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生きた証、塞がることのない穴


大学2年生の夏、大切な友人の訃報が届いた。
私にとって初めての身近な人の死だった。

彼女を思い出すような夢を見たので
ここに記しておこうと思う。



夏休み前、彼女はひどく疲れているように見えた。
ただでさえ忙しく、心に余裕のない日々だった。


「大丈夫?」と聞くと
「寝不足なだけだよ」少し笑ってそう言ってたよね。
その時の顔が忘れられない。
笑ってるつもりでも笑えない程疲れきった彼女の辛そうな顔が、1年以上たった今も脳裏にこびりついている。


何も気付いてあげられず、
何もしてあげられなかった。
後悔ばかりが募っている。

どうやら事故ではなかったらしいのだ。

訃報が届いたのは葬儀などが
全て済んでからのことだった。


彼女と過ごした1年半の間にやりとりしたSNSは
今もまだ彼女が画面の向こうにいるかのように
存在している。LINEも、Twitterも、インスタも何度見たって更新されない。時間のたった今、気がつけばそれらを見ることさえもしなくなってしまった。


それが私にとっては、
彼女と過ごした証だったのに。


彼女は「過去」になってしまったのだろうか。





時を戻せたとして、19歳という若さで選択を迫られていた彼女にあの日、なんと声をかければ良いのか今でも分からない。どこかぽっかりと穴が空いて塞がらない、そんな感覚で今を生きている。


人は出会った数だけ、別れを多く経験する。
長く生きれば生きるだけ、より多くの親しい人を見送ることになる。

別れを、これから何度繰り返していくのだろうか。
喪失感だけが積み重なってゆく。

私たちの生きた証はどこにあるのだろうか。
写真や文章のようにカタチにすることは
もちろん可能だと思う。



最も力強い証は「愛」なのではないだろうか。

何に向けての愛だって良い。
音楽や芸術、勉学、恋人、家族、友人、
その人が「すき」だと感じ、大切にしていた相手やモノ全て。

受け取る側の人間は、発信者からの「愛」を受け取り、大切に心に刻んでいく。
どんな形であれ「愛」がこもっていれば相手に届く。
そしてそれが、「生きた証」として、誰かの心に一生残り続ける。




忙しいだろうけどさ、どうしても一緒に行きたいカフェがあるって前言ったやん?今度行こうよ。
ゼミのお泊りも、卒業旅行もイベント企画しよう。
学校では今までみたいに真面目に課題して、時々演劇についてお話ししたいんよ。足りてないんよ。




大好きでたまらないしほに届くと信じて送ったLINEには今も既読がついていない。


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