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担任する子ども達が騒ぐ中、私は真っ暗な視界で体に力が入らず、極度の吐き気で立つことすらできず、その場に倒れたままでした。
このあと過呼吸になり朦朧とする意識の中で先生方に囲まれていたことは思い出せますがその他のことはあまり覚えていません。
この翌日、私は心療内科を受診し、病気休暇を取ることになりました。
娘は相変わらず学校に行きたくないという日が多く、学校での出来事のトラウマから夜泣きをすることもありました。
私達夫婦は、これ以上無理をして学校に通わせることが娘のためにはならないと思い、学校を休む、もしくは別の学校に行くという選択肢を娘に与えることにしました。
縁のあった少人数の別の学校は区域外の通学になるため、様々な手続きが必要であり、何より娘の意志が固まるまでは決定できません。学校側にお願いをして、籍は移さないまま、お試しで通わせてもらいました。
母子登校をしたり、学校の空き教室で一緒に勉強をしたり、読書をする娘の横で一緒に本を読んだりしました。時には喧嘩をしながら。時には一緒に心地よい風を感じながら。
そうして、娘は徐々に徐々にその学校での居心地の良さを感じ、「決めた。転校する。後悔しないと思う。」と、9歳の子が自分で大きな決断をしたのでありました。
このとき、私は娘の側に居れることの有り難さを痛感しました。無理に無理を重ねて仕事を続けていたら、きっと見えなかった景色だと思います。
娘に、「いってらっしゃい」「おかえり」を言える幸せ。泣いているときにすぐ抱きしめてあげられる幸せ。パニックになっているときにすぐ声をかけて背中をさすれる幸せ。「幸せ」って、こんな近くにあったんだと親子で感じました。
そこから、娘に寄り添いながら、自分の心身を整えるべく、しっかりと休みました。ご飯を一口ずつ噛み締めていただき、行きたい時にトイレに行ける。天気のいい時に洗濯物を干し、暗くなる前に取り入れる。子ども達が「お腹すいた」というときに熱々の晩御飯が出せる。自然の生活がいかに尊いか、実感する日々でした。
「もう元の生活に戻りたくない」と心身が叫んでいました。でも、16年間教員しかしてこなかった自分に他にできることなんてあると思えない。
でも、自分の人生を自分で采配するためには、雇用される側であっては無理がある。
そこで出てきた1つの答えが、「起業」でした。
⏩続く


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