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妊娠日記26 つける?つけない?マタニティマーク

今日は特に「これが食べたい!」のオーダーが明確だった。
「明日は絶対めかぶ納豆ごはんが食べたい」と思いながら昨日の夜は寝たし、今日は朝から「焼き鳥食べたい……」という気分がむくむく湧く。
結果、今日のお昼はめかぶ納豆ごはん、夜は近所の焼き鳥屋さんへ。

焼き鳥屋さんには、初めてマタニティマークをつけて出かけた。
家を出る前、はしゃいでマタニティマークをつけたバッグを持った写真を彼に撮ってもらった。


使うかどうか迷っていたマタニティマークだけど、私は外出時つけることに。
マタニティマークをつけた妊婦へのいやがらせが話題になっていたり、子どもを望んでいるのに授かれない女性からの目線が怖かったりということもあって、実は抵抗があったマタニティーマーク。

私は幸いつわりもないし、体調の急変もあまり心配なさそうだし、別につけていなくてもいっか〜と思っていた。

だけどyoutubeで観た助産師hisakoさんの話を聞いて、考えを変えた。

「生まれた子どもを連れて歩くと、いろんな目を向けてくる人がいる。
『子連れで電車に乗んな』みたいな目を向けてくるおっさんだって残念だけどいる。
子どもが生まれたらどうしても知らない人に迷惑をかけることだってあるし、そのたびに謝らないといけないようなシーンだってたくさんある。
子連れの人に対して、世の中にはいろーんな反応がある。
それにいちいち腹立てずに『こう感じる人もいるんだな』って学んで、対応を学ぶ、マタニティマークをつけることはその練習ができるすごくいいチャンスになる」
と言っていて、ああいい考えだな、と思ったのだ。

「妊娠期間」よりもその後に待っているり子育て期間」の方がずっと長いわけで、その間、見ず知らずの人に子どもが親切にしてもらったり、あるいは迷惑をかけたり、トラブルを起こすことだってあるだろう。

それと同じ数だけ、親として、お礼を言ったり謝ったり子どもを毅然と守る必要に駆られる機会だって生まれるのだ。

子どもがいることで起こる事象に、親はその都度対応しなければならない。逃げることはできない。

そう考えると、マタニティーマークをつけた私に対するさまざまな反応や目線を観察すること、そして、時に優しいだけではない反応を受けた時の自分なりの対処を探ることも、親になってゆく過程でのよい練習になるのかもしれない。
そう思えた。


子連れの親や子どもに対して、世間の人の反応はさまざまだと思う。

一人でいたころはさほど他人と関わらずに生きていけたとしても、子どもがいたらそうはいかない。

どうしたって助けられたり、こちらが迷惑をかけたり誰かを怒らせたりすることは山ほどあるはず。
道ゆく見ず知らずの人との何かしらの関わりは、生まれやすい。

その時に自分はどうふるまい、どのような気持ちでいるのかを、いまから逃げずに練習すること。 

あえてマタニティマークをつけることで、自分と社会とのあいだになんらかのコミュニケーションが、それは必ずしも言葉を介したものではなくてある意思を含んだ視線だったりするかもしれないけれど、なんらかのコミュニケーションが生じる可能性を持ちたいと思う。
そこから学び、親になる準備をしてゆきたいと思うのだ。


日記中に出てきた動画はこちらです。

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