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説明するということ - コラム(1) 書き始めたきっかけ

とりあえず「説明するということ」について、途中まで書けた。いま書いているものは、第0版だと思っている。その第0版は、とにかく頭の中を整理して書き出すバージョンになりそう。

書きたい内容はだいたい下書きに入っているのだけれど、本当に書き切れるか分からないので目次は作らなかった。最後まで書き切ったときに目次にあたる記事を作ろうと思う。

「スキル」という言葉への思い

基本的なスキルが身に付けば、それをその場に応じて崩していくことは、いくらでもできる。やはり、説明するスキルも守破離ではないかと思う。

「能力」ではなく「スキル」という言葉を選んだのにも意味がある。「元々苦手だからずっとできない」と諦めてしまうものではないから。一方では、「毎日書けばできるようになる」といったことも、半分は本当で半分は嘘だと思うから。

「コミュニケーション」能力なんかが典型例だと思う。「コミュ障」という言葉が気軽に使われている。

しかし、考えてみれば、世の中のほとんどの人は生まれながら「リア充」みたいなコミュニケーション能力を持っている訳ではない。たいていの自称「コミュ障」は、スキルを身につければ「ちょっと変な人」程度には成れる。

実際のところ、コミュニケーションが自然にできてしまう人の方が、ハマってしまったときに抜けられなくなる場合もある。とくに、仕事上で的確なコミュニケーションが必要になると、勘だけではどのみち足りなくなる

同じように、単に書けることと伝わるように書けることは違う。生まれながらの能力を超えて、トレーニングが必要な能力になる。そのような能力をスキルと呼んだ。

詩的な文章も素敵だと思う。それ以外の芸術的な作品を作れるのは羨ましいと思う。残念ながら私には、生まれながらにはその能力がなかったようだし、人生のこれまでにそれをトレーニングされる機会にも恵まれなかった。

その一方で、論理的に伝えること(=説明すること)は、OJT的にトレーニングされてここまできている。せっかくだからそれを還元したいと思った。

「説明すること」への思い

この夏休みに多くの子どもたちと保護者が悩む「読書感想文」「自由研究レポート」を少しでも助けたかった。実際のところ、私自身も自分の子たちに対して悩まされているところだから、とても即物的なのだが。

自由「研究」だから論文のようなものだろうとは言えそう。では、読書感想文もそうなのか。

私は、読書感想文も説明の文章だと思っている。そのうちちゃんと書くつもりでいるが、先生や友だちに「この本はおすすめだよ」ということを伝える文章を書かせると苦手意識のある子でもなんとか書けるようになる。自分の気持ちを整理せずに書き写せる子は、それでも良いのかもしれないが…。

自分の気持ちをストレートに表現できる能力をしっかりと磨いて詩人になるのも悪くはない。その場合ですら、想定する読者を説明できる能力は必要だと感じている。

その背景には、世界の潮流として、芸術的な作家であっても自分の作品を客観的に説明できる能力が求められていることがある。

海外の大学院で芸術学の博士号を取得した知人が以前に言っていたことがある。「海外では自分の作品の良さを言葉で説明できなければならない」と。同じ事を国内の芸術系大学の先生たちも言っていた。

その知人は作家としても面白い作品を作る。その作品群について博士号を取得するためには「自分の作品がなぜその作品でなければならないのかをじっくりと議論し、それを博士論文にしないと修了(卒業のこと)できない」と言っていた。

今後、説明して書く能力がアートなクリエイターにも必要になることは間違いないだろう。特に、世界を目指して取り組んでいるのなら。

芸術的な作品が作れて、さらにそれを説明する文章も書けるようになったら、頭ひとつ抜けられるかもしれない。

まとめ

説明する文章を書くスキルは、トレーニングで向上できる。勘だけで書かなくて済むようにできる。

目下のターゲットは、読書感想文や自由研究レポートに絞っている。多くの人の悩みでもあるし、自分の悩みでもあるから。

説明文というと芸術活動には関係なさそうに見て、実はそうでもない。作品を説明する能力も求められるようになりそうだ。

そういった、説明が求められて困っている人たちを少しでも助けられたら良いなと思っている。

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