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不思議な夢を見た

「子供を授かる前に、何か予感があった。」

先に母になった友人たちの数人は、そう言って聞かせてくれたことがあった。

へー、そんなものなのかぁ。と取り立てて驚くことも疑うこともなかったのだけど、ある日それが自分の身に起きたときは、なんとも不思議な感覚で、これがそれとはっきり分かった。

本題に入る前に言っておきたいのだけど、私はその時38歳で結婚9年目を迎える年だった。子どもは自然に任せていて、その歳でも焦ってはいなかったし、もしかしたら私たち夫婦は子を持たないのかもしれないと半分思っていたりもした。

お互い30代から独立し仕事も忙しくなっていたし、二人の生活はとにかく自由で楽しくて、そんな生活を気に入っていたせいもあったかもしれない。

子供が産まれた今でこそ、授かったことが人生の中で最大の喜びであると感じているけれど、あのまま二人だけの生活が続いていたとしても、それはそれで満足していたんじゃないかなと思う。子を持たない選択をしたとしたら、何らかの社会的貢献という形で未来のためにできることをしようと考えていたし、夫婦二人でも末長く幸せに生きていく自信もあった。

そんな感じだったから、その「あれ、もしかして授かるかも?」という予感は幾分唐突で、それなのに妙に確信めいていて、だからこそ心に引っかかったようなところもあるのかもしれないなぁ。


前置きが長くなってしまったけど、私の予感がどのようなものだったかというと、それは 夢に赤ちゃんが現れた というもの。

2020年が始まって間もない1月の朝、まだ夢うつつの中でその赤ちゃんの顔と声とこの手に抱いているような感覚がはっきりと頭の中に飛び込んできて、その夢に圧倒されるように目が覚めた。

目覚めてからはしばらくドキドキしていて、不思議な夢だったなと余韻に浸っていたけれど、すぐにもしかしてあの子は未来の私たちの子かもしれないと静かに確信した。

夢の中だから赤ちゃんの顔はどんなだったかは、すぐに忘れてしまったけど、性別ははっきりと記憶に残っている。これは視覚的な情報ではなくてテレパシーのように情報がぴぴっと飛び込んできた感じ。そしてそれは実際に産まれた性別と同じだった。これは2分の1という比較的高い確率で一致するから偶然なのかもしれないけれど、後に妊娠が分かったあと「男の子かな? 女の子かな?」という周りの談義に、私は「どっちかなー?」と笑いながらも、心の中ではこっそり「女の子だよ!」って思っていた。私の母も早い段階からきっと女の子よ!って言っていたけど、あれは願望だったかな笑。


そして、その約3ヶ月後に本当に子を授かることになったのだけど、妊娠が分かったときは、ああ、やっぱりあの時のあの子は本当に私たちの子だったんだなと思った。

これってどうやって説明すれば良いのか分からない話だよね。

すごくロマンチックに解釈すると、娘がまだ私に宿る前に、空の上からあの二人の子供になるよ! と、決めてくれた瞬間だったのかなとか思うのだけど。それともご先祖様か誰かが教えてくれたのか、はたまた私自身の願望が現実化したのか。いづれにせよ、人智を超えた出来事だ。

そもそも命がゼロから産まれ、育まれること自体が超絶に神秘であって、なぜこんなに不思議なことを私たちはそういうものなのだとぬるっと受け入れることができるのか? 世の中にはこんなに身近なことでさえ、理由が分からないことがたくさんあるし、そもそも科学で立証されたことだけが正しいわけではないはずだよね。見えない世界や知らない世界はきっとある。むしろ人間が考え得ることなんてきっとすごくちっぽけで、それも本当に正しいのかなんて実際には誰も分からないはず。

話を戻すけどそれ以降も目覚めてすぐに、あれ? さっきの夢不思議! と思うことがたまにあったりして、今では夢が “私の真ん中の世界” の架け橋的存在なのかなって思っている。


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