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#55 もってるんだよ、それが。「白ゆりのような女の子」

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

思い出の中で、じっとしていてくれ

ファイナルファンタジーⅦアドベントチルドレン クラウド・ストライフ

10年前くらいに東京都北区王子周辺をブラブラと歩いていた。

王子駅を降りてすぐに広がる飛鳥山公園が、少しだけ異世界に来たような旅行気分を味合わせてくれたのを覚えている。

新宿御苑や上野公園とは違って、人が少なかった事もあるかも知れないが、すこぶるいい感じだった。なんやのん好っきやで、ここ。と思ったと思う。

今調べたら、桜のシーズンはたくさんの人で溢れかえるらしい。行った時は、ゴールデンウイーク後半だったので、ひと段落過ぎた上に都内から人がいないタイミングだったのかも知れないので、きっとラッキーだった。

青々とした木々のトンネル。5月の強い日差しが木漏れ日となってそこかしこに降り注ぐ。日の光と花の甘い匂いが、分厚い温かな風の塊となって背中を押してくる。遠巻きに聞こえる電車の音。

いい気分のまま、公園内にあった博物館に入る事にした。実は、ここに博物館がある事すら知らなかった。そこは、ある人物の記念館だった。

僕「ん?渋沢?栄一?それ誰やねん?デュフフ・・・」

段取・予定された事ではない、何かしらのはずみで予期しない何かが起こる事がある。それを「偶然」と呼ぶ。

この偶然がもたらすものは、時に人を魅了する。

今ここで、渋沢栄一がどんなにすばらしい人で、どんなスゴイ功績があるかについて説明する気はない。その後、NHKの大河ドラマになると聞いた時も、新しいお札になると聞いた時も心から納得した。そうでしょうよ。と。

その時に、納得できたのは僕が暇すぎて、何の宛ても無く飛鳥山公園に行ったから得られた物である。

あの日、暇すぎなかったら、王子を選ばなかったら、僕は無知なままの小僧だっただろうし、大河ドラマにも新札にも「それ誰やねん!」と得意げに突っ込むようなクソのままだった。たぶん物を知らないとか、学が無い事の恥ずかしさとはこういう事を言うのだ。

この暇すぎる休日を単なる散歩で終わらせなかったのは、紛れもなく偶然の力である。この偶然による出会いが、僕を知っておいた方がいい事を少しは知っている人間にしてくれた。

皆さんにも、偶然による出会いや出来事が人生を変えてくれた事がきっとあると思う。きっかけが偶然だとしても人生は、知っていると、知っていないでは大違いだ。

同様に、行っているのと、行っていないのでは大違いだ。
もちろん、見ているのと、見ていないのでは大違いだ。
むろん、食べているのと、食べていないのでは大違いだ。
そして・・・

持っているのと、持っていないのとでは大違いだ。


小学館てんとう虫コミックスドラえもん第3巻「白ゆりのような女の子」

この「白ゆりのような女の子」は、のび太のパパであるのび助の戦争体験を聞くのび太とドラえもん。パパは2人に疎開先での辛い日々を語り出す。当時は勉強どころではなく、パパも畑を耕したりと、肉体労働を強いられていた。ある日、疎開先での暮らしにくじけそうになるパパ。夕暮れの川べりで、「白ゆりのような女の子」に合い、チョコレートをもらう。くじけそうだったパパの心は、その甘いチョコレートの味と白ゆりのような女の子によって救われた。美しい思い出話を聞いて感動するのび太とドラえもん。そして、その「白ゆりのような女の子」を是非この目で見たいと思うのだった。

あらす〜じ

パパが都心から疎開しているという事は、日本本土が空襲を受けていた時期である。この事から、時代としては太平洋戦争末期であるとされ、1944年前後であるというのが有力とされている。

ちょうどF先生とA先生と出会ったのが、この時期だ。A先生の「まんが道」や「少年時代」からも、のび太のパパの話が両先生の体験談からであるという事がわかる。F先生、A先生、のび太のパパは同世代または近い世代という言い方も出来る。のび太は両先生の子供世代であるとも言える。

それにしても、あまりにものび太にそっくりな子供の頃のパパ。いや、のび太がパパそっくりだと言うべきか。容易に入れ替わる事が出来たのもそのおかげだ。運動神経が悪く畑を耕すのが遅い事や、先生に怒られるところも同じなのも、そりゃね、これもね、そうでしょうよ。と言いたくなる。

これらの事は必然的な前提だが、それ以外の事は偶然によって構成されている。

肥溜めに落ちた事、川原で体を洗った事、着替えに持ってきたのが女の子の服だった事、その服がのび太のサイズにぴったりだった事、刈ってしまった髪の毛を戻すのに毛生え薬を使っていた事、その効果あり過ぎた事、ちょうど良い長さで止まった事、のび太のメガネが当時のパパには大きな目に見えた事、そうこうしている内にパパが河原へやってきた事、そして、ドラえもんがなぜかチョコレートを持っていた事。

いくつもの偶然が重なる事を「奇跡」と呼ぶ。

これらは作中では偶然起きた事であるが、集まってストーリーの本筋を構成している。これこそF先生のストーリーテラーとしての、奇跡的なストラクチャーである。この無理が無いヤバすぎるほどに奇跡的な話の流れこそが、この「白ゆりのような女の子」の愛でるべきポイントであると言いたい。

さて、誰にでも思い出はある。もちろん忘れてしまったかもしれないし、鮮明には覚えていないかもしれない。それでもその奇跡の瞬間は存在したハズだ。いつしか忘れてしまうために、一生懸命に写真や動画を撮ったりするのが現代人の生き方だ。

過ぎ去った物事は、記録しておかなければ記憶の中にしか存在しない。記憶は時間と共に曖昧になっていってしまう。細部の輪郭を失い、その大事な部分であるコアをぼんやり残しながら、色や匂いみたいなものまでも風化していく。

風化と言ったが、何もほころびて行くだけではない。時にそれは美化されたりもする。実際よりも大きな意味を持って記憶に残る事もある。

だからその出来事は、そうだったかもしれないし、そんなことは本当は無かったのかも知れない。または、自分の捉えている意味とは違うのかも知れない。そもそも今となっては、それがあったとしても無かったとしてもあまり今には関係が無い。

真実がどうとしても、あった事であるとして、それが自分にとって大事な物、奇跡だったとしたならば、大切に記憶の中に取っておくべきである。見る物全部、なかなか無いよ、どの瞬間も。とB'zの稲葉さんも言っていた。

思い出を持っている。という事は素敵な事だ。それが美化されてしまって、本当の意味とはズレてしまっていてもだ。思い出を語るパパは、もう二度と戻れない過去へタイムスリップしたかのように目を細めていた。記憶の中にある奇跡をもう一度見ようと、脳裏に浮かぶ映像を、言語化しようとしているからだ。

思い出を話す事、それ自体が、振り返ってみる事が出来る場所があるとも言えるし、歩んできた人生に美しい瞬間、奇跡があったんだ、と自分を認めてあげる作業なのかも知れない。Life is beautiful、錦鯉の長谷川さんも言っていた。

だから本当はその時の写真や映像なんてどうでも良い。大事なのは、その瞬間を、その奇跡をできるだけ覚えていたいと思ったり願ったりする事だ。デジタル化されたあなたの人生を記録媒体に入れておいて、鮮明に振り返る事だけに囚われるべきではない。

記録に残しておかなければ、思い出したくない過去を見る事も無いし、過ぎ去った日々の事を好き勝手に美しくしたりすることも出来る。大事なのは、自分が本当に気持ちよく振り返る事が出来るかで、その細部ではない気がした。

新生活の始まる4月。新しい一日を迎えた人も多いと思う。写真や映像で記録に残す事に一生懸命になってはいないだろうか。その日の空や温度、湿度、匂い、そういったものをもっと記憶に残しておいたらいいと思う。

一旦、そのスマホを置いて、写真も動画もやめて、胸いっぱいに深呼吸したらいいと思う。その日という奇跡の瞬間は、すぐに過ぎ去ってしまう。もっと身体と脳に覚えさせるべきだ。何故ならそういったものは、のび太のパパを見ればわかるようにどんどん忘れて失われて形を変えていくからだ。記憶の風化は避けられないとしても、少しでも濃く自分の中に残しておきたいのだ。

冒頭の飛鳥山公園の記憶は、実は曖昧だ。どんな服を着て、何をしにそこに行ったのかすら覚えていない。ケツメイシのPVばりに桜が咲いていたこと、穏やかな午後だったこと、そこを良い気持ちで歩いたこと。という断片的なものだ。でもそれで十分だし、それ以上を求めてもいない。僕はその日の写真や動画など必要としない。

そういう風に言える思い出を持っていることこそが奇跡だ。きっと時間と共に形を変えながらも僕の中に残り続けるだろう。

将来、僕の中にあるのは、単なる「美しくて穏やかな春」の記憶。
きっとそれは、
のび太のパパの中にあった「白ゆりのような女の子」の記憶。
と同じだ。

それでいい。

いいんだよ。

じゃないと、大河ドラマ「青天を衝け」が始まった時、「え?渋沢栄一?それ誰やねん?デュフフ・・・」と言ってしまった事までずっと覚えていなきゃいけなくなるんだから。

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