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多様性を受け入れるなんて建前じゃないの?

メンヘラである私が感じてきた生きづらさや自身の思考や感受性の偏りなんかを書いておこうと思う。

子供の頃から生きづらさなんて考えてきたわけではないが、なんとなく違和感を感じていたように、今思い返せば思う。父親は世間体や社会を意識しすぎ、自分の理想通りの進路を進まない私を否定し続けた。母親はそれとは真逆に肯定し続け、いかにも私が優秀であるかのごとく扱ってくれた。なので母の影響を大きく受けたように思う。

プライドだけが高く、根拠のない自己肯定感が強かった。自分の考えや行いは集団の中でも優れていて、ずれているかというような、周りの空気を気にすることをしてこなかったように思う。

中学受験をし、神奈川でも有数の進学校に引っ掛かり、友達にも恵まれた。好き同士のつきあいで済む学生生活は楽しかった。エスカレーターで高校へ進学。受験に自身がなかったので推薦を狙って一流大学への道を早々と決めた。大学院も興味本位ながら修了。とはいえ研究は与えられたものをこなしただけだった。

生きづらさや歯車のかみ合わせの違和感を強く感じたのは就職してから。自動車やバイクに興味があったので、安定性ややりがいを一番感じた外資系の一流部品会社を選んだ。配属は花形部署というよりそれらのサポート部門。製品設計になんとなく興味があったが、製造技術だった。そして、世の中では中国シフトが急速に進み、中国出張の最前線に送られることになる。

言葉、食事、文化、清潔度、差別的風あたり…何一つ肌に合わなかった。出張からも逃げ回ったし、渡航しても最短で仕事を終わらせ、とにかく早く帰国した。そんなことをしているうちに中国でメンタル的な発作がおき、それ以来うつ症状と付き合うことになる。上司にも恵まれず、仕事の意味や目的も上辺だけで、人間関係を含めた指導は殆どなかった。最終的には好きなことしかしないというレッテルを貼られ、いくつか部署を転々とすることに。そんな中でも、私に興味を持ち、熱血指導をしてくれる上司に複数出会うも、いづれも短い期間で別れてしまった。頭の回転が早く仕事の理解も早い。しかし納得の行かないことはしない。癖のある扱いづらい部下だったのだと思う。

ロジカルシンキングが好きで、会社の政治よりも現場の正義を通してきた気がする。でも、最後に出会った上司はそんな私を理解してくれようとし、指導してくれるフリをしてくれた。最終的にはすべて裏切られ、不当解雇。労働審判で和解金をもらってすべてを葬るとう選択に迫られたわけだが。

不当解雇されるときに患っていたのは、うつとADHD(アスペルガー寄り)。それが、少し良くなると双極性障害という範疇に分類されるようになったみたい。自分が一番大切で、気の向かないことはしない。衝動が抑えられず、特に物欲の歯止めが利かなかった。収入がなくなっても、タバコ関連デバイス、乗り物やDIYに使う工具、病んでから太ったので多くの服の買い替え…結構散財した。

そんなこんなしている中で、実感し思い知らされているのは、世の中は「標準」しか受け入れないということ。個性は、進んでいくという目的の縛りの中で歓迎されるものだけが受け入れられ、それ以外は敬遠されるということ。気に入られないことは受け入れられず、それを繰り返せば簡単に排除されるということ。

不当解雇されたときも、法務ですら会社の味方だし、アメリカの親会社はやめさせるための嫌がらせを日本法人に指示するほどだった。世界のどの部署に助けを求めても門前払い。Inclusion、Diversityとか掲げている会社でそれ。

最近のベンチャーや大手IT系外資はどうなのだろうと思いつつ。年功序列、成果主義、多様性の受容、個性の尊重…それらをバランスよく持ち合わせたコミュニティーがこの世に存在するのか。

学校でも変わっていれば変人扱いされ、ちょっと個性が強いだけで敬遠されたり。

ヒエラルキーの下層に位置していても、メンタルが少し病んでいるのではないかと言われいても、性別がはっきりしなくても…それらを素晴らしいと称賛し、人格をみて評価しようとしてくれる人々やコミュニティがどれほどあるのか。

一番知りたいのは私。生きづらさを感じない世の中になったと未だに生活の中で感じたことはない。

家庭という信頼できるコミュニティでも私の心の中は理解されない。妻は常に言いたいことを諦め我慢しため息をつかない日はない。私はまだ不当解雇での心の傷が癒えず、家事もしないし、プラプラしている。人間や社会不審という傷(被害妄想?)はなかなか癒えない。そもそも妻や子供のために、なにかすることが好きなのか嫌いなのかも分からない。とにかく生きる気力が弱い。

こちらからすれば、感情の起伏がある妻にはイラハラを感じない日はないくらい。その原因は私にあるのだろう。トラウマの説明も詳しくはしていないし、助けも求めていない。私しかわかり得ない苦しみがあるとの思い込みもあるのだろう。負の話題を家庭に持ち込みたくもない。

精神薬はほぼゼロにできるほど身体は回復しつつあるが、前述のような私の個性は家庭というコミュニティでは受け入れられないのが現状。話し合いが必要なのだろうけどね。これを書いているここ数日は、私の安住の地はなくなった。

金以外にも期待があるから不満を抱かれるのだろうが、暫くはそれに向き合う元気がない。現実逃避としてSNSサーフィンや買ったばかりの高性能イヤホンで音楽に没入する日々を送る。

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