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2023年を振り返って【闘病日記】

こんばんは。デルタと申します。

私は、精神疾患と発達障害をもち、療養生活を送っているものです。

軽く、私の2023年について振り返りのための文章を記してみようかと思います。

・1〜3月頃
病院に通いつつデイケアに通い始める。春には復職したいと思っていました。しかし、体調悪化や薬の副作用に苦しみました。カウンセリングも受けていたと思います。
主治医には「仕事に復帰して、笑顔で仲間と一杯やりたい」という話(希望)をしていたと思います。私の意思の元、主治医はできるだけ依存性の少ない薬かつ現時点の抗うつ感を改善するべくSSRI系統の薬が出ていたと思います。とても苦しかったです。

・4〜6月頃
復職は叶わず。その間、薬の副作用や私自身の不安感や被害的認知のおかげか、少しずつデイケアに行けなくなる時がありました。しかし、うまくいかない時に、ケースワーカーが私との面談を密にとってくれました。春になり、初夏の香りがする時間、あの感情や考えになれた瞬間が私を変えるきっかけをくれたとささやかながらに思っております。

・7〜9月頃
主治医やケースワーカー、訪問看護主体に治療を継続していました。苦しい夏。私は悪友に呑まれている時期でもありました。その苦しい夏に、夏風邪を引き、7月は声が出ない、咳が止まらない…等、様々なことが重なり、本当に人生を諦めようと思う時期でもありました。
その中で私は、「今の自分を変えたい」、「このままではいけない」と思う様になりました。私は、ケースワーカーに過去の行動や過ちについて真剣に向き合い、私の人生の一部始終を話しました。
この時期は主治医との診察の際に、主治医は私の考えや行動を考えつつ、ケースワーカーとの連携も図ってくれたと思います。私も考え方の癖についての理解をしようと、努力を重ねていました。その間、主治医には「考え方の癖が中々治らない」等の相談を良くしていました。

・10〜12月頃
この頃、以前から服用していた非定型抗精神病薬も徐々に減薬されていきました。夏から秋に処方されていた発達障害の薬も少しずつ減薬されていきました。その中で、私の行動の一部である「衝動性」や「多動性」はあるものの、必要な時に服用し、「今は必要ない」という時は飲まないという結論に至ったと思います。
主治医の判断はどういうことかはあまり分かりませんが、今後も特性と付き合っていかなければいけないですし、また飲まなくてはいけない時も来ると思います。主治医からは「私の一番最初に話した希望」「社会復帰をして社会で生きて欲しい」という意思がこの一年でとても伝わってきました。そして、現在はあるリワークに通っております。

この一年の間に私は、人を嫌い、人が怖く、さらに自分自身のことを嫌い、中々快方に向っていなかったことも確かです。

しかし、今は辛さこそはありますが、「復職」という目標の他に、「病気と付き合いながら健康的かつ継続的に生活すること」という人生における具体的な目標ができました。

私の中で様々なものを失い、辛さだけが残った2023年も、あと少しで終わります。

今後、幸せなことだけでなく、必ず辛いこともあります。その辛さを軽減する方法を学び、考え、自分なりに乗り越えていける様に努力を続けていこうと思います。

主に闘病生活のことを記してみました。プライベートに関することはほとんど書きませんでしたが、私の中で今年は「病を知ること、病を持っていても少しでも自分自身が生きやすい生き方を考えるきっかけ」になれたと思います。

諦めずに、次の一歩を踏んでいこう、そんな気持ちを年の瀬に思えた私は幸せだと思います。そして、この文章を読まれている皆さんも良い年をお過ごしください。
2024年もよろしくお願いいたします。

デルタ

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