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台所での瞑想


高校生の頃、料理にハマっていた。

当時お世話になった、料理上手なホストファミリーの影響もあったのかもしれない。

この頃は日本に一時帰国した時でさえ、ABCクッキングの回数券を購入して単発で通っていたし、気になるレシピがあればすぐにメモをして実践した。

料理教室で習った内容もそれで終わらせずに、ちゃんと家で復習していた。実家の夕食も私が作ることが多く、家族も喜んでくれていた。


けれども大学生になると勉強が忙しくなり、ホームステイから離れたことで生活リズムも不規則になり始めた。

それでも外食すると物価が高いことに加えて、パチモンじゃない日本食が食べたいので、自炊する頻度はとても高かった。

今考えれば十分だと思うけど、コロッケやハンバーグ、チャーハンなんかを作り置きしていて。お米も炊いて冷凍し、あとは茹で野菜やサラダを一緒にいただく。

これがワンパターン化し、料理自体を楽しむことは減った。大学の料理サークルみたいなものには所属していたし、時々友達とケーキやマフィンを焼く時は楽しかったけど。


そして社会人になった今。気分によっては自炊するけど、しない時は全然しない。疲れてると冷凍食品でいいやとなってしまう。


気が向くと一時間以上かけて料理するけど、新しいレシピに挑戦したりする好奇心は湧いてこない。気になるレシピを見つけても、材料の欄を確認すると、これもないこれもないとないものだらけ…じゃあいいや👋🏻と完結してしまう。



それでも私が料理を楽しめる時。

それは無心になりたい時。

なんだか色々と考えすぎてしまった時。

忙しい日が続いて脳が疲労してる時。

単純においしいものが食べたい時。

そんな時に、私はキッチンに立つ。


やっぱり、夏の台所よりも冬の台所が好きだ。冬の台所で切る、りんごが好き。冬の台所で炒める、玉ねぎが好き。冬の台所で茹でる、根菜が好き。

特にりんごを切っている時、なぜか心が落ち着く。切っても切ってもペロリと食べられてしまうのもいいところ。あのシャキシャキした音と、ほんのり甘いけど爽やかな香り。冬の少し冷たい空気と絶妙にマッチする。

こんななんでもないことをしているだけなのに、それに幸せを感じたりする。心が整っていく。何か良いことをした気分になる。生きているなあと実感する。



ここ数年、料理教室を除いては、一人で料理する機会しかない。そんな私にとって、最近の台所は瞑想の場所なのかもしれない。

でも気をつけなくてはならないのが、心が乱れた状態で台所に立たないことだ。
一見矛盾しているように感じるかもしれないけど、怒っていたり、せっかちな気持ちではいけない。何かを作る時、焦りは禁物だ。

料理を心から楽しめる時は、間違いなく心に余裕がある時。イライラしてては指を切ってしまうかもしれないし、野菜を茹ですぎてしまうかもしれないし、鍋を焦がしてしまうかもしれない。それで余計にイライラしたり。何事も、「しなきゃ」と思うほどに面倒になるものだから。



玉ねぎをみじん切りにすること。

一片一片を綺麗に確実に切り離すこと。

溢れないようにでも満遍なく、ボウルの中身をかき混ぜること。

焦がさないようにでも優しく、木べらでフライパンの中の具を動かすこと。

そんな一つ一つの動作さえ楽しめる時、それは料理するに絶好のタイミングだ。


きっと美味しいものができるに違いない。

そういう意味では、料理に心が表れるとはよく言ったものだ。

料理に心が洗われ、表れるのだから。





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