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エッセイ|自分はなにを書きたいのか、について考えた。


引っ越しをする直前、靴紐が切れた。
生まれてこの方初めてで、あと数日でサヨナラする家の玄関で立ちほうけた。
いや、それは嘘。厳密には1秒考えたくらいだ。横で「みてぇぇぇー!!!」と幼児が一人で履けた靴を見せびらかしている。生まれて初めての出来事があっても、平日の朝にじっくり味わう時間はない。もう玄関を飛び出し、自転車に荷物と子どもを乗せて走り出す時間だ。出勤時間が迫る。

わたしは急いで玄関を出て、子どもと共にエレベーターに吸い込まれる。駐輪場までは腕の筋トレ、自転車に乗れば足の筋トレ。首都圏によくある自転車と自転車が重なり合うようにぎゅうぎゅうになって停めさせられる駐輪場が、わたしはきらい。

自転車も痛むのに、停めるために右に左に揺すっては車体を擦る。
「スタンドは立てないでください」と書いてある駐輪場すらある。子どもを乗せる自転車はかなり重装備なのに、その重さがあんな細いタイヤの一点にかかる。もちろんスタンドを立てられない自転車はナナメに傾いている。全ての自転車がそうだ。そうしてまた右に左に揺すって、やっとの思いで自分の自転車を引き出す。本当にばからしい。
この当たり前に物を粗末に扱うところに、"都会"を感じる。
20代の大方をこの辺りで過ごしても、違和感は消えない。変に我が強いせいか、これを良しとしたら嫌な人間になってしまう気すらしていた。


靴紐が切れるって、悪い予兆だっけ?
そんなことを考えながら、ママチャリを漕ぐ。
電動を買えばよかった。まだ若いとたかを括っていたのか、筋肉に自信があったのか、電動はいらないなと言った去年の自分が恨めしい。
おそらく、多少なりとも両方ある。永遠の15才、とは言わないが、言わんとしていることがわかってしまう年齢になった。

予定では仕事のスタンスを確立し、専門性を高めているはずだった。大学院に行きたいんだよね、などと言っていた20代前半が懐かしい。
仕事は今回の田舎への引っ越しを理由に変えた。お金に困ればまた戻るかもしれないが、言葉の裏を返せばそれほど今は戻りたくない。
人生、なにがあるかわからない。
平成ギャルの生き残りみたいに、いまだに「やばーい……!」などと言うアラサーになってしまった。そんなはずじゃなかった。


「靴紐が切れるのって、良いことらしいよ」
夫がスマホを見ながら言う。
夜の子どもが寝た後の時間、別に大したことは話さないのだが、この日は靴紐のことを言わないわけにはいかなかった。
夫は「なんだったかな」とスマホに手を伸ばす。そうして夫婦共々、靴紐が人生の転機を予見していたことを初めて知る。

なんで不吉な前兆だと思ったんだろう。
身代わり的な考えを誤認していたのか。スピリチュアルな考えをあまり信じていないためか、それすら忘れてしまった。

スピリチュアルな事柄に「胡散臭い」と思う日もあれば、「当たってる!」と思う日もある。
ただもしそんな特別な力があるなら、行方不明者の捜索などにあててほしいと思ってしまうし、それをしないあたり信頼に足るかはいつもわたしの中で疑問が残った。
少し前に大谷さんがグローブを全国の子どもたちに寄付していた。無垢な笑顔は数えきれず、そしてきっとその中に"未来のオオタニ"がいる。子どもたちに希望を与えられる大人の鏡のような彼であるが、あの規模のスーパースターになると、慈善事業をしない方がおそらく珍しい。
持つ者には持つ者の礼があるのだ。


靴紐が切れなくても、引っ越しは確定事項だった。
すでに新居を契約し、職場に退職を告げ、保育園にも退園を伝えていた。引っ越し業者はあと数日もすればこの玄関にベタベタと四方八方を養生し、荷物を運び出す。

意味付けしたくなるのは人間の性だろう。
先人も、月の満ち欠けに、目についた数字に、たまたま引いたカードに、様々な意味を含ませてきた。

切れた靴紐に、「引っ越しのその先に良い未来が待ってると言ってくれ!」と無茶を言う。
靴紐もびっくり、そんなこと言われても……という感じかもしれない。そりゃそうだ。


駅で小学生にぶつかられた。

確かにやや混んでいる駅だった。おっと、とわたしはよろめいた。「大丈夫?」と思わずこちらから声をかけようかと思うほどだった。
それなのに当の本人は顔色変えず、何事もなかったかのように歩き通り過ぎていく。そんな小さな子どもを見て、怖くなった。


群衆を言い訳にしない自分が好きだった。
他に染まらないことは時に衝突も生むし、悩みも尽きない。ただ、誤魔化さないことが自分を信じられる唯一の方法だった。

だからまっすぐな正しさが好きなのだ。

自転車は傷まないように置きたい。子どもが、多の中に個があることを想像できる世の中にしたい。

意味付けは祈りなのだと知る。
そこに「願い」が確かに存在することを表している。

靴紐が切れた靴を買い直した。

わたしは、願いを言葉にしたい。祈るだけでは嫌なのだ。

フィクションであるのが悲しくなるくらいの物語を書く、それが当面の目標だ。
生き続けることは思い通りにいかないことばかりだけれど、誰かが強くあれるように、自分が自分を信じられるように、芯のある創作物を生み出したい。


そしていの一番に慈善事業をするので、ぜひちょっぴり売れてほしい。

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