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説明するということ - コラム(3) 根拠の確からしさ

次のうちどの根拠が確からしいだろうか。

(1) 雨が降りそうだ。なぜなら、空が厚い雲に覆われ始めたからだ。
(2) 雨が降りそうだ。なぜなら、蛙が鳴き始めたからだ。
(3) 雨が降りそうだ。なぜなら、こういったときにはいつも雨だからだ。

当然のことながら、どこまで深く説明するかでも異なる。例えば、(1)は日常会話では十分に確からしい説明と言えそうだ。ただし、気象関係者の間なら不十分な事実による説明となるだろう。

一方で、(2)は日常会話であっても確からしさが足りなそうだ。たしかに、湿度の関係で活発に動くようになって鳴きやすくなることもあるが、湿度が高くても雨が降るとは限らない。更に言えば、本来、蛙が鳴くのは求愛のためだ。遠い因果関係をもとに説明しているために、確からしくないことになってしまった。

さて、困ったことに、世の中では(3)のような説明がよくある。根拠が自分自身を指している。そのため、根拠が根拠になっていない。この例では、分かりやすく書いたが、変形した例として、「このルールがあるのは、このルールを必要だと以前に決めたからだ」がある。この循環に入った議論を何度見たことか。

根拠を示す際には、(1)くらいには因果関係が強そうな事実が必要だ。(2)のようにあまり因果関係の弱いものでは困る。ましてや、(3)は根拠を示したとすら言えないだろう。

根拠を示して説明をするときには、根拠の確からしさにも注意が必要だ。

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