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世界|ショートショート

<和那の場合> 



 息の詰まったような感覚があって、和那はくいと顎をあげた。昨夜の行いやそれより前の会社での会話を思い出して、肺がいっぱいになる。
 自分の中に、他人がたくさんいるのが苦しい、と思う。
 それは彼の言葉や行いであるし、職場の先輩の態度や話であるし、友人から定期的にくる現状報告の連絡であるし、そういう他人の持つ気配のことだ。

 普段は——、そう、普段は特別なにも思ったりはしない。淡々と、それなりに面白がって楽しみつつ、日常を超えていく。
 ただ、どうしてもそれが鬱陶しく絡みついてくる日はあるのだ。まさに今日のように。

 和那は、不意に目頭に滲んだ暖かいものを逃すように瞬きをして、紅茶を淹れるために立ち上がった。落ち着くためには珈琲よりも紅茶。これは和那の習性であり学習の結果である。砂糖を入れずに牛乳を少し。和那には、飲み物に砂糖を入れる習慣がない。

 なにも、考えることなどないのだ。

 淹れたばかりの温かい紅茶に口を付け、和那は絶望的にそう思う。
 考えることも、思い煩うこともない。ただ、自分の中が他人でいっぱいなのが重苦しいだけ。そして何を考えても策を講じても、それから逃れることができないだけ。

 瞼が熱い。いや、瞼ではなく瞼の裏側が。

 流してしまえば楽になることを、和那は知っている。けれど、そうするわけにはいかないことも、和那は知っている。なぜなら今、和那の隣には他人のうちのひとりがいるからだ。

 自分の中にあって自分を重苦しくさせる存在の前で、熱い瞼の裏側を流すことが、なんの救いにもならないことを和那はよく知っている。なにかのせいだと建前を付けた上で流したそれが、途端に意味を失うことを、和那はよくよく知っているのだ。


 ひとりになりたい、と心から願う。なにものも自分の中に入れず、記憶にも入れず思考にも入れない世界を、生きたいと願う。
 けれどそれは、社会というものではないのだとも思う。社会は他人を入れるものだ。自分が他人となるものだ。他人がたくさんたくさん渦を巻く中で、それらを選り分けて入れていくものだ。ひとりにはなれないところだ。


 だから和那は、他人の横で紅茶を飲んでいる。生ぬるい温度で、瞼の裏を戻していく。

 

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