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みえなくても存在している社会の『すきま』に取り残された人たち

社会にはさまざまな集団がいる。

いや集団ですらなく、個人のこともあるかもしれない。

『誰からも助けてもらえない』

こんな思いを抱えている方々は確かにいる。

助けてもらえないことを発信できるならまだいい。

発信することや、伝えることに困難さを抱えている

場合もあるかもしれない。

そのような社会の『すきま』に取り残された人は確かにいる。

きっと我々の想像の範疇を超えて存在しているはずだ。

『伝えられないのだからわからない』

『すきまなんて見えないから知らない』

一蹴するのは簡単だろう。

しかし、それでは社会の『すきま』は永遠に変わらない。

一人、また一人と社会の『すきま』に取り残されてゆく。

『そんな風に投稿しているのだからあなたは「すきまに取り残された人たち」に対して何かしているの?』

何もできていない。無力さを感じるばかりである。

今の私にすぐできそうなことは、

社会の『すきま』に取り残された人たちについて考えてみませんか?

とこの投稿のように疑問を投げかけることくらいだ。

いや、考えが浅いだけでより考えれば、

より『すきま』に取り残された人たちに対して

直接できることがあるかもしれない。

ただ今私は疑問を投げかける。

疑問を投げかけるだけでは、何も変わらないかもしれない

自己満足にすぎないかもしれない

だが、何もしなければ変化は一切得られないことは確かである。

そして、いつだれが、

社会の『すきま』に取り残される立場になるかはわからない。

誰にでも社会の『すきま』に取り残される可能性は確かにある。

そして今も確かに社会の『すきま』に取り残されている人は存在している。

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