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たまたまそれがサッカーだった。

サッカーを仕事にしている僕は、幼児や小学生と関わることが多い。
そうすると親御さんからの相談も当然のように受ける。

先日、小学校に入学したばかりのお母さんからこんな質問があった。

「うちの子はサッカーに向いてましたか?」

「向いてましたか」というのは、幼児クラスまでサッカーをやっていたが、父親が、サッカーに向いてないという理由だけで辞めさせたからだ。

お母さんも向いてるとは思ってないみたいだが、その子本人はサッカーが好きで、やりたかったみたいで、続けさせてあげたい気持ちがあった。

質問の真意は分からないが、想像するに、コーチに向いていないと言ってもらえたら、辞めさせたことを正当化できる。という気持ちや、コーチにサッカーが上達できる道を示してもらうことで、父親への説得材料としたい。というところかもしれない。

そんな相反する考えと、だがしかし、その裏にある自分自身の息子に対する後ろめたさや不安からの解放という強い想いが伝わってきた。

だからこそ、僕のその時の気持ちを素直に伝えた。

「本人がサッカーを好きでいてくれてるのは、自分という存在を受け入れてくれる仲間やコーチ、大人がいる場所が、たまたまここのグラウンドで、それがサッカーというスポーツだったということだけなんだと思います。

そういう場所で出来るサッカーは、本人に取って体を思いっきり動かすことが出来、ボールを蹴った時の感触が痛かったり、固かったり、でも何回かに一回、心地よい感触を感じれたり。
それがまた喜びでもあったりして。
それだから、きっとまたグラウンドに来たいと思うんだと思います。
成長スピードも、理解力も、運動能力も違う、そもそも現在地が違うなかで、全員同じようにやらせようとすることが不自然で、同じ評価基準でジャッジメントすることが無意味だと思ってます。
サッカーしたい時はいつでもここに来たらいいし、ここは彼がいつでも帰って来れる場所です。」そんな話をした。

どんなスポーツでも、スポーツをさせるのか、その子がスポーツにするのか。
どちらかというと、多くの大人は前者の視点でスポーツや我が子を見ている。

考え方一つ、見る視点一つで、世界が180度変わってしまう。
だからこそ、バランス感覚を持ちながら物事を見つめていたいと日々感じている。

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