「病気に見えないね」をどうとらえるか

こんにちは、ririです。

今週は調子がいいので2回目の投稿。

前回はフラットだと書くこと思いつかないと書いたけど、

今日はツイッターで気になる話題があったので。

わたしのようなメンタル患者が人に会ったとき、

「病気に見えないね」

と言われること多いけど

当たり前じゃん!元気なふりしてんだよ!

というお怒りツイートが話題になっている。

だってけがとか身体障害じゃないから目に見えないからね。

病気に見えるほど悪いときってほんとによほどのときで。

でも「病気に見えない」ときでも実は精いっぱいがんばって

「病気に見えない」ふりをしているときもあるんだよ、ということ。

もしくは波のある病気だから元気なときにしか人に会わないとか。

だから「病気に見えないね」と言われると本当はつらい自分を

無視されているように、否定されているように感じてしまう人もいる。

その気持ちもわからなくはないなと思う。

病気のつらさはわかってほしいからね。

でも、仮にそのときは「病気に見えない」ふりをしていたと仮定して。

ではなんのために「病気に見えない」ふりをしたんだろう?

もしくはだれのために?

わたしだったら、相手に気を遣わせないため、かな。

だったとしたら「病気に見えないね」といわれたら気遣いが成功したということ。

よかったことじゃないのかな。

数年前のわたしを知っている人は「今と顔つきが違った」と言う。

たぶん数年前のわたしも「病気に見えない」ように精いっぱいふるまっていたと思う。

でも体調が悪すぎたら相手にも伝わってしまうんだよね。

だから「病気に見えない」と相手に思わせることができるくらい良くなってきているともいえる。

それも喜ばしいことだよね。

「病気に見えないね」と言われて、相手は自分のことをわかってくれていない、と怒るのではなくて

それくらい自分はよくなってきている、と思ったほうが幸せな気がする。

もちろんまだまだつらい状態のときもあるだろうし、「病気に見えないね」と言われているまさにそのときもつらいのかもしれないけど。

それに「病気に見えないね」というのは、絶対ではないかもしれないけど、病気のわたしを励まそうとして言ってくれているときが多いように思う。

その気持ちだけでもありがたく受け取ってみたらいいんじゃないかな。

それが本当の自分じゃないとしても。

あと、「病気に見えないね」がダメならなんて言うのが正解なんだろうね。

何も言わないのが正解なのかな。傷つく人がいるくらいなら。

でもわたしは「病気に見えないね」は相手からの励ましと労わりの言葉だと前向きにとらえたいなと思っているよ。

今日はこのへんで。みなさま良い週末を。


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