積丹ブルー🌊神威岬と海鮮丼

画像1 積丹半島の神威岬です。最も存在感があるの岩は 高さ約40mの「神威岩」です。ここはチャレンカが身を投げた後に岩になったと伝えられ、昔から信仰の対象となってきました。義経は北海道(蝦夷)に来たという話 アチコチの神話で話されています。
画像2 この神威岬は龍の形をしているのでパワースポットにもなってます。ぜひとも先端まで行ってパワーたくさん頂いて欲しいです🎵チャレンカの小路を20分ほど歩くと先端にいけます。ただ・・・坂道が多く少々ハードなので体力が無い方は止めた方がいいかもしれません・・。
画像3 初夏にはエゾカンゾウの黄色い花が咲いて綺麗ですよ。自分はなかなかタイミングが合わず見たことがありません・・・。
画像4 自分はこの積丹ブル- ほんとにオススメです。色んなひとに見ていただきたいです♪
画像5 シララ伝説もあります。 源頼朝に追われた源義経の一行は、奥州から逃れて蝦夷地・入舸に辿り着きました。そして、義経はこの地に住む首長の娘シララと恋に落ちました。しかし、大陸への野望を抑えきれなかった義経は、満月の晩、家来とともに密かに船出してしまい、それを知ったシララは、絶壁の上から遠のく船を見つめて泣き叫びました。立ちつくす乙女シララは岩になり、それが女郎子岩だといわれています。
画像6 風が強いと通行止めになり先端まで行けなくなります。「女人禁制」になった云われの一つが義経伝説です。源義経を慕っていたアイヌの娘チャレンカが本土に向かう義経をここまで追ってきますが、すでに義経を乗せた船は出発した後でした。悲しみにくれたチャレンカは、「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」と恨みの言葉を残し海に身を投げてしまいました。その後、この岬の近くを、女性を乗せた船が航行すると必ず遭難するため、「女人禁制の門」が出来たと伝えられています。これは明治初期まで続いたそうです。
画像7 1912年(大正元年)10月29日午前8時半ごろ水難事故があり そのような事故が起きないように1914年(大正3年)にトンネル切削工事を始めましたがうまく繋がらず、村人たちが犠牲者の供養の意味も込めて双方から念仏を唱え鐘を鳴らしたところ、 その声と音とで掘り進む方向がわかり、着工から丸4年がかりで1918年(大正7年)11月8日に完成し ここを念仏トンネルと名付けたそうです。
画像8 そして〆は 海鮮丼どんどぉぉぉぉん

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