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「花 降る日」という本

「この本、よかったら・・・。」
清楚な雰囲気で、いつもワンピースでいる先輩が、そっと手渡してくれたのは、
有元利夫・容子さんという画家のご夫婦が書かれた本だった。

「私、この画家がとても好きなの。」

油画科の学生であった先輩には、とても可愛がってもらった。
将来の夢をきらきらした目で語ってくれた時も、
恋の話で泣いてしまった時も、そばにいられるのが嬉しかった。
先輩の素直さには、本当にけがれというものがなかった。

この本の中には、藝大に受かるまで4浪した利夫さんの日記がある。
私が受験した頃も、やはり藝大は平均3浪、5浪6浪当たり前、と言われていたが、ほとんどの受験生が最高峰であり最難関を目指す。
毎日、6時間以上は絵を描く美大受験生の生活は、のちに美術予備校に勤めた時も、変わっていなかった。
1日描かなければ、3日分腕が落ちる、と言われたものだった。
デッサンは頭で理解するようなところがあり、見えたまま、というよりは、
「そうなるもの」だということも頭に入れておかなければならない。
どんなに上手くても、その日のコンディション、くじ運(石膏像からの位置)、その他もろもろで、絶対がないのは他の学部と一緒だ。

女子の就職には、まだ浪人すると不利だった時代、先輩も私も現役で私立の美大に行くことを選んで、同じ会社に勤めていた。
純粋に作品を描いたり、作ったり、という生活にはならなかった。


「有元利夫さんの表現する世界が、とても好き。」
と先輩は言った。

本の中には、ブロンズの作品やアクセサリー、スケッチに陶器人形など、様々な作品が写真で収められている。

今日明日と言うことではなく、一大問題としては、モチーフの持つ中世風俗、等によってささえられているものからだんだん脱皮していくことだろう。花を描いても、静物を描いても、その中に何か中世的なものを感じられるようにしたい。中世の衣服によって中世を現していても結局大きくは進めない。中世絵画の持つ、気品、古びた絵具のこびりつき、しみつくような質感、自由奔放な空間構成をものにするのだ。(様式化された)


と書かれているように、中世絵画の持つ気品を、どのように現すのかがテーマとしてあったようだ。

「有元さんは、天につながっているみたい。」
と私が言うと、先輩はくすくすと笑った。
「ほら。イコンもあるわ。」
と、木で出来た金色のイコンが載っている頁を開いてくれたのだった。



何年も経った頃、家のポストに有元利夫展にあったポストカードが届いた。
お世話になっている方の奥様から、御中元のお礼状だった。
その方の若い頃を知る母は、

「それは素敵な方なの。上品で控えめで、いつも笑顔で。
 誰もが、そう感じるような雰囲気のある方よ。」

と言っていた。
私の頭にはマリア様が浮かんでいた。

嬉しい気持ちになった。
きっと好きで、見にいかれたに違いない。
展覧会でしか手に入らないポストカードだった。


心の純粋な方の絵だと感じて、
「天につながっている」と表現したのだが、
私には、透明な空気に包まれたような絵に見えるのだ。

絵画療法の先生に、
「私はどうしたらいいのでしょう?」
と聞くとき、
「あなたの場合は、大いなる自己に聞いてごらんなさい。」
と言われる。
自分を超えたところに繋がることで答えを導き出しなさい、と。
そういうことか、と思う。


明日は、夏至、部分日蝕、新月が重なるらしい。
前回、この3つが重なったのは1648年。
次は、800年先だと聞いた。
いらないものを手放して、リセットするのに最適な日。
古い価値観をリセットするのには、もってこいの日。
と書かれているのを、あちこちで目にした。

パソコンが更新される際に古いアプリケーションが削除され、
新しいものがダウンロードされるような感覚で、自分も再起動しよう。

ふわりと透明な空気感に漂ってみたいと思う。



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