上げた。

 二人はやることがないので、呪文のかかっていない食べ物を幾つかくすねて、小腹を満たしながら、お互いの故郷について語り合った。

 そして、アルムを三時間ほど休ませた後、作戦が完成した。

 反攻の時は来た。

第十話「神子くんの電光石火は良いものだ」

 (あらすじ:バギニブルクにたどり着いた一行は、レジスタンスの首魁を手籠にして傘下に置く。預言者プラロの支配を脱するための反攻作戦が練られ、後は実行に移すのみ!)

 ルノフェン一行は再度ディータの姿に変身し、都市の北側で時間を待つ。
 「ルノフェンくん、なんだかそわそわしてない?」
 日も落ちるかという時間。グレーヴァがルノフェンの様子を見て、声をかける。
 行き交うディータは仕事を終え、居住区に用意された自宅に向かっている。
 彼らの家が、もともと居た人間を追い出して作られたことを、ディータ自身は知らない。
 「こいつ、自分が待たせるのは良いけど他人を待つのは嫌いだからな。そもそもがわがままなんだ」
 ソルカの方は落ち着いている。闘技場で、試合開始までの待ち時間を日常的にやり過ごしていたのだ。このくらいなら問題ない。
 「うー、後一分がこんなに長く感じるなんて。ボクもあっちに行きたかったんだけどなあ」
 あっち、とはレジスタンスのことである。
 時間が来れば、都市の複数箇所でささやかな破壊活動を行い、ルノフェン一行が神殿をハックしている間に戦力を惹きつける役回りだ。
 「役割的にルノフェンが居ないとどうしようもないんだからしっかりしてよ。ほら、もう残り二十秒しかないよ!」
 オドが背を叩き、移動を促す。
 今回は事前にルノフェンに対し、魔力を渡している。祭壇に触れさえすれば、リンクは取り戻せるはずだ。
 バフは効果時間が非常に長い一部の魔法のみを採用している。陽動なく町中で戦闘系の呪文を使えば、怪しまれる。
 方針としても、電撃戦だ。道中で支援する時間も、ない。故に、普段よりも体の動きが鈍い。
 
 一行は自然な足取りで、神殿の入口に移動する。
 警備はそこそこ厳重だ。ディータの姿ゆえに怪しまれていないだけで、生身であれば近づくことにも苦戦しただろう。
 「五、四」
 オドがカウントを始めると、一行の雰囲気は引き締まる。
 
 「三、二」
 警備ディータの一団がこちらに気づく。
 数は五体。十分対処できる。
 「君たち。すまないが巡礼はプラロ様の居宅に――」

 「一」
 「待て、止まれ!」
 手で静止するも、一行は止まらない。

 「ゼロ!」
 時間ちょうどに、《メタル・スクラッチ》による不快な爆音が都市全体に響き渡る。
 「《イリュージョン》《サンクチュアリ》!」
 道を阻もうとした警備ディータが耳マイクを塞いだところを、オドは隔離する。
 結界の外側に見せた幻影は巨体のディータ。まるまるとした体は、実に重そうだ。
 続いて街中で起こったのは爆発。暗くなりゆく街路を、鋭く照らす。
 「なんだ!? 敵襲か!?」
 神殿内部から兵器が続々と現れ、一行の横を素通りして騒ぎに対処すべく出動する。
 それに気づかない警備ディータは、なおも警棒一本で対処しようとするが。
 「あがッ!?」
 「ぴぎゃッ!?」
 グレーヴァによる、技名すら持たぬ達人の刀さばきの前では、爪楊枝で戦うのと同義だ。
 「ごめんねー?」
 警備ディータが倒れ伏したことを確認すると、オドは結界を解除する。
 「よし、行くぜ!」
 先導するのはソルカとルノフェン。ソルカは夜目が効かないので、《ディテクト・トラップ》は彼の役回りだ。
 
 ミクレビナーの神殿は、七色の異質な光沢を放つ金属で作られていた。
 床に靴が触れる度に、カン、カンと硬質な音が鳴る。
 「爆発だと!?」
 「人間種だ! 捕まえろ!」
 神殿内のスピーカーを通して、街の混乱が伝わってくる。
 外の喧騒とは裏腹に、中のディータは少ない。レジスタンスの揺動は、効果を表しているようだ。
 一行は彼らの働きに感謝し、祭壇をめがけ最短距離で潜ってゆく。
 「トラップ発見! 二時!」
 「《サージ》!」
 ソルカが発見したトラップも、ルノフェンによる思考を介さない雷の呪文により、速やかに無力化される。
 しかし、トラップを超えた先、頭部が円筒状の索敵ディータに視認されてしまう。
 「敵襲ー! 神殿内に侵入者!」
 「《ゴッズ・フィスト》!」
 ソルカの首飾りが輝くと、白く光り輝く拳が飛び、索敵ディータの胸部を貫く。
 「ギャーッ!」
 報告は行われたに違いないが、既に一行は地上に戻るつもりもない!
 「作戦継続!」
 「了解、ルノ!」
 こうなっては逆に戻るほうが危険だ。とにかく走るべし!
 
 「侵入者発見! 侵入者発見!」
 次に現れたのは小型の蜂型オートマトンの群れ! 耳障りな羽音を立て、一行に毒を注入せんと迫る!
 「グレちゃん!」
 「任せて!」
 ルノフェンとソルカは一歩引き、既に霞の構えを取ったグレーヴァを前に出す。
 「《スティング》!」
 鬼人族の腕力に魔道具の効果が乗った突き攻撃は、炎の乱流へとその姿を変え、オートマトンどもを焼き尽くす!
 「――!」
 音も立てず融け落ちるオートマトンの傍らを、熱くなった床や壁に触れぬように《レビテイト》を掛けた一行は進む。
 
 暫く走っていると、一行は大聖堂にたどり着く。
 「侵入者の姿を確認。排除します」
 現れたのは、聖都での戦いで苦戦させられた多腕オートマトン。それぞれの腕に聖別されしオリハルコンで造られたフレイル、槍、鎌、チェーンソーを持った上級個体だ。
 「懐かしいな」
 ルノフェンとオドが前に出る。
 「背後は頼んだ」
 都合、構図も先の戦いと同じだ。
 多腕ディータは二進数の叫びを上げ、鎌とフレイルを二人に叩きつける!
 しかし、そのフレイルが彼らに届くことはない!
 「《リフレクション》!」
 オドの呪文により二つの武器は弾かれ、多腕オートマトンは大きく体勢を崩す!
 「闇陰、解放」
 仕掛けるのはルノフェン!  事前に魔法をストックしておいたチョーカーが輝き、闇と化した腕で繰り返し殴りつける!
 「ピギャッ!? ピギーッ!」
 多腕オートマトンはルノフェンの疾さ、力強さに全く対応できない!
 徐々に押され、やがて壁に押し付けられる!
 「オド、決めちゃえ!」
 ルノフェン振り返り、叫ぶ!
 「分かった! 《アイアス・シールド》! 《リピート・マジック》!」
 呪文によって呼び出されたのは二つの盾! 多腕オートマトンを挟み付けるように生成!
 オドは手を大きく開き!

 「合掌!」
 閉じる!

 「ピギャーッ!?」
 ルノフェンの闇腕とオドのシールド圧潰により、多腕オートマトンはスクラップとなった!

 「再生怪人はやっぱ弱いな! 祭壇はもうすぐだ!」
 スクラップを一瞥し、ルノフェン一行はなおも走る!
 
 祭壇に近づくにつれ、鉱石の通路はささくれ立ち、万色の輝きがうねりを帯びてゆく!
 それに伴い聞こえてくるのは、悲鳴。
 プラロの術式により、座から引き剥がされたミクレビナー神の悲鳴だ!

 「敵か」

 祭壇は、既に視認できる。
 狭い通路の中で、道を阻む者が、一人。
 「邪魔だ!」
 ソルカによる突撃はネオンめいた光を放つ刀に弾かれる。

 空気が変わる。
 紛れもない強者が、目の前に居る。

 「その気配、神子だな」
 番人は落ち着き払った声で《トリックレス・メカニズム》を唱え、一行の偽の外見を取り払い、バフを解除する。
 敵は中性的な姿だ。関節もほぼ人間種と見分けがつかず、精巧にできている。
 腰まで届く白髪の彼は、X字の描かれた仮面を被り、刀を正眼に構える。
 「キミがプラロ? 思ったより可愛いね?」
 ルノフェンは挑発。
 「私の名前は第四級『セイシュウ』モデル、オーダーメイド。生憎と、プラロではない。だが、ここを通すつもりはない」
 彼からは、紛れもない殺意が放たれている。
 「ここは、拙が行く」
 進み出るのは、グレーヴァ。
 セイシュウは彼女を値踏みし。
 「不足なし」
 構えるように促す。

 グレーヴァは応じ、柄に手をかけ、抜刀。
 同時に虚脱感が襲い、眉をひそめる。
 「言っておくが、この場で魔法が使えると思うなよ」
 彼の言葉は虚言ではない。祭壇を通して彼にミクレビナーの魔力が流れ込み、ムコナダァト系列の術式により、この場での魔法の行使を禁じている。
 念のためルノフェンがチョーカーからの魔法発動を試みるも、失敗に終わる。
 「加え、この通路の狭さ。大勢では叩かせてもらえない、ってことね?」
 セイシュウは、「然り」と認めた。
 
 「じゃあ、始めようかし――ら!」
 初手はセイシュウによる弾きからの小手打ち仕掛け。
 グレーヴァは難なくいなし、上段を横薙ぎするように狙うも、相手も強者。回すように受け流し、その勢いで下段へと繋げる。
 横跳びでかわし、壁を蹴った反動を活かし、柄で殴りつける。
 この奇襲も、セイシュウはバックステップで回避。空中のグレーヴァを斬り上げようとする。
 これを辛うじて魔化樫の鞘で受けると、ブスブスと焦げる匂いがした。
 
 押し返して飛び退き、仕切り直す。
 「そっちはマジックアイテムあり? 卑怯じゃないかな?」
 揺さぶる。
 「貴様の刀も大概だろう。術式による強化なくば、先の一太刀で灼け融けていたろうに」
 確かに、グレーヴァの刀もマジック級の品である。
 だが、その主要なエンチャントは、この戦いにおいて意味をなさない。
 
 「次はこっちから!」
 ネオン刀を掻い潜っての突きは下に弾かれ、返しの攻撃は叩きつけ。
 脚を使って避け、しなるように軌跡を描きながら、袈裟斬り。
 当てたが、浅い。敵の体は機械で、痛みを感じない。
 セイシュウは攻撃をもらいながら、肘バーナーから炎を吹き、タックル。
 「ぐうっ!」
 隙を突かれ、被弾。
 転ぶほどではないものの、痛手だ。
 畳み掛けるように、関節部を展開して連続突き。一対一の戦闘において法外なリーチを持つそれを、苦痛に顔を歪めながらどうにか捌いてゆく。
 苦し紛れに二頭クナイを数回投げるも、頭の動き一つで避けられる。
 「いつまでこの応酬を続ける? 私が時間を稼げば、その分増援のリスクが生まれるだろうな」
 語調を変えず、有効だと判断した戦術を維持し、淡々と突きを加える。
 苦しい局面に、意識が一瞬だけ脇差しに向く。
 染家の家宝、〈増長する狂った大火〉。これを抜けば、多少魔法の行使が防がれていようと、逸話によって強化された炎による制圧が出来る。
 グレーヴァは迷う。

 だが、その迷いが致命的であった。

 「なッ!」
 捌ききれなかった突きが、着流しを貫通し、グレーヴァを壁に縫い付ける。
 肉は裂かれていないが、身動きができない。
 ゆっくりと焦げゆく衣服を破り捨てようにも、隙が大きすぎる。

 「勝負あり、か」
 セイシュウは関節を元に戻しながら、グレーヴァに近づいてゆく。
 左手を握り、腕に力を込め、感情のない声でとどめのパンチを加えようとする。

 「さらばだ」
 彼が殴り抜けようとしたその瞬間!

 閃くは、いつの間にか背後に回っていたソルカの短刀だ!
 「『さらばだ』は、こっちのセリフだ!」

 首を落とされるセイシュウ。込められていた力は霧散し、ネオン刀は輝きを失う。
 死を覚悟していたグレーヴァは、我に返る。
 「あ、ありがと」
 ソルカは目をそらしながら。
 「ダーティプレイやズルは黒の神子パーティの十八番だぜ? オレがアイツに気づかれないくらいには小柄でよかったな?」
 (それでも、命は助かった)
 グレーヴァの方も、目を合わせることは出来なかった。

 ルノフェンはグレーヴァを拘束していたネオン刀を抜き、眺める。
 「うーん、戦ってたときは光ってて綺麗に見えたんだけど。動力に繋がってないとそうでもないかも」
 投げ捨て、祭壇の方に向かってしまう。
 「グレーヴァさん、おつかれ。落ち着いたら祭壇に行こう」
 オドは魔力の流れが回復したことを見計らい、《ヒール》でグレーヴァを回復し、ルノフェンに続く。
 「オレたちも行こうぜ。結果としてタンクとしての仕事はこなせたんだ。上出来じゃねえかよ」
 ムードメーカーのハーピィは、グレーヴァの肩をぽんぽんと翼で叩き、慰める。
 「うん、そっか。役には立ててたんだ」
 どうにか納得して、壁から身を離し刀を鞘に納める。

 ひとまず、祭壇を守る敵は、もう居ないようだ。
 
 ルノフェンの方を見ると、祭壇から溢れ出ていた病的な魔力が徐々に凪ぎ、うねっていた壁の色彩が、上品な銀色へと戻っていくさまが見えた。
 彼が終わりにパン、と手を鳴らすと、祭壇を通してアヴィルティファレトの声が聞こえてくる。
 「よし! 全領域修復完了! ディータに埋め込まれてたホワイトモジュールも全消去! グッジョブ!」
 ソルカから安堵の声が漏れる。
 だが、残りの三人は、まだ問題が残っている事に気づいているようだ。
 「な、なんだよ? これで終わりじゃないのかよ?」
 解説は、ルノフェンが行った。
 「アヴィ、気づいていると思うけど、ボクたちはまだプラロを倒してない。放っておくと、また同じことが起こったりはしないかな?」
 ルノフェンの問いは、正鵠を射ている。
 「分かってる。記録を確認したけど、この神殿を通してディータたちにホワイトモジュールが埋め込まれ、指示を出していたことはほぼ確かだ。そういう意味で、重要な拠点を守るために姿を表さなかったのは、奇妙と言えるね」
 と、アヴィルティファレト。
 「じゃあ、プラロがどこに居るか探さなきゃ行けない、ってことかな?」
 繋げたのはグレーヴァだ。
 「そこからは、わたくしが説明させていただきますわね」
 聞き慣れぬ女性の声だ。
 「わたくしは鉱石神ミクレビナー。先程まではお恥ずかしいところをお見せいたしました」
 「また神の声だ」
 ソルカの目は虚ろだ。この冒険で、もう二柱の声を聞いている。
 「実のところ、今もプラロからの攻撃は続いております。そこの神子とアヴィルティファレトの処置により、ひとまずは防げておりますわ」
 「でも、いつまでも持つって感じじゃなさそう」
 オドの所見に、二柱は同意する。
 「まさに。なので、貴方がたには敵拠点を叩きに行ってもらいたいのです。攻撃は、地下にあるイスカーツェル期の遺跡から行われておりますわ」
 イスカーツェル。かつて栄華を極め、神罰によって滅んだ機械文明の都だ。
 「地下か。今から行って間に合うかな?」
 ルノフェンの問いに対しては、制止の声が上がる。
 「流石に今日中は無理、と言えますの。かの遺跡は暫く前に遺棄され、幾重にも進入禁止のバリケードが構築されております。それをどかすのに、第二級ディータを動員して一晩といったところでしょうか」
 「なるほどなあ」
 この様子だと、プラロは人前に出るときも代理を送っているに違いない。
 自分だけは安全な場所で指示を出す黒幕に、さしものルノフェンも少し怒っていた。
 「じゃあ、明日の朝にその遺跡へ向かうよ。見つけたらぶん殴ってやる」
 「よろしくお願いいたしますわ。ここはあまり恵まれた地とは言えませんが、良い宿を取れるよう、枢機卿に通達いたしました。今日は、お休みになられるがよいでしょう」

 そういうことなので、神殿を抜け、地上に出た!

 ◆◆

 夜、雪の降るバギニブルク。
 皮肉にも、ディータに支配されて以降、増えすぎた彼らを住まわせるための都市計画がなされていた。
 明るい路地、自動で行われる除雪、凍土にあっても暖かな家。
 それも、長い時が経てばいずれ故障し、イスカーツェル由来の機構をメンテナンスできる者は少なくなってゆくだろう。

 つまり、そのうち名前も忘れ、元の第一都市に戻るのだ。

 元に戻ると言えば。
 都市の外側では、機雷をあえて起爆させ、撤去する市民の姿が見られる。
 銃を撃てるものは距離に気をつけながら射撃し、飛行できる者は落ちていた撒き菱を幾つか拾い、投げつける。
 爆発する度に悲鳴を上げる者も居れば、機雷の破片を拾ってもう一度破壊しに向かう者も居る。

 とにかく、街は大丈夫そうだ。
 
 以上の話を、一行は神官長から聞いた。
 神官長は、ミクレビナーのお告げに従い、都市で最も高価な宿を手配してくれた。
 とはいえ、デフィデリヴェッタやソルモンテーユのそれには及ばないが。それでも、一行に暖かい食事と寝床を用意してくれることには、違いない。
 「ルノフェンさま、この数日間、結構楽しかったなあ」
 アルムはルノフェンにしなだれかかり、回想する。
 彼は、今でこそ女の子のようにたおやかであるが、街がディータに支配された直後にレジスタンスを結成する程度には、この街を愛していた強者であった。
 実際、作戦の成功にあたっては、レジスタンスによる揺動の結果、ルノフェン一行が挟撃されずに神殿を制圧できたという側面が大きい。
 「アルムくん、ごほーび欲しい?」
 ルノフェンの右手にはトナカイ肉スープを食べるためのスプーンが握られており、左手でアルムをあやしている。
 行儀は悪いが、皆慣れたものである。
 「激しいのが欲しい!」
 答えを聞くと、「よく出来ました」と言わんばかりに、頭をくしゃくしゃと撫でる。

 「ルノ、そういうのをやるんだったら自室でやろうね」
 オドは炊き込みご飯をもぐもぐとやっている。燻製肉がたっぷり入ったそれを、いたく気に入ったらしい。

 「ソルカはどう?」
 ルノフェンは誘うが。
 「今日はいーわ。多分明日がラスボス戦だから、オマエもちょっとは休んどけよ」
 断られる。ソルカは、採れたてのカニ料理に舌鼓を打っている。
 「こんなに沢山カニ食ったことねェかも。今回の一件が落ち着いたら、姉さんも連れてきてーわ」
 美味い、美味いと言いながら、夢中になっている。

 「グレーヴァさん、新しい着物どうですか?」
 次に話題を振ったのはオドだ。
 「わあ、オドくん気づいてくれた!」
 グレーヴァの衣服は先の戦闘で破けてしまったので、新しく買い直したようだ。
 よく見ると、以前着ていたものと比べ厚みがある。防寒用の魔道具なしであれば大して寒さへの抵抗にはならないが、それでも北方のものなので、自然と厚くなってしまうのだ。
 彼女が食べているのは、揚げたパンだ。中には挽き肉、芋、チーズなどが入っており、具材から出るスープが深い味わいを作り出している。
 「ふかふかしてて良いかも。水の季節のためにもう一着買っていこうかなあ」
 水の季節。元の世界においては、概ね冬のことだ。
 「良いなあ。わたしも寄ればよかったかも」
 オドの巫女服は膝でカットされているので、見るだけで寒い。腹部を露出しているソルカやルノフェンに比べれば、これでもまだ着ている方と言えるわけだが。
 「なんならこれから行く? タイツとかも選ぶよ?」
 「一緒なら心強いですね。行こう!」
 二つの意味で、である。
 冒険を通して、オドは多少ならば女性に対して抵抗できるようになったが、万一囲まれるとまだ危ない。
 夜の治安を考えると、誰かが同行すべき、ではあった。
 
 「行ってら。オレは食べ終わったら寝よっかなー」
 カニ料理を食べ終わった後は、魚の煮物に手を付ける。

 一行は、ひとまず各自行動することにした。

 食べ物を全て胃の中に収めた後。
 オドとグレーヴァは買い物に向かい、ソルカはシャワーを浴びに退出。

 室内には、オドとアルムだけが残された。
 
 「みんな行っちゃったね?」
 アルムの背中に背を回し、ルノフェンも自室に戻ろうとする。
 「ん、そっか、僕たち二人だけなんだ」
 皿が下げられる様子を見ながら、アルムは既に近い距離をなおも詰める。
 殆ど密着している、と言うことも出来るだろう。
 「そうだ、ルノフェンさまに聞いておきたいことがあったんだ」
 「んー?」
 目を合わせ、言葉を待つ。
 アルムの目は、純真だ。つい今日まで穢れを知らなかった彼は、ルノフェン一色に染められてしまった。
 「オドくんに対しては、僕みたいに滅茶苦茶にしなかったの?」
 「んー」
 ルノフェンによる無言のキス。黙らせる。
 「今のはペナルティ。答えるだけ答えてあげる」
 キスでその気にさせられかけているアルムを焦らし、話す。
 「あの子、曲がりなりにも女の人が好きだから、そういう素質がないんだよね」
 なんだかんだで、完全に素質がないと思える相手には、無理強いしない。
 ルノフェンはこの世界で色々ひどいことをやっているように見えるが、冷静なところもあるのだ。
 「そっかあ」
 アルムはキスをもう一度せがむが、それは拒まれる。
 「ペナルティって言ったでしょ。暫く中途半端な状態で過ごしてよ」
 「うー」
 体をもじもじさせ、不愉快な感覚に抗う。
 「で、理由の方。もう一つある。ボク、これでも寝取りはやらない主義なの」
 「そうなの?」
 意外そうにしている。オドに相手が居たことについても、ルノフェンのこだわりについてもだ。
 「うん。だって気持ちよくヤれないじゃん。でも、こんなんだから先越されちゃうのかなあ」
 「先?」
 詳しく聞きたそうにしているアルムに、元の世界でのことを少しだけ話した。
 かつての恋人のことだ。
 語り終えるまで、アルムは何も言わず、聞き続けていた。
 「んっ」
 独白が終わると、優しく唇が近づく。
 ルノフェンは不意を突かれ、キスを許してしまう。
 ぷはぁ、という呼吸音で、小休止。
 「辛いよ、それ。未練しかないじゃん」
 事実だ。頭では可能性はないとわかっていても、心のなかでどこか、あの子とまだ親密になれるんじゃないか、と思っている自分がいた。
 その事実を改めて突きつけられ、胸がチクりと痛む。
 「いっそのこと、きっぱり振られに行ってしまえば良かったのに」
 もやもやする対応を知り、いじけるアルム。
 ルノフェンは大きなため息を一つして、考え直す。
 「ありかもね、振られに行くの。そういう儀式、大事かも」
 決意、というべきだろうか。
 あるいは、この冒険を終わらせるための、ちゃんとした動機ができた、ということか。
 現状、元の世界に戻る手段を神からの報酬を除いて知らないルノフェンとしては、絵空事ではあるのだが。
 「なんか、この世界に居れば居るほど、みんなに励まされっぱなしって気がしてくるなあ」
 再度頭を撫で、アルムを抱きしめ、立ち上がる。

 「行こっか。さっきのペナルティ、ナシで。人生最高の夜にしてあげる」

 ◆◆

 「で、全員最高のコンディション、と」
 一行は遺跡の前に、並んで立っている。
 小回りの聞く運搬型ディータ、元の世界におけるトラックが通れそうな、鋲打ちされた金属の通路が、目の前に見えている。
 暫く使われていなかった遺跡であるためか、鉱石ランプの明かりも明滅している。オドは《ライト・プローブ》を主軸に、魔法を封印された場合に備えて、物理的な光源を装備したオートマトンを用意している。
 「ルノ、詳しくは聞かないけど、昨日の夜結構泣いてた?」
 オドの巫女服は、魔素をより多く通す生地で作られたものを採用したらしい。
 相変わらず袴は膝丈。黒いタイツを履いている。
 「ん。ちょっとアルムと語りすぎたかも。あの子、話聞くの上手だったよ」
 ルノフェンはポツリと語りながら、ソルカとグレーヴァを見る。
 「こっちもオッケー。いつでも行けるぜ」
 既に『セイバー・オブ・エミッション』を装備している。ぐっすり眠って回復したようだ。
 「お姉さんも昨日は楽しかった! 行こう!」
 グレーヴァは自然体だ。昨日の戦闘を反省し、接近戦のイメージトレーニングはやったらしい。

 「よし、じゃあ行こっか。ソルカ、先導任せた」
 パーティのリーダーとして格好はつかないが、探知技術持ちは先に行くものである。
 「あいよー。《ディテクト・トラップ》!」
 進行方向、彼の脳は、ぼんやりした何かを感じ取る。
 「んん?」
 ちょうど入り口一歩目に、トラップがあるらしい。
 しかし、普段とは違い、意識しなければ見落としそうな感覚であった。
 「オド、開幕からなんか奇妙だ。罠があるのは確かなんだが、いつもよりぼやけてる。念のため、そっちも唱えてもらえるか?」
 オドも詠唱する。
 「ほんとだ。魔術的に隠蔽されてるのかな」
 いつものように一シェル鉄片を取り出し、投げる。
 鉄片は、「ブン」と音を立てて、消滅した。
 「感覚的にはテレポーターの罠っぽい。どこに飛ばされたんだろ? 一回発動したら消えたね」
 然り。ソルカも罠が消滅したと認識できている。
 「これ、どっちも《ディテクト・トラップ》入れる体制で、それでも何個か見逃しちゃうかもしれない。ルノ、それでいい?」
 ルノフェンは是認した。オドやソルカでも見破れないのであれば、これは許容せざるをえない。
 「今消耗するのは怖いけど、防御系のバフを幾つか炊いておこうかな」
 こういうバフは、魔力消費軽減持ちのオドが最適だ。
 「念のため、お互いの位置が分かる魔法とかがあったら嬉しいかなー」
 グレーヴァの提案に従い、追加で《ゾディアック・トライブ》を唱える。それぞれの位置が、星座を構成する星のようにはっきりと認識できるようになった。
 「よし、これで誰かがトラップにやられても助けに行けるね。改めて、行こう!」

 おー! と鬨の声が上がり、彼らは最後のダンジョンに臨んだ。

第十一話「覚悟を決めろ、ぼく!」

 (あらすじ:おかしくなったディータから都市バギニブルクを解放した一行。しかし、黒幕である預言者プラロの姿は見当たらない。神々によると、地下のイスカーツェル文明期遺跡から未だに攻撃が飛んできているという。いざ! ラストダンジョンへ!)

 イスカーツェル遺跡。
 とは言うものの、これは一つの遺跡というよりは、遺跡群という表現がより適切である。
 それぞれの遺跡の規模はまちまちだ。広間一つだけのものもあれば、アリの巣のように地下奥深くまで複雑な構造をしているものもある。
 
 一行が探索する遺跡は、その中では大きめなものと言えた。
 それぞれの部屋は配管やメーター、計器類が露出し、古びた鉱石ランプによって薄いピンク色に照らされ、怪しい空間と言えた。
 機材は今のところ駆動していないように見えるが、警戒は怠れない。
 「見てよ、これ。マッサージチェアだ。座れるかな」
 警戒は、怠れない。
 ルノフェンの注意が逸れたところで、オドがスカートを掴んで引き戻す。
 「それ、多分トラップ。魔術的に隠蔽されてて発見が難しいんだから、迂闊なことはしないでね」
 うえー、と不満を漏らし、元の隊列に戻る。
 「にしても、思ったよりは生活感があるねー。ゆっくり衰退したというよりは、何かとんでもない出来事が起こって一気に滅びたって感じがする」
 刀の柄を弄びながら、グレーヴァも後に続く。

 効果の分からないトラップを除けば、敵性の魔物やオートマトンは見当たらない。
 肩透かしと言うよりは、より緊張を高めてしまうものだ。

 不気味な静寂の中、靴が擦れる音と、羽ばたきの音だけが反響する。

 「なんかこう、これだけ戦闘がないと逆に不気味なんだよな」
 ソルカも武器をいつでも使えるように構えているが、今日は一度も起動していない。
 
 「うん。てっきりこの遺跡で製造されたそばから送り込んでくるものだと思ってたけど。防衛がトラップだよりにしたって、無防備すぎる気がする」
 オドは《ディテクト・トラップ》を掛け直す。
 彼は長い間集中している。魔力はこの程度では尽きないが、精神的な疲労は出るだろう。

 「ちょっと伸びをしていい? ここ、空気もどんよりしてるし、薄暗いし。ストレッチとかしたいな」
 皆に許可を得て、うんと伸びをするオド。

 その右手が、暗さで巧妙に隠されていたスイッチに触れる。

 「あ」
 
 オドの間抜けな声と共に、トラップが起動する。
 
 ブン。テレポーターだ。
 トラップにより、オドの姿が掻き消える。

 「えっ」
 「マジ?」
 オドが消えた次の瞬間、ルノフェンとソルカも消える。

 グレーヴァだけは、その場にとどまっている。
 「え?」

 彼女だけが、転送されない。

 「嘘でしょ?」
 彼女は、ひとりきりになった。
 パーティを分割するように設計された、たちの悪いトラップだ。
 ただ、呪文によってお互いの位置だけは認識できている。
 彼らは、もう少し深いところにそれぞれ転移したようだ。

 「厄介なことになったわ……」
 髪をかき上げ、意を決する。
 ここで待っていても仕方がない。
 テレポーターで転送された先は、より危険であると相場が決まっている。

 彼らを、助けるのだ。

 「怪しいものには触れない。壁にも天井にも触らない。これで行こう」
 グレーヴァはトラップ検知スキルを持たないが、こうなっては仕方がない。

 各人の位置が分かっているので、その方向に直線距離で進むだけだ。

 「遺跡はちょっと壊れちゃうけど、仕方ないよね」
 刀を抜く。
 魔法強化のエンチャントが付与されたそれを、上段に構え。
 「《ヘルム・スプリッター》!」
 魔具の効果を一点集中し、床に叩きつける。
 鉄をも容易に溶かす灼熱は、遺跡の機構を無力化すると同時に、彼女の通る道を作っていく。
 機械技術者がこの光景を見れば、卒倒を通り越して発狂するに違いない。

 床が崩落し、次の部屋へ。高熱が彼女を襲う。
 だが、脇差しの副次効果によって火炎耐性は万全だ。

 「どんどん行くよ! 《ヘルム・スプリッター》!」
 
 彼女は突き進む。
 
 一番近いのは、オドだ。
 最初に高さを合わせた後、水平に遺跡を掘り進んでいった。

 一方、そのオドはと言うと。
 
 「わーっ!?」
 彼は、再度の効果音とともに、遺跡の一室に再出現する。
 
 空中から落下し、ぽすん、と尻餅をつく。
 「うう、ヘマしちゃったかな」
 痛みはない。彼が落下したのは、イスカーツェル時代から形を残す、ふかふかしたベッドだ。
 埃を軽く吸い込んでしまい、少し咳き込んでから、念のため解毒する。
 「落ちたところがベッドで良かったというべきか、そもそもトラップにかかったのが悪いと言うべきか」
 一行の位置を把握し、立ち上がる。
 あたりを見回すと、壁にはリンゴ程度の大きさの穴が幾つも開いており、天井にはスピーカーが付いていることが分かる。
 「何か変だ。どういう目的で作られた部屋なんだろう?」
 《ディテクト・トラップ》の効果持続を確認し、罠の有無を確認する。
 「うわ、最悪」
 判定。この部屋そのものがトラップ。
 「困ったな、どうにか脱出したいんだけど」
 部屋には、扉があるにはある。
 だが、ドアノブが備えられておらず、入退室に関わりそうなものはカードスリットだけだ。
 「うーん、陽光の魔法でなんとかなるかな?」
 《クリエイト:オブジェクト》で、ちょうどスリットに刺さりそうなカードを生成する。
 物体系は鉱石属性の方が長けている。陽光属性にある《クリエイト》の消費はオドをもってしても重いが、仕方ない。
 「よし。さっさと出よう!」
 カードを通す。
 読み取り機から、ピッ、という電子音が、速やかに聞こえてくる。

 「いいぞ!」
 一刻も早く出よう。
 こんなところに長居するのは、得策ではない。早く他の仲間と合流して――

 「認証完了。入退室口をひらき、ま」
 電子音声が止まる。
 「んん?」

 「エラー。魔素が不足しています。室内をサーチします」
 声とともに、壁の穴の一つから、目玉のようなカメラを持った、五本の指がある機械の腕が現れる。
 アーム本体は無骨な金属製だが、手と指の部分はなめらかで、すべすべとしていそうだ。

 「なんだか、すごく嫌な予感がしてきた」
 カメラは室内を舐めるように見渡し、ベッド、オドの持つカードの順に焦点を合わせた後、オドの顔をじっくりと見る。

 「魔力を潤沢に含む生体反応あり。搾取モードに入ります」
 「やっぱりー!」
 壁の穴という穴からアームが現れる。
 「さ、《サンクチュアリ》!」
 アームに掴まれる寸前、どうにか結界を張ることができた。
 「対象の抵抗を確認。無力化を試みます」
 うっかり結界内部に取り込んでしまったスピーカーから、声。
 側面のパネルが外れ、小さな機械触手が現れる、
 「しまった!」
 再度結界を展開しようとするが、時すでに遅し。
 「《サ――んぐっ!?」
 口を開いた瞬間に、触手が口内に入り込み、甘い液体をぶちまけていく。

 「けほっ、こほっ」
 全て吐き出そうとするが、わずかに飲み込んでしまう。
 仮に飲み込まなかったとしても、粘膜から吸収されたに違いない。
 
 効果はすぐに現れる。
 (あっ)
 体中が痺れるように疼くとともに、両足は踏ん張る力を失い、仰向けに倒れ込んでしまう。
 (く、ううっ!)
 結界を維持しようと試みるも、術式を含んだ弛緩剤の前には、風の前のろうそくのようなものだ。たまらず、術を解除してしまう。
 「対象の抵抗解除を確認」
 結界によって侵入を阻まれていたアームは、瞬く間にオドを大の字に拘束する。

 (あ、熱いっ!)
 それぞれのアームは不自然に熱を帯びており、無機質のはずのそれは、オドにとっては人肌の温かみすら感じさせる。
 拘束を終えた後、さらなるアームがオドの巫女服の中に潜り込み、つるつるの脇腹と、もちもちとしたタイツ越しの太ももに取り付く。
 (まって、それは)
 こちょこちょと、くすぐりが始まる。
 「ふああああっ!?」
 彼は嬌声を上げ、笑う。
 口を開くと、スピーカーから現れた機械触手がねじ込まれ、唾液とともに魔力を吸い取られてしまう。
 (口はだめえっ! 魔力吸わないでえっ!)
 とは言うものの、オドは情けなく身を捩るというささやかな抵抗しか行えていない。
 「魔力吸収の成功を確認、次フェーズに移行します」
 (まだあるのぉ!?)
 追加のアームが、ハケを持ち耳とへそに取り付く。
 (やめ、やめてよぉ!)
  より熱くなったアームにより、無慈悲にくすぐられる。
 聴覚、触覚両面からの責めから逃れようとするが、その結果としては、ただ衣服がずらされるだけであった。
 「はーっ、はーっ」
 荒い息を吐きながら、魔力を吸われる。
 オドの魔力総量からすればほんの僅かな量でしかないが、それ故に、この責めが長く続くと予感させる。
 
 「吸収効率上昇を確認。複数箇所からの吸収を試みます」
 今度はハサミと、筒のような機械。
 オドはその形状をひと目見て、用途を察した。

 (なんなの!? 男の子を虐めるためだけの部屋なの!?)
 全力で抵抗を試みても、頑丈な拘束は解けそうにない。

 ハサミが迫り、膝丈の袴を切り裂こうとする。
 
 体を揺らし、無力ながら抵抗するさまは、ある種煽情的とも言えたが。
 
 ガッ、ガガッ。

 不意に、暴力的で激しい音が部屋の外から聞こえてくる。
 「エラー。オーバーヒート。フェイルセーフ機構を動作させ、現在実行中の機能を停止します」
 (え?)
 取り付いていたアームが、おもちゃで遊ぶのに飽きた猫めいて、速やかに引っ込んでゆく。
 室温が上がる。ただ事ではない状況となっていると、オドは理解する。
 「《サラマンダー・スキン》」
 まだ立ち上がることは難しいが、どうにか唱えた呪文で火炎耐性を得る。
 何かを破砕する音は、より近づいてくる。
 
 「《プロテクション》」
 呪文を重ねる。
 近づいてくるものは強大だ。恐らく、対策なしに轢かれればひとたまりもない。

 どうにか上体を起こし、待ち構えていると。
 「《サジタル》!」
 聞き慣れた声がする。
 壁が、真っ二つに融け、分かれて落ちる。
 
 「おまたせ、大丈夫?」
 壁を掘り進みながら現れたのは、グレーヴァだ。

 「ありが……」
 彼女はオドの姿を一目見るや、赤面し、目線をそらす。

 巫女服がはだけ、肩や脇が見えてしまっていた。

 「ごめん」
 衣服を直し、《アンチドーテ》と《バイタリティ》を唱え、立ち上がる。
 
 部屋の様子を眺めるグレーヴァ。
 ろくでもないことが起こっていたと、なんとなく理解する。

 とはいえ、衣服がはだけたくらいなら、最悪の事態は避けられたのだろう。
 「改めて、ありがと。助かったよ」
 オドは微笑み、グレーヴァの空いている方の手を握る。
 
 上気していて、温かい。

 「ほ、ほら! 行くよ! 残りの二人も助けなきゃ!」
 グレーヴァの方から手を振り払い、また壁を溶かし始める。

 「罠探知は、いいか」
 彼女のあまりにも凄まじい進軍方法を見て、オドは心強いと思うのであった。
 
 次いで羽をくすぐられ悶えるソルカと、最後にぷるぷると震える貝型オートマトンに囲まれるルノフェンを救い出した。
 
 「ひどい目にあった。なんなんだよこの遺跡。えっちなトラップしかないじゃん。遺跡って言ったら転がってくる大岩とか、毒矢とかが定番なんじゃないの?」
 「機械の遺跡で大岩はねーよ」
 二人はトラップで消耗した分の魔力をオドから提供され、回復する。

 「これからどう進む?」
 念のため、オドは一行に問う。

 「やっぱ、トラップ見つけるのしんどいから、火炎耐性付けた上でグレーヴァに掘り進んでもらうのが早くね?」
 ソルカの提案に、ルノフェンはうんうんと頷く。

 「うう、後世で研究者に恨まれそうだ。でも、これが手っ取り早いよね」
 オドも、どうにか自分を納得させる。

 「グレちゃん、行ける?」
 「任せて!」
 グレーヴァはサムズアップした後、装備したバングルから魔力をもらい、刀を抜いた。

 ということで、一行による無法な進軍が始まった。

 ◆◆

 ゴッ、ガッ。

 預言者プラロの工廠。
 彼の配下たる忠実なディータが、頭上から響いてくる異様な音に顔をしかめる。
 このディータには、ホワイトモジュールは埋め込まれていない。純粋にプラロの思想に共感し、計画の初期段階で地表からスカウトされたのだ。

 「ッたく、勘弁してくださいよ。また故障ですか」
 ぶつくさと文句を言い、修理スクリプトを実行するため、管理端末の前に移動する。
 「実行、と」
 楽なものだ。
 プラロのもたらす技術は、素晴らしいものである。
 
 だが、今日は違った。

 聞こえてくる音はなおも激しくなり、修理スクリプトが効果を及ぼした様子はない。
 「あン?」
 もう一度、実行。
 効果はない。
 「マニピュレータでも壊れたか? クソだな、クソ」
 直接様子を見に行くため、はしごに手をかける。

 その時であった。

 ZGOOOM! 突如天井が崩落し、四人のヒトが落ちてくる。
 
 「は?」
 当惑していると、透き通る水色の髪を持つ子が滑るようにエンジニアディータへ走り寄り、《クラック:チェンジオーナー》を唱える。
 レジスト。
 当然だ。プラロによってパッチを当てられたプログラムは、多少のハッキングでは――
 「《レジストダウン》!」
 「《レジストブレイク》! 《クラック:チェンジオーナー》! 通った! サンキュー、オド!」
 問題は、相手が並の存在ではなかったことである。
 新たな主をルノフェンだと認識したエンジニアディータは、敬礼を行う。

 「それはいい、今すぐプラロのところに連れてって!」
 「プラロですね! わかりました!」

 踵を返し、案内する。

 ここから先には、一切のトラップが仕掛けられていない。
 地下に潜ったディータが暮らしていくためだ。何より、大抵の侵入者は、そもそも空間的に隔てられたこの場所に入って来れないだろう。
 正規の入場手段はテレポーターだ。遺跡の何箇所かに用意されたテレポーターで、直接やってくるのが正解である。

 ルノフェンは急いでいる。最短距離でプラロのもとに彼らを連れていき、さっさと持ち場に戻るとしよう。
 エレベータを乗り継ぎ、それほど時間を掛けず、たどり着く。

 その存在は、謁見の間に居た。
 くすんだ真鍮の壁は豪奢で、天井には鉱石ランプが埋め込まれている。広い室内を照らすには心もとないその明かりは、ハゲタカに囲まれた雛鳥のように、力なく揺らめいている。
 床には緋色のカーペット。神殿からくすねてきたと思しきそれは、ディータの往来に耐えかね、ところどころくすんでいた。

 一行は、正面に気配を感じ、武器を構える。
 アダマンタイトの機械玉座にふてぶてしく座るは、単眼の魔術師めいた、機械人間。
 
 「新しい主をご案内いたしました」
 エンジニアディータは前に進み、お辞儀をする。

 「フン」
 預言者は鼻で笑い、エンジニアディータの方へ手を伸ばす。
 「《デリート》」
 「《アイアス・シールド》」
 掌から放たれた、機械にとって致命的な魔法は、オドの盾によって防がれる。
 
 「オイオイ、壊れたおもちゃの廃棄くらいはさせてくれよ?」
 危険を感じたルノフェンはエンジニアディータに命じ、下がらせる。

 「キミがプラロ、だね?」
 ルノフェンの確認に対し、彼は。
 「ああ、そういえばそう名乗っていたな」
 プラロは立ち上がり、詠唱。
 「《トリックレス――」
 「《セパレート:ルール》」
 膨大な魔力を費やしたオドの呪文は、彼我の魔術的法則を完全に分離してしまう。
 これで、こちらは搦手を使えなくなる代わり、相手の厄介な魔法封印も無効化できる。

 「チッ。門番にあの技を使わせるべきじゃなかったな」
 彼は不愉快そうに、玉座の周囲をツカツカと歩く。
 「俺はイスカーツェルの遺志を継ぐ者。ムコナダァトを復活させ、従属させ、かつての文明の再臨を望む者」
 「《ダーク・ランス》」
 ルノフェンが撃ち出した牽制の一撃は、右腕で弾かれる。
 彼のボディにも、魔法への耐性があるようだ。
 「オイ、聞けよ。俺はこう見えてヒトだ。ディータじゃない。それはもう大昔に、つま先から髪の毛まで、機械に置換してしまったがな」
 「《センス:ライ》」
 オドによる判定は、真だ。
 「全く、どうしてそこまでトゲトゲしてるんだ? 神子は結果的に無傷だし、この大陸の住民に対しても、たかが国二つに襲撃を掛けただけじゃないか。むしろ、面倒をかけさせられたのはこっちの方だ。手駒を壊し、街を奪い、入口の直通テレポーターまで無視しやがって」
 その言葉に、ソルカの眉がピク、と動く。
 「理解できねえぞ、オマエ」
 今にも飛びかかりそうなソルカを、グレーヴァが抑える。
 「わりィ、少しカチンと来ただけだ」
 彼は、ひとまず引き下がった。
 「オレはハナからヒトのために動いてる。俺が再起動できたのは幸運だったな。これから俺は、このプラントに眠っている人間の遺伝子データを、神子経由で神の座から引き出した魔力で具現化し、そいつらとともにもう一回国を築き、幸せになるのさ」
 夢物語だ。奴が言うヒトは、“イスカーツェルの”人間に限ったことだろう。
 プラロ以外の四人は、そう思わざるを得なかった。

 「話はそれで終わり?」
 彼との対話は、不毛だ。
 交渉は、望むべくもない。
 一行は戦闘の準備を整える。

 「そうかい、さっきのディータくんは分かってくれたんだがな」
 クク、と、彼は笑い。

 「だったら、無理矢理にでも魔力炉にしてやるよ!」
 プラロは宣戦布告とともに、跳躍。玉座背後のソケットに右腕を突っ込む。
 「《ゴッズ・フィスト》!」
 ソルカの一撃が過たず頭部を貫き、アンドロイドのボディは破壊される。

 だが、一行に向けられる殺気は収まる気配がない。

 やがて、床が震え、天井が開き、壁がせり上がってゆく。
 「クッハハハ! もとよりソレはただの端末よ!」

 退場したのは、光源も例外ではない。
 下りゆくエレベーターのような、ふわっとした感覚が一瞬襲う。
 背中を合わせるように警戒する四人は、闇に包まれる。

 壁が上がっているというよりは、床が降下しているようだ。
 しばらく待っていると、移動は終わる。

 オドはポシェットから光源オートマトンを取り出し、起動する。
 「いい子だ」
 周りを飛行させ、状況を伺う。

 一行が立つのは、広大な空間。
 ここは、イスカーツェル遺跡の更に下方。古代文明に棄てられたもの達の最終処分場。

 グオオオオオ――――ン……。

 遠くから聞こえてくる轟音。
 まばゆい光に照らされ、一瞬目がくらむ。
 
 「ようこそ! 俺のテリトリーへ!」
 
 目が慣れてくる。
 
 見えたのは、直径二十メートルはあろうかという、巨大な球体。

 「俺のホントの姿を人に見せるのは初めてだ。あえて、名乗ろうか」

 イスカ・スフィア。

 彼が名乗りを終えると。
 球体表面から幾つものオートマトンを排出し、戦闘が始まる。

 「クソっ、近づこうにもあいつらが邪魔だ!」
 先陣を切ったソルカは、無数の蜂型オートマトンを視認する。

 「対多数なら拙の出番ね!」
 「任せた!」
 ソルカは一歩下がり、グレーヴァを前に出す。

 彼女は、今度こそ脇差しを迷わずに抜き放つ。
 「〈増長する狂った大火〉よ」
 レジェンダリー等級のソレは、燃え盛る炎を発し、先程まで脇差しの鞘に収まっていたとは思えないほど荒れ狂う。
 紫晨龍宮に古来より伝わる文字で、『敵を殺せ』とグレーヴァに囁く。
 彼女は御し、自身の魔力も注いで、横薙ぎに振り抜いた。
 
 「《桔梗紋:ハナダ》!」
 グレーヴァを中心に藍色の炎が巻き起こり、迂闊に近づいたオートマトンを焼き滅ぼしてゆく。
 「まだ、まだァ!」
 叫び、咲き誇る巨大な炎の花びらをもう一枚生成し、操る。
 進軍を邪魔するオートマトンを大雑把に薙ぎ払い、消し炭に。
 彼女の目からは血が流れ、この祭器を用いるにあたっての負荷の激しさを、否応なしに自覚させる。

 「これが! 拙の本気だッ!」
 呼び出した花びらは、三枚。
 
 雑兵を消し去った後になお残るそれを、イスカ・スフィアに投げつける。

 「おっと」
 イスカ・スフィアは攻撃を避けない。
 否、そもそもこの場から動くこともできない。

 BOOM!

 花びらが触れたそばから爆発し、煙を上げる。
 
 「ッ! 攻撃続行!」
 結果を見ずに、残りの三人は突進。
 確かにグレーヴァの攻撃は凄まじい威力だった。
 だが、相手の耐久力がそれを上回った。
 
 「オド、どうやって浮いてるアイツを叩く!?」
 ルノフェンとオドは並走し、戦略を練る。
 ソルカは新たに呼び出されたオートマトンを破壊し、彼らの通る道を作っている。
 オドは荷物から翼を取り出して装備することを検討し、隙が大きすぎると一蹴した。
 となると。
 「騎士団長がやってたみたいに《クリエイト:プラットフォーム》でやってみる!」
 「分かった!」
 ルノフェンは頷き、オドに道を譲る。
 「《クリエイト:プラットフォーム》!」
 オドの行く先に輝く斜面が現れると、二人は一目散に登る。
 
 「クッハハ、非イスカーツェル存在にしてはよく考えたな!」
 球体側面から現れたのは無骨にも程がある大剣。斜面に沿うように突きを放つ。
 「《アイアス・シールド》!」
 オドの防御呪文はどうにか攻撃を受け止めたが、一撃で砕けてしまう。

 「くっ!」
 削ぎきれなかった衝撃で、三歩ほど後退。
 「《エンハンス・マジック》! 《リピート・マジック》!」
 盾を貼り直すも、敵の攻撃は苛烈。生成する度に割られ、徐々に消耗してゆく。
 「くっ、どうすれば!」
 致命的な一撃をどうにかいなすオドは、恐怖しながらも対応を続ける。

 「助けに行きたいが、こっちもヤバい!」
 彼らに向かう蜂型オートマトンを叩き落とすため、ソルカは動けない。

 「登ってこれぬようだな? 神子の遺体さえ残っていれば、俺は計画を続行できる。とどめだ!」
 イスカ・スフィアはひときわ強く溜め、殺意を持った斬撃を二人に見舞う。
 「ルノフェン!」
 ソルカが、悲鳴をあげる。
 斬撃は、過たず二人の居る空間を通過する。

 「そんな!」
 大技で息を切らしていたグレーヴァも、その瞬間を見る。

 手応え、なし。
 姿、なし。
 気配すらも、消え失せている。

 「フム? 少し力を込めすぎたか?」
 大剣から返ってくる衝撃の弱さに、イスカ・スフィアは意外そうな声を漏らした。

 死。
 最悪の想像が、残された二人の脳裏によぎる。

 「アアアアアアッ!」
 怒りに任せたソルカの突撃は、硬質にも程があるイスカ・スフィアの表面に弾かれる。

 「よくも、よくもアイツラを!」
 イスカ・スフィアは抵抗しない。
 抵抗する意味がない。
 ソルカの攻撃は、通らない。

 「うるさいぞ、羽虫」
 あくびでもしていそうな声を出しながら、攻撃を受け続ける。

 グレーヴァが追いつき、刀を媒介とした炎の射出を行うも、これも効果がない。
 やがて、二人は、攻撃の手を緩めた。

 絶望的な情勢を前に、それでも戦略を練るソルカとグレーヴァ。

 「拙が全ての魔力を使えば、もしかしたら」

 五枚召喚の桔梗紋。
 古代において前例はある。グレーヴァでは、まだ使えない。

 「バカ! そんなことしたらオマエも!」
 ソルカは泣きながら地表に降り、翼で彼女を叩く。
 「でも、そうするしかないでしょ?」
 できたとしても、賭けだ。

 だが、やらなければならない。

 グレーヴァは魔力を溜め始める。

 「させんぞ」
 身の危険を感じたのか、イスカ・スフィアはまたも大剣を構え、グレーヴァを貫かんとする。
 まともに当たれば、ミンチだ。
 
 「やめろおおお!」
 ソルカが身を挺してかばう。無意識だ。

 大剣が、迫る。

 体が真っ二つになるような衝撃を予想し、歯を食いしばる。

 無慈悲な死そのものを前に、全てが緩慢に見えてくる。

 せめて、一矢報いてやる。
 《ゴッズ・フィスト》を側面から当てる。

 効果はない。巨大質量は、逸らせない。

 (これで終わりかよ、クソ)

 万策尽きた。
 諦める気はないが、この状況をどうにか出来る気もしない。

 刃が当たるまで、残り三メートル。
 
 不意に、刃が止まる。

 攻撃は、阻まれた。

 「まさか、まさか! これは!」
 イスカ・スフィアがうろたえる。

 大剣を、二人の少年がそれぞれ片手で掴み、止めている。

 その姿は、見るもの全てが平伏するであろう、神々しさで。
 
 二人が同時に、ニヤリ、と笑うと。
 死の大剣は、まるで紙のように、縦に引きちぎられた。

最終話「これで、全部終わりだ」

 ルノフェンとオドは死んでしまったのか?
 
 元の世界に帰ることなく、白日の地で朽ちるのか?

 まさか。

 あの二人はそう簡単には死なない。

 攻撃が当たる寸前、ルノフェンは《シャドウ・ダイブ》を唱えた。
 オドの首根っこを掴み、強引に連れ込んだ先は、イスカ・スフィアの死角。生成した足場の下、影の中。

 「流石に今のは危なかったね」
 声を潜め、ルノフェン。

 「もう、あそこまで引き付けなくてよかったんじゃない?」
 オドは不満を漏らすが、信頼している。
 彼らは、互いに助け合う。

 「ちょっといいかな」
 ルノフェンの口を借りて、アヴィルティファレトが割り込む。

 「お、どしたの?」
 この言葉はルノフェン本人のものだ。
 「今しがた、神罰の許可が全ての神の合意により降りた。対象は、あのデカブツ」
 「へえ、ボクはどうすればいい?」
 時間がない。このまま放っておけば、ソルカが無謀な突撃を試みるか、あるいは影に潜った二人が見つかるだろう。
 「ルノフェン、オド。よく聞いて。これからね――」

 ◆◆

 視点を、地表に戻す。

 ソルカとグレーヴァめがけて突き出されたイスカ・スフィアの大剣は、二人の少年により、寸前で止められる。

 片方は、ルノフェン。
 透き通る水色の髪は、黄色いハイライトを帯びている。
 体の表面には儀式的なタトゥーのような輝きが継続的に流れており、周囲を新鮮な風が舞い踊る。
 瓢風神アヴィルティファレトの力に満たされた彼は、もう片方の少年に目を向ける。

 オドは、ルノフェンと目を合わせる。
 彼の持つ栗色の髪は暗くなり、巫女服は良質の錆により、喪服を思わせる黒一色に変化。
 白い肌は光を受け、硬いヴェイルを纏っているかのように金属質の輝きを返す。
 力を分けたのは、鉱石神ミクレビナーだ。彼女は今、復讐に燃えている。

 二人は、言葉を交わさず、正面の敵に向き直る。

 体中を満たす力に、短くニヤリと笑い。
 強化ダマスカスで出来た大剣を縦に引き裂き、歩む。
 
 ルノフェンは体の周りを舞う風を凝縮し、掴んで投げる。
 SWISH! 大剣を持っていたアームが根本から切れ、落ちた。

 「な、なんだこれは!? データと違うぞ!?」
 イスカ・スフィアは半狂乱になりながら、レーザー砲を表に出す。
 「当たれ!」
 射撃。射線には、オド。

 人の身であれば容易く蒸発するはずの一撃に対し、彼は左手を向けるのみ。
 「不躾なことこの上なし」
 オドの体を使い言葉を発したのは、ミクレビナー神。
 
 ZAP!

 レーザーはオドに命中した途端、百八十度反転し、攻撃者へ向けて襲いかかる。
 鏡だ。
 今のオドの体は鏡のように、自在に光を跳ね返す。
 反射されたレーザーは砲門を過たず貫き、機能不全に追い込んだ。

 「イスカ・スフィア。ヒトだった頃の名前は忘れちゃったかな? とにかく、君に対して神罰が下されることが決まった」
 アヴィルティファレトは、淡々と宣告を下す。
 「光栄に思うといい。かのムコナダァトと同じ処分だよ」
 イスカ・スフィアは体中から蜂型オートマトンを生成しながら、無慈悲な執行者どもを見つめる。
 無駄なことだと分かってはいても、彼は抗わずにはいられない!
 「もっとも」
 全て生成し終えたのを見計らい、ルノフェンが指を鳴らす。
 「ムコナダァトの方は耐えたけどな!」
 現れたのは、竜巻。
 風による破壊の具現とも言えるそれは、浮遊していたオートマトンと床や天井に叩きつけ、粉々に砕く。

 神話的光景を目の当たりにし、非現実感を覚えていたグレーヴァ。
 「グレーヴァ! 援護するぞ!」
 ソルカの言葉に、ハッと我に返る。
 
 周囲を見てみると、遺跡から投入されたと思しき多腕オートマトンが、次々と前線に向かっている。
 「《トリプルスラスト》!」
 残った魔力を振り絞り、雑兵を焼いて捨てる。
 ソルカの方も銃弾を斬り、関節部を突き、破壊する。
 「ソルカくん? 賭けをしない? こいつらを多く倒したほうが、何でも一つ言う事聞くの!」
 魔力を節約し、チェーンソーと槍の合間を掻い潜って刀を差し込み、動作を止める。
 「良いじゃねえか。負けねえからな!」
 
 彼らはアドレナリンに満たされ、一騎当千の働きを見せている。

 ルノフェンはその様子をチラと見て、再度イスカ・スフィアに風刃を投げつける。
 狙うは天井の接合部。狙いは正確であったが、ミニガンを持ったアームを犠牲にして切断を免れる。

 「オド、行ける?」
 返す言葉は、肯定の二文字。
 「《アース・コントロール》!」
 先程と同様、イスカ・スフィア本体に通じる道を作る。
 ただし、その道は地面が隆起した、三百六十度、隙のない道だ。
 
 「クソ、こんなはずじゃなかったんだ! まさか神が、これほどまでに恐ろしいものだったとは!」
 取り乱し、用意した武装は大砲。
 「喰らえ! 《エクスプロシブ・キャノン》!」
 壮大な発射音を伴い、放たれた砲弾は、榴弾。
 ルノフェンの目にはその軌跡が見えている。
 「《ウィンド》」
 呪文によって呼び出された風は優しく弾を抱え上げ、着地点をずらす。

 KABOOM!
 爆発は、ルノフェンを越え、ソルカたちをも越え、今まさに降り立つオートマトンの一群を襲った。
 「あっちが援護してくれるんなら、こっちだって応えなきゃね」
 「やるゥ!」
 ソルカたちの歓喜の声が、ルノフェンのテンションを上げていく。
 
 「そろそろ、ボクたちも攻めようか」
 ルノフェンの腕を覆うように、鋭い風が生成される。
 「そうだね。終わらせよう」
 オドの装備は、万色に輝くレイピアだ。

 一歩、二歩。

 緩慢すぎる歩みで、力をバネのように溜め。

 三歩! 二人は残像を残し、イスカ・スフィアに向けて走り出す!

 「ぬおっ!?」
 オドが撫でるように本体を切り裂くと、「ギャリィ!」という音を立て、火花とともにアダマンタイトの外装甲が削れる! 破砕跡に指を突っ込み、メリメリと剥ぎ取ってゆく!
 グレーヴァ最大の一撃を受けてもびくともしなかった装甲が、次々に攻略されている!
 
 「させるかッ!」
 イスカ・スフィア上部から大量のミサイル射出! その量は聖都戦の五倍!
 「ルノ!」
 発射音を聞いたオドは、ルノフェンに呼びかける!
 「分かった!」
 言葉とともに、彼は自由な風へとその身を変じ、オドへ向かうミサイルを全て受け持つ!

 「その攻撃、残念だけどもう攻略済みなんだよね!」
 カッ、カッ!
 何者にも捕えられない風は、かまいたちとなりミサイルの弾頭と推進部を瞬く間に切り離す!
 弾頭ごと誘導装置を失った推進部はあらぬ方向へと飛びたち、洞窟を照らす徒花となった!
 「んんッ!」
 再実体化したルノフェンは、風の力で弾頭を纏め、即席の爆弾を作る!
 「オド、どいて!」
 すでにヒト一人程度の大きさにまで装甲の傷を広げたオドは、言われるがまま脱出!
 指を回し、遠心力を付けて、爆弾を投げつける!
 
 KABOOM! KRATOOM!
 「グオオオッ!?」
 己の手でこしらえた高品質弾頭による爆発を受け、さしものイスカ・スフィアもよろめく! 効いている!
 「オド! 突入するよ!」
 ルノフェンの目は、イスカ・スフィアの外壁に大穴が空いたことを捉えている!
 「分かった!」
 オドも続く!

 「おい、おい! やめろ! 俺の中に入ってくるな!」
 怯える敵の声を無視しながら、データケーブルを両断し、配管を砕いて道を作る!
 目指すは中央、敵の心臓、コアユニットだ!
 
 「ARRRRRGH!」
 吠えるイスカ・スフィア!
 まだ己のマニピュレータでしか触ったことのない重要な基盤を傷つけられ、悲鳴を上げる!
 「止まれ! 止まってくれよォ!」
 彼はもはやモニタを通して見ることしか出来ない! せめてもの抵抗に流す高圧電流も、前を進むオドにとってはバフにしかならぬのだ!

 「あ……ああ……!」
 やがて、二人はコアユニットにたどり着く。
 強化ガラスのシリンダーに封じ込められたそれは、数多のケーブルと冷却装置に繋がれた、小さな基盤。
 橙と水色に交互に照らされるそれは、自衛の手段を持たず、二人の目の前にある。

 「お願いだ、助けてくれ。これ以上は何もしない。誓う」
 イスカ・スフィアは、とうとう命乞いを始める。
 心が折れた。
 神も神子も強大に過ぎた。勝ち目はない。

 「どうする?」
 ルノフェンはオドに聞く。
 アヴィルティファレト曰く、『黙らせろ』とのことらしい。

 「なら、わたしがやる」
 オドはレイピアを構え、躍るように閃かせ。

 「――あ」
 一瞬遅れてシリンダーは崩壊し、ケーブルを全て斬られた基盤は、ぽとんと落ちる。

 オドがそれを回収すると。

 クエストは完了し、二人は神の座へと召喚された。
 
 ◆◆

 イスカ・スフィアは命乞いの声を上げた後、沈黙している。
 しばらくすると、オートマトンたちは指示系統を失い、攻撃態勢のまま固まる。
 本体から分離された心もとない光源も、力を失い、薄れてゆく。

 「おーい!」
 ソルカを呼ぶ声だ。
 鳥目の彼は、呼び声を頼りに、どうにかグレーヴァのもとにたどり着く。

 「終わったのか?」
 彼の問いに対して、彼女は。
 「多分」
 そう言って、隣に立つソルカの頭に手を置く。

 「何体倒した?」
 今度はグレーヴァが問いかける。
 「オレは二十四体。そっちは?」
 「二十五」
 そっか、やっぱ強ェなとソルカ。

 「ここから、どうやって出る?」
 頭を撫でられながら、一番の心配事を共有する。
 自分一人なら、光源さえあれば飛べば出ていける。
 だが、既にここは薄暗く、仮にソルカが脱出できたとしても、荷物量の都合上、翼を持ち込むことが出来なかったグレーヴァはそうも行かない。

 「その前に、お願い」
 「なんだよ」
 割り込まれ、虚を突かれる。

 彼女は二、三回深呼吸し、勇気を出す。

 そして、どうにか言葉を絞り出す。

 「付き合って」

 二人の間を、沈黙が満たす。

 ソルカの表情は窺い知れない。驚愕か、それとも、困惑か。
 
 「あ、あのさ」
 「ひゃい!」

 噛んだ。
 
 その様子に彼は苦笑し、言葉を続ける。
 「別にいいけど、そういうのは全部終わってからのほうが良いぜ?」
 
 それもそうである。

 恥ずかしさに赤面する。
 これも、彼には見えていないのだろう。

 「話戻すけど。多分、オレが一旦上に行って、助けを呼んでくるのが早いかな」
 つよがりだ。
 ソルカの目には、ほとんど何も見えていない。
 だが、これ以外に方法はない気もしている。
 
 「アイツら、やっぱクエスト終わって、元の世界に帰っちゃったのかな」

 再びの、沈黙。
 寂しさが、二人の胸を満たす。
 
 「また、ひょこっとこの世界に来てくれないかなあ」

 グレーヴァが願望を語ると。

 「こんな風に?」
 「きゃああああ!?」
 
 オドの光魔法によって下からライトアップされたルノフェンの顔が、グレーヴァの目の前にあった。

 「お、オマエラ!? なんで!?」
 当惑するソルカの肩を、オドはむんずと掴む。
 「良いから話は後! みんな私の手を握って!」
 「わ、わかった!」
 言われたとおりに、オドの手を取ると。
 彼は、残った魔力を使い、詠唱。

 「《プレサイス・マジック》! 《マス・テレポーテーション》!」

 ◆◆

 こうして、四人の冒険は終わった。

 最初のクエストを達成した後、ぼくは確かに、ルノフェンとオドを神の座に呼び出した。

 重要なのはここから。願いについて聞こうとしたところ、ルノフェンがそれとなく、ソルカとグレーヴァの今の状況をぼくに聞いてきたんだ。
 本当のことを語ったよ。放っておけば、彼らは死ぬ。
 その後のルノフェンの剣幕は、凄まじいものだった。ぼくの胸ぐらをつかみ、あいつらを助けたいと迫った。あいつがあんなに怒ったのは見たことがない。
 
 どうしたかって?
 認めたよ。二つ目のクエストを発行した。
 内容は、『ソルカとグレーヴァを救出しろ』。シンプルだよね。

 まあ、後は知ってのとおりだ。転移した後、オドが半分干物みたいになっちゃって、回復に三日かかったのが最大のトラブルだったかな。
 
 でも、お陰でこっちも準備ができたよ。
 今回の主役に縁がある人たちへ、招待状を送った。
 パーティへの紹介状だ。費用は神持ち。神子が無事クエストを達成したときの通例だからそんなもんだ。

 そういうわけで、神殿から民が続々と神の座にやってきている。

 ちなみに、ぼくは裏方。神は神らしく、ヒトを眺めるのが仕事だ。

 じゃあ、ルノフェンの目を通してみんなの様子を見に行こっか。

 「ルノ?」
 唐突に、オドがこちらの目を覗いてくる。

 「んあ? ごめん、ちょっとぼーっとしてた」
 我に返り、周囲を見渡す。
 豪奢な会場には、既に絶滅した木で作られたテーブルや、光を殆ど跳ね返していそうなほど白く輝くクロス、ミスリルの食器などの高級な調度品が並べられ、神話のレシピを現代風にアレンジした料理が盛り付けられている。
 客は、全員見たことのある人たちだ。

 「あらァ? 今回の主役じゃない」
 ラミアが目ざとく彼らを見つけ、寄ってくる。
 彼女らの集落からは代表者として、リーダーがやってきていた。
 鱗が床に擦れる音を鳴らす。そういえば、最初に転送されたときは砂漠のど真ん中だった。
 「あっ!」
 身を強張らせるオドに対し、ラミアは何もせず、微笑む。
 「ごめんねェ。あのときは神子だと気づかなくてさァ」
 害意はないようだ。あれから、なにか変わったか聞いてみる。
 「ふふふ、聞いて驚くなよ? 実は、あそこでドライフルーツを作るようになったんだァ」
 話しながら彼女がバッグから取り出したのは、その試供品だ。
 二人は誘われるまま一つつまみ、その自然な甘さに驚く。
 「全く、オドくん様々だよ。お陰で儲かって巣の素材もアップグレードできたし、幸運ってものはいつ飛び込んでくるか分かンねえもんだなァ?」
 そう言って、去ってゆく。

 「ラミアのフルーツ、俺もよく食べる」
 続いてやってきたのは、黄砂連合、ラハット・ジャミラの警備隊長。蜂の蟲人だ。
 肩には、小さいモグラ型ディータが乗っている。
 「お久しぶりです! 警備隊長さん!」
 ルノフェンは敬礼する。近況を聞いてみると、警備隊長の方は特に変わりないという。
 「私の方は、まあ数日で色々起こったな」
 モグラ型ディータは、アースドラゴンであった。
 「脚部のメンテをしようと思ったが、何しろ私は相当昔の型番のようでな、合うパーツが見つからなかったのだ」
 今のマスコットに近いボディは、元のボディの納品が終わるまでの、仮の姿らしい。
 「後まあ、ルノフェンとの縁があったのでこいつとも話してみたんだが、意外と気が合うな。お互い堅物なのだろう」
 『こいつ』は警備隊長のことである。
 去り際に、一つ。
 「ルノフェン。俺、名前、ある。ズィ・ハヤル」
 「分かった! じゃあね、ズィ!」
 手を振り、今度はルノフェンたちが移動する。
 「名乗ってなかったのか?」
 「機会、なかった」
 といった問答を耳にしながら、であった。

 会場内、中央には一つの勢力が出来ている。
 ソルカとグレーヴァを囲み、デフィデリヴェッタの騎士たちが囃し立てていた。
 「あっ! ルノフェン! オドも!」
 中心人物の片割れがこちらに気づくと、彼は騎士たちを飛び越えてルノフェンの元へ。
 「全く、なーにが『結婚おめでとう』、だっつの。まだ付き合いたてだぞ」
 人混みの中から、ドレスを着たグレーヴァも現れる。
 「えっ? いつの間に付き合ってたの!?」
 驚愕するルノフェン。オドは、「今気づいたの!?」と別方面の驚きを見せている。
 その経緯は、グレーヴァが説明する。
 「あの、イスカ・スフィアを壊した後、ダメ元で告白したらオーケー出ちゃって、それで」
 もじもじとしている。
 「全く、とんだお姫様だぜ。これが終わったら、オレたちは紫宸龍宮に飛んで、染家の家宝を返しに行く。それからは、グレーヴァの好きなようにさせる」
 とのことである。
 「そだ、もう少しみんなで見て回らない?」
 ルノフェンの提案は、即了承された。

 酔っ払う騎士たちを背後に、テーブルの隅で様子を眺める者たちの元へ向かう。
 聖騎士団長フィリウスと、カルカ。そして、付き添いのラックだ。
 
 「うーわ、姉さん飲みすぎだろ」
 見たところ、既にエールをジョッキ三杯、ワインをグラス二杯は飲んでいるようにみえる。
 「ソルカぁ……私のもとから居なくならないでよぉ……ひっく」
 荒れている。ラックはただ宥めるも、効果がない。
 「パーティが始まってからずっとこの調子だ。ソルカ、どこかに行くとしても年に一回くらいは帰省してやれ」
 そう言うフィリウスは、この場においてもフルフェイスの兜を被っている。
 「そういえば、聖騎士団長の素顔ってどうなってるんだろう?」
 ルノフェンは、オドに《クレアボヤンス》を唱えさせようとするが。
 「や、やめよ? ほら、聖騎士団長って光魔法のエキスパートだから! 対抗魔法が来るよ! ね?」
 グレーヴァが必死で止める。
 その様子を見てフィリウスは、彼女が自らの生い立ちについて情報を持っていると察する。
 「すまないな、鬼人族」
 頭を下げ、対応に感謝する。
 「拙もあの場では気づけなくてごめんね? そういう記録があったのを思い出すのに時間がかかっちゃって」
 二人が文脈を飛ばした会話をしている横で、カルカがジョッキに自ら酒を注ぐ。
 そして、ゴクゴクと一気に飲み干し、「きゅう」と潰れてしまった。
 「あッ! ちょっとオレはこっちの対応するわ、ゴメン!」
 ソルカとグレーヴァは、このグループに残ることになった。ラックとともに、介抱だ。
 オドも、一旦外の空気を吸ってくるということで別れた。

 「さて。となると、後はシュヴィルニャか。アルムは来てるかな?」
 心配しながら室内を見渡し、目的のテーブルを見つけ出す。
 かつてのレジスタンスの皆と談笑する彼の両肩に手を乗せ、軽く体重をかける。
 「あ! ルノフェンさま!」
 気づいたアルムは振り向き、満面の笑みを浮かべる。
 「相変わらず良い子だ」
 頬をぐにぐにともみ、堪能する。
 「あれからどう? 三日くらい経ったけど」
 「私が説明しましょう」
 進み出たのは老バーテンだ。
 「まず、レジスタンスは解散ですな。構成員は活躍に応じてミクレビナー神殿から勲章と褒賞を賜りました。大多数の者は元の生活に戻りましたが、アルム少年はもはやスラム街の盗賊ではありません。遺跡探索者として、登録されたようです」
 「すごいじゃん! アルム!」
 頬にキスをし、ご褒美をあげる。
 「あっ」
 彼は顔を赤らめ、潤んだ瞳で見上げた。
 「まあ、致命的でないトラップを率先して受けに行く悪癖が出来たようですが、命に関わるものはしっかり避けるので組合は重宝していますな」
 その悪癖が培われたのは、ルノフェンと元レジスタンスのせいであった。
 「でも、寂しいなあ。元の世界に帰っちゃうんでしょ?」
 アルムは立ち上がり、ルノフェンに密着する。
 「僕のこと、忘れないでね」
 彼はちょっとした呪いを残し、トイレへと向かった。

 「全く、言うようになったじゃないか。元はと言えばボクのせいなんだけどさ」
 ルノフェンは、オドを探して会場の外に向かう。
 サーカスを思わせる巨大なテントの構造は、単純だ。
 「うわっぷ」
 外へ出ると彼は、満天の星空のもと、一陣の風に出迎えられる。
 その風は暫くルノフェンの周りで遊んだ後、またどこかに吹いていった。

 「お疲れ」
 ランプの心もとない明かりの下、オドが声をかけてくる。
 「そっちもお疲れ、オド」
 ルノフェンより少し背の高い彼の肩を叩き、激励する。
 「なんというか、思ったよりも大冒険だったよね」
 回想する。

 闘技場、市街地戦、カルカ邸での宴、アルムとの一夜。

 ここに来るまで空虚だった彼の心は、今、多少は満たされている。

 「願い、どうする?」
 ルノフェンは、オドに聞く。
 
 「わたしは、この世界の経験を持ち帰ろうかなって」

 でも。

 迷いながら、ポツリ、と。
 「まだ、この世界を旅していたい気持ちも、ある」
 
 ルノフェンは、「わかるよ」と返す。
 「ルノはどうする?」
 
 今度はオドが問う番だ。

 「んーとね」
 ルノフェンは迷う。

 散々に迷った挙げ句。
 
 「秘密!」

 「なんだよそれ」
 オドは笑う。

 彼らは、今晩を過ごしたら、願いを聞くため、瓢風の領域に転送される。

 数分を掛け、星空を眺め、満足し。
 「そろそろ、戻ろっか?」

 どちらから切り出したかは覚えていないが。
 とにかく会場に戻り、最高のパーティを過ごした。

 ◆◆

 神の座、瓢風の領域。
 ここは、無限の砂漠とも言える空間の、アヴィルティファレトの居室から少し離れたところ。

 パーティを満喫したオドは、皆が帰っていったことを確認した後、予定通り召喚された。
 目の前には小さなテーブル。載っているものは、温かいハーブティーと未開封のクッキー。
 「おかえり」

 対応するのは生命神テヴァネツァク。花冠を着けた、若い女神だ。
 そういえば、彼女に呼び出されたんだっけ?
 
 「座りなよ」
 素直に席に座る。

 「これからやるのは最後の儀式。オド・クロイルカは、神の下したクエストを達成した。報酬として、願いを叶える」
 荘厳な雰囲気に、つばを飲む。

 「何を、望む?」
 
 オドは、言葉を絞り出すように、話す。
 
 召喚当初話したように、経験を持ち帰って、強い男になりたいということ。
 この願いに、変わりはない。
 けれど同時に、この世界に、思いの外愛着が湧いてしまったこと。

 心の内を、全て打ち明ける。

 それを聞いたテヴァネツァクは、ふふ、と笑い。

 「できるよ」
 と伝える。

 「へ?」
 ぽかんとするオドに、彼女は語る。

 「最後、神罰を下した後。アヴィが二つ目のクエストを発行して、それも達成した。だから、願いは二つ叶えられる」

 「じゃ、じゃあ!」
 表情が、期待を孕む。

 「うん。最初の願いは、記憶の持ち出し。もう一つは、あっちの世界で夢を見ている間だけこっちに来られる。これでどう?」
 文字通り、願ってもない提案だった。

 「はい! それでお願いします!」
 即答だ。

 「よろしい」
 その言葉とともに荘厳な雰囲気は去り、和やかな時が流れる。

 彼女はクッキーの封を勝手に開け、かじる。
 オドにも勧め、ハーブティーに口をつけた。

 「あれ? でもそうなると、ルノの願いはどうなるんです?」
 好奇心が、鎌首をもたげる。

 「知りたい? 願いのうち一つは、そこで聞ける」
 そう言い、十歩ほど離れたところのドアを指差す。
 そのドアは、アヴィルティファレトの居室に繋がっていることを知らされる。

 「あんっ! そこイイっ! もっと!」
 耳をそばだてると、彼の嬌声が聞こえてくる。

 「まさか、あいつ」
 オドはなぜ、かの神の部屋から十分離れた場所に呼び出されたのか、察する。

 「まあ、私たちは神だから実体がないんだけど。それでもアバターに惚れる子って、何人も居るんだよね」
 「う、っわあ……」
 
 絶句。
 あれだけの力を見てなおも欲望をぶつけようとするとは、オドには想像できなかったことだ。

 「ちなみに、神と交わると人間では居られなくなるから。多分、終わったら存在格が上がって精霊あたりになってるんじゃないかな?」
 「怖すぎる」

 恐ろしい世界の法則を知り、震え上がる。

 「それにしても、オドくんもルノフェンくんも、よくやったよ? 元の世界に戻る準備ができたら、送るから。それと、神々を代表して、『ありがとう』って言わせて」
 テーブル越しに、オドの額にキス。
 ふわりと、フルーツの香りがした。

 「わたしは、いつでも行けます」
 「そう」
 二人は立ち上がる。

 別れの時だ。

 テヴァネツァクは、掌に魔力を込め、オドの胸に当てる。

 目を閉じ、詠唱して。

 「じゃあね、小さい勇者くん。また、夢の中で」
 
 その言葉を聞いた途端、オドの意識は消え去った。

 ◆◆

 ピピ、ピピピピ。
 聞き慣れた電子音が鳴り、朝の到来を知らせる。
 
 「んぅ? あー」
 毛布に包み込まれるようにして眠っていた彼は、曖昧な声を上げながら、辛うじて右手を出し、アラームのスイッチを探る。
 
 ピピピ、ピー。
 いつものように探り当て、止める。

 長い夢を見ていた気がする。
 昨日の夜はふつーに寝て、今日の朝もふつーに起きた。
 ぼんやりとした頭で、そんなことを考える。

 今日は休日だ。スケジュールには、余裕がある。
 何をしようか、あるいはもう一眠りすべきだろうか。
 
 そんなことを考えていると、キッチンからベーコンの焼ける匂いが漂ってくる。
 今日の朝食は師匠が作ってくれるんだった。
 少し弾む心を自覚しながら、ベッドから這い出る。

 何かを、忘れている気がする。

 顔を洗うために、靴を履き、洗面所へ。
 水を流し、バシャバシャとやっていると、不意に硬質なものが顔に当たる。

 「ん?」

 冷たい水で覚醒した意識は、右手の薬指に指輪が着いていることを、はっきりと認識する。緑色の金属の上に、白く輝く太陽。
 
 白く、輝く。
 
 白日の地。

 『オド』だった彼の脳内は、かの大冒険を思い出す。

 顔を洗い終え、歯を磨き、着替え、ダイニングへ駆け下りる!

 「あら、急いでるの?」
 
 師匠に一言謝り、玄関を開ける!

 「うおっとォ!?」
 
 目の前に立っていたのは、見慣れている男の娘。

 「ルノ!」
 とっさに抱きつく! 『ルノフェン』だった彼も、かの地で得たチョーカーを身に着けていた!

 「珍しいじゃない、貴方が朝に動いてるなんて」
 状況を把握しようと努める師匠は、追加でもう一人分の朝食を用意する。
 
 「ん。ちょっと『オド』に報告したくてね」
 彼は、こちらの世界で覚醒した直後に目が覚め、居ても立っても居られなくなり、しっかりフられに行ったらしい。
 
 外で話すのもアレだからと、家の中に招き入れる。
 「憑き物、落ちた?」
 かつての、たった数日だけの、相棒の問いに対し、彼は。

 「スッキリした。ごはん食べながら、もっと話をしよう!」

 【それはもう業が深い異世界少年旅行】

 【完結】

 追補。『照らしの灯台』の行使した占術による、各登場人物の行方。

 ルノフェン(白日の地):テヴァネツァクの想像通り、アヴィルティファレトとの交わりを通して風の精霊となった。今は優しいつむじ風を通して、オドを見守っている。

 ルノフェン(元の世界):あの日以降、健全なオドに当てられ、夜遊びの頻度が落ちたらしい。元恋人とはそれなりに上手くやっている。

 オド(白日の地):ラミアを始めとする仲間を連れ、諸国を旅して回っている。成長した彼は、放浪騎士の二つ名を得ることとなる。

 オド(元の世界):相変わらず師匠に甘やかされている。白日の地でメキメキと強くなっていく彼であれば、いずれこの関係は逆転するだろう。

 ソルカ:紫晨龍宮での決闘など紆余曲折あるものの、最終的にグレーヴァと結婚。年一回の里帰りは、大きなイベントだ。

 グレーヴァ:ソルカと結婚。オドとも家ぐるみでの交流を続けている。人間種、鬼人種、翼人種の遺伝子を継いだ子供は、健やかに強く育った。

 【ここまで読んでいただいた貴方に感謝を】

 以降、エンドロール。感想は「#業深少年旅行」へ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?