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思い出すと泣いてしまうのですよ

先日、父親の法事があった

父は何年も前に事故で亡くなってしまったのだけど、私はショックでその頃の記憶があまりない
記憶を失くしているというとなんだか大事だけど、他の年と比べてうまく思い出せないのよね
人間の本能なのかしら
辛い記憶を忘れろ忘れろって自然とやっている気がするよ

当日のことは忘れたくても忘れられない

亡くなった当日、新幹線で父の元に向かっている時にポケットに突っ込んだメガネは落とすし泣きたくないのに移動中はずっと涙が止まらない
あー外で泣いちゃってるーなんて思う余裕もないくらい、ひたすら泣いていた
兄の涙なんていつ以来だろう
家族が悲しむ姿も本当にキツかったな

慌ただしい日々が過ぎていってまた死を実感して毎日ひとりになると泣いていた気がする
ひたすら同じ音楽を聴いてた
別に特別好きじゃないアーティストの音楽だった
好きとかありがとうとか大切な人を想って書いたであろう曲を聴きたくなかったから、それがちょうど良かったんだよね
なるべく何も考えなくていい、ひたすらうるさくて元気な曲が良かった
少しでも忘れられる時間にホッとしたな

病んでるねって感じ

仏のように優しかった父が本当の仏様になってしまった
良い人は早く亡くなってしまうとかっていうのは本当なんだと思う
父は誰に自慢するでもなく、いろんなことをこなしていた
自然と徳を積んでいたんだね
たくさん甘えてたくさんワガママ聞いてもらったな
本人を褒めるなんてできなかったけど器の大きさが素晴らしいと思う
私は照れ臭くていろんな感謝をうまく伝えられてなかったよ
たくさん愛情もらったのにごめんねって思っちゃう

学び終わったんだねお疲れ様って思ってあげたい

父が亡くなった頃、祖母が「ミモちゃんが幸せになることがお父さんの幸せだよ。これからたくさん幸せになってね」って言ってくれたんだけど、その時はそう思えなかったな
本当に父はそんなことを思うかな、もっと生きていろんなことやりたかったかもしれないのに私だけ幸せになるだなんて悪いなって思っちゃった

自分の人生、前向きに思えなくなっていたせいか今振り返ると仕事や人間関係かなりキツかった、そして母が病気になってしまったりとかなりきつい試練の年だったな
笑っちゃうくらいに色んなことがやってきた

自分のマインドも影響していたと思う
幸せになりにいく気がなかったんだよね私
償いで生きているみたいな感じだった
幸せになりたいくせにブレーキかけがち

どんな幸せがあってもうまく拾えていなかったっていうのが正しいのだろうけどね
当たり前の中にたくさん幸せがあるのに見失って感謝できなくなるから「忘れてまっせー」ってたまに教えられるんだよな

贅沢ものよ

父を思い出すといろんな気持ちが溢れてくる

普段は思い出して泣くなんてことはもう無くなっていたのだけど、お坊さんと話していて「あの時は大変でしたね」と、事故のことを詳しく話したりだとか思い出したり果たせなかった約束を思い出したりなんかして、いろいろな想いとかしんみりとした空気感がちょっぴり苦しくて寂しくて涙がツーって落ちてきちゃった
人前で泣きたくないんだけど我慢できなかったな

悔やんでも仕方がないし、娘は前を向いて自分の試練を少しずつこなしているよ
悲しいことも嬉しいこともいっぱいあって、もうちょっと生きてもっともっと人生を楽しみたいなって思っている
楽しいことにも踏み込む勇気が相変わらずないし考え込んじゃうけどね
もっともっと自分を変えていって面白いことやっていきたい


しんみりとしたけど命日くらいはそんな気持ちになってもいいかなんて思ってみたりね

家族が集まってワイワイ楽しく過ごすことができて、なんだかんだ良い日になりました
みんなべったり一緒にいる訳じゃないけど家族といる時間もいいね
こんな風に当たり前に仲良くできることもありがたい

兄夫婦や母たちとみんなでお出かけもしようねって約束もできたし幸せなことですわ

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