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スウェーデン留学生の呟き⑤ 病院編🏥

皆さん、こんばんは。今日という日を、どのようにお過ごしでしょうか。皆さんの目にこのnoteが留まったこと、嬉しく思います。ありがとうございます。

さて、本来なら今回は、私がこちらに来て、1ヶ月という事で、1ヶ月間過ごしてみての思いを書こうと思っていました。が、しかし、、、私の身にとてつもない経験が降り注いできたので、今回はそれにお付き合い、いただきたいです。

私の今回した経験、、それは「スウェーデンでの入院生活」です。🏥
今回は話したいことが多いので、少しまとめて、書こうと思います。

第1章「突然変異」🤒
 本当に本当に突然の事でした。ある日、友達とスウェーデンのプチ旅行を楽しみ、ルンルン。で帰宅しました。そしてその日の夜中、日々の日課である日記にその事を書こうと思ったら、突然の痙攣・悪寒・身体全身の痛みに襲われました。只事じゃないと思い、すぐにベッドに入り、なんとか寝ようと試みるも、全く寝れません。身体が震えすぎて、どうしようもないのです。そして始まるとてつもない頭痛。本当に涙が出そうでした。そして明日には良くなると願いながら、就寝します。

第2章「悪化する症状」😵‍💫
 
次の日、目が覚めました。やばい、、、死ぬほど辛い。全く治っていなく最早悪化。両親に電話をかけ、多くの友人から対処法をもらい、なんとか実践しようと試みるも動けすらしない。その時すでに体温が39.7度になっていました。そして隣の友人を呼び、一日看病してもらうことに、、。本当に辛すぎました。でもスープを作ったり、全ての事をしてくれた友人には感謝しかありません。日本の保険会社を使用し、オンライン診察をしましたが「病院に来てもできることはないから薬を飲んで安静にして」それが答えでした。その為この日も日本から持ってきた薬を飲み、なんとか耐えます。

 次の日、起床。さらに悪化。熱も39.5度台を永遠と彷徨い、痙攣震え、頭痛に全身の痛みが悪化し、飲み物すらも喉を通らず、死にそうでした。その間に友達が買い物をしてくれたり、食事を届けてくれた事、嬉しかったです。しかしずっと連絡をとっていた両親が、私の体調と、私が耐えるとしか言わないことに痺れを切らし、「救急車呼びな!」と言いました。それを言われた時、私は「え救急車?私の症状よぶに値する?」「明日授業でたいし」「耐えればなんとか」と色々言い訳を言います。(笑)しかし、どんどん悪化する症状に、もう意識が朦朧としてきた為、意を決して「112」スウェーデンの救急車要請の番号に電話をかけます。

第3章「救急車に電話したその後」🚑📱
 意識が朦朧とした中、担当者が出ます。もちろん英語です。なんとか自分の頭を回転させ、自分の症状を伝えると、「日本の通訳者を介して、ナースと話してもらうから待って」と言われ10分程度待ちます。その後、スウェーデン語の日本通訳者と私、スウェーデンのナースの3人で会話をしました。「なぜ救急車を呼んだのか」「なぜ呼ぶ必要があったのか」「今の症状は」「今までの症状は」「この体制はできるか」など信じられないほど質問されました。あの、、私緊急事態なんですけど、、と冷静な自分が口を挟みながらも回答し続け、1時間後、やっと「救急車が必要だと判断したので手配します。時間がかかるかもしれませんが、きます。しかし病院に連れて行くかは救急隊の判断なので、行けるかはわかりません」そう言われ、終わりました。

 やっと救急車が来てくれる。と思った瞬間、症状がさらに悪化していることに気づく私。また友人を呼び、救急車が来るまで看病してもらいます。が!しかし!待てどくらせど救急車が来ない、悪化する症状、私の意識はもう途絶える寸前でした。そしてなんと2時間後、、やっと救急隊が到着し、私の症状を素早く調べ、すぐに救急搬送が決まりました。その時いたお友達が付き添ってくれることにもなりました。その時すでに体温は、39.9度でした。意識がもう飛ぶ寸前なのに、私がスウェーデン語を学んでいる影響で、この体温だけは聞き取ることはできました、いいんだか悪んだか、、(笑)

第4章「救急病院に到着」🏥🌡️🧑‍⚕️👩‍⚕️
 
緊急処置室に案内され、そこからナースやドクターが来るのを待ちました。その間に、お友達も到着し、二人で待機。少し待つとそこから続々とナースが現れ、コロナ検査→ウイルス・コロナ検査→採血7本、ドクターによる検査が行われました。その結果「神経系の感染症」ということがわかります。しかし、どこからの感染かわからない。
そこで行った検査が「骨髄検査」です。骨髄から液を採取して原因を調べました。これがめちゃくちゃ怖くて、痛かった。ナースとお友達の手を握りしめ行いました。それが終わりと反対の腕を7本採血し、病棟へ移動になりました。その時すでに朝の4時半。疲労がとてつもなかったです。

第5章「本格的な入院生活」👭💐🔍
 そして2、3時間就寝したのち、また検査が始まります。体の基本的な検査や採血です。お友達はここで授業があるため帰宅。ここまでずっといてくれたこと、本当に感謝しかありませんでした。そして初めてのスウェーデンの入院食。味はよく、美味しかったです。面白いのが色々メニューを選択させてくれたことで、有り難かったことは「グルテンフリー」「ラクトースフリー」「vegetarian」を全てカバーしてくれる食事のオプションです。これは多様性を意識し、多くの人が住むスウェーデンならではなのではないかと思いました。本当にありがたかったです。そしてこの日はエコー検査を行いました。この検査で分かったことは、「腎臓が腫れていること」「そこにバクテリアがいること」「そのバクテリアが血液を辿って全身を巡っていたこと」でした。また夕方には二人のお友達がお見舞いに来てくれました。とても嬉しかった。

 次の日、また早朝から、採血や検査、抗生物質の投与を行いました。たくさん行われる検査や採血に、大変すぎると思いながらもなんとか耐えました。そして今日はたくさんのお友達がお見舞いに来てくれました。お花などを届けてくれたり、病室にあるホワイトボードにメッセージを書いてくれたり、とても心が温かくなりました。またどんなに体調が崩れていても、友達が来ると、笑っている自分もいました。この日は授業もありました。本当に休むということが怖く、少しでも置いてかれてしまうと思うと、頭がパニック状態になってしまう私です。授業に参加する事を決め、ZOOMで参加をしましたが、この症状で、全くといっていいほど、集中することはできませんでした。最早症状が悪化しました。(笑)

第6章「遂に退院」🌸🏠🚕
 そしてこの日、ついに夕方に退院が決まりました。身体の状態も良く、バクテリアの数も減ってきた為、今日の夜からは抗生剤に変わることになりました。朝から検査や採血、抗生物質の投与は同じようにあります。この間に、母や日本にいる友達ともたくさんお話をしました。どれだけみんなが心配してくれて、私を支えてくれていたかを身に沁みて感じる温かい言葉の数々、とても嬉しかったです。と同時に、もちろん、高熱を出した時から、保険会社とやりとりを続け、手続きなどについても進めていました。これは慎重に、かつ丁寧に必要書類を調べないといけないため、母からのサポートが必要でした。そして夕方、ドクターが私の元に来て、診断書や病気の説明、今後の流れやプランについて話をし、無事退院することができました。この帰宅はタクシーでしたが、これも保険で補えるのでとても良かったです。
 到着した時、友達が笑顔で待っていてくれて、ハグを交わした時は、安堵感でいっぱいでした。

終わりに
 ここまでの長文物語、読了いただき、ありがとうございました!!!
私の身に何が起こり、何をして、どのように進んでいったのか、記録したかったということもあり、今回このように綴りました。スウェーデンの医療についてはとても興味がありましたが、なんと自分が体験しながら知ることができるとは、、想像もしてませんでした。この経験で気づいたことは、いくつかあります。これは、また次のnoteでまとめて書きたいなと思っています。今が長すぎるが故(笑) 
 でも「絶対」という言葉はない!という事を身にしみて感じた体験でした。かなり辛かったけど、勉強になりました。

では、後ほど😊

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