見出し画像

責任の有無は顔から出る

わたしは人の顔を見て、言行一致ができてそうか否かを判断しています。

そのような責任を持った人の顔は場面ごとにいろんな表情を見せる。
つまり、柔軟性があるということです。

一方そうでない人の顔は、柔軟性が乏しいはもちろんのこと、寂しさや怒りといった負のエネルギーを溜めた不気味さを纏っています。

その負のエネルギーの根底には、
自信がない自分を受け入れてほしいという歪んだ承認欲求が隠れている。
自信が育つ前の幼い自分を受け入れてほしいという強烈な欲求を。

何事も自己責任の社会において、その思考やマインドを持ち続けることは、後に孤立を招きます。
なぜなら、そもそも学ぶつもりがないから。

そういうわがままは子供が持つ特権です。
失敗を通して学べる見込みがあるから、周りは寛容な態度を取ります。(人によるけど)

問題なのは、途中で思考を止めること。
このような無責任さがそのまま顔に出る。
当たり前ですが、人生を大きく支える信頼関係を築くのはとても無理でしょう。

これは、以前のわたし自身のことです。
30代になっても中身が幼いわたしの顔はわかりやすく出ていました。
(まぁ、中学生っぽい顔だった)
成長が必須の環境とnoteに移ってからは、
インプットとアウトプットを日々両立。
その結果、ようやく自分の顔に自信を持てるようになりました。
(周りから、顔が変わったと言われるくらい)

大人になってからの顔は、信頼の有無を表すバロメーターのようなもの。
その信頼を得るには、自分の人生に責任を持って、そして信じること。
ここを肝に銘じて生きていきたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?