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心のカギを外して。

本だけ読んで暮らしたいのだが、つい楽なほうへ、マンガとか慣れ親しんだ本に逃げる。あとは本の整理(クリーニングや発送作業)で終わる。
読書をするには、読書をする時間を死守するしかない。テレビは見ない、SNSアクセスは最小限、ルーティンワークと約束を守る。

昨日、過去において友人が定期的に開催していた「わかちあい劇場」がひさびさに復活し、それに参加した。みんなで主に「ノンフィクション・ルポルタージュ系」の映画を見て、その後に語り合う、分かち合うという集いである。今回見たのは「ガザ・素顔の日常」。何年か前の封切後の、リバイバル企画が今展開されているという。映画館のない奥能登でこういう試みは貴重だ。(上映後の分かち合いに参加するかどうかは、自由意志。)

主催者のNさんは、いろんなことに興味があって、行動的で、やってみたい、と思うことには失敗を恐れずにチャレンジしている(ように私からは見える)。今回の試みも、彼女なりの思いがあり、またタイムリーな映画でもあり、現在のガザで起きていることはこの映画に映し出された光景の何倍もの規模の爆撃だと思うと、心が痛む。映像に映し出される海岸(地中海)の風景は、まるで里山海道を白尾から羽咋に向かって走る時に見える海岸線のようだった。そのような長方形の一辺が海岸である、40キロ×幅10キロほどの区域(南はエジプトとの国境、北はイスラエル国境、検問所があるようだ)が「ガザ地区」と呼ばれている。

幸いなことに思っていたよりも多くの観客が訪れ、私は昼の部参加だったけど夜の部もあったようだから、なんとか赤字は免れたのであればいい。わたしは私にできるせめてもの協力として、中東イスラム関係(最新の地政学とか、新しいものではないが)の本、戦争や争いに関する本、大江健三郎や吉本隆明などの文庫本、複数所持本などを一箱の段ボールに詰め、「売り上げはこの映画の上映カンパとします」と書いて本を置かせてもらった。ようするに、「一箱古本市(売り上げはカンパ)」から再スタートしたようなものだ。わざわざこの本買います、と言ってくれる知人、黙ってお金を空き缶に入れて本を持って行った見ず知らずの人、私が帰る時点で空き缶の中には私がすぐには数えられないくらいの枚数のコインがあった(わたしは「5」以上は多い、と認識する原始人です)。

やっぱり本が人の手に渡るのは、いいな。自分が読んで、もういいやと思った本や、買い取ったり仕入れたりしたけど様々なイベントでも動かなかった本。値段ももう高くしなくてもいい。ブックオフが、一定期間たったら100円ー200円に下げてしまうように、本棚もぬかみそのように、つねにかき回さなければいけない。どこかでわたしは心に鍵をかけた、自分をガザ地区のような狭い区域に押し込めた、なんだろう、他人が怖くて? 失敗を恐れて? 無反応が怖くて? もうそろそろそこから出ることができる時期がやってくるかもしれない。これは全く個人的な体験で、社会性も戦争の正義と悪とかとも関係なく私にとっては、ガザ地区にいる人たちと自分の姿が重なった、映画体験でした。

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