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クリエイティブコーチング DAY 1

友人に勧められて、クリエイティブコーチングを受けてみた。これはその記録。
※長くなります。

クリエイティビティはどこへ仕舞われてしまったのか

私は小さな頃から絵を描くことが好きで、家でも学校でも塾でもシコシコと小説や絵をノートに書き溜めているような子供であった。それが今では自由な時間があっても絵なんて描こうとも思えない。あんなに溢れるようにして『そこにあたりまえにあった私のクリエイティビティは一体どこへ仕舞われてしまったのか?』それが知りたくて、コーチングを受ける決意をした。あのクリエイティビティに触れることができれば、あるいはもう一度何かを始めるきっかけになるかもしれない。

挫折

セッションは私の興味を掘り興す作業からはじまった。しかし興味はいろいろとあるが、すぐに目移りをし、何か一つを実行に移す理由付けができずに、一歩も踏み出せないでいるのだと告白した。では何が壁となっているのか?大人として、そして母親としての求められる責任が時間的、金銭的制限になっているのはさておいても、壁となっているのは人生における数々の挫折であろう。自己肯定感の低い人間のサガで、失敗談など掃いて捨てるほどある。流れるように黒歴史が口をついて出た。

小学生の頃から授業も聞かずに想像の世界ばかりをノートに吐露していたので、テストはもちろんいっつも赤点。必死の中学受験をして、すべりどめだと思って受かった学校に入学してみたら、女子校屈指の進学校へと華麗に羽化する真っ只中で、その中で勉強に励めない私はすっかり落ちこぼれた。そんな劣等感を抱えながらもノートは想像の世界で埋め尽くされていった。結局中高6年間、想像の世界から抜け出すことはできず、とても自然な流れで美大受験をし、両親が事業を建てて必死に稼いだお金を考えてもゾッとするほどつぎ込んで、アメリカ留学までした。

ところが、ファッションデザイナーとしてアメリカで学位を取得したにもかかわらず、金融危機の影響を多分に受け、就職できずに、みごもって日本に帰ってきてしまった。洪水のような課題提出に追われ、平均睡眠時間2・3時間のハードな大学生活を乗り切った達成感と自信は消しカスのようにしか心に残らなかった私を、日本で待ち受けていたのは、家業の傾きつつある百貨店系ミセスアパレル卸業の立て直しを図る、新規ブランドの開発プロジェクトであった。両親は子どもにおもちゃを与えるようにして、私にこのプロジェクトを一任したのだが、妊娠出産と並行して、新しいブランドをもみごもってしまった私は、なにくそ若さ故の無知と、大学仕込みのワーカホリックぶりを発揮して頑張った。劇団ひとりならぬ、「これだけは」と頼み込んで雇用してもらったベテランのパタンナーさんと劇団ふたり。

マーケティングも、ビジネスプランも、純利益と売上の違いも、コスト計算や価格設定も、仕入れも、カット代も、SKUも、仕様書の書き方も、クオリティコントロールも、販売戦略も、何も学んでこなかった。夢だけを喰らったような大学教育の後で、何も知らないことだけが目の前の現実であった。周りにいる大人達の時間と知恵をまごまごと拝借しつつ、インターネットで調べ物をする傍ら、デザイン業をこなし、営業や商談にくっついていき、ポップアップストアのデザインと什器の手配をし、店舗用の洋服以外の商品を自ら買い付け、販売員として店頭に立った。

『適当に若見えする、顧客が今欲しいような、営業をかけやすい、適当に新しい感じるのするブランド。』

今思えば求められていたのはそんな、『適当』なものであった。それを知ってか知らずか、夢喰いのプライドを捨てられず、勝手に全部自分で背負って、全てにおいて不必要に頑張りすぎて、空回って燃え尽きた。3年強続けた業績は鳴かず飛ばず。雇用してもらったパタンナーの人件費と、コストが積み重なって、この赤字をどうすればいいのかもわからなかった。後に就職した企業で学んだのだが、初期投資と、回収年数をまず試算して、それがやるべき新規事業なのかの判断材料にするのだ。バカ娘が。それすら知らずに目隠し状態で爆走して崖から落ちた。もう無理。早くこの状況から抜け出したい。最後はそれしか考えられなかった。私は成功体験を渇望して、躍進中の新進気鋭のセレクトショップに給与交渉もせずに転職した。

今となれば、もう少し続けていれば、あるいはと思うこともある。もっと胆力があれば、もっと冷静であれば、もっと頑張っていれば、と思うこともある。でもよくよく思い返してみても、あの会社の環境で、あの両親のもとで、あの状況ではきっとどちらにしろ無理であっただろう。病む前に逃げ出した、あれは防衛反応だったのだから。

鷹の目

「ちょっと待って。」
ここまで静かに私の挫折っぷりに耳を傾けていたコーチが私を遮った。
「あなた、妊娠と出産と育児をしながらって言ったわよね?」

それだけで大変な初めての妊娠出産。家業で自社ビルで両親もいるからと、出産ギリギリまで仕事し、産後間も無く乳飲み子を連れ立って、仕事に戻った。夫はMBA取得のため忙しい大学院生で不在。父の個室オフィスにベビーベッドをおき、赤ちゃんが泣けば内線で呼び出され、授乳し、おむつを変えに行った。会社近くに市営のプレイルームもあったので時間があれば遊びに行った。家族みんな忙しい時には、パートさんにみてもらうこともあった。搾乳器でしぼった母乳パックで小さな冷凍庫は埋め尽くされ、月齢が上がるとともに、父のオフィスはベビーグッズで埋め尽くされた。そうである。私は赤子連れで新規プロジェクトに携わっていた。正直物理的にどう回していたのか思い出せない、トラウマのように記憶が断片的で曖昧になるほどだから、辛かったはずだ。

「自分じゃないと思って、鷹の目になって、彼女をみてごらん。どう?抱きしめてあげたくならない?私はなるわよ。」

そう言ってもらって、涙が伝った。嬉しかった。だけど、私はあの頃の自分を抱きしめてあげようとは未だ思えない。自分の無知、不備、頑固、過信、怠惰、未熟。失敗につながったそれら全てが未だ生々しく、許してやる気にはなれない。でも他者が見て、あの頃の私を許してくれるのだとしたら、救い以外のなにものでもない。

ネグレクト

今回コーチングをしてくれている彼女。友人の紹介である。すでに面識があり、お互いの幼少期についても話したことがある。私たちには共通項があった。「両親の不在」である。いや、物理的に両親はいた。孤児ではない。でも私の場合、移民の家庭で両親は忙しく、私はいつも一人であった。低学年から、自分を律さなくてはいけないのは自分、下校後も、夕食も、お風呂も家には私ひとりであった。うまく自分を律することができず、寂しさもあって人の声がするテレビをつけてしまう、そうするとそればかり見て、宿題もピアノの練習もできないままで母の帰宅を迎えてしまう。合理的な両親は住居と、食事と、教育を受けること以外はあまり与えてくれなかった。そして与えられたものを上手くこなせていないと激しく怒った。私は孤独であった。

「そういう寂しい子どもだった私たちは、自愛を育んでもらう機会が少なく、結果他者基準になりがちで、自分には何が必要か、何が欲しくて、何がやりたいのかわからない大人になってしまうのよ。」

彼女は言葉を慎重に選びながら言った。寂しい子どもだった私は、寂しさを感じないように、テレビを観、想像の世界で自分を何重にもおおっていた。寂しくて悲しい子どもだという自覚など持っていなかったし、自分をそういう自覚から守ったあの頃の私のためにも、自分は悲しい子どもだったとは思いたくない。私は彼女にそう伝えた。涙が止まらなかった。

オーバーアチービング

「それはそうよ。そうやって自分を守ってきたんだもの。でもねその自分を守っていた鎧は、今は自分を縛る枷になっている。浮き上がろうとする自分の錘になってしまっている。例えば、私たちは、他者基準で自分にハードルを設けてしまう。褒めて欲しくて。認めて欲しくて。他者基準でしか自分を認められないから。でもそのハードルはいつも高すぎるの。達成不可能なハードルのせいで挫折をしたり、やる気自体を持てなくなる。そういう負のサイクルにはまってしまうの。」

身に覚えがありすぎた。最近とある資格に興味があって、それを取るには大学院を出る必要があると知った。資格が目的なのだから、どこでも安くて、時間的に都合がつきそうで、入るのが難しくない大学院はどこだろうと調べ始めているうちに、大学院受験専門予備校のウェブサイトに行き当たり、どんな大学院があるのか記事を読むうちに、私の仮想受験校のリストは錚々たる難関国立大学院で埋まっていった。ハッとしてウェブサイトとエクセルシートを閉じたのだが、まさにコーチの言う高すぎるハードルを自分に課そうとしていたところであったのだ。危ない危ない。

宿題

ここまで話して、今日のコーチングは終わりに近づいた。

「次回までにやってほしいことがあるの。」

コーチが切り出した。私の宿題は自分が日常の中で高すぎるハードルを設定する瞬間を認識すること。もしくは高すぎるハードルを設定していたことに気がつくこと。簡単なようでこれはなかなか難しい。なぜならその高すぎるハードル、設定する時にはえてして「高すぎる」と思っていないからである。やってやれないことはないとか思っているのだ。ダメージが大きいハードルでも、その時必死でやればギリギリセーフだったりする。それで後日精神的肉体的に数日間使い物にならないのは、数に入るのだろうか?限界チャレンジみたいになっている瞬間を認識すればいいのだろうか?

私はこの宿題に対するハードルを、天高くかかげてセッションを終了したのでした。


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